ロンド
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Public 奈落の大穴
 

極星ノスタルジア【再録】

「まなざしのいろ」「きんぎんすなご」


一章 Side.O


 オースは不動卿と殲滅卿の巨人の盃からの帰還を祝う祭りの真っ最中だった。
 色とりどりのテントやのぼりが張られ、孤児院の赤笛たちが売り子として不動卿や殲滅卿をイメージした手作りのグッズやオースの土産物の饅頭を売り出している。板人形の白笛が活躍する見世物小屋は満員盛況だ。人々はトコシエコウの花びらを撒き、花火をあげて偉大なる奈落の星 ネザースターを祝った。

     *

 宣誓やら遺物の紹介やらの退屈な式典を同行した隊員たちに上手いこと押しつけたオーゼンは、街の中心部から離れた南区の閑静な通りを歩いていた。
 こちらに用があったわけではないが、人混みを避けて歩いているうちにこんなところまで来てしまったのである。
 今ごろライザは記者の質問攻めに悩まされているだろう。彼女は言葉で説明したり意味もなくじっとしていたりするのが苦手だから。いや、格式のある式典などオーゼンと同じように、お気に入りの間抜け面に押しつけてどこかへ逃げ出したかもしれない。ただ、ライザの逃亡先はアビスの中であることは確信した。
 式典が終わるころに戻って、夜は海外料理のめずらしいものを出す店に入って食べるか、と考えながらオーゼンは行き先もなくぶらぶら歩く。
 南区のうらぶれた辺りは打ち捨てられた工場跡地や建て増ししすぎてアビスにせり出しそうな具合の不安定な違法建築が建ち並ぶ。笛持ちの探窟家をよく思わない連中も多いこともあって、探窟組合では単独で立ち寄ることを禁止していたが、オーゼンには知ったことでなかった。ならず者が襲いかかってこようものならやり返せばいい。本気の武装がなくとも十人や二十人くらいなら素手でもぶっ飛ばせる自信がある。
 昔は遺物を加工する工場が合法違法にかかわらずひしめき合って煙を出していたものだが、組合が片端から検挙していったおかげで、今や稼働している工場は組合が所有する三、四つばかりである。かつての盗窟家たちの目論見は抑えられたと云えた。
 ところがその跡地で、不法移住者や住居にあぶれた者たちの拠り所であった岸壁街が年々拡大している傾向にあった。オースを統治してもいる組合は、盗窟家ばかりではないスラムの処遇に頭を悩ませている。
 岸壁街を堂々と歩くオーゼンは、現地住民から胡乱げな目で見られながらも、久々にのんびりした散歩を楽しんでいた。血気早いならず者を四人ほど投げ飛ばし、露店の爺さんが売っていた、十中八九が密輸であろう酒瓶を買い、瓶のまま口をつけて飲み干した。酒精が喉を焼く感覚は地上でしか味わえないものだ。
 空き瓶は屑拾いをしていた姉妹に投げてやった。恵んでもらえると思ったのか、泥や垢で汚れた衣服の子供らがわらわらと手を差し出してくる。
 子供は面倒である。オーゼンがほんの少し指先の力を込めると死んでしまうし、かといっていちいち労わってやるほどオーゼンは優しく扱うつもりはない。しっし、もうないよ、と呟きながら触れない程度に軽く払っていると、どん、と背後から子供の一人にぶつかられた。
 思わずライザにやるときの癖で、オーゼンは子供を蹴り飛ばした。左方向に大きく吹っ飛んだ小柄な子供は、運悪く背中を石垣に打ちつけられて地べたにべちゃりと落ちた。
「ア、悪いねェ。やっちまった」
 そもそも不用意にぶつかってくる子供が悪い。責任転嫁して納得したオーゼンは、ぴくりと震えながら身を起こそうとする子供を見やった。
 オーゼンは子供がわっと泣き出す、とりわけ苦手な状況を想像した。だが子供は気丈に立ち上がって砂だらけの手を握りしめ、ろくに洗ってもいない灰色のざんばら髪の間からオーゼンを見上げてくる。
 冷えた水面のような両眼に深淵が映し込む。
 薄青色の眼球に引き寄せられるようにオーゼンが手を伸ばそうとするも、子供はすり抜けるように身をひるがえして暗い路地の奥へ走って行ってしまった。
 行き場のなくなった腕をぶらりと下ろす。いつの間にか周囲には子供がいなくなっていた。

     *

 呑み直そうと思って、オーゼンが当初の予定通り祭りの会場に戻ると、さっそく見覚えのありすぎる顔がぶんぶんと手を振って待ち構えていた。
「オーゼン! どこ行ってたんだ! 酷い目に遭ったんだぞ!」
「お前さんのことだからアビスにでも逃げたかと思ったんだけどねェ……
 どうもライザは案外やり手の間抜け面にしっかり抑えられて、オーゼンの分まで最後まできっちり式典に参加させられたらしい。ぽやっとしていても黒笛というわけか。
 オーゼンは妙に感心を覚えながら、式典が長すぎるだの挨拶が面倒だのとうるさくわめくライザの愚痴を反対側に頭をひねって聞き流す。
「こうなったら今夜の飯代はオーゼンに奢ってもらうからな! 覚悟しておけよ!」
「はぁ、仕方ないね。今日くらいは奢ってやっても……
「やった! 師匠愛してるー!」
 現金なものだ。高揚する気分のままにオーゼンにぶら下がろうとするライザをあしらって、なにを食べようかと考えながら呑み屋に入る。
 ふとオーゼンは気づいた。腰のポケットに手を当ててみれば膨らみが足りない。
……ライザ」
「どうしたんだ? オーゼン」
「あの間抜け面でいいから誰か呼びな」
 忌々しく舌打ちする。酒を呑んでいたとはいえなんという失態だろう。
 左ポケットに入っていたはずの財布がなくなっていた。

