akinoshiroihana
2025-10-31 01:18:47
17272文字
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名刺置き場13

ゲッター25年後半



仲代達也さん追悼25.11.11
黒澤映画の三船仲代はちょっと竜隼と輪郭がにていたかもしれない、
強く自由な男と、彼と出くわしたのが不幸だった強い男
自由なのかとどまることができない男とそこから出ていけない男
それを生死が分かつという。
校しゃをそのベターエンドと読みたければ読めなくもなくw

竜馬と十兵衛をリアルに描いたら三船さんになると思う、まじでまじで(魔界転生の原作小説に書いてある風貌はどう読んでも三船さんくさいんですね)


crossing the bar

ある夜の旅の途上
ひとつ夜具の下二人して眠りと瞑想のあわいの境地をうまく際きわに滑り落ちて、肉体もろとも「飛ぶ」途中、五右衛門が「ン、」と目の上に手をかざした。刻の渦の中、いつも目指すあの二人(いや彼らとしては三人か四人のつもりであったかもしれぬ)の交差点の少しばかり手前に、少しばかりゆかしい灯のような枝が見えてあった
傍らの半蔵も小さく頷いたので、五右衛門はその肩をぐいと引き寄せ、正直滑り落ちているのか昇天するのかわからぬ薄明るく光る渦を、かつて二人乗りした雪橇のようにそれいけ、と。抱え込まれて橇の先頭に置かれた格好の半蔵からは、むかし女鬼峠で上げたのと同じ悲鳴が上がったようなのは空耳か果たして

落ちたのは意外な事に二人の侍の中であった。一人は浪人風一人は宮仕え。しかし彼らの意識に触らぬよう気を付けて伺えばなんのことはない、彼らはとうの昔に滅んだ武士に扮した役者であり、時代は既に映写機や録音機が出現している。
屋外のドラム缶の焚火に手をかざしていてはメイクに灰が飛びかつら屋にも悪いと撮影スタッフや監督連中から少し離れた辺りで「今」の紙巻き煙草を取り出したのは浪人男であり五右衛門が降りた方だった。セットの箪笥のなかにさえその作品世界通りの小物が入っておらねば気が済まぬ監督であったのに、袂からライターとともにカタカナ英語銘柄の紙巻きを。
そうして煙草をくわえかけたまま、彼は傍らの男に向き直り、両手を使って丁寧なしぐさで火を差し出した。

彼らが演じるのはともに凄腕の剣士だった、その腕の他に頼むものはないほどの。違いといえば一人は既に名さえ捨て、一人はまだ捨てられないものがある。全て捨てたあとは全ての責任を自分の身一つで負う代わりの険しい山道のような自由と孤独があり、とどまる方は別種の孤独と責任が痛苦となり静かな怒りともなり身綺麗にしたその影を追った。
浪人は、『とてもよく斬れる刀だが鞘を持っていない』と聡明な奥に評される彼は、この後の撮影で侍を斬らねばならぬ。一太刀で即死させねばならぬ、撮影のための時間も費用も失敗を許されない。果し合いは別れの会話になってくれればよかったものを、許せたものかここで殺し合うぞと吐息が触れ合うほどの距離から始まる。焼き切れるような沈黙数拍の後、侍は浪人に呼吸を合わせて仕込んだ血袋を裂かせねばならぬ、噴水のように吹き上がり血泡の生じた、くらい色でいまだあふれ揺れ動く水際の上に目を開いたまま倒れねばならぬ。

四半刻と待たぬその永訣の場面を待って煙草を深々と吸い込む男たちに、ふと五右衛門が言った。「おお、この果し合い、竜馬たちも観たことがあるのう、つまりこの後の時空で観ることになるのう」この「どちらが死んでもおかしくない」力関係と死の覚悟を演じつつの「うまく殺さねばならない」「殺されねばならない」男達の、斬る方は少し竜馬に似ていた。映画界で名を馳せた彼の面差しは隼人の読む新聞の連載小説の中で、とある剣豪の風貌にも使われていた気がする。この俳優の方が早く世を去ったのは、竜馬隼人両人の記憶にもどうやらある。しかして今日どうしてこんな時空の枝端に呼ばれたのかと五右衛門が首を捻っていれば
「そうかこの御仁―――いやいやいやそうも不躾に腕を突っ込み記憶に触れるでない五右衛門!この両名、ほかの”きねま”でも同じような役どころを演じておる。そして竜馬たちもそれを見おった」
「あ、そうじゃそうじゃ!」
夜明け前の資料室脇、映写機のある作戦室で観た果し合い。煙草の臭いを散々付けられた髪を洗いに行ったシャワー帰りの隼人を、強い腕がにゅっと出て掴んで『オイ映画観ようぜ、起床ベルまで2時間あるが2時間しかねえ』と『フィルムの入れ替え方を知らねえんだ、付き合ってくれ頼むよ』と、籠に盛られたみかん。たいそう嫌な顔の隼人の頭を、場面が静まるごとに竜馬がタオルでがし遠慮なく拭く、柑橘の油が隼人の濡れた髪に知らず纏い付くなか進行した、いまひとつの彼らの物語は

殺す殺されるでしか終わらなかった出会いの終わる時、倒れた男が弱々しく乞う、銃を握らせてくれと、そうでなければ俺はまるで裸みたいだと。
まだ銃弾が残っているであろう回転式拳銃であるのに、それを男は―――
そうして看取った、こんども送る、失敗などせずに、竜馬に少しだがきっと似ているこの男は。そして頭上の刻の渦に聞き耳立てるように目を閉じていた半蔵が言う

「こちらの御仁がみまかられた報を、どうやら隼人が聞いたようじゃな、そしてこの勝負を思い出した」
おそらく竜馬の方に何事か―――そう、何かだ、その時の語らいと思いは南蛮の言葉のように大枠でしか掴めるものではなく晴れ晴れとした悲しみであり―――が起きて、五右衛門たち両名が飛んでいけない未来の先で、隼人がひとり何かを観測したのであろうと。こちらは隼人に顔は似ないが、その生き方と演じた仮面にどこか通じるものがあったやもしれぬ、もし作中の彼の二度の死が無ければ、あるいは浪人は『鞘を持つ』機会かその分かれ道に立てたのかもしれぬ。流竜馬のように。

死合う地から生きては出られなかった、聡くこざかしく不器用な男たちの仮面をもいくつも纏うことのあった名優が、自分を何度も殺した友よりも生きて、生き果て、
その男の砂州よりの船出が、ぬるい血泡ではなく澄んだ水際からの旅立ちが
今宵、伝えられたのだと。

Sunset and evening star,
 And one clear call for me!
And may there be no moaning of the bar,
 When I put out to sea
陽が落ちて宵の明星
よく通る声が私を呼ぶ
私が海に出ていくときは
背後から嘆きの声などしませんように……

            A.L.Tennyson 辞世の歌として晩年残す