racmon
2024-05-30 18:47:36
30891文字
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既刊『阿吽の呼吸』全文web再録

「コンビ時代の2人、ささろ未満」
3年前に出した本のほぼ全文web再録です。
まだとらさんに在庫はありますが、かなり経つので投稿します。
これをお読みいただいて気になったかたは、本の方もよろしくお願いします!

2025.2.6 追記
最後のところまで全文載せました。
ヒプムビ公開おめでとう!ささろをよろしくお願いします!



  ◇  ◇  ◇


「お前、季節の変わり目ほんまあかんねんな」
 鼻水を垂らした簓は、飛んできたポケットティッシュを受け取った。路上で配られていたそれはチラシが抜き取られている。簓はそのときの盧笙の憤りからくるため息を思い出した。「こんなもん、女性に対する冒涜や」と、ピンク色の小さな紙を内側に折り込んで捨てていた。思わずその頭をこねくり回した簓を責められる人間などいないだろう。
 キャスター付きの椅子に座る簓は、壁際から盧笙のそばに戻った。ついさきほどまで二人仲良く肩を並べて談笑していたはずだった。しかしハックシュンのたったの一息で、簓の体は大部屋の楽屋の端まで吹き飛ばされてしまったのだ。盧笙に「イカみたいやったで」と言われ「ありがとう」とトンチンカンに返すほどには簓自身も驚いていた。
「盧笙風邪引かんよなあ」
「体調管理も仕事のうちやぞ」
「プロみたいなこというやん」
「プロやっちゅうねん」
 にんまりと笑う簓と盧笙に視線が集まる。微笑ましそうに見る者と、憎たらしさで歯軋りする者と、ちょうど半分くらいの割合だ。二人の人望の厚さと才能の高さがそのバランスを生み出しているのだろう。簓はその場の空気を大体そのように分析していた。同期との雰囲気に変化が現れはじめたのは、どついたれ本舗が頭ひとつ抜きん出た頃からだった。簓はそれに勢いづくことはあれど、慢心することはなかった。たかだか同期の中での一番など、通過点でしかない。
 周囲の反応などにはお構いなく、本番前最後のネタ合わせをはじめようとしたときだった。
「おいあいつなにしてんねん」
「客全然入ってへんやんけ」
 モニターに映る客席を見た数人がざわつき出す。簓も盧笙を連れて画面を覗き込んでみると、確かに点々と影が見える程度で閑散としている。チケットを売りに行った奴は、いまどこでなにをしているのか。
「ぼちぼちちゃうんか」
 盧笙が腕時計を確認した。簓はその腕をひったくる。針の指す時刻は十四時五十分。テーブルの上にあるフライヤーには『十五時開演』と記載されている。そして一際目立つ吹き出しには『いま人気のあのコンビも登場』と謳われていた。
「ちゅうか、こらあかんわ」
「なんやねんて」
 貧乏ゆすりが止まらない同期の一人が、勿体ぶる口ぶりの簓に噛み付いた。簓はフライヤーを一枚つまみ上げ、親切に指差しまでして教えてやる。
「目玉の俺らをシークレットにしてどないすんねん」
「ああ、ほんまやなあ」
 盧笙もごく当たり前にさらりと言ってのける。どこかでガタリと椅子が鳴った。血気盛んな者たちの集まりに、簓はさらに発破をかける。
「客寄せパンダやおもてもろて、俺らはぜんっぜんかまへんよ?」
「よし、さくっと集めに行くか」
「せやね。盧笙、ジャケット取って」
「はいよ」
「ほな行こか!」
 揃いのスーツの後ろ姿に、その場の全員が駆り立てられた。先頭を切るどついたれ本舗を中心に、劇場前に人だかりが膨らんでいく。十五時の回は満員御礼、苦しいほどの熱気に包まれることとなった。

 現金なもので、はじまるまではぶすくれていた芸人たちも、今は簓と盧笙の肩に腕を回している。きっかけこそ二人の行動によるものだが、みんなそれなりに実力はあるのだ。客の歓声を浴びれば、また瞳に光が差した。
 飯行こや、と誰かが提案した。わらわらと集まり出す面々から外れ、簓は盧笙にだけ聞こえるように言った。
「俺、帰ろかな」
「ん? 行かんの?」
「うん、ええわ。盧笙、行きや」
 細切れになる言葉が、熱い息とともに溢れる。盧笙はこういうときに聡いのだ。簓の俯きがちになる頭をぐいっと押し上げ、ずばり言い当ててしまう。
「お前、しんどなってんちゃん」
「いけるいける」
 重たくなった体が思うように動かず、簓は盧笙にもたれかかった。温かい体温に瞼が落ちてくる。
「よし、帰るか」
「ろしょ、飯、いかんの?」
 抱えられた腕の力強さに、意志の固さを感じる。簓は盧笙に訊ねておきながら、素直に嬉しいと思ってしまっていた。ここで真っ直ぐ帰ったとして、ロクにネタ出しなど出来るはずもないのに。
「俺一人で行ったかて、しゃあないやろ」
「そっか」
「保険証は?」
「どっかにある」
「どっかてお前なあ」
「ある薬飲んどくし大丈夫」
「あかんて、診てもらえ」
「ほんま、ええしの子やなあ盧笙は」
……ほら、行くで」
 せっかくの気遣いに、少し意地の悪い言い方をしてしまったかもしれないと、簓はこっそり盧笙の表情を盗み見た。しかし「なんちゅう顔してねん」と言われたのは簓の方で、寒いフリをしてフードを被った。

