終わりなき夜が明ける日

新刊「馬子の背骨に触れるものには」から抜粋してお届けします。よかったらCC福岡おいでませ。マリンメッセで会いましょう。
再録の再録みたいなところがありますが、前べったーに載せていたものに加筆修正を加えて本に収めました。ハイドノーブル家の終わりと夜明けの話です。



 数日後ロジェが神秘管理局から釈放されたと聞き、俺はアスコットの秘匿領地にあるハイドノーブル家本邸へ向かった。出迎えたメイド服の馬子が俺を中へ案内する。黒と白の二色で構成された館は、日が差し込んでいる間は明るく、黒が室内を引き締める。一方で黒に彩られた壁、普通の貴族家であればこうした長い廊下には、歴代当主の肖像画が飾られているだろう。だがこの家にはそうしたものは一切なく、ただ黒い壁と床があるだけである。

 ――影であり続けよ。夜であり続けよ。
 我らは女王の軍馬。女王の鞭で走り、女王の銜で制御される。故に国には従わない。

 箔押しされた古い書物の一片が金色の額縁に入れられて壁に掛けられている。確かそれはハイドノーブル家の家訓のようなものであり、この終わりなき夜を背負って生まれついた馬子たちに刻み付けられた呪いでもあったはずだ。
 しかしロジェはこの呪いを断ち切り、夜を終わらせた。欧州に存在するという、各国の名家が集まる円卓会議とやらの場で『ハイドノーブル家を解体する』と宣言したことを、当主就任から二年もしない間にやってしまったのだ――我が息子ながら末恐ろしい。
 廊下の向こう側から早足でこちらへ向かってくる黒い影があった。ロジェールマーニュである。俺は呼ぶか呼ぶまいかと考えあぐねて、彼がこちらへ来るまで何も言わずただぼんやり見つめていた。
「あった、これこれ」 ロジェはそう言って腕をにゅっと伸ばし、先程まで俺が眺めていた家訓の収められた額縁を壁から外した。
「そんなもん外してどうするんだ?」 俺はロジェに問いかける。
「燃やすんだよ」
「燃やす……
 物理的に破却するのかよ……と思いつつも、そういえばここにはあらゆる遺物を煉獄の焔で燃やし尽くす魔女がいたな、と思い出す。ワトソンとは因縁の相手だ――何と言ってもあのモリアーティの縁者であるので。
「父さん、暇なら書架の整理手伝ってよ。三時までに終わらせたいんだ」
「三時? 来客か?」
「全然。誰も好き好んでハイドノーブル邸になんか来ないよ。甘いものが食べたいからね」
「太りますよ、先輩」
 黙っていたメイド服の馬子が言った。確かサンセットスコッチという名前だったはず。ロジェが日本でレーサーをやっていた頃の後輩でもあったか、主従関係となった今でも先輩と呼んでいるようである。
「この間オレンジをしこたま貰ったんだ。すごい量だよ。消費しないと腐る」
「あんたオレンジタルト食いたいだけですよね」 スコッチはロジェに気安くそう言って、
「まあ、奥様も似たようなこと言っていたので、用意しますけど」
「持つべきものは優秀なメイドだね」
 こっち、とロジェに案内されて廊下の突き当りにある階段を上がり、二階にある書架へ入る。古本の匂いと微かな薬品臭、部屋の奥には金属でできた扉が設置されていた。恐らくその先は禁書庫だろう。ハイドノーブル家は歴史が長いだけにその手の本も多くあるはずだ。本来であれば個人の手元に置くべきではない、絶対に秘するべき事実が書かれた書物の類も。
「この間、この辺を掃除していたら死海文書みたいな、凄く古い書物が出てきたんだよね」
「そういうのは神秘管理局にもってけ~~!? 何でその辺に放置してんだ」 別の部屋から持ってきたと思われる、現代的なデザインの黒い机の上には歴史価値のありそうな資料が置かれている。
「だってどうせ来週には大規模なガサ入れがあるし、その時にまとめてやってもらおうかなって」
「さてはお前、落ち着いているわけじゃなくて図太いだけだな?」 俺はこの子の事を二十二歳にもなって漸くわかり始めていた。ロジェは表情の機敏もそこまで豊かではない。
「ああ、うん。よく言われる。嫌味が通じないって。暖簾に腕押しってこういう時に言うのかな」
「どう考えても言われる側だろ、お前は」
 俺は呆れながらロジェについて行く。彼の足は金属製の扉の前で止まっていた。ロジェは鍵を取り出し、扉の中央部へ差し込み左に捻る。ガチャ、と音を立てて鍵が開錠された――それとほぼ同時に魔術で厳重な封をされていた留め金が外れ、扉は勝手に奥へと開いた。
「ハルハイム卿がいたら大喜びしそうだ」
 馬子が大好きな変態魔術師の名前が出てきて俺は驚く。どこにでも出てくるなあのおっさん。そう思いながら扉の向こうへ一歩進む。空気がどこかひんやりとしており、一切陽の光は当たらない。俺はスマートフォンのライトを輝度最大にして内部を照らした。
「おかしい。空間が広すぎる」 円状の部屋であることはわかったが、明らかに間取りと解離した内部だった。床は波打ち際のように揺らめき、天井には星の光が瞬く。いつか見た神秘編纂課という部署の一画に似ていた。
「ロジェ、この部屋は一体何だ? お前はここで何を」
「これは僕が責任を持って秘さなければならないからね」
 部屋の中央部には、細かな野苺と馬、そして馬子の少女の装飾が施された、黒い大理石の台が置かれている。その台の上で深緑の小瓶がふわふわと浮いており、ロジェはそれを迷いなく取って封を開けた。
「ま、待て待て待て待て! ロジェ! おま、お前飲もうとしてるか!?」
「うん」
「『うん』じゃないでしょうが~!? 毒だったらどうする気だ!?」
「心配し過ぎだよ、父さん」 アホたれ。心配もするわ。こんな怪しさ満載の薬瓶、そしてその中に入っている液体を飲もうだなんて正気の沙汰じゃねえ。
「これはなんていうか、魔術で記憶を取り出して、それを液体の形に実体化させたものらしいよ。事前に后子……じゃない、ナイルと調べたから、確かだよ。大丈夫」
……本当かぁ……?」
 俺は半信半疑、ロジェがこちらへ差し出してきた薬瓶の中身を見た。複数色の絵の具を混ぜ合わせたような、青いような――黒いような色合いをしている。
 しかしこれがハイドノーブル家の記憶だというのなら、俺は知らなければならない。本来ならば俺がすべきだったこと、ロジェばかりに背負わせてはいられない。
 たとえそれが、ロジェ自身の意志で選んだことだったとしても。

 俺は返して、と手を差し出されるよりも先に腹をくくってその液体を飲み干した。
 ロジェが遠くで俺を呼ぶ声が聞こえた気がしたが、ふっと意識が遠のく。
 瀑布に落ちるように、深く――潜っていく。
 遠い、遥か昔の記憶へ。