終わりなき夜が明ける日

新刊「馬子の背骨に触れるものには」から抜粋してお届けします。よかったらCC福岡おいでませ。マリンメッセで会いましょう。
再録の再録みたいなところがありますが、前べったーに載せていたものに加筆修正を加えて本に収めました。ハイドノーブル家の終わりと夜明けの話です。



 先んじて言っておきますが、僕はハイドノーブル家を解体するつもりでいます。

 その言葉を、純血貴族らを中心とした円卓会議の面々に伝えた時の顔ときたら、もう。思い出しただけで妙な笑いが腹の底からこみあげてくるような気さえした。
 僕――ロジェールマーニュ・ハイドノーブルは、倫敦の中心街のうちに秘されたその場所へ足を踏み入れる。
 倫敦の地下深くに存在する庭園。完璧に調和の取れた白い薔薇の咲き誇る美しい場所。
 そこに僕が殺すべき人がいる。彼女は決して死なないらしい。下手をすれば僕の方が呪いを被り、幻想種でも馬子でも無いものに変質させられる可能性さえあった。
 おばあ様は奇跡を起こせる。幻想種ではなく、回帰者という訳でもなく――被呪者。竜の恐るべき呪いをその身に受けて、それを己の力で制御して、このブリテン島という土地に巡る龍脈と深く繋がったその牝馬の名は――

「ギネヴィア様」

 僕は白い薔薇を愛でている黒い馬子に声をかけた。その名を呼ぶ者は最早おらず、誰もがその名を破滅の呼び水だと思っていた。まるで円卓の騎士団が、その女と高潔な騎士が愛に溺れて、その愛が全てを燃やし尽くしたのと同じように。僕は拳銃にマガジンを込めた。ひどく静まり返った空間に、銃を弄る声が響く。
 ギネヴィア・ハイドノーブルはゆっくりと僕の方を向いた。その表情は憎悪でもなく、愛でもなく、恐怖で強張っているように見えた。僕は拳銃を彼女へ向ける。
「あら、貴方。案外野心家なのね」
「僕は貴方を終わりなき夜から救うため、ここにいるつもりです」
「皆そう言うわ。わたくしがいなければ何もできないというのに。貴方たちは皆わたくしの軍馬であればいいでしょう。そうすれば全て上手くいきます」
 ハイドノーブルはそう言って一歩僕の方へ歩みを進めた。僕はそれと同時に一度引き金を引く。火薬が爆ぜ、弾丸が吐き出される。素早く薬莢を排出する。
「そう。知っているのね? わたくしの奇跡を」
「貴方の言葉や声が、意識を改竄することは知っている」 僕はもう一度引き金を引いた。彼女の薄い胸の中央に弾丸は命中し、真っ赤な血液で白いブラウスが染まっていく。
「僕はやるといったら必ずやる。貴方を殺すと円卓会議で約束した」
「銃火器程度でわたくしが殺せるものですか。わたくしが不死身なのは知っているでしょうに。可哀想な子。一体誰に唆されたの?」
「誰にも」 僕はもう一度引き金を引く。弾丸は彼女の左肺を貫通した。背後へ血液が撒き散らされる。薬莢が床へ音を立てて落ちる。
「誰に唆された訳でもありません。貴方をここで止めないと、我々は終わりだと――そう思っただけだ」
…………お前、わたくしに何をした」
 ギネヴィアは激しく喀血し、凄まじい形相で僕を睨みつけた。
 やはり効いている。彼女を殺すために作り出した秘密兵器。アルナイル・モリアーティには感謝しないといけないな、と僕は脳裏で思う。数千体の妖精と契約を結ぶ、規格外の魔女――〝火刑の魔女〟である彼女だからこそ成し得た窮極の魔術。
 恐らく現代において最も奇跡に近い魔術と言っても、過言ではないはずだ。


『これ、使こうて』 アルナイルは僕に銀色の弾丸を渡した。
『三発ある。元はハイドノーブル家の宝物庫に置かれてた、竜殺しの槍に付与されとった魔術を軽くコピーして、私流に魔術式書き直してん』
『これは一体……何?』 僕はその銀色の弾丸を眺めながら問いかけた。
『ん。名前つけてへんねんけど。まあ、退魔礼装の一種やね。敢えて名前つけるなら……バルムンクかなぁ』
『北欧の竜殺しの剣の名前だっけ』
『そう。ぶっちゃけハイドノーブルに効くかどうかは五分五分やから。
 一発でも外したら暗殺失敗、ゲームオーバー。そこで人生終わりやと思ってな』


