燈 ともしび
2026-04-26 19:58:54
53311文字
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ぎゆさね【甘いケーキと苦い珈琲】

大学生🌊さん×喫茶店マスター🍃さんの歳の差 現パロです。



-2-

 普段は良く言えばおっとり、悪く言えば鈍臭い。冨岡家の長男ではあるが、聡明で優しく歳の離れた姉の下で育ったのでとにかく競争が苦手で、極力人と争わなくて済むように回避してしまう癖がある。何が火種になるか分からないので発言する時はものすごく考えてからでないと話せない。
 それなのにあの時は頭で考えるよりも先に言葉が出ていた。多分、物心ついてから一番必死だったように思う。

「ここってバイト募集とかしていませんか?」

 言ってからしまった、と思った。
 マスターはさっきまで笑っていてくれたのに、眉間に皺を寄せて困惑の表情に変わってしまったからだ。確実に今の俺の発言のせいだ。
「あー……悪い。ご覧の通りうちは小さな店だから俺一人で大丈夫なんだわ」
 後頭部をさすりながら話す様子は気を使わせてしまっているのがありありと分かる。普段は発言に気をつけていたのに、俺はここぞと言う時に失敗してしまったのだ。
「いえ、すみません。このお店の雰囲気がとても素敵で、コーヒーもケーキもすごく美味しかったので」
……あと、あなたの笑う顔も、とても綺麗だと思ったんです。
 流石にそれは言わなかった。そこの理性はかろうじて残っていたらしい。

「ありがとうなァ。バイト募集はしてないんだけど良かったら客としてまた来てください」
「はい」
 俺があっさり引いたのでマスターはほっとしたのか笑ってくれて良かった。

 少しの落胆と、少しの安心感と。それらを打ち消すようにチョコレートケーキをもう一口くちに運ぶ。コーヒーに合う甘さだと思っていたのに今は少しほろ苦い。
 そう言えばメニューに書いてあったではないか。『自家製』と。
 この店はマスターしか店員がいない。と、いうことは、
「これ、マスターが作っているんですか?」
「あ、ああ。そう。俺が作ってる」
「すごい」
「すごくねェよ。そんなに種類作ってねェから」
 謙遜されたけれど、俺は料理すらまともに出来ないからこんなに美味しいケーキを作れるなんて本当にすごいと思う。前に働いていたカフェは冷凍で届くのを解凍して出していたが、個人で店をやりながらケーキも作るなんてかなり手間もかかるだろう。
 やっぱりこの店で働いてみたかったな。そう思うが断られたのなら引かないと。

 ケーキもコーヒーも全て最後まで味わって手を合わせる。やっぱり美味しかった。
「ごちそうさまでした」
 いただきますもごちそうさまも習慣で出てしまうのだが、人によっては俺がやるのを不思議そうに見てきたりする。「冨岡くんってお坊ちゃんなのね」なんて笑われたこともある。俺はただ、作って出されたものを美味しくいただく感謝の表れなだけなのだが。
「はい、お粗末さまでした」
 でもマスターがそう返してくれたから最後の最後に俺の心が救われた気がした。
 やっぱり、良いなぁ。

 会計をして、でもなんとなく帰りがたくて。
「あの……
「はい?」
「ロールケーキ、持ち帰りでひとつください」
 おずおずと伝えると、マスターは目をまん丸にしたあとに声を出して笑ってくれた。
 多分、というか確実にこの人は俺よりも歳上だ。見た目からも大人の男性オーラが漂っている。
 でも笑うと目尻に笑い皺が寄る。そうすると雰囲気が柔らかくなって、なんというか、可愛らしさのようなものが増える。またギャップだ。
「そんなに気に入ってくれたのかァ、ありがとう」
 フルーツがたくさん入っているロールケーキ。を、ひとつ。真っ白な箱に入れられて笑顔のマスターが差し出してくれる。
 俺はそれを宝物のように両手で受け取った。受け取る時に指先が微かに触れてドキッとする。マスターは全く気にしていなかったけれど。
「日持ちはしないから今日中に食べてくれ」
「はい」
 そのお金も支払って、そうするともう帰るしかなくなった。後ろ髪を引かれつつ木製のドアを開ける。
「またなァ」
 最後にと振り返れば、マスターが笑顔でひらひらと手を振ってくれていたので俺もぎこちなく手を振り返した。

 潰れないように、と気をつけていたのに無意識に抱きしめていたらしく、家に帰ったらロールケーキの箱は角が少し凹んでしまっていた。
 店のように綺麗な柄の皿なんてないから実家から持ってきていた真っ白な皿にロールケーキを移す。フォークで切り分けると中から色とりどりのカットフルーツが出てくる。
 一口食べてみるとやっぱり美味しい。

