燈 ともしび
2026-04-26 19:58:54
53311文字
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ぎゆさね【甘いケーキと苦い珈琲】

大学生🌊さん×喫茶店マスター🍃さんの歳の差 現パロです。

 学びたいことを学ぶのにそこが一番良かったから。ただそれだけの理由で実家から遠い、縁もゆかりも無い土地の大学に進学を決めた。
 聡明な長子である姉と違い、ぼんやりとしていて他人との争いが苦手な二番目長男が手元から離れていくのが両親はとても心配だったのだろう。大丈夫だと断ったのに大学近くのセキュリティがしっかりしたマンションを俺抜きで探して契約し、毎月十分な仕送りもするのでバイトなどするな、勉学だけに励めと言ってきた。 
 両親は昔からそうだ。心配し過ぎて過保護になる。俺はそれがなんとなく息苦しくて距離を置きたいと思っていたのだが、なまじ小金のある家なのが災いとなってしまった。親から愛されていないとは思っていない。けれど成人済の子どものことをもう少し突き放しても良いのでは無いかと思う。
 なので禁止されてもバイトはすることにした。生活費くらい自分で稼がないと駄目人間になってしまう気がしていた。
 送られてくる仕送りは受け取らずに返す。まずは一人で自分の足場をしっかり組もうと。

 けれど、初めての大学生活はそれほど甘くなかった。
 あれこれ全て自分で決めてその責任も自分。専門的な授業に良い刺激も受けるが知らないうちに疲労もストレスも溜まる。自宅に帰っても疲れから起き上がれず寝てしまい、気付いたら翌朝なんてこともあった。バイトをする、そんなことが今の俺にはとてつもなく高いハードルになっていた。
 家が大学の近くなのもよくなかった。時給が良かったり待遇の良いバイトは学生同士で奪い合いになる。ぼんやりしていて社交的でもない俺がそんな中で勝てるはずもない。
 俺は本当に甘ちゃんだった。一度実家に帰り、人生で初めて両親に土下座した。情け無いが初めの一年は仕送りが無かったらとてもではないが暮らしていけなかった。親は俺の土下座を見て慌てていたが、俺も自分の駄目さに心が折れまくっていた。働いて必ず返す。そう言うのがやっとだった。

 そんな急降下な一年を終え、生活にゆとりが出来たのは二年生になってからだ。

 数人、授業が同じになれば話をする程度の知り合いは出来たけれど、それまでで。飲みに行ったり休みの日に遊ぶことはない。
 実家を出て一人になってから分かったことだが、俺は他人と居ると疲れやすいようだ。あれこれ考え過ぎて許容量を越えてしまうのだろう。なので積極的に友人を作ろうとはしなかった。大学の図書館で本を借り、家や昼間の公園でその世界に浸る。読むことに疲れたらのんびり散歩をする。一人でも十分心が満たされた。
 が、やはりこれでは駄目だ。あとそろそろバイトも探さなければ。俺は一念発起して再びバイト探しを始めた。
 今の自分を変える荒療治として、接客業なんて良いのではないか。そう思い、まずは大量の募集が出ているファストフード店に応募してみた。
 働いてみなければ分からなかったが、人気のファストフード店はとにかくオペレーションが多い。大学近くの店舗なこともあり、平日の昼間は特に戦場になった。焦りから何度もミスをして迷惑をかけてしまい、居た堪れなさから半年待たずに辞めた。
 次にコーヒーチェーンの店舗に応募した。こちらも忙しさは変わらなかったが、分業制になっていたのでなんとかこなせていた。
 けれどしばらく経った頃、熱心な女性客から待ち伏せされたり後をつけられて執拗にプレゼントを押し付けられることが増えた。しかも一人ではなく複数人からであったので、警察に相談の上で辞めた。
 
 やはり俺には接客業なんて無理なんだ。そう落胆したころ。気分転換の散歩で普段は通らない道を歩いてみることにした。
 大学近くはチェーン店が多く賑やかなのだが、駅の反対方向は住宅街が広がりとても静かに思える。公園はあるが店が少ないからだろう。
 深呼吸する。落ち着く。
 こっちの方が俺には合っている気がした。

 そのままわざと細い路地に入ってみたりとあちこちプチ探検をしている時のこと。
 住宅だらけの通りの中にぽつんとひとつ。いや、一軒。全面蔦に覆われ看板もない。よく見ないとそれが店だとは分からないような、そんな外観の喫茶店が現れた。
 喫茶店だと気付いたのも木製ドアにコーヒーカップが彫られていたからだ。
 住宅街の中の緑豊かな喫茶店。初見ではとても入りづらい。でも、とても惹かれた。入らないときっと後悔する。それくらい惹きつけられた。
 ドアノブに小さなOPENプレートが掛けられている。営業中。なら入っても問題ないだろうと思い切って重い木製ドアを引いてみた。

