井見
2024-11-08 20:49:26
81646文字
Public 真Ⅲ二次
 

【再録】レトロスペクト・フラクタル

真3マニクロ道中にあってほしい二人のやりとり短編集の再録です。
サイトにあげていた短編10本の改稿+新規書き下ろし3本が入っています。
出会いから別れまで。

*超力兵団の話や場所、人物がちょろっと出ます


息を継いで


 一度戻りたい、と彼が言うのだ。
 何処へと聞いた。
 彼は、ふと口を閉じてから、「どこだろう」と言う。
 これではどうしようもない。
「君を歓迎するところは」
「あるかな、そんなところ」
「では、君に興味のないところは」
……
 互いの沈黙。その後、彼はターミナルと呼ばれる筒に手をかざした。
 彼に選ばれたのは、シブヤの街だった。
 シブヤの街並みは壮観だ。高層ビルヂングがひしめき合って、しかもそれが損なわれていない。大きな交差点を見下ろすシンボリックな円筒状の建物が、この街の象徴なのだと一目でわかる。
 彼がこの街を戻りたい場所と望むことに、違和感はなかった。
 カグツチから塔が伸び、大地へと接続されてから、もう何周も経っていた。創世をなさんとするそれぞれのコトワリに同調する悪魔たちは俄かに色めき立ち、塔へと駆け込んだらしい。
 だがこの街に居座る悪魔あるいは思念体は、街のゴシップとして創世の話をしていても、自ら関わろうとはしない。どこか他人事のような態度を崩さぬまま、はるか天上のカグツチを見上げ、同胞との話の肴にする。それだけで終わる。
 彼もまた、ターミナルから離れて、道ゆく悪魔と他愛ない会話を交わすばかり。張り巡らされた地下道には、カグツチの光は届かない。それで幾らか彼が安まるのなら、何処であっても構わなかった。
「どこかでちょっと休もう」
 所在無げにシブヤの街を歩き回ってから、彼はふと僕らに呼びかけた。体力も霊力もまだまだ余裕があるが、そういう問題ではないとはわかっていた。彼に必要なのはターミナルでも泉でもない。
 僕らは頷いて、彼が再び歩き出すのに従った。
 彼は勝手知ったると言った具合で、通路をずんずんと進んでいく。何度も来たことがあるのだろう。この場所に現れるのは低級の悪魔ばかりなので、いちいち足を止める必要も無い。
 曲がり角を当然のように曲がり、整然と並んだ扉の一つを、彼は迷いなく開けた。
 部屋には小さな机と椅子が一つずつあった。どちらも倒されていたが、破壊されてはいなかった。備え付けられた棚には、しっかり封をした箱がいくつか詰められている。しかし同じ箱の一つが、好奇心旺盛な悪魔か何かに引きちぎられたようで、中身の小袋を散乱させていた。
『休憩所か何かか』
 部屋へ踏み入る前に、ゴウトはぶるぶると頭と体を揺らした。彼は綺麗好きである。屋外でさんざ浴びた砂が彼の体から撒き散るが、どうせ室内にも埃が多い。気分の問題だろう。
「隣の店のだろうな」
 僕が答えるより先に、少しぞんざいに彼は答える。確かにここは店の裏口、倉庫兼休憩室だろう。受胎の起きるその瞬間まで、誰かが使っていたに違いない。その証拠に、床に落ちたカップから何かがこぼれた跡があった。
 カップの側に落ちている小袋を何となしに拾い上げる。埃が舞う。彼は僕の摘んだそれに顔を寄せて、
「あ、コーヒー」
 と呟いた。
 思わぬ言葉を聞いた。確かによく見れば、袋の表面には英語でcoffeeと記されていた。
「知ってる? コーヒー」
「よく飲む」
「もうあるんだ」
……流石にな」
 彼は一体、僕をいつの時代の人間と思っているのだろうか。デビルサマナーと名乗った時も、英語だ、などと言っていた。英語くらい今日び誰でも学ぶ。
 それはさておき、小包には熱湯を百二十ミリリットルと指定があった。それ以外は無い。袋の中に豆が入っているわけもなく、豆を挽いた後の粉末でも入っているのだろう。即席の珈琲は味が安っぽいなどと言うので、飲む機会はなかった。
「飲みたいのか?」
 彼はそう聞くと、僕の見ていた小包をパッと取ってしまった。
「どこかにあるんじゃないかな、残りのやつも」
 彼はウロウロと室内を探ってから、床に落ちている小袋一つを拾い上げた。
「あった。賞味期限は……まあいいか。どうせわからないし。
