終わりなき夜が明ける日

新刊「馬子の背骨に触れるものには」から抜粋してお届けします。よかったらCC福岡おいでませ。マリンメッセで会いましょう。
再録の再録みたいなところがありますが、前べったーに載せていたものに加筆修正を加えて本に収めました。ハイドノーブル家の終わりと夜明けの話です。




「シャル、もっと遠くへ行きたいかい?」

 父は病床で幼い俺にそんなことを言った。
 俺と同じ、漆のような黒い鬣。無敗三冠馬であり、最後まで頭抜けて強かった父は俺にとって憧れでもあり、同時にアンバランスな危うさも孕んでいたが、その危うささえ輝きの一部だった。
「とおく?」
「そう、遠くだ」 父は俺の頭を優しく撫でた。
「空の青と芝の緑だけが視界に映る無音の世界。僕が憧れた景色はそういう……一瞬であり永遠だった」
「とうさんのいうこと、むずかしい」
「そう不貞腐れるな。お前もいつか分かるよ。お前もサラブレッドなのだから」
「うー……
 父は少し苦しそうに息を一度吐き出し、ゆっくりと吸った。そのままベッドに体を横たえる。
「とうさん」
「すまないな、シャル。向こうへ行っていなさい。……母さんを呼んできてくれるかい?」
「かあさん……今さっき出かけた……」 俺はとっさに嘘をついた。父ともう少し一緒にいたいという子供じみた我儘だった。
……そうか。なら、もう少しお喋りでもしようか」
「する」
 父は軽く寝返りを打って俺の方を向く。
 優しく撫でられる手は随分と痩せて骨ばっていた。俺はその手を掴み握る。記憶の中の父の手は常に温かかったが、実際に触れてみると随分と冷え切っている。
「シャル。お前は僕のようになるな」
……?」
「ハイドノーブル家の責務など捨ててしまいなさい。全て忘れなさい。自由に生きるんだ」
「せき、む……? とうさん――」 父からはどこか強く死の匂いがした。
「なんでそんなこというの」
「シャル……シャルルマーニュ。自由な冒険者の名を持つ僕の息子。
 どこまでも行きなさい。自由に走りどこまでも……
 そしていつか、大事なものに出会ったとき……その愛を惜しみなく捧げる者になりなさい」

 父はそう言って瞼を閉じた。
 視界がぼやけている。ぼとりと瞳が零れたような気がしたが、それは恐らく涙だった。