「いらっしゃいませ」
 低めの、甘く凛とした声が聞こえる。あと、コーヒーの良い香りも。
 少し怖くて下を向いていた顔を上げると、やはりそこは喫茶店で間違いなかったようだ。使い込まれて飴色になった木製のカウンターの上には、知っているが本物を見たのは初めてなサイフォンがコポコポと音を立てている。カウンターの他にテーブル席が二脚あるが、今はどちらにも客の姿はない。

「お好きな席へどうぞ」
 マスターから声をかけられるが、近くにある窓からの日差しが強くてその姿はぼやけて見え辛い。
「あの、カウンターに座っても良いですか?」
 サイフォンが気になって言えば、どうぞと返ってきたのでカウンターへと近付く。
 カウンターの上には古めな文字だけのメニュー表が置かれていた。めくると、失礼だけれどこんな小さな店とは思えないくらいにコーヒーの種類がある。あと軽食やケーキもあった。
 甘いものは普段好んで食べないのに、『自家製』という文字に惹かれてケーキのメニューを眺めてしまう。チーズ、チョコレート、タルト。あとロールケーキもあった。
「あの、コーヒーと組み合わせるのにおすすめはどれですか?」
 コーヒーは好きだが、インスタントでも構わないレベルの舌しか持っていない。ならばプロに相談するのが間違いない。
 顔を上げると近くまでマスターが移動していたので顔がやっと見えた。
 
 染めているのかそれとも地毛なのか白っぽい髪の毛、白いシャツを腕まくりして綺麗に筋肉がついているのが分かる姿勢の良い上半身と、それに比べて細い腰は黒のスラックスに覆われている。
 まつ毛は長めだが、鋭く怖い印象の瞳と高くて整った鼻梁。薄めの唇。
 入店時に聞こえた低めの甘い凛とした声。それを具現化したらこんな姿になるだろうと思う。歳は幾つくらいなのだろう。少なくとも俺よりは歳上だ。マスターはそんな見た目をしていた。

 予想外だったので固まっていると、マスターは俺の持っているメニュー表を指差す。
「今日のブレンドは苦めなのでそれに合わせるのならこのチョコレートケーキがおすすめです」
 強面なマスターの口から敬語が出てくるギャップがすごいが、チョコレートケーキだなんて可愛い単語が出てくるのもギャップがすごい。
「じ、じゃあそれで」
「かしこまりました」
 俺の焦りなんて気にした風もなく、マスターは手際良くサイフォンをセットし始める。慣れている様子のその動作を見ていたら見惚れてしまった。

 じっと見て分かった。
 マスターの手がとても綺麗なのだ。
 髪の白さに目がいってしまったが、肌の色もとても白い。そして指も細くて長くて綺麗だ。だからコーヒーを淹れる動作なのに、指で舞を踊っているように見える。
 あっという間のショータイム。ぼんやりしているうちに目の前には美味しそうなコーヒーとチョコレートケーキがセットされていた。セッティングを終えたマスターはカウンターの中で何かの作業に戻っている。

「いただきます」
 手を合わせてコーヒーを飲む。苦い。でも香りが良くて美味しい。チョコレートケーキはフォークを入れるとずっしりと重い。でも口に入れると不思議とほろっと崩れていく。すぐにまたコーヒーを飲むとその苦さとケーキの甘さが不思議な調和を作っていく。確かにこれは
「すごく美味しい……
 思わず口から本音が漏れる。
 その声が聞こえてしまったようでカウンター内で何かしていたマスターがまたこちらに近寄ってきた。
「気に入ってくれたようで」
「あの、本当に美味しいです。おすすめ聞いて良かった」
 おずおずと伝えると、マスターは笑う。
 それは今日一番予想していなかったギャップ。
 黙っていると強面なのに、マスターはとても優しい顔をして笑う。
「ありがとなァ。俺も嬉しい」

 うわ。
 思わず着ているティーシャツの胸元をぎゅっと握る。
 この人は、笑うと、こんなにも。

 頬がひどく熱かった。

「あの」
「はい?」
「ここってバイト募集とかしていませんか?」
 気付いたらそう言っていた。
 接客業は向いてないから辞めよう。そう思っていたのに、そんなことを忘れるくらいに俺は。

 この店の雰囲気と、コーヒーとケーキと。
 あと、優しい顔で笑うマスターのことが気になって仕方なかったのだ。