mishiadd
2025-12-22 21:41:32
35101文字
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BROTHERHOOD:ブロマンスにもまだ遠い

【本編軸】「セイバーだけは自分のこと絶対にそういう目で見ない」というまったく根拠のない死ぬ程間違った信頼を抱いている伊織さんと可愛い可愛い弟だと信じて疑わない伊織さんの無邪気な期待を裏切るまいと本当はずっと兄だなんて思ってませんでした(さすがにそれは嘘だけど兄に抱くとまずい感情は抱いてました)って事実を座まで持ち帰るつもりだったセイバーさんのしんどい攻防戦【剣伊】


六、

大通りに面している店構えは大きく、建物の奥へと進めば庭を備えた更に広い敷地が広がっているのだろうと思わせるような壮観だった。

伊織とセイバーが店に着くと、ふたりを出迎えるために店先に出ていた丁稚がわたわたと店の中へと呼ばわる。しずしずと頭を下げた女中に連れられて回廊を巡り、いくつかの座敷を通り過ぎる。やがて濡れ縁に囲まれた最奥の角の座敷へと通される。障子が開け放たれた座敷は、観賞用の小さな赤い橋の架かっている日本庭園に面していた。

並べて置かれた座布団の上に座るよう促され、伊織とセイバーがそれぞれ腰掛ける。頭を下げて濡れ縁を戻っていく女中を見送ってから、伊織が庭を眺めた。池の中に錦鯉が何匹も泳いでいるのが見えた。

……立派なものだな? テイの屋敷程ではないが」

呆れ半分、感心半分でセイバーが言い、出された茶菓子を摘まむ。「うん……」とどこか上の空で返事をした伊織に気付いてぱっと向き直り、ひそひそと言った。

「イオリ、本当に大丈夫なのだな? ……今からだって、別に遅くはない。きみが嫌なのなら――
「俺を甘やかすな、セイバー。おまえらしくもない」

苦笑してセイバーを見た伊織の目許には、病弱な色香が滲んでいる。――ぐ、と己の感性に蓋をしながら、「……甘やかすのと戦略的撤退は別だろう」とぶつぶつと言った。しばし考えた後、「だいたい、きみはすぐ『今日はもう疲れた』だの『帰って休みたい』だの言うくせに、肝心のときに限って私の制止もろくに聞かずにだな――」とセイバーが言い差したところで、ぱたぱたという足音と共に「伊織様」という声が掛かった。

ふたりで同時に見上げれば、料亭の若旦那然とした服装のうらなり顔の男が、そこに立っていた。

「ああ、貴殿――」と伊織が挨拶をする間に、いそいそと男が伊織の正面に座り込む。揃えた指先を畳につけて深々と頭を下げた後、「ようこそお越しくださいました」と顔を赤らめて言った。

「貴男様がうちへ本当に来てくださる日が来るなんて、まるで夢のようです」
「う――ん? うん……

単なる御礼の割には、奇妙な口ぶりだった。――ちらり、と上目遣いに伊織を見る男の視線に、ぐ、と伊織が息を詰める。隣でその様子を見咎めたセイバーが、「言わんこっちゃない」とばかりに「イオリ」と手を伸ばそうとする。
それを遮るかのように、男が言った。

「すぐにお食事をお持ちしますから、どうかそのままで。――お連れ様もどうかそのままで

「う…………」と怪訝そうな顔をしながらも、セイバーが伊織に伸ばしかけていた手を引っ込める。それを認めた男が改めて座り直し、完全に身体を伊織のみに向ける。まるでセイバーなどそこにはいないかのように、矢継ぎ早に話しかけた。

伊織様、先日は危ないところを助けていただき、本当にありがとうございました。繰り出されるその華麗なる剣捌き、まるで伝説に聞く剣聖や剣神のようでございました。まるで歌舞伎の舞台で見たスサノオノミコトやヤマトタケルノミコトのような――

ぷは、と隣で黙って話を聞いていたセイバーがまず噴き出し、ひたすらに酔いに耐えようとしていた伊織の顔も綻ぶ。フフフ、と小さく笑った伊織に戸惑った男が、「どうかされましたか」と問うと、目許を綻ばせて伊織が言った。