 僕は最後の銀色を装填する。
 ベレッタM1934は僕の手で静かに時を待っていた。
 かのスパイとしては不適格な、有名すぎる007と同じ拳銃。僕は照準を彼女の胸に合わせる。
 竜を殺すには鉄則があった。――心臓を撃ち抜くこと。心臓を貫くこと。竜の呪いを浴びた者も同様に、心臓を狙え。僕は軽く彼女を睨みつけた。

……そう。……そうだったの」 ギネヴィアはふらつきながら僕の方へ歩み寄ってくる。
「ロジェールマーニュ……貴方、貴方がわたくしの夜を終わらせるのね……

 僕は一度瞼を閉じて引き金を引いた。火薬が爆ぜて音が鳴る。音と同時に胸のど真ん中に弾丸が命中し、その衝撃でギネヴィアは膝をついてその場にへたり込んだ。
 僕は薬莢を輩出して彼女を見下ろす。彼女を中心にして円状に血だまりが広がってゆき、地面へ落とされた白い薔薇の花弁を緋色に染めた。

「先輩!」 背後から駆け寄る声があった。黒いライダースーツに身を包んだ部下――ワーナビーエイダーである。僕は左手で彼女を制して彼女を止める。
……これは……
「そこにいて。確認するから」 僕はマガジンを装填し直してギネヴィアに近づいた。
「ちょ、先輩! そういうのは私が……ああもう……
 ピクリとも動かないギネヴィアに、僕はそっと近づく。首の脈を取ろうと指先を伸ばす。死んでいるのならばあとは神秘管理局に引き渡して終わりだ。僕が頸動脈に触れた時、
「ッ!! ――先輩!!」 エイダが思い切り僕を突き飛ばした。凄まじい衝撃で一気に壁際まで吹き飛ばされて思い切り背中を打つ。
「が、ッ……!! ……エイダ!」

 ギネヴィアの肉体は既に支えを失って倒れ込み、血の海で横たわっている。
 その背後に、何かがいた。黒い茨でエイダの腹部を貫いている何かは、勢いよく振りかぶってエイダを振り飛ばした。
「何だ……あれは……
「う……」 僕の傍に吹き飛ばされてきたエイダは、腹から激しく血を流してうずくまっている。
「せ、先輩……一回、逃げましょう……
「分かっている! もう喋るな!」
「あれ、は。多分……悪妖精とか、そんな生ぬるいもんじゃ……
 エイダはそう言って気を失う。僕は彼女を背負ってすぐに地下庭園を脱出し、上階へ避難した。


「嘘でしょう」
 エマ=ジェームズ・ワトソンは突如真っ暗になった室内で軽い悲鳴をあげた。
 ワードプロセッサーの保存が完了していたか気が気ではない。遊びに来ている暇人刑事――バレル・ホークアイも驚いたように声をあげる。バレルは大きな窓に近寄って引き上げ、外の様子を伺った。
「ワトソン先生。外も停電しています。というかロンドン全体が停電しているみたいです」
「どういうことよ……送電線でも切れたかしら」 ワトソンはスマートフォンを操作して情報を得ようと検索エンジンを開いた。
「圏外だわ。通信障害も起きているみたいね」
「俺のスマホも駄目です。あの、ワトソン先生。外……なんか変ですよ。空が……
 バレルは窓の方へワトソンを誘った。ワトソンは窓から軽く身を乗り出して空を見上げる。
 皆既日食だろうか? 空には二つの金色の輪が浮かんでいる。異様に暗い市街地には人気が無く、まるで時が止まったかのように静まり返っていた。突然昼が夜に切り替わってしまったかのような気味の悪さがあった。
「外に出るわよ」
「えっ……あの、何か分かったんですか?」バレルは不安げにワトソンに問いかけた。
「これ、幻想領域。しかもロンドン全域が上書きされているわ」
「ええ!? どんな法外なものですか!?」
「わからない。でも……多分……
 ワトソンは金色の鍵を取り出して221Bの鍵穴に差し込む。ガチャン、と音を立てて反対方向へ鍵が回転し、扉が開く。
 その先はケンジントン宮殿の内部に繋がっていた。だが普段の様子とは比べ物にならない程荒れ果て、何かが暴れた形跡が色濃く残っている。そこには血みどろになっている金髪の馬子と、止血を試みるメイド服の馬子、そして頭から血を流している青毛の馬子がいる。
……そう。やっぱりお前たちが」 ワトソンはそう言って虚空からペナンローヤーの杖を取り出し、三人の方へ向けた。
「ちょ、わ、ワトソン先生!? 何する気ですか!?」
「治療に決まっているでしょう」 金色の魚が光り輝きながら彼らに殺到する。傷をたちどころに癒し、三人は驚いたような――困惑したような表情で乱入者を見ていた。


