燈 ともしび
2026-04-26 19:58:54
53311文字
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ぎゆさね【甘いケーキと苦い珈琲】

大学生🌊さん×喫茶店マスター🍃さんの歳の差 現パロです。



-12-

 店のドアを閉めて二階へと続く階段を登る。
 片手だけを繋ぎ、前を登っていた実弥さんは途中で振り向くと俺の額にキスをしてくれた。俺はそれがとても嬉しくて、次は唇にもして貰おうとしたら手のひらで阻まれてしまう。なんで。

「義勇」
「はい」
「引き返すなら今だぞ」
「え?」
「お前はこれからたくさん魅力的な人間に出会うだろう。男でも女でも歳上でも歳下でも。もしかしたらその中に人生を共に歩みたいと思えるような相手がいるかもしれない。でも、ここで俺と寝たら、その、初めてがこんな草臥れたおっさんになってしまうんだが……本当にそれで良いのか?」

 俺はびっくりして口を開けたまま固まってしまった。いきなり何を言うのかと。
 でもすぐに浮かんできたのは初めて出会った日のこと。

 色々なことに疲れ切って何もかも嫌になっていたあの日。偶然この店に辿り着いて、温かな外観に惹かれるままにドアを開けた。
 中にいたのは白い髪の真っ直ぐな立ち姿が綺麗なマスターで、挙動不審気味な俺の質問にも丁寧に答えてくれて、お勧めされた苦いコーヒーと甘い手作りチョコレートケーキは本当に美味しくて。素直に言葉にしたら「ありがとなァ」と優しい顔で笑ってくれて嬉しかった。

 ねえ、実弥さん。
 あれが俺の人生初の一目惚れだったんだよ。

 優しくて綺麗で格好良くて、大人で頼りになって。世の中にはこんな人がいるのかと衝撃だった。夢中になった。
 でも付き合っていくうちにあなたは心の中に深い傷を抱えた人だと知って、俺がその傷ごと抱きしめたいと思うようになった。歳下の、頼りにならない末っ子長男な大学生。そんな俺でも守って癒したいと願ってしまうほど、あなたは誰よりも魅力的で、どうしても欲しかった。振り向いてくれた時は一生分の運を使い果たしたと思ったんだ。
 でもそれでも構わない。実弥さんが手に入るのならそれで良いって。あなたは俺にとって人生一の宝物なんだ。願ったきらきら星や満天の星空よりも綺麗なひと。俺の唯一。
 だから、そんなこと言わないでよ。あなたはただ、これからも俺の隣で笑ってコーヒーを淹れてよ。俺はそれだけで心が満たされるんだ。幸せなんだ。
 あなただけしか欲しくないんです。
 あなただけがいてくれたらそれで良い。
 あなたが、欲しいです。抱かせてください。

 今の思いを、ほんとうだけを伝えた。
 言葉は大切だけど、今はこの胸の中もかっ開いて見せられたら良いのにと思う。そうしたら実弥さんは信じてくれるかな。
 あなたでいっぱいなんだって、信じてよ。

「実弥さんは何が怖いですか?」
 繋いでいた手に力を込める。
「俺もね、怖いです。きっと実弥さんを抱いたら次はあなたを失いたくなくて怖くなると思う。俺は勝手で未熟な人間です。こんなにも好きで大切なひとを失ったら俺は絶対ダメになるから。でも」
 繋いでいた手を持ち上げてキスをした。
「だから、二人でいませんか? 前に実弥さんは俺に幻想を抱くなって言いましたよね? あれは怖かったからでしょう? 今もきっとそう。あなたも俺のことを失うのが怖くなってきたんですよね。抱かれたら弱い自分が出てきそうで。だから最後の最後で牽制しようとした。俺を突き放そうとした。でも俺はそんなことにはならないです。ずっとあなたの側にいます。不完全な二人だからずっと笑っていられますよ、実弥さんとなら絶対に」

 視線は絶対に離さないで言う。

「だから、安心して俺に抱かれてください」

 ひと段、階段を登ってその身体を抱きしめた。そうしたらすごく幸せで、嬉しくて。なんだかぐだぐだと悩んでいたのが馬鹿らしくなった。
 こんなこと言ったら笑われるかもしれないけれど、あなたは俺の片割れです。でなければこんなにも惹かれて抱きしめて幸せになれる人がいる訳がない。

「この、クソガキがァ」
「はい。実弥さんだけのクソガキです」
……肯定すんじゃねェよ、ばか」
 なんか今日の実弥さんはいつも以上に口が悪い。俺の方が歳上みたいで笑える。子どもな大人、そんなあなたも好きだから良いです。
……腹は?」
「え?」
「腹は減ってねェのか」
 そこで忘れていた俺の腹の虫が空気を読まずにグーっと音を立てる。全部台無しだ。そう言えば何も食べてなかった。実弥さんが一番食べたかったからそれしか頭の中になかった。

