mishiadd
2025-12-22 21:41:32
35101文字
Public
 

BROTHERHOOD:ブロマンスにもまだ遠い

【本編軸】「セイバーだけは自分のこと絶対にそういう目で見ない」というまったく根拠のない死ぬ程間違った信頼を抱いている伊織さんと可愛い可愛い弟だと信じて疑わない伊織さんの無邪気な期待を裏切るまいと本当はずっと兄だなんて思ってませんでした(さすがにそれは嘘だけど兄に抱くとまずい感情は抱いてました)って事実を座まで持ち帰るつもりだったセイバーさんのしんどい攻防戦【剣伊】


二、

伊織は、人の感情の機微というものに敏感であるとセイバーは思う。

あるいは、敏感であろうとしている。他者が何を考え、何を想い、何を望み何を為そうとしているからこそ助けてやりたい力になってやりたい――と己の中で当然のことのように結論付けられる優しさは、孤独の中で敵の殲滅だけを目的に生きていた生前のセイバーが必要としなかった素養で、伊織という人の生き方を間近で見るまでにその価値を認められなかったものだった。

――その、彼の根底にある天性のような優しさを、伊織自身は「これは優しさなどではない」と否定したが。

伊織がそう言う以上、そして伊織の中の真実がそうで、彼の自認がそうである以上、セイバーにはそれ以上彼に何を言ってやれるでもなかった。「きみはそう言うのだな」と言ってやるので精一杯だった。……あるいは、「そんなことはない、きみの優しさは本物なのだ」と彼の肩を掴んで滔々と説得するべきだったのかもしれない。だが、元来が口下手で、ましてや大切な友人と口論をする経験など一度もしたことがなかったセイバーには、己の優しさを打算と殺意の偽装であると頑なに信じ込んでいる伊織の考えを変えられるような言葉などなにも思いつけなかったし、その場で彼に反論できる勇気もなかった。

あるいは、そうであったとしてもあの時セイバーは伊織に告げておくべきだったのかもしれない。「きみの優しさこそが私には眩しくて、私の憧れなのだ」と。

……言ったところで、何かが変わっていたという保証もどこにもなかったが。

結局セイバーは、「己の無分別を切り捨てる」と宣言したあの夜以降も相変わらず優しくあることをやめられないままの伊織に、「ほら、やっぱりきみは優しいのだ」と意味ありげな顔で目配せをし続けることしかできていない。――いつか自分でも気付いてくれたらいいと、思う。







助之進に斡旋された用心棒の仕事をこなした帰り道、浅草の町にちょうど戻ってきたところでごろつきに絡まれた。伊織とセイバーの二人掛かりで一も二もなく制圧したところ、「俺らは雇われただけなんで」と命乞いをされる。
もとより命までは取る気もない伊織はあっさりと刃を納め、「雇われた?」と尋ねた。一方、敢えて『命を取らない』でいることをほんの少しだけ得意げに思っているセイバーは、とはいえ伊織の身の危険に関わってくるのならば話は別だった。蛇行剣を手にしたまま、切っ先をごろつきの親玉に向けて言った。

「貴様、誰に雇われた? ――ユイであるならば容赦はせぬ」
「『ユイ』? 誰だそいつは。……ただの、金払いのいいどっかのおたな坊々ぼんぼんだよ。アンタに痛い目を見せてやれって言われたんだ」

男が伊織を顎でしゃくる。うん、と伊織と顔を見合わせたセイバーはしかし、がしがしと頭を掻いてようやく剣を納めた。

「儀とは無関係そうだ。……イオリ、どこかで恨みでも買ったか?」
「心当たりが多過ぎるな。今日も用心棒をしてまた敵を増やした気がする」
「まあ、敵を作ること自体は仕方あるまい。生きていれば勝手に増えるものだ――

含蓄があるとも投げやりともとれる言葉を口にしながら、セイバーがふと顔を上げる。目を細めて遠くを見る。――ごろつきと一戦を交えた空き地の隅に生えている木の陰に、ひょろりとした町人風の男が隠れてこちらを見ている。恐らくは、戦闘が始まってしまい出るに出れなくなってしまった通行人であるようだった。
セイバーの視線に気づいた伊織も目線の先を追い、男に気付く。「もう行け」とごろつき達に目配せをした後、男へと近づいて言った。

「巻き込んですまなかった。怪我はないか」
「あ、いえ……

一瞬あんぐりと伊織の顔に見惚れたような顔をした男はしかし、すぐに俯いてふるふると顔を左右に振った。ん、とその奇妙な間に違和感を覚えた様子だった伊織は、それでも平静を装っていつも通りの真顔で言った。

「あのごろつきどもは追い払ったし、そもそも俺を狙っていたからもう大丈夫だ。不安であれば家まで送るが」
「いえ、いえ、その、大丈夫です。……お侍様は、御無事ですか」
「ああ。怪我もない」

