ロンド
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Public 奈落の大穴
 

極星ノスタルジア【再録】

「まなざしのいろ」「きんぎんすなご」


七章 Side.O


 何度目かになると、ジルオも以前ほど小動物のような警戒をしなくなった。それどころかオーゼンを見かけるとひょいと寄ってきてあれこれ質問を浴びせる。勉強熱心なのはオーゼンも望むところであったので答えてやると、次の質問を重ねてくるという真面目さである。ベルチェロによれば素行も改善の兆しが見えてきたらしい。
 アビスとオースを行ったり来たりする傍ら、赤笛と会う。
 ジルオが図書室所蔵の本を半分も読み終えたとオーゼンが知ったころ、岸壁街での最初の出逢いから丸二年が経っていた。
「そろそろかねェ」
「今度はなにを企んでるんですか」
 初めて会ったころよりぐんと背が伸びたジルオが本を抱えて胡乱げにオーゼンを見上げる。身体つきも他の赤笛と遜色なく健康的。他人に無愛想な性格は治らなかったが、充分に許容できる範囲である。
「君、そろそろ深度400メートルも挑戦したいんじゃないかい」
「否定はしませんけど、あなたに借りを作ると面倒なのでご遠慮します」
「ンフフフ……別に貸しを作ろうって話じゃないさ」
 オーゼンの意図をはかりかねているという顔で、ジルオが子供に似つかわしくなく眉を寄せる。あぁ、やはり面白い子だった。
 二年前から用意してあったセリフをオーゼンは語りかけた。
「ジルオ、私の弟子になりなよ」
 透き通ったガラスのような薄青色の瞳が零れそうに見開かれる。
 オーゼンは顔を近づける。黒手袋をはめた指を頬から顎に滑らせようと、ジルオは考えるのを止めてしまったかのように抵抗しなかった。瞬きも忘れてしまったかのようにオーゼンをまっすぐに凝視している。
 わなわなと唇を震わせて、掠れた吐息を出したのち、ジルオは手に持っていた本に視線を落とした。それから、もう一度顔を上げて澄んだ水色にあふれそうなほどの光を湛え、はっきりと意思を込めた言葉を口にした。
「オレは、殲滅卿の方がいいんで」
――は?」
 思わず低めの圧がかかった声が漏れた。
 まったく予定外だった。オーゼンの想定では、嫌そうな顔をしながらも賢い子供は利を踏まえて頷くはずだった。オーゼンの誘いに乗っておけば利益がある、そう考えるように躾けたつもりだ。
 ジルオは魔法が解けたかのようにするりとオーゼンの手を跳ね除け、まるで汚されたとでも云いたげにこしごしと頬を擦った。嫌味な態度である。つい数年前まで、鼻をつく悪臭が充満する岸壁街を裸足で走り回っていたというのに。
「どういうことだい」
「そのままの意味です。むしろこっちが訊きたいくらいですよ。弟子なんてもうこりごりじゃなかったんですか?」
「ハァ? どこでそんな話を……
 ひたとオーゼンは言葉を止めた。確かにそんな愚痴を酒のつまみに話した覚えがある。酔い潰されることはあるが意識まで吹っ飛ぶことはここ数十年はないので、オーゼンは自分の記憶に絶対の自信を持っている。あのときは何故か嬉しそうな当の本人にじゃれるようにすり寄られて面倒だったので叩き落とした。
 ――しかもこのガキ、なんて云った?
 聞き捨てならない呼称が飛び出してきた気がする。