 部屋の玄関で力尽きた簓の代わりに、盧笙が部屋中を漁っている。見つかるまで探し続ける姿勢の盧笙を眺めるだけの時間が続く。
「どこにあんねーん」
「わからん。どっか」
「大体でどこやねん」
「あーその引き出し、たぶん。そこになければないですね」
「しょうもないこと言えるくらいには元気残ってそやな。——あ、あったあった」
 やっと見つけ出した保険証を取り出すと、盧笙は「あ」となにかに気づいたようだった。
「お前今月誕生日なんやん」
「うん」
「知らんかったなあ」
「盧笙、いつ?」
「三月」
「ふーん」
 特に広がりを見せなかった誕生日トークもそこそこに、盧笙は簓の体を引っ張り上げた。
「ほれ、頑張って立て」
「ほんま、大丈夫やって」
「あかん。点滴でもバシィ打ってもらえ」
「めんど」
……待っとったるから」
 簓は耳を疑った。盧笙は、簓が大人しく診察を受けるためにはその条件が必要だと考えたというのだろうか。もっと信じられなかったのは、簓自身がそれに黙って頷いたことだった。
「せやからはよ治せ。プロやろが」
「うん。俺、プロやもん」
 普段より近くに盧笙を感じる。簓がそう思ったのは当然だった。腕が付いては離れ、離れては付いてを繰り返しながら二人は歩いていた。毎度騒がしく通るせいで気づかなかった、いつもの道の落ち葉を踏みしめる音が恥ずかしい。簓はあんなに拒否していた病院に早く辿り着きたい気持ちで、一所懸命に足を動かした。

 消毒液のにおいで目を覚ました簓は、近くの看護師を呼んだ。盧笙の言うことを聞いて、点滴を打ってもらって正解だった。軽くなった足取りで待合室に出る。最後の記憶はここで手を振る盧笙の姿だった。しかしその場所に盧笙はいなかった。
「盧笙……?」
「向かいの喫茶店で待ってるって。伝言ね」
 心細く棒立ちになっていた簓に、看護師が声をかけた。
「ふふ。優しいお友達やね」
 簓は首を振った。訝しげに見られて、改めて言葉にしてみる。
「友達ちゃいます」
「え?」
……相方。俺の、相方」
 ああ、と看護師は手を叩いた。この辺芸人さん多いもんね、と。——ほかと一緒にせんといて。そう言いかけた簓は、お礼だけを伝えて病院をあとにした。

 感傷的な気分の簓を、盧笙は陽気に迎える。ドアのベルが鳴り止む前に盧笙はさっさと立ち上がり、会計をはじめた。
「俺もクリームソーダ……
「アホか、体冷えるからあかん。治ったらまた飲みにきぃや」
 二人のやりとりを聞いていた店員が「また来てください」と微笑む。来てすぐ帰る簓にも、五十円引きのドリンククーポンを渡してくれた。
「次来るとき、盧笙も一緒?」
「はあ? まあ、ええけど」
「ほな我慢する」
 盧笙は「弱っとんなあ」と茶化す。そう思ってくれるなら好都合だと、簓は態度を変えなかった。変な風に浮ついた自分に、もう一人の自分が『もっかい点滴打ってもらえ!』と羞恥で暴れ回る。
「お前、まぶた三重なってんで。オモロ」
 簓の葛藤を知るわけもない盧笙は、豪快に大口を開けて笑っている。——最高に効く薬やな。簓はごちゃごちゃうるさい自分を縛りつけ、今は思うがままに行動することにした。トンッと盧笙に体を預けると、激しく二の腕を擦られる。盧笙からの愛情で今にも火がつきそうだ。
「なんや、寒いんか」
「おー」
「死ぬ気で治せよ」
「任せろ。死んでも治す」
 顔を見合わせた二人は、揃えた声を響かせた。
「いや死んだら元も子もないがな!」
 一つになった大きな影は、短くなりはじめた日の中にゆったりと揺れていた。