mishiadd
2025-09-27 18:20:16
36460文字
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傾城傾国

【IF軸】生前のセイバーを「可哀想だな」と思った側面だけを抽出された(マスターだけに優しい)アルターエゴサーヴァント・宮本伊織(讐)が生前のヤマトタケルに喚び出されて「おまえは可哀想だね」って言いながら汚染聖杯的すごい願いの叶え方をして国もマスターの人生もめちゃめちゃにする性癖の展覧会【剣伊】
後日談『始まりの日』:https://privatter.me/page/68ecf2bbcf33a


二、

彼の生前の記憶を夢で垣間見た時、ただ純粋に、「可哀想だな」と思ったのだった。

伊織は、自分のことを憐れんだことはついぞなかった。呼吸ができなくて不自由で、現実を生きている実感などなにもなかった、砂を噛むような生涯であったが、それを自己憐憫の対象としたことはなかった。
だから、彼の過去を目にしたときも、それを自分の不幸と比べたり、ましてやそこに類似性を見い出したりすることは一切なかった。ただ単純に、可哀想だと思った。膝を擦り剝いて泣いている幼い義妹を不憫に思って懸命に慰めるのと同じだった。ただ、可哀想に思い、できることならば気を楽にしてやりたいと思った。

伊織は、彼が何を望んで、何を願っているかを知っていた。だから、叶えてやろうと思った。
彼の願いは盈月の器に願うまでのものでもなく、伊織のただのたった一言で、結願させてやれるものだった。



――できなくなった。



気の毒な彼の願いを叶えてやれる前に、己の願いを知ってしまった。願いはたったひとつしか叶うことが能わず、それを彼に譲ってやることはできなくなった。
それでも、彼の願いを叶えてやれたらどれほど良いかと願った。生まれて初めて我儘を言って、生きている実感を手にし、己の願いを追及する中で――それでも、彼の願いを叶えてやれたらと、願った。

あるいはその、人の身では到底至ることのできない、人ならざる純度を湛えた『優しさ』が――あるいは『慈愛』とも呼ぶべき、その震えるような切なる願いが。

――奇跡というものを、起こしてしまったのかもしれなかった。







タケルが喚び出したのが『キャスター』であるという事実が報じられたとき、朝廷は大いに落胆した。
皇子の運のなさを詰る声が響く中で――当世において『運』とは即ち、当人の徳であり、神の加護である。これが欠落している『皇子』は、充分叱責に値した――「やはりな」という声も少なからず聞かれた。

とはいえ、元来孤立しているタケルの住居までわざわざ顔を出してまで直接説教をしにくるような者もいなかった。ただ遠巻きにして、袖で口許を隠しながら本人に見えるところで陰口を叩いている。せいぜいその程度の害だった。

キャスターの用意した粥を朝餉としたタケルが、亡き妻を想いながら静かに食事しているのを、部屋の片隅に座ったキャスターが眺めている。
ふと、壁もなく開け放しになっている外へとキャスターが目を遣る。朝の心地よい風が吹き込む中で、こちらをちらちらと見てはひそひそと何事か話している人影を見つける。キャスターの視線に気付いて目を背け、何事もなかったかのように去っていく。

その後姿を眺め続けている彼に、タケルは言った。

「今日は少ないな。――きみのおかげかもしれないな、キャスター。皆、気味悪がって近づいてこない」
「いつもはもっと多いのか?」
「失脚した名ばかりの皇子など、話のタネに嗤い者にするにはちょうどよいからな」

キャスターがタケルを見る。ふう、と器を床に置いたタケルが、自嘲気味に言った。

「たった一度の失敗だった。たった一度だけ、父上の御勅命を完遂することができなかった。運の巡り合わせが悪かったのだ。――それで私は、それ以来遠征に派遣されることもなくここに留め置かれている」
……おまえが?」
「この儀で『マスター』となることは、私の失態を挽回するための最後の機会でもあるのだ。……これで、私が私自身の力を証明することができれば、私は再びこの世すべてを平定せしめる皇子として返り咲くことができるだろう」
「それが、おまえが『器』にかける願いか? マスター」

キャスターが尋ねる。穏やかな声に滲む真摯さに、タケルが彼の顔を見た。端正な顔の、しっとりと濡れたような月夜の双眸が、真っ直ぐに彼を見ていた。
ぐ、とタケルが膝に置いた手を握り込んだ。

