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ロンド
34473文字
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奈落の大穴
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極星ノスタルジア【再録】
「まなざしのいろ」「きんぎんすなご」
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二章 Side.J
朝夕の市は絶好の狙い目だ。
商人が慌ただしく働いている、天幕と天幕の間に身体をひそめ、ジルオは行き交う人々を観察する。
オースではめずらしい身なりやぱんぱんに詰まったカバンを提げている旅行者を探す。できれば体格も筋肉隆々とした探窟家ではなく、細身のか弱そうな方が良い。
右手から歩いてくるオース風でない服装の男を見つけた。オースへは家族旅行で訪れたのだろう、三、四歳かそこらの男の子を肩車して、落ちないように両手を繋いでいる。両腕がふさがっているのが良い。ズボンのポケットから金色の鎖が見えている。
ジルオは若い父親が一度通り過ぎるのを待って、天幕の隙間から這いだして走った。裸足のために音もなく男に追いつき、ばっと手を鎖の留め具に手をかけて素早く離れる。
ポケットから引き出したモノを砂で白くなっている手で握りしめ、ジルオは人混みに紛れて裏通りに駆けこんだ。
息を整えながらてのひらを開くと飾り気のない金色の懐中時計が暗がりで鈍く光っていた。財布より断然素晴らしい。量産の安物かもしれないが、ジルオは岸壁街でこういうものを買い取ってくれる業者を知っている。収穫をボロ布のハンカチで包んで自分のポケットにつっこみ、ジルオは何食わぬ顔で歩きだした。
*
岸壁街の奥、傾いて屋根が半分腐り落ちている掘っ立て小屋を、子供たちの互助組織『狼の巣』のメンバーは、アジトと呼んでいる。
半分吹きさらしで雨風の強い日はあてにならなかったが、板が二枚外れているだけの簡易窓から奈落門が遠目ながらもよく見えたので、このアジトはアビスに憧れる岸壁街の子供たちにとっての一等地だった。
ジルオは『狼の巣』の一員となって日も浅く、最年少の下っ端だったが、週毎に相当額を納めるだけでこの景色を拝めるのに充分満足している。
アジトに行ってさっそくジルオは懐中時計をリーダーに見せた。
「こりゃすげぇぞ。海外の時計か、これ?」
「換金したらいくらになるかな」
「あたしだって負けてないわよ。何かの瓶詰め二つでしょ、キラキラのガラス玉でしょ」
「勝ち負けじゃねーぞ。これ、ほんとに半分で良いのかよ?」
「うん、だからネルに薬買ってやって」
皆からリーダーと呼ばれている歳上の少年は、心底嬉しそうな顔をして、ジルオが渡した懐中時計を懐にしまった。それを仲間の別の少年と少女が羨ましそうに眺める。
リーダーの妹のネルは身体が弱く、苦しそうな咳をしてはよく寝付いている。病はびこる岸壁街で、そういう子を匿っては世話するのも『狼の巣』の役目のひとつだった。
「こりゃジルオの昇進も遠くないな。この前の革財布もいい値がついたし」
「あれ、マドカジャクの皮をなめしたやつで結構気に入っていたんだけどねェ。ま、仕方ないか」
アジトに大きな影が落ちる。ジルオが振り向くと、黒い衣服に身を包んだ長身の女が、昔から建てつけのがたがたしていた扉を倒して中に踏みこんできていた。
――
襲撃。
「みんなっ、逃げろ!」
いち早くリーダーが叫ぶ。戦利品を奪おうとする輩は尽きない。いざというときは窓からの脱出が可能だった。子供たちの初動は速かった。
ふいに継ぎ接ぎ服の首根っこに手をかけられ、ジルオの裸足が宙を蹴った。ジルオは身をよじって今や絞まる首枷となった服をかきむしる。
「ぐっ
……
!」
「用があるのは君だけだよ」
「ジルオを離せ!」
仲間が捕まったことに気づき、リーダーが果敢に手持ちのナイフを構えて大女に向ける。
「邪魔だよ」
大女はため息をついてジルオをぶら下げていない方の指でひたいを軽く弾いた。リーダーは派手に空中を飛んで壁に沈んだ。
「わあぁぁああ‼」
リーダーがやられたとわかると、残った二人もそれぞれに隠し持っていたおもちゃの武器を手に突進したが、冷静を失った子供の反撃など大女にとってそよ風のごとく。それぞれみぞおちを蹴飛ばされ、仲間たちはあえなく床に沈んだ。
打ちどころが悪かったのかリーダーのひたいから血が流れている。他の仲間もぐったりして動かない。ジルオは必死に抵抗しようと自由にならない身体で足掻いていたが、大女は軽々とジルオをさらに持ち上げて、胴体を肩に乗せてアジトを出た。体勢が変わったおかげで咳きこみながらもやっとまともに呼吸ができるようになる。
冷静になってくると、ジルオは襲撃者の顔を思い出せた。数日前、縄張りをふらふらしていた酔っぱらいだ。首にかけられた白い笛を見つけてひくりと息を呑む。最初に頭を過ぎったのはしくじった、ということだった。組合の探窟家だった。
オースを取りまとめる探窟組合所属を表す笛は、岸壁街の子供たちの憧れであり、スリを生業とする子供たちの天敵である。ジルオは組合の自警団に捕まったのち帰って来なかった子供を何人も知っている。