 あとはお湯? 氷からでいいか。でも容器が無いな」
 床に落ちているカップは使えなくもないが、少し、いやかなり汚い。
『これだろう』
 身軽な体のゴウトは、ひょいひょいと棚に上って、上段の箱の品名を覗いていた。言われた箱を開けると、袋に包まれた白いカップが均一に並んでいた。
「ちょうどいいな」
 彼は、箱を覗き込んで、そのうちの一つを抜き取る。カップの全体をくるりと眺めると、一息吸い込んでから、目を閉じた。
 ひやりと冷たい風が頬を撫でた。ここは室内である。しっかり閉じられた扉から外気が吹き込むわけもない。見れば彼の手の中にあるカップが凍りついていた。カップの内側も氷で埋まっている。
「やりすぎたかも……
 不安気に彼は呟く。
 彼の魔法が氷を呼んだのだとわかった。氷はカップを握る彼の手ごと包み込んでしまっていた。
『調整できぬのか……
 呆れるゴウトは、見事に凍ったカップを猫の手でこわごわとつつく。
……結構難しいんだ、弱くするの……
 燃費の悪い大技を覚えている僕の仲魔も、いつかに似たようなことを言っていた。台風に微風を頼んでも土台無理な話らしい。彼の氷は本来悪魔の群れ一帯を凍りつかせるほどのものである。
 氷で一体化した手とカップをどうにか外そうとしてぶんぶんと腕を振るのがおかしいので、僕はカップの方を握ってやる。バキ、と音を立てて彼の手が外れた。
「あとは、」と彼が言うので、僕はそのままカップを握っている。彼の作った氷が冷たく、体温でじっとりと溶けて、雫が滴る。どこかに置こうにも、カップの底にも氷が不均一に作られていて、水平に置けるとは思えない。このまま持っているのが一番ましか。
……動かすなよ」
 彼は真剣な表情でカップを埋める氷に指先を近づけた。触れるか触れないかの距離で、彼はゆっくりと息を吸い、それから吐く。
 氷結魔法の次は熱だ。器用な男‪─いや、体だ。僕にはできない芸当だ。指先から放たれた熱は、カップの中の氷を水にしていく。カップの壁面もみるみる汗をかいて、カップを握る僕の手は水浸しになった。‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬
 彼の魔力は随分強くなっているから、彼からカップに与えられる熱は、やはり気を抜けば炎になって、僕の手は黒焦げだろう。そうはならないように、彼は極めて慎重に、指先をかざしている。時折ちらちらと指先が輝くのは、魔力が炎になるかなるまいかを行き来しているのだろう。まるで燐寸のようだと思った。彼なら煙草も火元無しに点けられるに違いない。
 だが氷も炎もそれぞれ得意な仲魔はいるだろうに、彼は一向に喚びつけなかった。前もそんなことがあった。こんな些細なことでは喚べない、自分でできることは自分でしようと言うのだ。しかしそれならば魔法を使っていない方の手でカップを持ってくれてもいいだろうが、その役目は僕に任されたままだった。
 やがて氷は水になり、カップの中を満たした。
 彼は一度手を止めて、件の小袋をぴり、と引き裂き、中身を投入した。確かに珈琲らしい香りが辺りに広がる。黒茶色の粉はぱらぱらと水の中を回転しながら、次第に底へ落ちていくので、僕はカップをくるくると回転させてみる。「先に入れておいた方が良かったかな」と彼は気まずそうに言った。こんな奇怪な淹れ方に、先も後もないだろうと思った。
 彼は気を取り直して、再び手をカップにかざした。小袋の説明には熱湯との記載だったから、さらに熱するつもりだろう。しかし沸騰までさせられては少々困る。先にカップか、カップを握る僕の手の方が音を上げる。
 炎の瞬く彼の指先。線香花火のように、時折ぱちりと火花を散らす。そのまま水は熱せられ、次第に対流を起こした。珈琲の粉が踊る。彼は空いている方の手でカップや僕の手の温度を確かめつつ、加熱の限界を探っていた。
「熱くないか?」
「丁度良い」
 そう答えると、カップもピシ、とひび割れて答える。彼は少し慌てて手を引っ込めた。
 カップの中にあるのは、煮えたぎり始める直前の水に、茶色い粉が溶けている飲み物。水面は少々泡立って、麦酒のようでもある。