「早く上がれ」
「はい」
 笑われながらぐいっと引っ張られて階段を登りきる。部屋のドアを開けたら良い匂いがした。
「豚汁ある。山盛りあるから好きなだけ飲め。あと握り飯も作った。食え」
「はい」
 せっかく格好つけたのに。これじゃいつも通り。俺の腹の虫のばかやろ。

「義勇」
「はい」
「俺はお前を受け入れるのに準備がいる。だから食べて待ってろ、いや」
 顔を実弥さんの両手で押さえ込まれる。
「待ってて。全部、義勇のものにして良いから」
 ちゅ、と唇にキスされて。
 固まっている間に実弥さんは浴室の方へと消えてしまった。
 俺は叫んて床を転がりたいのを必死で耐えて、でも近所迷惑! と思い直してキッチンで豚汁を温める。
 テーブルに置かれているおにぎりはまだほんのり温かかったからそのまま一つとって齧り付いた。鮭入りだ。好き。嬉しい。立ったままなんてお行儀悪いことこの上ないが許して欲しい。俺もギリギリなんだ、今。だからお行儀とか考えている余裕なんてない。
 俺に食べさせようととたくさん具の入った豚汁を煮て、おにぎりもたくさん中身を変えて握ってくれて。実弥さんは優しい。本当に優しい。

 でもそんな優しいあなたを俺は食べたくて仕方ないんです。

 開き直って豚汁も立ったまま飲んで、おにぎりももうひとつ食べて今度は梅入りで。コップを借りてお水を一気に飲んだら浴室から音がした。
 視線を向けたら半袖ティーシャツに短パン姿の実弥さんがこちらに向かって立っていて、俺もコップを流しに置いてそちらに向かって歩く。
 実弥さんの頬がほんのり薔薇色で綺麗だった。
 美味しそうだな。そう思うままに、ほかほかの身体を抱きしめる。
「髭、剃れば良かった」
 せめてそこは格好つければ良かった。
「なんかお揃いみたいな格好してるしなァ」
「実弥さんの足、初めて見ました」
「助平ェ」
「すけべですよ、男なんて好きな人に対してはすけべです」
 今なら許されるかなと実弥さんの腰から足にかけて手を滑らせる。
 このひと本当に歳上なのかな。
 そう疑問が浮かぶくらい白くてしっとりと吸い付くみたいな肌をしていた。細いけど綺麗に筋肉のついた足。女の人の足とは違う、男の人の足なのに頭がクラクラするほど色っぽい。
 実弥さんは俺と違って体毛が薄いのかもしれない。髪の毛も色素薄いし。気持ち良い。気持ち良すぎて手が離れなくなる。
「すべすべだ」
 実弥さんは吐息だけで笑う。そりゃ良かったと。
 すり、っと俺の顎のあたりに顔を寄せる。その仕草は猫みたいだった。白猫。ふわふわの。
「ちくちくすんなァ」
「すみません……
「さっきも言ったけど綺麗な義勇のツラに髭が生えてるの、なんかそそるわ」
 かぷ。無精髭ごと顎に噛みつかれてしまった。そんなことをされたのも初めてだ。
 そのまま実弥さんは両腕を俺の首の後ろに回してきたので抱き上げる。行き先は知ってる。ベッドしかない寝室。

「義勇」
「はい」
「ありがとな」
 俺のこと好きになってくれて。
 そんなことを言われたら俺は泣くしかないんですが。
「愛してます」
 泣きべそで伝えたら
「泣き虫ィ」
 って笑われて。その涙は実弥さんの唇が全部吸い取ってくれた。
 やっと実弥さんと繋がれた時も俺は嬉し泣きしてしまって、実弥さんはずっと笑っていた。
 甘くて幸せで、二人でずっと笑っていた。



「新作」
「やったー! 杏仁豆腐!」
「お前はなんでも大喜びするから作り甲斐はあるが味見には向いてねェなァ」
「だって全部美味しいんです」
 俺と実弥さんのいつものやり取り。それを聞いていた常連のおじさんたちも大笑いしている。
「マスターは新作は兄ちゃんにしか出さねえからなあ。羨ましいなぁ」
「なんだ、恋は実ったのか」
「内緒です!」
 常連さんと俺とのそんなのもいつものやり取りだ。
 実弥さんのお店で、実弥さんの淹れてくれたコーヒーを飲みながら実弥さんが作るスイーツを食べる。今日もまた俺はそんな幸せを噛み締める。

「義勇」
「はい」
「美味いか」
「はい! とっても!」
「そりゃァ良かった」
 実弥さんが笑ってくれるから俺もずっと笑ってしまう。
 ここはそんなお店だ。優しくて綺麗で格好良いマスターそのままのお店。

 あの日、あの時。疲れ切っていた俺を受け止めてくれた大切な場所。
 甘いケーキと苦いコーヒーの組み合わせは、いつでも優しさと笑いに満ちている。