「俺の剣技がかのヤマトタケルの如き、ということは決してない。――あの美しい剣技には遠く及ばないし、なによりヤマトタケルは二刀流ではないよ」
……イオリ」

どう反応していいものか、セイバーがぎこちなく俯く。耳まで赤くなっていたが、伊織も男もセイバーを見ていなかった。
笑ったことで気分も幾分かほぐれたのか、顔色の良くなった伊織が軽く肩を竦め、真っすぐに男の目を見て言った。

「ともあれ、今夜は馳走になる。――貴殿の心遣い、痛み入る」
……伊織様……

感極まったように男が目を潤ませ、それからふっと恥じらうように伊織から顔を背けた。着物の袖から覗く指の先まで赤くなっていたが、もう伊織は気にならないようだった。
そんな折に三献が運ばれてきた。盃を回しながら饅頭などを口にしたが、伊織の顔色が良くなったのを見て取ったセイバーが、殊更に「美味い美味い」と言って伊織の分まで食べた。

女中によって本膳と二の膳が配されている間も、セイバーはすっかり気を良くしていたようだった。男と伊織が穏やかに会話をするのに任せ、煮つけに使われている魚の種類などを熱心に女中に尋ねている。その間も、男が伊織にいろいろと話し掛けているようだった。
料理を食しながら、それなりに会話が弾んでいる。もぐもぐと鯛を頬張っているセイバーの隣で、男が尋ねた。

「ときに伊織様。――伊織様には、懇意にされているお方などはいらっしゃるのですか」

うん、と伊織が面食らう。ほんのりと酒精に上気した頬を掻き、それからぎこちなく目を逸らす。――みるみるうちに、頬の赤みが退いていく。

……とは?」
「そのままの意味でございます。どなたか、親しくお付き合いされている方はいらっしゃるのかと」

立ち入った不躾な質問は、伊織でなくとも誰だって不快になる筈だった。セイバーが伊織と視線を交わす。ぱちん、と箸を膳に置いたセイバーが、わざとらしく高い声を作って言い差した。

「私が、イオリの――
お連れの方そのようなご関係でないことはわかっております。私が貴男様のお名前を把握しているのと同じように、調べはついております」

はた、とセイバーが言葉を呑み込む。片膝立ちになり、伊織の方へと重心を寄せた。――何かがおかしい、と感じていた。
凛と背筋を正したままの伊織が、険しい顔つきで男を睨む。「――時に」と硬い口調で言った。

「今宵、貴殿の誘いを受けたことには理由がある。……貴殿、このあたりで俺に恨みのある男を知らないか」
――と、言いますと?」
「先日、貴殿を巻き込んだ件と同様にな。俺は何度か、似たような輩の襲撃を受けている。聞けば、皆俺に恨みのある『お店の坊々』に雇われたのだと」
「貴男様に『恨みのある――と、その輩どもが言ったのですか」
「イオリ」

セイバーがいよいよ立ち上がる。膳を脇へ避けた伊織も立ち上がろうとしたところで、男が言った。

……最初は、遠くから見ているだけでよかったのですよ」
――は?」

セイバーが呆気に取られて訊き返す。男はセイバーを見なかった。伊織だけを真っすぐに見据えて、言った。

「遠くから眺めているだけでよかった。……貴男様は数日に一度、ここの大通りを通ったでしょう。二階の私の部屋からよく見渡せるんです。覚えていらっしゃいますか、この店の前で町人同士の喧嘩があったときに、貴男様がすっと仲裁に入ったんです。それなりに大柄の男同士ふたりの喧嘩だったのに、躊躇もなく間に割って入って、さっと動きを見切って拳を止めてしまわれて。――なんて素敵なお侍様だろうと思いました」

この大通りの先には、この町で行きつけにしている万屋があった。喧嘩の仲裁――を、もしかしたらしたことがあったのかもしれない。伊織は覚えていない。

「貴男様がここを通られるたびに、私は部屋の窓から眺めていた。ここを通られる日、刻限の頃を書き留めて、その時間帯には必ず部屋にいるようにしたんです。――貴男様は、自分が上から見られているなんて露程にも思っていない様子でした。私は、それでよかった。私の、料亭の跡取り息子として働くつまらぬ日々に、私のことを知らない貴男様がいる――それだけでよかったのです。……そうしたら」

