ロンド
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Public 奈落の大穴
 

極星ノスタルジア【再録】

「まなざしのいろ」「きんぎんすなご」


六章 Side.J


 コツン、と石が投げられて当たったような音がしたので、ジルオは白笛について長々と記している退屈な本から顔を上げた。
 岸壁街では敵の襲撃に備えてかすかな物音も聞き逃せなかった。結局捕まったので孤児院にいるのだが、周囲の警戒を怠らない癖はまだ抜けていない。
 図書室にはジルオひとり。あらかじめ想定していた逃走経路を確認する。
 今度はよりくっきりとノック音が響いた。物音ばかりでなく、窓の上方に素肌の手が映った。さすがのジルオもぎょっとするが、手はまるで開けてくれと云うように、再度窓を叩いた。
 何事かわからない恐怖心よりも好奇心が勝った。ジルオは注意しながら近づいて窓枠に手をかけて解錠した。
「遅いぞ君! 頭に血が上って落ちるじゃないか!」
「は、……⁉」
 開けた窓から降ってくるように人が滑りこんできた。
 豊かな長い金髪についた葉を払い落とし、首をぐるんぐるんと振って大きく伸びをする。赤い探窟服もうねる巻き毛も白い笛の色もなによりも、ぱっちりと大きな夜空色の瞳にジルオは見覚えがあった。
 祭りの日に見たものと同じトコシエコウと鍵穴の意匠の白笛を提げている。
「殲滅のライザ……
「んん? ――あぁ、不屈の花をくれた少年。君だな⁉ オーゼンのお気に入りの座を私から奪った奴は!」
 殲滅卿はジルオを認めて行儀悪く指した。ジルオはきょとんと身をすくめる。
 お気に入りとはどういうわけだろう。不動卿とは不本意なことに誘拐犯と被害者の関係はあるが、よく顔を合わせるのは明らかに威圧目的の監視だ。
 何故だか怒り心頭らしい殲滅卿は、逃げ遅れたジルオに構わずまくし立てる。
「最近オーゼンが上の空なんだ。探窟中に考えごとばかりしてるし私が話しかけてやってるというのに生返事だし酷いときにはうるさいとか云われてブッ叩かれたんだぞ! これは新しい興味を見つけて足繁く通っているに違いないと見て、この前こっそりオーゼンをつけてみたんだ。そうしたら君と話し込んでた! 私という弟子がありながら内緒で弟子を取ったなんて度し難い! 覚悟しろ少年! 先輩弟子としてボコボコに鍛え直してやる!」
「オレ、不動卿の弟子じゃないです」
「そうか! なら良かった!」
 恐ろしい身の危険を感じて両手を上げて即答すると、殲滅卿はすぐさま振り上げかけていた遺物を置いた。ジルオは内心胸を撫で下ろす。もう少しで半殺しの目に合わされるところだったとは、まったく不動卿と関わって以来ロクなことがない。
 すっかり怒りも去って敵情視察が落ち着いたかと思えば、殲滅卿は図書室の書物が気になるらしく、本棚から抜いたり眺めたりしている。
……殲滅卿は、不動卿の弟子なんですか?」
「あぁもちろん、オーゼンの一番弟子とは私のことさ! ところで少年、興味深い本を持ってるな」
「ただの昔の本ですけど」
「過去の白笛の功績がだらだら書いてある年寄りの本だろ? 私も一度は読んだ。そいつは駄目だ。現役のオーゼンの功績をすっ飛ばしてやがるし私のことなんて一言もない!」
「そりゃ発行年が三十年は昔ですし……わっ!」
「それよりこっち読め! これは面白いぞ! 東洋の龍伝説になぞらえてアビスの大型原生生物を記している。このまえ、ちょうど表紙の、三層で暴れ回っていたコイツを倒して食ったとこなんだ。君もコイツの退治の成功を祝う祭りに参加してたろう?」
「してましたけど……食った?」
「おう、食った」
「食べられるんですか、これ」
 殲滅卿に手渡された本の表紙に描かれているのはいかにも恐ろしげな緑の細長い体長の、空を泳ぐ生き物だ。殲滅卿は自慢気に頷く。