……あんなイカレたアビス狂いのどこがいいって?」
「イカレてるのは誘拐してまでオレを探窟家にするあんただろ」
 生意気な口を手っ取り早く黙らせるため即座に腹に向けて蹴りを入れた。いつだか見たようにジルオは吹っ飛んだが、あいにく孤児院の壁にぶつかって落ちる程度の威力だったらしい。上手く受け身を取ったジルオは、痛そうなそぶりすら見せずに仏頂面で起き上がり、本を拾い上げる。
「いきなりやめてください。本を汚したり破ったりすると罰則なんですから」
「君、そのスラム仕込みの生意気な態度は矯正したはずだろ。そんなんじゃボロが出るよ」
「ご心配なく。あなた以外にはしませんので」
 本についた砂をパンパンと払いながら、ジルオは素っ気なく云い放つ。
「だいたい気に入らなかったくらいで手を挙げて、大人げないのは不動卿では? 同じ白笛でも殲滅卿の方が格好いいですよ。なんでも知ってますし、かっこいいし、優しいし、それに……
 云いかけて、ジルオはぽっと頬を桃色に染めた。オーゼンは確信する。この手の俗な反応はライザと一緒に探窟するとよく見かける。ライザは豪快な性格と人らしい見た目、輝かしい経歴ゆえに一見親しみやすく惚れ込んでしまう探窟家が後を立たない。一度転がり落ちてしまうと、その内実が強烈なアビス狂いと知ってもますます崇め奉る始末である。本人はアビス以外に目もくれないのだから余計質が悪い。真正の探窟家誑しだとオーゼンは思っている。
 いまだに反抗心の強いジルオまでもがそんな俗な反応をするとは。おもちゃを取られたような苛立ちがふつふつと沸いてくる。
「フーン……君、私に秘密でライザと会っていたんだ」
 不機嫌がそのまま乗った低音にジルオは肩を跳ねさせたが、すぐに取り繕って薄青色の強気な眼を合わせてくる。憎らしいほどに生意気だった。それがまた無性に苛立たしい。
「だったら何だと云うんです。不動卿には関係ないでしょう」
「関係ならあるさ。君をあのゴミ溜めから救ってやったのは私じゃあないか」
 ジルオはあからさまに嫌そうに唇を歪める。
「まさか自分だけのおもちゃだと思っていたんですか? あんたに恩があるからオレが断らないとでも? オレは殲滅卿の方がいいです。都合の良いおもちゃとしか思ってない人の弟子になんか、絶対なりません」
 まるでオーゼンの考えを見透かすような赤笛らしからぬ物云いに、オーゼンはむしろ口角を上げた。腹の底から笑い出したいほど煮えくり返っている。
 くつくつと笑い出し始めたオーゼンに不気味なものを感じ取ったらしくジルオが一歩ずり下がる。ただの子供がオーゼン相手に逃げられるわけがない。すかさずオーゼンはジルオを壁に追い詰め、腰を曲げて覗き込んだ。
……ジルオ」
……なんです」
「君は知らないからそうも純粋に憧れていられるンだろうが、ライザは私よりよっぽど度し難い奴さ。そうかい、君はアレがいいのかい……私からの恩を仇で返すというなら相応の覚悟をしておくんだね……ンフフフフ……
「不動卿……?」
 久方ぶりに怯えたように揺れる薄青色の瞳にオーゼンは心の底から歓喜した。壁とオーゼンに挟まれて逃げ出そうにも逃げ出せずにジルオは身を固めていたが、オーゼンはもう殴り飛ばすつもりはなかった。悪いのは誰か、決まっている。
 自分が見つけた原石だった。他でもないライザに奪われたくはない。