「ああ。――私は、再び私自身の地位を取り戻したい。私自身の有用性を証明し、いつの日か――父上に、皆に、私はここにいていいのだと、そう思ってほしいのだ」
「マスター」
「我が最愛の妻に『善為す者』でありたいと誓った。まだそれがどういうものなのかわからぬが、きっとこの国の剣となることが、善為すことであると思うから」

言って、タケルが俯く。――実際、なにひとつわからなかった。遠征に失敗し、事実上の謹慎となる以前も、己の行っていることが『善』であるという確信は持てなかった。今の処遇を返上し、再び征服者となったところで――と、握り過ぎて白くなった己の手の甲を見て、思う。――鮮やかにそこにある、深紅の令呪。

……マスター。わかった。それが、おまえの願いであるのなら」

慈しむような声に、タケルが顔を上げる。いつの間にかタケルの前に座っていたキャスターが、うっそりと微笑んでいた。

「俺の願いは、おまえの願いが叶うこと。――そのためならば、俺はなんだってしよう。マスター」
……キャスター?」

――幽鬼サーヴァント』は、それぞれの願いを持つからこそ召喚に応じるのだと聞かされていた。

であるならば、キャスターのこの言いようは、なんだ。

包み込むような慈悲を湛えた月夜の双眸が、タケルを見ている。――その慈悲の海に溺れそうになる程に、深い、深い、まるで深淵のような――

ふと、空恐ろしさを覚える。キャスターが人ではないことは知っていた。だが、この背筋に走る悪寒の理由は、きっとそれだけではなかった。

「キャ、キャスター」

震える声を気取られぬようにしながら、タケルは尋ねた。

「そういえば、まだ聞いていなかった。きみの、『真名』とやらは――
「残念だが、聞いてもおまえにはきっとわからないよ、マスター。ただ、そう。――俺は、今よりももっともっと先の遠い未来、かつておまえが平らげて日ノ本とした地に生まれ、育ち、そして死んだ者だ」
「そう……か」

はぐらかされたのだと思う。ただ、妙に――胸が、熱くなった。
優しい、兄のような笑みを浮かべているキャスターの顔をじっと見る。タケルは、彼自身の本当の兄というものをその手にかけて久しかったが、彼が本当の父親に父性を見い出していないのと同じように、彼の生前の実兄との関係性とはかかわりなく――もし『兄性』という概念が存在するのなら、きっとこんな感じなのだろうと思った。

「キャスター。……もしきみが、私がこの命を賭して平定した地で生まれ、はぐくまれたというのなら。――私は、この手で、この剣で、確かに『善を為している』、のかもしれぬ。――きみのおかげで、今はそう思える」
……そうか、マスター」

月夜の瞳が、柔らかく細められる。淡い色素の長い睫毛が伏せられた拍子に日の光を反射して、ちらりと星屑のような輝きが散った。
なんとなく、思わず抱きつきたいような衝動に駆られたが、さすがに憚られると思いぐっと堪える。先程までとは違う理由で膝の上の拳を握りしめつつ、わずかに頬を赤らめてキャスターの顔から目を逸らした。

「キャスター。……きみはきっと……優しい人、なのだな……
「そうかな。――そんなことは、ないと思うよ」

下手な謙遜だと、タケルは思った。「もっと粥はいるか?」とキャスターが穏やかな声で尋ねてきて、タケルは正直なところ胸も腹もいっぱいだったが、ただキャスターが自分のために粥を持ってきてくれるのが嬉しくて、「うむ!」と答えた。







その日の夕刻頃、路上でふたつの遺体が発見された。
朝廷の末席に名を連ねていた下官で、午前中に謹慎中の皇子の住居に物笑いに来ていたのを目撃されていたのを最後に、行方がわからなくなっていた。
死因はわからなかった――それ以来、用もないのに皇子の住居に近づく者はひとりもいなくなった。

おかげで皇子は、亡き妻の弔いの儀式である食事を、静けさの中に執り行うことができるようになったのであるが――宮中で孤立していた皇子自身には、なぜ急に誰も訪ねてこなくなったのか、その理由を知らされることはなかった。