 果たして匂いはまだ辛うじて珈琲の香りと矜恃を保っているが、すでに霧散し始めている気もする。しかし猫の体のゴウトをちらと窺えば、髭を揺らして、顔をしかめている。匂いを感じているのだろう。どうやら珈琲ではありそうだ。
……どうぞ」
 飲め、と言うことらしい。なんとも不安そうにこちらを見ているので、僕はカップのひびに気をつけつつ、改めて握る。
「いただきます」
 口をつければ、なるほど珈琲である。
 苦い、以上の味わいは無いに等しいが、まずいとも言えない。むしろ淹れ方にしくじった時のものよりは、美味しいと言ってもいい。少し水が多くて薄いだろうか。しかし感じる苦味は深い。
「珈琲だな」
 声を発すれば、芳香が鼻腔を通って抜けていく。胃からじわりと熱が体の末端まで伝わる感覚は、とりわけ僕にとっての珈琲だった。
「君は」
 カップを差し出す。このままではすぐに冷めてしまう。
 悪魔の体に味覚があるか。ある者もいるし、無い者もいる。彼の体がどちらかは知れない。だが、少なくとも彼の体が熱を感じることは知っている。
「どうぞ」
 彼の言葉を真似れば、彼は少し嫌そうな顔をしつつも、大人しく受け取った。美味しくないとわかっているのだろうか。それを人に飲ませているのだから、そちらも飲むべきである。
 急かすように視線を送ると、彼の唇がカップの縁に恐る恐る触れた。そこから思い切ったように、ぐい、とカップをあおる。ゴクリと音を立てて、珈琲が彼の喉を通っていくのがわかった。
……コーヒーだ」
「一応」と付け加えつつも、彼は納得しているようだった。最後にもう一度確かめるように、唇を舐めた。
 恐らく本来はきちんと美味しいものなのだろう。しかし経年による劣化もあれば、水は有り合わせ、しかも温度は感覚。これで評価を下そうものなら、製造元から文句を言われても仕方がない。その業者は、ここにはいないのだけれども。
 彼はカップをじっと見つめる。珈琲がぐるぐると渦巻いている。もう要らないなら、とカップを受け取ろうとしたが、彼は譲らなかった。珈琲の苦味か、不味さか、あるいは別の何かに眉を顰めつつも、もう一口、今度は控えめに飲み込んだ。
 彼の喉がこくりと鳴った。
……あたたかい」
 小さく熱い息が溢れる。まるで冬場のように、彼は両手をカップに添えて、目を伏せながらゆっくりと長い息を吐く。
「間違いない」
 僕は頷いた。
 この珈琲は温かい。彼がこの珈琲にどのような味を感じているかはわからないが、これが彼の肉体を温めているのは事実だ。
「君が飲み切ってしまってくれ」
「いいのか」
「言ったろう、珈琲はよく飲むのだ。
 飲み過ぎはよくない」
「酒みたいな言い方だ」
 くすりと笑う姿は、最近見るようになった気がする。気のせいかもしれない。
「それより座らないか。
 立ちながら飲むのは行儀が悪い」
 倒れている椅子を起こして、彼を座らせた。行儀なぞどうでも良い。ただそれらしい理由になれば構わない。
 椅子はもう一脚あるので、それは僕が使う。
 落ち着いた。
 彼の手には珈琲。まだカップには半分以上残っている。
 僕は口を開いた。
「君の方は、ふだん珈琲を飲んでいたのか」
……いや、あまり。家はお茶の方が多かった」
「こちらは珈琲ばかりだ。
 味の違いもわからないのに、決まって自分が豆を買いに寄越される」
 彼は相槌の代わりに、珈琲をもう一口飲んだ。
『茶葉の時もなかったか』
 ゴウトが膝に飛び乗ってくる。その毛並みを一撫でした。
「あった。
 あれは珍しかった」
『種類は合っているが配合が違う、などと小言を言われていただろう』
……お使いミスとか、おまえにもあるんだ」
 彼は口元を緩ませた。少し心外である。
「言われた通り買っていたはず、向こうの伝達違いだ。
 ゴウトも覚えていただろうに」
『我の抗議はどうせ聞こえぬからな』
 共に聞こえる猫の鳴き声。合わせてまた、彼は笑った。そして再びカップを口元で傾ける。
 彼のカップが空になるまでだけでいい、何の意味もない話がしたい。そんな風に思ったのは、自分がそうされた覚えがあるからかもしれない。
 この珈琲が、世界の残り香が、少しでも彼を温めてくれればいい、僕は確かにそう思っていた。

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