大人の探窟家相手に力勝負は子供には不利である。とにかく機を待つしかない。
ジルオの考えを読んだようなタイミングで、大女は口を開いた。
「君、ずいぶん大人しいけど、私から二度も逃げようたってそうはさせないよ」
「
……
じゃあどこ連れてくんだ。アビスにでも投げこむつもりか?」
「ンフフ
……
今のままじゃあ死ぬじゃないか。もっとイイとこだよ」
岸壁街では人攫いもめずらしくなく、探窟家の大女とジルオも遠巻きに見られるばかりである。ジルオを担いで堂々と歩く大女が西区に出ようとしているのにジルオは気づいた。
てっきり東区の組合本部に連れて行かれると予想していたジルオは、薄気味悪い大女の行動を図りかねた。第一、アジトに乗りこんでくるにしてもたった一人で、ジルオだけを攫っていくのも変だ。
小綺麗な住宅街を道行く人は担がれているジルオを見てなにか云いたそうにしても、大女を見るとそそくさと目をそらしたり離れていったりする。もしやただの探窟家ではなく、もっとヤバい人物なのではないかとジルオが疑いはじめたころ、大女が立ち止まった。
「ここは?」
「見りゃわかるだろ。孤児院だよ」
小高い丘の上の建物が目的地だった。大女は肩から降ろしてはくれたが、腕はしっかりと掴んだままで、ジルオは引きずられるように玄関まで歩かされる。
「院長のベルチェロを呼びな」
前庭で遊んでいたきれいな白い服の子供は、きょとんと大女とジルオを見比べ、くるりと回って首にかけた鈴の音を鳴らしながら建物の中に入っていった。しばらくも立たずに杖をついた年寄りが表に出てくる。
「やぁ、ベルチェロ。引退以来かね」
「お久しぶりです、オーゼンさん。わざわざ訪ねてくださり恐縮です」
「お前さんが孤児院を開いたことを思い出してさ。頼まれてくれるだろう?」
「この薄汚い子を預かれと?」
「岸壁街で見つけたんだけどさァ、これが叩きがいのありそうな子で、私が蹴っても攫ってきても泣きわめきもしないんだ」
「それはそれは
……
見込みがありそうな子で」
院長の検分するような視線になめまわされ、ぞわりと肌が粟立つ。
「おまえら、なんの話してるんだ?」
大人たちの不穏な会話にジルオはたまらず口を挟んだ。
薄笑みをたたえた大女がさらに口元をゆがめて身をかがめ、ジルオを覗きこんでくる。ジルオは本能的に不吉な予感で逃げだしたくなるのを必死に深淵の穴を見返した。
「そりゃもちろん、君が探窟家になる話だよ」
ジルオは眼を見開く。
「な、なに云ってんだ
……
」
「やァっと顔色が変わったなァ。一人前の探窟家でも、君みたいな
最初
ハナ
から精神が頑丈なのは意外とめったにいないんだ。私が直接面倒見てやってもいいんだけど、あいにくこれでも色々やることがあるんでねェ。ここで基礎を学ぶンだね。なァに、君なら奈落の呪い渦巻くアビスでもすぐには死にやしないさ」
ジルオは瞬きさえしない暗闇のような瞳から眼を逸らせずに固まっていた。反発と恐怖と喜悦と不安と、何よりも泥だらけの日常で忘れかけていたアビスへの憧れを一気に呼び覚まされて、ジルオはぞくぞくと身を震わせる。
大女は満足そうに身を起こすと、ジルオの腕を開放して、孤児院へと背中を押しだした。一瞬のような短い時を放心していたジルオは、唐突に仲間のことを思い出した。仕事に行っていた仲間たちが帰ってきて、襲撃の痕跡を見たらどう思うだろうか。『狼の巣』は岸壁街において、より優れた子供たちの互助組織であり、いつぞやはアジトをめぐって大人と戦争して、見事追い払ったという経歴を持つ。部外者に踏み荒らされたとわかれば、まず間違いなく、大女とジルオの行先を掴み、報復に来るだろう。
ジルオは思いきり院長の足を蹴った。足の悪い院長は杖の支えを失ってよろめく。ジルオは一目散に駆けだそうとした。
仲間のところへ帰らなければ、という思いが頭を占めていた。リーダーは怪我を負っていた。それに他の仲間も。下っ端のジルオがうかうかと探窟家に拉致され、ひとり探窟家に引き入れられたとなれば最悪の裏切り行為である。自分だけが良い生活を手に入れるわけにはいかない。
「んぐっ‼」
背後から容赦なく叩かれ、転倒したところに喉笛を突かれた。呼吸が一瞬詰まる。
ジルオがどうにか頭を動かすと、院長の杖がかろうじて目に入った。
「君、ウチの孤児院生徒になるのなら、もう少し行儀よくしてもらいたいものだね。次に同じことをやろうものなら裸吊りだよ」
元のように首根っこを掴まえられて大女に立たされ、院長の前に引きずり出される。ジルオはゲホゲホと激しく咳きこんだ。
「ま、こういうことだ。世話をかけるね」
「構いません。不動卿自らのご依頼ならば私も不服はありませんよ」
にこりともせず院長が云った。
もはやジルオに選択肢はなかった。大女が顔を近づけてくる。
「ジルオだったかね。孤児院から逃げようものなら、私がそのつど連れ戻すからね。覚悟したまえ」
「最高の嫌がらせだ。クソババア」
大女がしてやったりとばかりに嗤うのをジルオは憎らしく思った。ぺっと唾を吐きつけた次の瞬間、ジルオはほおを打たれて地面を這いつくばっていた。
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