終わりなき夜が明ける日

新刊「馬子の背骨に触れるものには」から抜粋してお届けします。よかったらCC福岡おいでませ。マリンメッセで会いましょう。
再録の再録みたいなところがありますが、前べったーに載せていたものに加筆修正を加えて本に収めました。ハイドノーブル家の終わりと夜明けの話です。




 巨木の傍にある墓石には『Charle K. Hidenoble』の文字が刻まれている。
 俺は買ってきた白い薔薇を供えた。後ろからやってきたのはみーたんこと、妻のスイングウィズミーだ。栗色の二つ結がふわふわと風で揺れる。彼女はそっと指先から触れて、いつになくしおらしい俺の肩に手を置いた。
……みーたん?」
「あんたがしおらしいの、何か調子狂うのよ」
「命日だからしょうがないじゃん。結局親父とは今際に会話したのが多分……最初で最後だったと思うんだよなー」
「嘘でしょ? そんなことある? どんな家庭で育ったのよ……」 みーたんは呆れたように言ったがそこに憐憫の色は無かった。
「ん、でもシャルの実家は英国のお貴族様だものね。そんなこともあるか」
「受け入れるの早いわ~。まあ、それとは別に……俺のお袋と親父、政略結婚だったからそこに愛とか恋とか微塵も無かったわけ」
 俺は記憶の中の母親を手繰る。キチョウカミシロ。人名を神代帰蝶。
 常に厳しい表情で俺に接し、父と接触する事を嫌った母。黒鹿毛の鬣に白い前髪という見た目であり、色素の酷く薄い瞳の奥で鈍く光る瞳孔が恐ろしかった事をよく覚えている。

『お前は上に立つべく生まれたのです。その役目を果たしなさい。他者を尊びなさい。弱きものを守れる己でありなさい。この国の楔となるのです』

『シャルルマーニュ。自由な冒険者の名を持つ僕の息子。
どこまでも行きなさい。自由に走りどこまでも、そしていつか大事なものに出会ったとき、その愛を惜しみなく捧げる者になりなさい』

 何度も繰り返し聞かされたその言葉と、父が最後に残したあの言葉が交互に耳の奥で反響する。

「今じゃあ全ェ~然名乗ってないけどさぁ、俺にも一応人名があるのよ。……何を思ってあんな名前を付けたんだろーな、俺のお袋は」
「知っているわよ。婚姻届け書いたとき見たし。あんたがその名を嫌っていることもね」
「そうね、みーちゃん。私たちには見慣れた名前だもの。意味なんていちいち考えたこと無かったわ」
 もう一人の妻である、てんちゃんことカザミテンペストが献花を抱えてやってきた。栃栗毛のボブカットから一房だけ伸びた髪がサラサラ揺れていた。陽光に照らされて金色に輝いている。
「そもそもあたしたちはシャルって呼ぶし。意味なんてさ、大仰なもの与えられたってしょうがないじゃん。どうせ身の丈に合うようになっていくんだ」
 みーたんはそんな事を言って遠くを見た。てんちゃんはその様子をちらりと見、ふふ、と微笑んで、
「その点シャルは身の丈に合うどころか、何もかもが大仰ね」
「そーそー。無敗の三冠馬になるって言ってマジでなっちゃって、欧州に行って凱旋門賞二着とかとんでも記録出しちゃうし、ドバイであっさり勝っちゃうし」
「それで『どこまで行くんだ~もっと勝つだろ~』って言われて、何故か電撃引退しちゃうしね……
「それは屈腱炎のせいなんだってば~」
 俺は抗議しながらてんちゃんの手から花束を受け取った。それを墓石の前にそっと添える。
まあぶっちゃけ、母親を軽んじていると言われたらそうなのかもしれない。
 俺は確かに親不孝者なのだろう。ハイドノーブル家の責務も、神代家の責務も投げ出してレーサーになり、引退した後も実家に帰らず靴屋なんて開いて、ハイドノーブルの直系子孫というだけで随分派手な神輿に担がれている。

「親父に倅たちの顔、見せてやりたかったな……

 俺の声が風に攫われて消えていく。
 二人の耳はきっと、俺の言葉を正確に聞きとって秘している。
 ふたりはきっと世界で一番美しい、俺の記憶を留める本だと思った。何故そんなことを思ったのかは、今でもよく分からない。