 アンシーリーコートの乱入は想定内だった。それよりも倫敦全域がギネヴィアの、正確にいえばギネヴィアの中から出てきた『何か』が、倫敦をすっぽりと包み込む幻想領域を展開し、今もなお維持し続けているという事実に驚きが隠せない。
 龍脈と深く繋がっているからか。土地から魔力の供給を受け続けているが故に、これだけ大規模な魔術――いや、奇跡を起こし続けてもへばる事がない。土地に巣食う化け物ではないか。僕は唇を噛む。
「お前たちはハイドノーブル暗殺を企てて、それを実行し……成功させた。けれどその結果、ハイドノーブルの内部にいた何かがあふれ出た。そういう認識でいいのかしら」
「正しく。想定外です」 僕は素直に白状した。
「私だってこんなの想定外よ。……ホークアイ? お前さっきから何を見てるの」 恐怖に顔を強張らせているバレルにワトソンが話しかける。窓の外を見ているようだが――
「な、何かいます」
「何が?」 僕はその言葉を反芻して窓に駆け寄る。
「な……
 黒い鳥のような獣が空を飛び回り、街を覆い尽くしている。恐怖と狂気に支配された市街地の様子に流石のバレルも窓際から後ずさりして、展示ケースに背中をぶつけた。

「ナイトゴーント」 ワトソンがぽつりと呟く。
……悪妖精よりも更に悪性の強い、呪いの具現。生命の剥奪を第一行動原理にする、死そのもの」
「では、ハイドノーブルの中に入っていたものは――
 ナイトゴーントと悪竜の混ざり合った存在という事か。僕はベレッタを握る手に力を込める。ナイトゴーント相手にこんな拳銃が効くとは思えない。絶望が視界にちらつき始め、自分の足元がぐらつく。
「ほんまどないなってんねんこれ」 何もない所から突如顕れたアルナイルは悪態を吐いた。
「外はナイトゴーントだらけや。どこのB級ホラーやねん。下手したらこに幻想領域から外に飛び出るやつも出かねん」
 轟音を立てて壁が破壊され、ナイトゴーントが複数体室内へ入り込む。奇怪な鳴き声を上げながら四つん這いになってこちらをぎろりと睨みつけるように顔を動かした。

「あーあ。おいでなすった……

 顔を持たない怪物は大蜥蜴が走るように四肢をばたつかせて僕らへ迫る。素早くアルナイルが黒い馬の脚を模した杖を振り、ナイトゴーントを発火させて対応した――だがすぐに後続が空いた穴からやってくる。ワトソンがペナンローヤーを軽く構え、
『貴方は波間に、私は泡に』
 聞いたことのない言葉で呪文を唱える。人魚語や、とアルナイルが呟いた瞬間、そこにいたはずのナイトゴーントたちは泡になって空気に溶け落ち消えていた。原生神秘の起こす奇跡が通用するのは良いが、地下庭園にはギネヴィア・ハイドノーブルの肉体から出てきた――恐らく今倫敦じゅうを跋扈している群れの女王がいる。それを殺さなければ、倫敦では殺戮が繰り返されるだろう。
(これは僕が蒔いた種だ……
 ベレッタが軋む音がする。迂闊だった。彼女の言う通り、彼女の軍馬だったほうがよかったのかもしれない。あらゆる呪いを封じる人柱としてこの英国に立っていた彼女を思う。
 その人柱となるために、呪いを一手に引き受けるために、どれ程この国の馬子たちを犠牲にしたのか。そして幻想種を思うが儘に殺し、彼らの怨嗟と呪いをその身に浴びて――
 突如地面が激しく振動する。立っていられないほどの強い衝撃に僕は屈みこみ壁際に寄った。エイダともう一人の部下――サンセットスコッチもまた同様に己の武器を片手に壁へ、ワトソンはバレルを担ぎ杖の上に足を掛けて浮遊する。アルナイルも同様に浮遊して地面から足を離した。