……それは、よかったです」とだけやっとのことで言い、男が踵を返す。走り去る後姿が女性的で、「ふうん」と腰に手を当てたセイバーが興味深げに眺めながら言った。

「なんだか、きみに気があるみたいな素振りだったな? 我がマスターはまたモテてしまったか?」

冗談半分、といった言い方ではあったが、半分は本気で、どことなく戸惑いの混じった口調だった。男の後姿が大通りへと消えていったのを見送ったセイバーの隣で、ふ、と伊織が小さく溜息をついたのが聞こえた。
セイバーが伊織を見上げる。――少しだけ蒼褪めた様子の伊織が、憂鬱そうな顔をして男の走り去った後を見ていた。

……イオリ?」
「さすがに、わかるよ」

ぽつり、と伊織が言った。うん、とセイバーが躊躇いがちに口許を引き結ぶ。

「感情の、知覚過敏のようなものだと思う」
――感情の知覚過敏
「俺の無分別については話したろう。……他人を前にして、あれこれ余分な思考を巡らせてしまう悪癖を」

伊織の話の途中だった。否定も肯定もせず、沈黙することでセイバーは話を促した。

「他者を――いずれは殺す相手として理解する、ということは、俺の剣の理でありながら俺の悪癖なのだ。……あの夜に切り捨てたつもりだったが、一度染みついた習性をいつまでも変えられないでいる。俺は、いまだに殺すための理解をやめられない。相手が何を考え、求めているのかを考えることをやめられない。……相手の感情を感じ取ろうとすることを、やめられない」
「イオリ、それは」

言い差して、セイバーが黙る。――今は、その話をする時ではない。
伊織が言った。

「だから、なのかもしれん。これは俺の無分別が――俺の精進不足が招いたことで、俺の自業自得なのかもしれん。……目を見て、わかるんだよ」
……『目』」
「俺を見て、相手の目が眩むんだ」

セイバーが伊織を見る。いつも通りの、表情に乏しい、美しく整った端正な横顔。――その唇から絞り出される声が、わずかに震えている。

「瞳孔が開く。目尻に力が入って、瞼が見開かれる。――表情が、不自然な笑顔のかたちに強張って――緊張したような、気後れしたような、それでいて、なにかとてつもなく大きな、ひたひたとこちらに押し迫ってくるような、ねっとりとまとわりつくような、俺には得体の知れない感情のうねりが――
……イオリ?」
気持ち悪い

それが怯えであることにセイバーが気付いたのは、カタカタと小刻みに震える手で伊織が口許を覆ったからだった。

――気持ち悪い」
「イオリ」

セイバーが名を呼ぶ。伊織の手の震えが止まり、ふっと現実に引き戻されたような顔をして、伊織がセイバーを見た。――どこかほっと安堵したような、それでも憔悴しきった表情で、小さく笑みを浮かべて言った。

「呆れたろう? ――殺すために誰も彼もを理解するのだと息巻いておいて、俺には理解の出来ない感情を向けられた途端、みっともなく恐れおののいている」
……イオリ」
「余分は捨てきれず、おまけにその道すら極められずにいる。……我ながら情けないな」
「イオリ、でも」

言い差して、セイバーには自分が一体何を言ってやれるのか、自分でもわからなかった。――「きみは悪くない」? 「罪悪感を覚える必要はない」? ……勝手にきみに惚れた方が悪いのだ」?
口を開きかけたままセイバーが何も言葉を発せずにいると、パンパンと軽く袴をはたいた伊織が言った。

――だが、不都合な事実でも認めるほかない。……俺は多分、他人に好意を持たれることが苦手なのだと思う」

ぎくりとしてセイバーが伊織を見る。すっかり穏やかな表情に戻った伊織が、眦を細めて言った。

「無論、全部が全部ではないよ。『好意を持つ』と言っても、いろいろあるだろう? たとえば、鄭のそれは『友情』然として爽やかだろう? おまえだって――

くすり、と伊織が笑う。セイバーの胃が跳ねる。

――まあ、おまえのそれは『好意』ですらないのかもしれないな。……うん、だから。全部が全部、ではない。――ああいうの、だけだよ」



――ああいうの』。



セイバーの背筋に冷たいものが伝う。ばくばくと心臓がよくない音を立てて逸る。四肢や指先が強張り、足元を見下ろして伏せた顔が上げられなくなる。――『ああいうの』を指して、伊織が一体何を言っているのかがわかる

感情の知覚過敏だと、伊織は言った。

きっとその感情は、他者の感情を感知するために研ぎ澄まされている伊織の知覚には刺激が強過ぎたのだ。決して綺麗なだけではないその感情の、他者の剥き出しの欲望を正面からまともにぶつけられた伊織は、きっとそれを常人の何倍にも何十倍にも強く感じている。
清流にしか棲めない魚と同じだ。土砂と汚濁にまみれれば、苦しさと痛みの中で窒息してしまう。



――「どうしよう」、と、思う。



いつの間にか歩き出していた伊織が、俯いて突っ立ったままのセイバーを振り返って「セイバー?」と呼んだ。

「どうした? 行こう。帰りに万屋に寄って――
「う……む」

顔を伏せたまま、とぼとぼとセイバーが後をついてくる。「?」とは思いながらも、あまり深くは考えずに、伊織が歩を緩めてセイバーの隣を歩く。それを、視界に入った伊織の草履でセイバーが知る。

顔が上げられない。――伊織の顔が、見られない。