mishiadd
2025-12-22 21:41:32
35101文字
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BROTHERHOOD:ブロマンスにもまだ遠い

【本編軸】「セイバーだけは自分のこと絶対にそういう目で見ない」というまったく根拠のない死ぬ程間違った信頼を抱いている伊織さんと可愛い可愛い弟だと信じて疑わない伊織さんの無邪気な期待を裏切るまいと本当はずっと兄だなんて思ってませんでした(さすがにそれは嘘だけど兄に抱くとまずい感情は抱いてました)って事実を座まで持ち帰るつもりだったセイバーさんのしんどい攻防戦【剣伊】


十二、

とめどなく溢れては零れ落ちる涙をセイバーはどうすることもできなかった。ぼやける視界の中で、なんの感情も読み取れない、ただぽっかりと開いた伊織の深い翡翠色をした月夜の双眸が、自分を見上げているのが見えた。
情けない程に涙でぐしゃぐしゃになった顔を、伊織が覗き込んでいる。――まるでセイバーの瞳の奥を見透かすように。

――セイバー」

ぽつり、と伊織が言った。

「ずっと、我慢してくれていたのか」

ぐ、ととっくに壊れていた涙腺が再び熱くなる。諦念と共にセイバーが瞼を閉じる。頬の上を幾筋もの涙が伝い、ぽたぽたと伊織の頬に垂れ落ちる。返事はできなかったが、それがセイバーの答えだった。
しっとりと濡れたセイバーの頬に、伊織の大きな手が伸びてくる。親指の先で下瞼を軽くこすり、涙をぬぐう。すぐにまた涙が溢れて、伊織の手を濡らす。

「セイバー。――ありがとう」

伊織の言葉に、セイバーが口許を引き結ぶ。ひう、と咽び泣いた声が、乾いた伊織の唇にかかる。

「イオリ。……イオリ、ごめん」
「セイバー」
「ごめん。きみが好きだった私でいられなくてごめん。きみの弟でいられなくてごめん。私は、きみの『セイバー』でいられなかっ」

セイバーの唇に、柔らかな感触があった。遅れて、ちゅ、と軽い音が鼓膜に届いた。セイバーが目を見開く。大きな瞳の表面から、ぽた、と涙が一粒落ちた。
クリアになった視界の中で、伊織が自分を見上げているのが見える。その透き通った月夜のような双眸がそっと閉じられて、再び、ちゅ、と軽い音がした。

硬直して動けなくなっているセイバーの頬を撫で、セイバーの唇に触れるすれすれの位置で、睦言を囁くような声で伊織が言った。

「ごめんな、セイバー。俺はおまえに随分無理をさせていたな。――それでも、やっぱり俺にはおまえの『好き』を受け入れてやることはできないみたいなんだ。おまえだけではなくて、きっと誰のでも。俺にはきっと、その機能が備わっていない。……でも、それでも、セイバー」

ちゅ、と伊織の唇がセイバーの濡れて熱い唇に触れる。乾いていて、柔らかく、どこか体温の低い、いっそ冷たいような唇の感触だった。

「俺とおまえがどんなに違っても、それでもおまえが俺に寄り添おうとしてくれたように、俺もおまえに寄り添ってみたいと思うんだよ。おまえが俺にそうしてくれたように。――だから」

伊織の両手が、セイバーの両の頬をそっと包み込む。水溜まりに揺れる夕陽のようなセイバーの瞳を真っすぐに見つめて、伊織が言った。

「この一度だけ。――たった一度だけ、おまえの名を呼ぶよ。……タケル

先程より少しだけ長く、伊織の唇がタケルの唇に触れる。ただ触れるだけの、まるで儀式のような口づけだった。それ以上深くなることもなく、ただ、体温を交換するように触れている。――音もなく離れる。伊織の吐息が、タケルの唇にかかる。



……タケル――



タケルが身を屈める。ちゅ、と伊織の唇に唇で触れた。ちゅ、ちゅ、と幾度も小さな音を立てて、ただ触れるだけの口づけを繰り返す。――ただ、それを繰り返していた。
とめどなく涙が溢れ出ている。唇で触れるたびに自分の涙の味がして、まるで伊織の唇がその味であるかのようだった。伊織の唇は冷たいままで、ただ、タケルの口づけに応え続けてくれている。

「イオリ」と濡れて掠れた声でその名を呼んだ。ちゅ、と軽い音を立てて伊織の唇に触れる。――淡い月光の中、ただそれだけを繰り返していた。







セイバーが目覚めると、既に伊織は布団の中にいなかった。障子の向こうで刀の風切り音がしている。伊織が既に朝の稽古を始めているようだった。

朝の眩い日射しが障子越しに差し込んで、布団の上まで伸びている。――セイバーが、手のひらを見下ろした。握りしめて、開く。再び握り込む。――ぐ、と力強く拳を作った。

――イオリ!」

障子越しに呼ばわり、すぐに駆け出していく。セイバーの顔を見た伊織が、「おはよう、セイバー」といつものように優しい口調で声を掛ける。

「イオリ、朝餉の準備はまだか? もうすぐカヤがやってきて、また『ご飯も食べずに稽古ばっかりして』と怒られても私は庇ってやらないぞ」
「ん、もうそんな刻限か。米だけは仕込んでおこうか」

刀を立て掛けて伊織が長屋の中へと入る。その後ろをとたとたと追い掛けながら、「私は今朝は鯖がよいぞ、鯖が」とセイバーが呑気に言った。






何の変哲もない、穏やかで居心地のいい、平穏な――いつもの一日の、始まりだった。










ブロマンスにもまだ遠い・了