「こらあかんな」 アルナイルはそう言って亀裂の入った地面付近まで近づく。
「ま、命の張り時ってことか」
「后子……?」
「アホ。その名で呼んだらあかんて言うてるやんか。最後の最後まで詰めの甘いこっちゃ」

 アルナイルはそう言って契約妖精を呼び出す。紅い舌をちろちろとだす毒々しい朱色に彩られた蜥蜴だ。サラマンダー。高位の妖精である。

「来る」

 突如視界が白く霞む。真下から凄まじい衝撃が伝わり、素早くワトソンが何重かの結界を構築して僕らを守る。アルナイルもまた防護魔術でその強烈な魔力の奔流を防いでいるが、所々防護結界に罅が入り遂には割れた。

…………こんなのが市街地で暴れたら……数分でロンドンは壊滅しますよ……
 バレルのか細い言葉には言葉以上の説得力があった。僕は何もできぬまま防護結界の中で浮いている。
 ワトソンは真下にいる黒い巨大な烏のような、ナイトゴーントにも似た竜を睨みながら怨嗟の声を聞く。それはハイドノーブルの胎内からあふれ出てきた呪いの威容だった。
「まずい」 アルナイルは焦ったように呟く。
……サラマンダー!」
 勢いを増した火刑の炎と竜が吐き出した黒い魔力の奔流がぶつかり合う。アルナイルの背中から六枚の羽を模した文様が浮かび上がり、強く魔力を送るたびに光と熱を帯びて僕らの目に強烈な光を届けた。文様の羽が二枚枚焼失する。
……う、ぅう!!」
 防護結界は案外難しい魔術であるとアルナイルは言った。そうそう何度も張り直せる代物ではないと。ワトソンがいなければ僕らは魔術同士がぶつかり合う熱で焼け焦げ、消し炭と化していたに決まっている。再び文様の羽が一枚失われた。
「ナイル!! 一旦逃げよう! 無理だ!」
「バカやなぁ……逃げてどうすんの。どこにも逃げられへんよ。出られへん……幻想領域ってそういうもんやからなあ」
 再び羽が一枚消えた。左腕が真っ黒に染まり炭化する。彼女は今――己の命を、魔女の生命線を削っている。下から無慈悲に竜が空へ飛びあがった。
「逃げる!」
 バレルの声とほぼ同時にスコッチが狙撃銃を構え弾丸を撃ち込んだ。足に命中したようだが翼があるのだ――逃げるのを止めるには至らない。羽毛に覆われた黒い翼を広げて空へ舞い上がり、二重の皆既日食を起こしているような奇妙な空へ向かう。
 ワトソンは防護結界を解除し僕らを外の地面へおろした。市街地を埋め尽くしていたナイトゴーントらが、竜の叫び声に呼応して集まっていく。皆竜に喰われようと身を差し出している血腥い光景が広がっていた――このままではさらにひどい事になる。

 いずれ、ギネヴィアがこのブリテン島の全てを灰燼に帰そうとしていると知った。
 止めなければと思った。だが。

「あと三枚か」 アルナイルは炭化した左腕を一瞥して言った。
「なあエマちゃん。魔女紋章って全部消えたらどないなんの?」
……死ぬ」
「アッハハハハハ!! そらそうや、そうに決まってるわぁ」
「待ちなさい、モリアーティ。お前――
「嫌やわ、何言うてんのエマちゃん。死ぬ気なんかあれへんよ。
 ……せやかてこれは、私がこの命を懸ける価値がある大犯罪や」

 アルナイルはそう言って、ハーフアップにしていた髪をおろした。ころり、と緋色の石が手の中に転がり落ちる。
「九百七十六体。私がとっ捕まえて、この中に置換魔術で固定化した妖精たち。これ全部使こて、あのバケモンを仕留める。――私が編み上げた魔術の中でとびきりのやつを食らわせたるわ」
「待ってくれ后子。君は……
「あーあー。聞こえん聞こえん。なんなん? ほんまに……カッコつけさせてもくれへんの。ほんまそういうとこが大っ嫌いやわ」

 僕の言葉を無視してアルナイルは前へ進む。
 いつの間にか石は赤と青のグラデーションが美しい、巨大な細身の剣に形を変えていた。



……疑似海戟、起動」


――光あれ、『 』」