男が、およそ初めてセイバーを見た。その、身に覚えのない憎悪に燃えるような目つきに、セイバーが居心地の悪さを感じる。

「ひとりでこの大通りを歩かれていた貴男様が、誰かを連れて歩かれるようになった。……そうなってしまったら、話は別です。貴男様のいる私の世界に、異物は要らない。異物を連れ込んだ貴男様は、裏切り者です。――ですから、人を雇って貴男様へ差し向けました。ほんの少し、ほんの少しのお仕置きのつもりだったのです。
うまくいくかどうかこの目で確かめたかったので、この足で現場に出向きました。……そうしたら、貴男様が私に気付いてしまったのです」

がたがたと物音がする。男を睨みつけていたセイバーが濡れ縁に目を遣る。いつの間にか、見知らぬ男たちが座敷を取り囲むようにして濡れ縁に居並んでいた。

私を知らない筈の貴男様が私を知ってしまった――そう思ったらもう、てんで駄目でした。遠くから見ているだけでは我慢できなくなりました。私はもう、貴男様と同じ世界にいる、貴男様と同じ世界の登場人物なのです。貴男様はもう、私にとって手の届かない遠い人ではなくなりました。……だから、徹底的に調べ上げたのです。貴男様に差し向けた男を雇ったのと同じように、人を雇って貴男様のすべてを調べさせたのです。貴男様のお名前、住処、親族、貴男様の長屋に寝泊まりしている女との関係――

男が、頭を擡げた蛇のようにするりとその場に立ち上がる。それを合図とするかのように、濡れ縁に控えていた男どもが座敷の中に入り込んできた。ぐるりと伊織とセイバーを取り囲む。男が言った。

お慕いしております伊織様――今宵、この私と契ってくださいませ」
――イカレているのか貴様はッ!」

セイバーが右手に蛇行剣を顕す。背後から手を伸ばしてきた男どもを峰打ちにしつつ、とはいえ伊織の心配はしていなかった。今更、この程度の輩に手こずる彼のマスターではない筈だった。
「イオリ」と振り向きざまに目を遣り――セイバーが絶句する。

背後から二人の男に腕を取られて羽交い絞めにされた伊織が、ただ硬直してその場に突っ立っている。

――イオリ!?」
…………………

小さく喉から絞り出されるような声を洩らした伊織はしかし、そのまま微動だにできずにいる。もはや、輩どもに拘束されているからというよりは、なんらかの心理的な障壁によって、金縛りのように身体が凍り付いて動けなくなっているように見えた。

「イオリ! ――イオリッ!」

動かせない身体の中で唯一動かせる箇所であるかのように、伊織が見開かれた切れ長の目を、きょろり、とセイバーに向ける。――すっかり血の気を失って蒼褪めた唇が、震えているのが見えた。

――イオリ!」

一足飛びでセイバーが伊織の許へと間合いを詰め、伊織の腕を掴んでいる輩の腕を剣で叩き落とす。「痛ェ!」と不満を漏らした顔を直接拳で殴りつけてその場に沈め、いまだ身を竦めて動けずにいるままの伊織を背後に庇って立った。
セイバーの大立ち回りを間近で目にしたごろつきたちが怯み、攻めきれず手をこまねいている。蛇行剣の切っ先を彼らに向けたまま、セイバーがうらなり顔の男に言った。

「金輪際、二度とイオリに近づくなよ。貴様の姿を見つけ次第、この私が叩きのめす」
「伊織様が悪いのですよ」

は、とセイバーが呆気に取られる。苦しげに浅い呼吸を繰り返す伊織の足がわずかによろめく。「イオリ、」とそちらに気を取られたセイバーには目もくれず、男はただ伊織にのみ告げた。

「貴男様が私を見つけたのが悪いのです。私はそのままでよかったのに、貴男様が私を見つけて、あんなふうに優しく微笑みかけたから悪いのです。……私をその気にさせて、私に夢を見させたから――

バキ、という重い音と共に男の身体が横に飛んだ。拳を握り込んだセイバーが、その場で仁王立ちしていた。
濡れ縁に倒れ込んで気を失っている男を見下ろし、低い声で唸った。

「ふざけるなよ貴様」

それ以上の言葉を掛けることはなく、「行くぞ」とセイバーが伊織に顎でしゃくった。雇い主が殴り倒されたのを認めたごろつきどもは、それ以上何をするでもなく素直にセイバーと伊織のために道を開ける。――セイバーに背中を支えられながら、伊織が無言のままに料亭を出る。