「その本に蒲焼きが旨いと書いてあったんだ! 素晴らしいぞ! 固い皮の中に肉厚な身がぎっしり詰まっていてな。トーカ特製のタレで焼くともうとんでもなく良かった! 他にも原生生物の旨い食べ方を紹介してる。コラム的要素なのが残念だ。でも白笛のつまらん本よりよっぽど楽しいぞ!」
 手振り身振りにアビスの驚異的な原生生物を語る殲滅卿の夜空色の瞳が星のように燦然と光っていて、ジルオはすっかりライザのペースに呑みこまれていた。
 その日暮らしに追われすさんだ岸壁街では探窟家がもっとも華々しく子供たちの憧れの職だった。実際に探窟家見習いとなってみれば、不動卿にしろ院長にしろ規則ばかりを振り回すつまらない大人ばかりで、ジルオは冷めた目で見ていた。だが殲滅卿は違っている。アビスをこれほど楽しそうに話す大人は初めてだ。
「アビスには旨いもんがたくさんあるんだ。ネリタンタンって知ってるか? あいつはマジ可愛い見た目のうえに肉はバラコチャの香りがしてどう調理しても美味だ。三層に行くときはあいつが楽しみでなぁ、君も月笛になったら自分で狩りに行くといい! 新鮮な肉に勝るものはないからな!」
――じゃあ、いつかオレが月笛になったら、探窟にオレも連れて行ってくれますか」
 ひねくれた悪戯のつもりだった。大人は赤笛の身でなにを馬鹿を云っているのだと説こうとする。この人は違うかもしれないとほんの僅かな期待を込めつつも、ありきたりなつまらない回答が返ってくるだろうとジルオは思った。
 だが、予想に反して、殲滅卿はぽかんと口を開けたあと、盛大に笑い出してジルオの頭をワシャワシャに乱暴に撫でてきた。
「わかった。君が月笛になったら、一緒に深層を探窟して、旨いもんを食おう!」
……いいんですか?」
「君が云い出したことじゃないか。先に云っておくが私は厳しいぞ? ものすごい優秀で、深層についてくる気概のある奴じゃないと私の隊には加入できない。まずは赤笛で一番の成績を取らんとな」
「一番の成績ってなんですか?」
「探窟で最高査定額を出すこと。それによく本を読むことだ。あと、鍛えろ。君はちょっと小さいし痩せすぎだ。こんなひょろひょろの腕じゃ四層の呪いで死ぬぞ」
……殲滅卿だって小さいじゃないですか」
 ジルオが思ったままに指摘すると、殲滅卿は両頬をつねってくる。
「私だって成長したらオーゼンみたくでっかくなるつもりだったんだ! 少なくとも君よりかは筋肉がある!」
「ふひょうひょうみひゃいやなふてひーれす」
「ははっなに云ってるかわからんな!」
……殲滅卿は不動卿みたいじゃなくていいです、オレは殲滅卿の方が……好きです」
 恥ずかしいことを云っていることに気づいて尻すぼみになってしまったが、殲滅卿は心底嬉しそうな笑顔で答えた。
「ふはっ! 愛いとこもある奴だな君は! よし、さっきの無礼は許してやる!」
 殲滅卿の手に開放されてジルオはくしゃくしゃになった髪を直す。笑い転げている殲滅卿を観察して、素直に、面白い人だなと思う。
 数か月前なら考えられなかった考えにジルオ自身が驚いていた。白笛なんて嫌いで仕方がなかったのに。
「そういえば少年、名前は? 知ってるだろうが私はライザだ。殲滅卿だなんて仰々しく呼ぶなよ」
「ジルオです」
「よし! 覚えたからな。ちゃんと勉強しておくんだぞ! 私は高みで君の挑戦を待っているよ」
 身を翻し、窓枠に脚をかけてライザは不敵な笑みを浮かべる。
 まだ話し足りなかった。思わずジルオは声をかけていた。
「また、来てくれますか」
「君が望むなら。忙しいから時々になるのは勘弁してくれよ。実は今日も報告書から逃亡して来たんだ。そろそろ戻らんと本部中挙げての捜索隊が始まってしまう!」
「大変ですね……
 孤児院を逃げ出さない自分よりよほど酷いじゃないか、と呆れてしまったジルオに、ライザは愉快そうに笑みを深めて一息に窓を飛び降りた。