     *

 あの一瞬で掠めとったとは大したものである。
 それなりに気に入っていた財布だったが、オーゼンは盗られた財布よりも子供の眼の色を思い返していた。
 移民の街オースではめずらしくもなんともない薄青色が、やけに脳裏に焼きついている。
 他人にあれほどまっすぐ見られたのは久しぶりだった。たいていの初対面の相手は上背のあるオーゼンを見上げるとき、なぜか視線を泳がせる。それは主にオーゼンが顔を覗きこむ癖が原因なのだが、顔を近づけなければ声が聞こえづらいのだから、怖いと云われても苛立たしい。
 どこかで会っただろうか? いや、岸壁街なんて辺鄙な場所はオーゼンもめったに近づかないし、彼らも自警団に捕まればただでは済まされないとわかっているので、鍛え上げられた探窟家ではなく、無防備でわかりやすく金を持っている観光客を狙う。オーゼンに目をつけたのは酒代を持ってふらふらとナワバリを歩いていたからだろう。
 ポケットの財布を気づかれずに盗り、蹴られても泣きも喚きもせず黙って素早く去っていく。ただの子供のスリにしては肝が据わっている。
 ――それに、あの冷え冷えとオーゼンを見据えた瞳。
 あの子は簡単には死にそうになくて良いなァ。オーゼンはくすりと息を吐く。
 簡単に泣いて這いつくばって命乞いをするような人間は面白くない。やはり育てるならああいう図太くて時に反抗的な、鍛えがいのある子でなくては。
 考えて、オーゼンは首を傾げる。今、なにを思っただろうか。
「オーゼン! なにぼけーっと立ってるんだ! そっち行ったぞ!」
 突然、ライザの張り上げる怒声が聞こえて、オーゼンは現実に呼び戻された。
 連続的に爆破しながら落ちてくる鳥形の原生生物を地面に叩き落とし、オーゼンは二十メートル上の崖上で仁王立ちしているライザを見つけた。逆光で影っていたので目を細めると、無尽鎚 ブレイズリープを担いだライザが一息に飛び降りてくる。
「かわいい弟子と探窟中だっていうのに、上の空とは度し難いぞ」
……貴重な休みを潰して探窟に付き合わせられたら、私だって気合も入らないモンなんだよ」
「そりゃオーゼンのせいじゃないか! このまえの財布を失くしたなんて下手な云い訳をこれで許すんだから、私も優しいだろ?」
 指摘されるとオーゼンも言葉に詰まってしまう。真実を届ける白笛の矜持は一応持ち合わせているつもりである。
 祭りの日、隊員の一人を呼んでオーゼンは式典をサボったことを散々になじられたのち、飯代の肩代わりをしてもらったのだ。それでも足りなかったのでライザも半分出した。ライザは結局奢ってもらえなかったことにたいそう不満を訴え、代わりに、アビスの淵の探窟をねだった。
 完全プライベートな二人きりの探窟は、まったく数年ぶりだった。せめて逆さ森くらいまで降りたいとライザは主張したが、殲滅卿の探窟隊は三日後に大規模探窟を控えている。隊長のライザが遅刻するわけにはいかない。
 たった一日の我慢だと思えば、オーゼンも休日を探窟に充てるのに異論はなかった。アビスの淵は多少気を散らそうがさほど危険はないし、ライザと過ごすのは実のところ嫌いではない。
「ま、いいよ。それよりも腹が減った。今仕留めたこいつを食おう」
 ライザは先ほどを喰らわせた巨大な青い鳥をつつく。嬉々として荷物から調理器具を取り出し、初めて見た生物だろうに器用にさばいていく。
「はおぉ⁉ こいつ胃が三つもある! 草食か?」
「雑食だよ確か。ツチバシや木の葉なんかを食べるんだ。食えるかどうかは知らんが」
「シチューにしちまおう。トーカがシチューならなんでも美味くなるって云ってた」
「私といるときくらい間抜け面の話はやめてくれんかね」
「嫉妬か? 嫉妬してるのかオーゼン⁉」
「うるさいよ……ほら火をつけるよ」
 ライザの表情は二転三転して見ていて飽きない。飯となればご機嫌だ。絶えず喋りまくるところも小動物のように忙しなく手が動くのも面白い。
 ライザがぶつ切りにした鳥の肉や刻んだサイノナを一見雑に鍋に放り込んでいき、オーゼンがことこと煮える鍋をかき混ぜる。
 考えるのはやはりあの子供のことだった。ライザと違って泣きも笑いもしなさそうである。
 思い返せばライザは知識や技術の呑み込みは早くて、その点においては良くできた弟子である。だがライザのようなやかましい子はもう懲り懲りだった。次に弟子を取るなら、あの子のようなもの静かな子が良い。
 実に単純明快な結論に至って、オーゼンは苦笑した。やっとライザが一人前になってせいせいしたのに、まだ弟子を貰う気があるのか。
 仕上げに岩塩と砕いたトコシエコウの実を散らす。ライザがよそってくれたシチューは温かい。さじですくった大きなひと切れの鳥の肉は筋張ってはいたがもきゅもきゅと噛みごたえがあって、くたくたになるまで煮たサイノナも味が染みている。
「なぁ、今日のあんたはおかしいぞ。何か悩みごとでもあるのか?」
「ンフフフ……たった今解決したよ」
 ライザの夜空を映し出したような大きな瞳の中に、オーゼンは笑っている自分を見た。
 ようやくわかった。――オーゼンはあの子供が欲しいのだった。