     *

 はたしてライザは自前の探窟隊と共にオースの酒場で昼間から呑んだくれていた。中央のテーブル席で隊員たちに囲まれ、空の酒瓶を山積みにしているライザは、まったくいい気なものである。オーゼンは発見するなり力任せにずかずかと踏み込んだ。
「オーゼン! なんだ、あんたも居たのか! 私に教えてくれても良かったのに! ちょうど報酬入ったとこなんだ、一杯やらないか――がぁッ‼」
「お前さんにはほとほと呆れるよ。他人が目をつけてたモノを横取りするなんて、賊にでも転職したのかい?」
 まったく警戒していなかったライザは椅子から転げ落ちるどころかヒビの入った床にめり込んでいた。うつむき気味に倒れ込んでいるライザのひたいの頂点から幾筋もの血が流れ、叩きつけられた拍子に手に持っていた酒瓶をひっくり返したらしく、頭から上半身までびっしょりと濡れている。一撃で木っ端微塵に割れた木製椅子の欠片がぱらぱらと落ちていく。
 やかましかった店内は静まり返っていた。
 さーっと人波が割れていくのには意を介さず、オーゼンは血の滴っている拳を振り上げる。
「なんとか云ったらどうだい」
 パシン。乾いた音が響いた。うつむいたままライザの右手が、オーゼンの加減なしに力を込めた拳を受け止めている。
「悪いが、私は大事な師匠であっても二度目を許すほど殴られたいわけじゃないんだ」
 夜空色の眼光がオーゼンを刺す。オーゼンは自然と口角が上がるのを感じた。
「心当たりはあるんだねェ」
「このまえの探窟でオーゼンを盾にしたことか? オーゼンの秘蔵の酒を開けたことか? それとも、オーゼンのベッドを占領して寝たことか?」
「待ちな、酒を呑んだってどういうことだい。まさか海外の……
「やっべ絞りに来ないとは思ってたけど気づいてなかったのか! 今のナシ!」
「なにが無しだい、後できっちり弁償してもらうよ。ちょうど報酬も入ったところみたいだしねェ」
「ちょっ、ま、待て! これは臨時収入ってやつで、オーゼンの買い溜めてるような馬鹿高い酒とは比べものにならっ……!」
「云い訳は今度裸で吊るときにたっぷり聴いてやるから、とっとと吐いたらどうなんだい」
 オーゼンはライザの襟首をむんずと掴んで力任せに引き上げる。無理矢理つま先立ちにさせられたライザは、ぐ、と息が詰まったようなうめき声を出してオーゼンの腕に縋るように爪を立てたが、オーゼンにとっては猫がくすぐるような抵抗である。
 苦しそうに眼を細めながらもライザは爛々と不敵に微笑んで見せる。
……赤笛の少年だろ?」
「わかってるじゃないか」
 見事正解した褒美に、オーゼンはカウンターの方向にライザを投げ飛ばした。平行線をえがいて吹き飛んだライザは、椅子を巻き込んでいくつも壊し倒して強打しながらも、ふらふらと肩を抑えて立ち上がった。
「ジルオはいい子だな。オーゼン自ら岸壁街から救ってやるなんて泣ける話じゃあないか。弟子の私にも黙ってるなんて度し難いぞ」
「直弟子だからっていちいち報告する義務はないよ。お前さんこそ私に黙って勝手に会ってるのは卑怯だと思わないのかい?」
「師匠が他の赤笛なんかに目移りしてるのが悪い!」
「だからって持ち逃げするんじゃないよ。計画が台無しじゃないか」
「台無し? やっぱり私を捨てる気なんじゃないか! 私は師弟関係解消する気は絶対にないぞ!」
「どうしてそう話が飛躍するんだね」
 頭から血を流しながらぎゃんぎゃんうるさく抗議してくるライザと遣り合うのもオーゼンは面倒になってきてしまった。もともと腹いせに一発殴るつもりで来たのである。目的を果たした今、店を破壊した責任をどうライザになすりつけるか考えているくらいには頭はすっかり冷えきっていた。
「だいたいオーゼンの弟子なんて私ひとりで充分だろ? ジルオがいくらいい子だからってなんでわざわざ弟子にするんだ。孤児院に預けてあるなら、あんたが面倒見なくても勝手に育つじゃないか」
「お前さんはつくづく犬猫を飼うのに向いてないねェ。拾ってやったからには最後まで責任持つのが大人の役目ってものだろうに」
「探窟家に子育ての義務なんかないだろ」
……お前さんも育ててみりゃわかるよ」
 そろそろ自警団が呼ばれる頃合いだった。オーゼンはまた始末書だの罰金だの迫られる前にアビスへとんずらすることにした。
 まだわめいているライザの横をすり抜け、来たときに無理に開けたせいで留め金が外れて斜めっている扉を押して、そこでオーゼンは振り返った。昔は股下ほどもなかった生意気な赤笛の子供が、オーゼンの腰ほどまで背が伸びて、今や探窟家の頂点たる白笛を胸に飾っている。
 オーゼンはゆるりと微笑む。弁償代ついでに、不肖の弟子に白笛の自覚を押しつけておくことにした。
「あぁそうだ、あの子、殲滅卿の弟子にならなりたいんだってさ」
 夜空色の瞳が驚愕にまるく見開かれる。オーゼンは薄笑いを浮かべた。神秘に満ちたアビスの中では驚異の出来事に逢うたびにあふれる感情のままにキャンキャンと騒ぐライザが言葉を失った姿なぞ、しばらくは酒の肴に困らない。
「お前さんも白笛なんだ。弟子のひとりやふたり、取ってみるのもいいんじゃないかね」
 呆然と口を開けている間抜けな面をたっぷりと堪能して、オーゼンは足取り軽く立ち去った。