『またなァ』
 初めは敬語だったのに、マスターは最後には笑顔で敬語ではなく俺に話しかけてくれた。
 もう一口、ケーキを口に運ぶ。
 段々と頬が熱くなってきた。ケーキにはアルコールとか入ってない気がするのでこれは。
 なんとなくこの気持ちを言語化出来る。出来てしまう。でもあえて言語化しなかった。
 だって、困る。
 前のバイトの時に気のない女性に追い回されて精神的に辛かった。だからその気のない人に気持ちを押し付けるのは間違ってる、と思う。
 この気持ちを言語化したら、俺はきっとあの女性達と同じになってしまう。それは嫌だ。
 だから、困っている。
 俺よりも大人のしっかりしたとした男性で、雰囲気の良い喫茶店のマスターをしていて、カウンターに立っている時の姿勢が真っ直ぐで、ケーキを作るのもコーヒーを淹れるのも上手で、黒いシャツが似合っていて。
 いただきますとごちそうさまに笑わずに返事をしてくれた。

 ケーキ皿を抱えたまま、ずるずると床に座り込む。
 笑うと、とても綺麗なひと。

 顔が熱い。
 駄目だ。
 もう一口ケーキを食べる。買ってこなければ良かったと初めて思った。だって食べ終わるまで頭から消せないではないか。あの人を、消してしまえない。
「まじか……
 他人との関わりが苦手だった。会話の成り立たない押しの強い異性は特に苦手だ。でもあの人には自分から話しかけた。どうにか繋がりが欲しいと思ったんだ。初めて会ったのにそんなことも忘れるくらい必死で。

 無意識に答えを出していた。
 俺はあの人に。
 
 皿からケーキが落ちそうになって慌てて残りを頬張る。
「美味しい」
 名前も知らない人に、俺は一目惚れしてしまったのだった。



「いらっしゃい」
「お邪魔します」
「邪魔じゃねェって。今日もカウンターで良いか?」
「はい」

 結局、親の伝手で家で出来る動画の文字起こしのバイトを紹介してもらった。外で働くよりも時給は低いが他人との関わりがほとんどなく、クライアントともメール連絡で済むのが精神的に楽だった。
 授業のない日は家で作業をして、そしてある程度進んだらご褒美としてあの喫茶店に行くのが最近のルーティンになりつつある。今日のブレンドとケーキをひとつ、カウンターで。マスターが覚えるくらいにはこの店に通っている。

 あの日自覚してしまった思いは封印した。
 目の前の、綺麗で魅力的なマスターを恋愛初心者の俺がどうこうできる気が全くしなくて。
 その代わり、マスターの名前は教えて貰った。不死川さんというらしい。俺も冨岡義勇ですって名乗った。呼ばれたことはない。
「珍しいだろ」
「はい」
 大学で日本文学を専攻しているから気になって調べたが、かなり貴重な苗字らしい。
 まだ下の名前は教えて貰ってない。望みはないがいつか名前で呼んでみたいので機会だけは伺っている。最近分かったが諦めが悪い男のようだ、俺は。

「あれ?」
 ブレンドと共に差し出されたケーキは初めて見るメニューだった。慌てて顔を上げるとマスターはニヤリと笑っている。そうすると途端に格好良い雰囲気になる。ずるい。綺麗で可愛くて格好良いなんてずるいじゃないか。
「タルトは初めてです」
「試作。お代は良いから食べて感想教えてくれ。なんせ一番俺の作ってるケーキ食べてるから」
 うわぁ、と思った。そういうところが本当にずるい。さらっと試作なんて作ってそれを俺に一番に出してくれるんだ。ずるい。だって、それって俺が来ると見越して作ってくれたってことだろう。
 やっぱりずるいなぁ。顔が熱い。

 試作のタルトは桃のタルトだった。上が透明なゼリーになっていて見た目がとても可愛らしい。フォークを入れるとタルト部分はサクッとホロリと崩れ、ゼリー部分が美味しそうにぷるりと揺れる。
「! 美味しい! です!」
「そーかィ」
 最近のマスターの笑い方はニカッとする笑い方が多い。どうも俺の反応を楽しんでいるからではないかと思っている。初めて会った日の、ふわっとした優しい笑い方が恋しい。いや、今の楽しそうな笑い方も可愛いんだが。意外と表情がくるくる変わるんだ。可愛い。

 美味しくて黙々と食べていたら
「この前、冨岡が桃が好きだって言ってたからなァ」
 と爆弾を落とされてタルトを吹き出すかと思った。
 言った。言いました、俺が。桃が実家からたくさん送られてきたけど好きなので嬉しいって。
 マスターが皿洗いしてるのを良いことにカウンターに突っ伏した。本当に大人ってずるい。
 俺が桃好きだって何気ない会話でしたのを覚えていて試作作ってくれるとか、ずっと呼んでくれなかったのに突然冨岡って呼んでくれるとか。
 木製カウンターが冷たくて気持ち良かった。

 入り口のカウベルが鳴る。
 平日のこの時間は他の常連さんもあまり来ないのに珍しい。そう思って入り口に視線を向ける。
「いらっしゃ」
 マスターはいつもの挨拶を言おうとして、でも言えずに黙り込んだ。顔を上げてマスターを見ると真っ白な顔をしている。
 様子がおかしい。でもなんで?
 入り口から入ってきたのはマスターと同じくらいの年齢のスーツ姿の男で
「不死川」
 とマスターの名前を呼んだ。
 マスターは返事も出来ないまま、ますます顔色を白くさせていた。
 なにが。
 心配で、気になって。
 でもその時の俺は黙って成り行きを見守る事しか出来なかった。