終わりなき夜が明ける日

新刊「馬子の背骨に触れるものには」から抜粋してお届けします。よかったらCC福岡おいでませ。マリンメッセで会いましょう。
再録の再録みたいなところがありますが、前べったーに載せていたものに加筆修正を加えて本に収めました。ハイドノーブル家の終わりと夜明けの話です。




 始まりは、一頭の牝馬だった。
 過ちもまた、一頭の牝馬だった。

 夜空のような黒い馬体に、一筋白い流星を顔に流した、涼し気な顔立ちの牝馬がいた。
 その牝馬は土着馬であり、品種改良の末に生まれた人の生み出した血の宝石とは異なる美しさを持った馬だった。
 大地を駆ける蹄の音が響く。高い空とどこまでも続く見渡す限りの緑色。
 彼らは〝群れ〟だった。
 黒い馬たちが音を立てて波打つように走り抜けていく。その頃は言葉もなく、壁もなく、あるのは命の奔流だけだった。
 ある時一頭の牝馬が子を産んだ。生まれたその子は奇妙な出で立ちをしていた。人の肉体に、馬の耳と尾を持っていた。額には六枚の羽が生えた、剣のような文様が浮かんでいた。瞳は燃える様に鮮やかな緋色をしていた。
 その子は馬たちとは全く異なる姿だったが、群れから爪弾きにされることはなく、寧ろいっとう大切に扱われた。
 子もまた言葉を持たなかった。持っていたのは、速く駆けることのできる脚、疲れることのない心臓と、そして幻想と語らうこの世ならざる力だった。
 子はいつしか幻想から言葉を得た。幻想から名を得た。己は馬から生まれた幻想に近しいモノ、と自己を認識し、己が『馬子』であると識った。
 知恵の実を食べたかのようにその子は歌った。馬たちもまた言葉を得て、名を得て、己が何であるかを識った。道具の使い方を覚えた。幻想との語らい方を覚えた。そして言葉を覚えた。

 群れは家族になり、家族は一族になり、やがてヒトが彼らの元にやってきた。
 初め、ヒトは馬子らを隣人として敬い、馬子らもまたヒトを良き隣人として扱った。徐々に二つは交わるようで交わらず、けれどお互いを許容した。
 ヒトと馬子は『村』を作った。
 ヒトと馬子は『都市』を作った。
 ヒトと馬子は『国』を作った。
 そうして、始まりの馬子が冠を頂くことになった。
 ヒトも、馬子も、馬や幻想でさえ、その陸に生きるものすべて、それは全ての始まりだった。
 オークニーにプレリュードという名の国が生まれた。黒い星が瞬き、草原を駆ける者たちはその誕生を言祝いだ。皆幸せだった。幸せだった。
 子は、始まりの馬子は歌った。大地がその声に応え、花を咲かせ、季節を巡らせ、葦を生やし、やがて葦は白い狼を一頭生んだ。
 狼は始まりの馬子をいつくしみ、善き友となった。



 ――だが、南からやってきたヒトは彼らを簒奪した。

 噎せ返るような血の匂いが草原に漂っていた。子は何が起きたのか分からないまま、ぼんやりとその様子を見ていた。
 ヒトの王は金色の光を纏う幻想の力が宿った剣で、子を守っていた牡馬の首を飛ばした。

 子は狼と共にヒトの王に捕らえられた。子は首に縄をかけられ、黒い子馬の姿に変えられてしまった。そうして子は馬の姿のまま成長し子が産める年になると、何頭かの子馬を産んだ。どの子馬も新月の夜のような、真っ黒な馬体をしていた。
 そしてどの子馬も、『馬子』の姿になることができた。彼らはヒトの王に代々仕えた。


 いつしか馬子は己を見失った。
 多くの騎士の母となってしまったその馬子は、ヴィヴィアンという名を持っていた。
 狼は変わり果てた彼女から離れ、どこかへ消えてしまった。
 ヴィヴィアンは世界で一番の孤独になった。


 ヴィヴィアンはヒトの王を許してなどいなかった。殺せる機会を狙っていた。
 だが、ヒトの王はこの世から戦をなくしてしまった。
 白亜の城は平和の象徴になってしまった。
 数多の馬子の屍の上に立っているというのに。数多の幻想の憎悪の上に立っているというのに。

「わたくしの、憎悪が聞こえないのですか」
その声はどこへも届かない。誰にも届かない。
 けれど幾年月が経とうと、絶対にこの憎悪を忘れてはならない。
 ヴィヴィアンは己の子供を六頭連れてきて殺した。子供たちは呪いになった。



 六つの呪いが最後の子馬――モードレッドに託された。
 モードレッドはついにヒトの王を討ち果たした。ヒトの王はバラバラにされ、海へ棄てられた。

 泡がヒトの王を飲み込んだ。泡は無垢なままヒトの王を連れ去った。
 モードレッドは満足して、銀の王冠を己の頭へ乗せた。



 こうして、過ちは始まった。
 こうして、終わりなき夜は始まった。

 ハイドノーブルはこうして、産声を上げたのだ。
 血と憎悪にまみれた泥の中で、黒い高貴が産まれた。


 子々孫々へ三千年もの間引き継がれる、祈りの夜を携えて。