ロンド
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Public 奈落の大穴
 

極星ノスタルジア【再録】

「まなざしのいろ」「きんぎんすなご」


まなざしのいろ


序章 Side.J


「アビスってのは、宝の山なんだぜ」
 明日探窟に行くのだと云う男はそう、灰色の幼い子供に語った。男の衣服に染みついた煙草のくすぶる臭いが煙たかった。
 何日も小雨が降っていた。かろうじて二人がぎゅうぎゅう詰めになって雨宿りのできるボロ屋根の下、男が割り込んできたのだ。片方の子供は凍えて死んでいたので、男は屋根の外側に冷たい遺体を乱暴に押し出した。ちいさな子供だったものがごろりと力なく雨に打たれていくのを、ジルオは膝を抱えて黙って見過ごした。生きた人間の体温の方がよほど有り難かったからだ。
 気の良い男は、訊いてもいないのにジルオを相手に様々なことを喋った。これからアビスに行くのだという話は男のとっておきの自慢話だった。
「アビス? あんなまっくらなとこに、なにがあんだ」
 ジルオはその日ほとんど初めて声を発した。男は反応を示したことに気を良くしたのか秘密めいた風に耳打ちする。
「遺物だよ。何百何千と大昔の人類が使っていた遺物さ。こいつを地上に持ち帰ると、とんでもねえ大金に変わる。金持ちになれば腹一杯食えるし、高台の豪邸にだって住めるんだ」
……うらやましいって云ったら、オレもつれてってくれんの」
 ジルオは腹を抑えるように膝を押しつける。昨日から何も食べていなかった。一昨日にナワバリの露店で果物をスるのに失敗して、自警団に警戒されている。からっぽの腹が潰れて痛いくらいに鳴った。
 若くエネルギーに満ち溢れた男はニッと笑って、肩にかかる雨を避けてジルオの方に身を寄せた。
「お前がもっと大きくなったら良いぜ。遺物を運ぶ人手が全然足りないんだとよ」
「今だっていいじゃないか」
「隊長が身体のデカイ奴じゃないと足手まといだって云うんだ。なんせ今回は深界四層、巨人の盃だからな。実は俺も初めて行くんだよ。狙うのは当然、特級遺物だ。な、すげえだろ?」
……うん、でもはらがふくれねぇなら、オレはいい……
 男の語る言葉は、ぬかるみの泥にまみれた肉のつかない痩せた身体と、ようやく覚えたばかりのスリしか特技のないジルオにとって、熱に浮かされたような夢物語でしかなかった。大人になれるかどうかさえ、岸壁街ではほんの一握りなのに。冷たくなって雨の中に放り出されるのは、次は自分かもしれないのだ。
 男は興味の薄さに焦れたらしかった。俯いて体温を逃さないようにうずくまっているジルオの肩を強引に掴む。
「これだけじゃない。こっからだと真っ黒にしか見えねえが、アビスの中はこの街よりも明るいくらいなんだ。旨いもんが食えるし、ものすげえ景色が見られるし、どこよりも良い楽園だぞ。お前も探窟家になってみればわかるぜ」
 乱暴に揺らされてジルオはようやくやつれた顔を上げた。影って表情のわかりにくい男の瞳だけが輝いていた。これほど明るい希望にあふれたまなざしを見るのは、アビスの探窟家の話を聴いたのと同じく、ジルオにとって初めてのことだった。
 単純に、きれいだな、と思った。
 雨が止むと男は去って行った。幾日かぶりに太陽は岸壁街の薄暗い通りまでも照らし、ジルオはひもじさを紛らわせるための食べ物を探しに寝床から這い出た。
 笛を持たない探窟家の男は、あれから見ていない。