racmon
2024-05-30 18:47:36
30891文字
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既刊『阿吽の呼吸』全文web再録

「コンビ時代の2人、ささろ未満」
3年前に出した本のほぼ全文web再録です。
まだとらさんに在庫はありますが、かなり経つので投稿します。
これをお読みいただいて気になったかたは、本の方もよろしくお願いします!

2025.2.6 追記
最後のところまで全文載せました。
ヒプムビ公開おめでとう!ささろをよろしくお願いします!



  ◇  ◇  ◇


「ひとつの時代が終わったな!」
 簓の大声が盧笙の耳をつんざいた。狭い部屋の窓ガラスが小刻みに振動し粉々に割れて散る、というのは盧笙の飛躍した妄想だ。訪れて早々、荷物も下さずに不躾に向けられる人差し指は、盧笙の右手を示していた。正しくは、その手の中の、ピカピカのスマートフォンに。
「ガラケーつこてる奴なんかなんぼでもまだおるやろ」
 ——しつこく冷やかすようなら追い出してやろう。盧笙は極力はしれっとスマホをテーブルに置いた。ラグに腰を下ろした簓がにやけ顔で小突いてくる。
「ちゅうか替えるんやったら言うてや! 水臭いな!」
「水臭いぃ? カノジョできたときでもそんなん言わんかったくせに」
「そんなんどうでもええねん! おもんないだけやから! え、番号変わってへんよな?」
「人の恋路おもんないとかいうな。血ぃ凍っとんか」
 盧笙は自分で言っておきながら悲しくなった。たった一ヶ月半だけ交際した女性のことを『カノジョ』と表現するのは、今どき中学生でもしないだろう。いっそ簓に「おもんない」と流された方が、虚しくないのかもしれない。では簓の思うオモロい恋愛とはなんなのか。そもそも簓とは『女の話』をあまりしたことがない。盧笙の頭にぼんやりと浮かんだその疑問は、わざわざ訊ねるほどのことでもなかった。くるくると思考している盧笙に、簓が「ラインは?」と身を寄せた。我に返った盧笙が「一応入れた」と素っ気なく答えると、簓は盧笙のスマホを許可なく手に取り押し付けてくる。
「ほな交換しよ交換!」
「簓が自分でやって」
 ロック画面を向けられて、盧笙はなんの気無しに四桁の数字を口頭で伝えた。簓の意外と神経質そうな指先が、ツイッと画面の上をすべる。機械的な解錠音が鳴り、盧笙は「あ」と「まあええか」をほぼ同時に思った。
「ンハァッ! まだ弟しかおらんやん!」
「やかましいな! 替えたてやねんからしゃあないやろ!」
「ほな、実質友達登録すんの俺がはじめて?」
「そうなるな」
 ムフゥと鼻の穴を膨らませた簓は、今まで見た表情の中で一二を争うほどにだらしがない。なにがそんなに嬉しいのかと盧笙は身を引いた。
「盧笙のハジメテは俺かあ」
 追い討ちをかけるかのように簓がねっとりと言った。盧笙の胸ポケットへスマホを差し込む手つきも、いよいよ粘着質に思えてくる。簓を傷つけるつもりは毛頭ないが、盧笙の口からは「気色悪い!」と言葉が飛び出した。なおも目尻を下げる簓はマゾヒストなのだろうか。相方の恋愛観を知る前に性癖を知るなんてなんという悲劇か、と盧笙は頭を抱えた。
「やめとけ、下ネタはお前の芸風とちゃう……
「まあ隣にこんなウブい子おったらそうもなるわな」
「オイ舐めんな。俺かてそれなりに、アレやぞ」
 言ったそばから『アレ』などと誤魔化したことを盧笙は恥じた。はっきりと男らしく『エロいぞ』と言ってしまえばよかったと後悔した。
「ふぅん。ほな盧笙、もっかいスマホ貸してぇや」
 盧笙が手渡すと、一秒もしないうちにカチャリと音がする。簓の期待の眼差しが、みるみるうちに落胆の色に変わっていく。
「ええ……どの口が言うてんねんお前……こんな、こんな女子大生みたいな検索履歴……
 盧笙は簓が来る直前まで見ていたサイトを思い出した。『中崎町・堀江周辺のおしゃれカフェランキング一五選』の見出しが目の前に突きつけられる。
「おい! やめろ! はずいやんけ!」
「アホか! 恥ずかしがるんやったらこンくらいの履歴残してから言えや!」
 簓は自身のスマホをトトトッと素早く操作すると、盧笙にそれを握らせた。見るとそこには目も眩むような淫語が並んでいる。『簓はマゾヒスト』という解釈が一瞬で書き換えられていった。
「うわ……お前、意外と、その、すごいねんな……
「二ヶ月にいっぺんぐらいのペースでくんねん。無性に悶々とするときが」
 性癖の次は周期まで聞かされ、混乱した盧笙は「ほう……」と内容にそぐわない妙な相槌を打った。
「正直それ以外はお前と似たようなもんやな」
「簓、お前、すごいな。あっけらかんとしてて。尊敬する」
「エロ動画の視聴履歴開示して尊敬されることほど不名誉なもんないな」
 カラッとした簓の口調からは、欲の影など一つも見当たらない。盧笙はその振る舞いに憧れを抱き、あろうことか踏襲しようとした。
「ほんまは、昨日、みた……
「え?」
「せやから! カフェ調べてた履歴はついさっきのやつで、昨日の履歴は消してたから……
「あ、そうなん」
 盧笙が意を決して打ち明けたわりには、簓の反応は薄かった。もうこの話題には飽きてしまったのかと盧笙が黙ると、簓は「どんなん見てたか、当てたろか?」と腰に手を回してきた。はやまる脈を押さえながら、盧笙は簓の答えを待つ。
「昔別れた奴と再会してなんやかんやでエッチするやつやろ」
「アホか! 元カノ引きずってへんわ!」
 構えて損をした。盧笙は一気に緊張が解けた体を、ラグの上に解放する。簓自身が「おもんない」と言い放った件について、掘り返してまでチクチクと嫌味たらしく刺してくるとは。一本取ったり、と歯を見せる簓も盧笙の隣に横たわった。
「だってお前、情に厚いやん。一回愛着持ったらずっと大事にするやろ」
「それとこれとは別や。あの子はすぐ別の奴と付き合いだしたし、お前がいつも言うみたいに、俺は騙されとったんかも知れんナァ!」
 笑いたければ笑え、と盧笙は目を瞑り、四肢を投げ出した。ところが聞こえてきたのは小憎たらしい笑い声ではなく、簓の優しい囁きだった。
「せやな。そいつほんま、アホやな」
 ぱちりと目を開けて簓を見ると、先ほどの声と同じくらいに柔らかく微笑んでいた。
「お前が髪バッサリ切らんと、機種変するだけで済んでよかったわ」
「誰が女子大生やねん……
 クッ、と盧笙は込み上げるものを堪えた。これには簓もギョッとして、なんとか笑うのを我慢しているようだった。盧笙は「なにわろてんねん」と噛みついてもよかったが、ポンっと頭に手を置かれてはもうなにも言えなかった。恥ずかしい、情けない、簓の気遣いがあたたかい。時々ヒクッと肩が跳ねる簓は、やはり半分面白がっている気もしたが、それならそれで盧笙も笑い飛ばせる気がした。「芸の肥やしになったな」と言う簓は、お笑いのことしか頭にない男なのだろう。相方として誇らしい限りだ。ホッと気が抜けた盧笙は、そのままうとうとと微睡の中へと沈んでいった。