racmon
2024-05-30 18:47:36
30891文字
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既刊『阿吽の呼吸』全文web再録

「コンビ時代の2人、ささろ未満」
3年前に出した本のほぼ全文web再録です。
まだとらさんに在庫はありますが、かなり経つので投稿します。
これをお読みいただいて気になったかたは、本の方もよろしくお願いします!

2025.2.6 追記
最後のところまで全文載せました。
ヒプムビ公開おめでとう!ささろをよろしくお願いします!



  ◇  ◇  ◇


「うせやーん……
 立て付けの悪い引き戸の隙間から覗く景色に、簓ががっくりと肩を落とした。盧笙はまだほんのり温かいそこに手を置いて、ひょこっと外を確認してみる。そして簓と同じように嘆いた。おはようの挨拶がわりに付けたテレビでは、朝のウサギが晴れの日予報を喜んでいたはずだ。こんなことなら湯上がり後のフルーツ牛乳を飲まずに早く出るべきだった。
「ちょっと待ってみる?」
「でももう時間ないやろ」
 同期に誘われた合コンの集合時間まで、あと三十分。そもそもそんな日に銭湯へ来るのが間違っていたのだと、盧笙は変えられない過去を責めた。さりげなく羽織ってきた綺麗めのシャツも、濡れてしまえばどうしようもない。
「びしょびしょのまんま行くん?」
「一旦盧笙ンち寄って、シャワーしてから行こ」
「はぁ。なんのこっちゃかわからへんな……
「しゃあない。正樹さんかて神さんやないんやから」
 簓の切り替えは早かった。空の顔色を見抜けなかった気象予報士を許し、今にもこの滝の中へ飛び込んでいく勢いだ。心なしか、この状況を楽しんでいるようにも見える。
「さっ! 行くで!」
 擦りガラスの戸がガラガラと音を立てた。盧笙は簓に手を引かれ、そのまま走るしかない。傘も差さずにずぶ濡れになるなんて、なんだかいけないことをしているようで、盧笙の胸は高鳴った。
 途中、側溝を流れる鮮やかな橙の粒とすれ違った。来る時は甘ったるい香りに顔を顰めていたのに、いまは水に溶けてもうわからない。この雨に落ちて散った花が、盧笙には少々不憫に思えた。

 足を滑らせながら、二人は狭い脱衣所に駆け込む。年々残暑が厳しくなっていても、濡れたままでいると体が冷えた。張り付くシャツを脱ぎ捨て、我先にとシャワーを取り合う。「俺の家やぞ!」という叫びも虚しく、盧笙は湯船に追いやられてしまった。もちろん湯は張られていない。申し訳程度に時々浴びせられる温かい飛沫が腹立たしい。
 暇を持て余した盧笙は、何気なしに簓の体を観察した。骨と皮、とまではいかないが、痩せている。掴み合いの喧嘩になったとしても確実に勝てる、と盧笙は思った。とにかく胸板も尻も、どこもかしこも、薄いのだ。
「お前毛ぇ薄いなあ」
 考えていたことが、そのまま口から出た。ジロジロ見ていたことがバレてしまうのは居心地が悪い。
「薄いんちゃうねん、細いねん。ちゅうかお前が濃すぎるんちゃう?」
 簓が湯船を覗き込み、盧笙の、主に下半身をまじまじと見た。さすがの盧笙も慌てて体をたたみ、急所を隠す。いくら男同士、気心知れた相方といえども、恥ずかしいものは恥ずかしい。
「普通やろ別に……!」
「えーそうなん? ほんなら俺、将来ハゲてまうんかなあ」
「親父さんはどうなん?」
「あーそやなあ。ンなじぃっと見たことないけど、まあハゲては、ない、いやどうやろー?」
 簓はシャンプー後の濡れた髪を後ろに撫でつけ、鏡を見た。盧笙にとってあまり見慣れない簓の額には利発さが窺える。悪くないな、と盧笙は湯船の縁に頬杖をついて眺めた。
「お前ハゲても大して変わらんやろ」
「それあんま嬉しないな」
「俺みたいなんがいってまうんがいっちゃんやばいねん」
「ヘェヘェ。男前は苦労しまんな」
「お前も別にブサイクちゃうやろー」
 下唇を突き出す簓に、盧笙は思ったままのことを伝えることにした。簓は褒めて伸びるタイプの男だと踏んでいる。相方の芸以外を伸ばすことが誰にとっての得になるのかは、この際考えないことにした。
「俺は好きやで。そのさっぱりした顔」
……それ、子供ンときに近所のおばちゃんが気ぃつこて言うてきたセリフと一緒やわ」
 簓は不貞腐れているようで、実のところ少し照れているのかも知れなかった。しっかり洗い流した髪に、もう一度シャワーを浴びせたあたりが怪しい。盧笙はしばらく謎の優越感に浸っていたが、合コンのことをすっかり忘れていたことに気がついた。
「ちゅうかいま何時?」
「えー? もう間に合わんやろー」
 明らかに手持ち無沙汰だった簓が、適当に見つけた剃刀を手に取り顎に当てた。少年のようにつるりとしたそこを、安い三枚刃が空振りしていく。
「おいおい、呑気に無い髭剃ってる場合か! この数分で生えるわけないやろ! お前みたいなモンが!」
「もうええんちゃーん? どうせ数合わせやし」
「約束は約束や!」
「まあ実を言うと、さっき代打頼んでんけどなあ」
 カラン、と剃刀が洗面器に放り込まれた。簓はいたずらが成功したような顔を向けてくる。その表情を見る限りでは、髭を気にすることや、ましてや合コンで相手を見つけることなど、まだ必要が無さそうに思えた。
「俺と、お前と、二人分な!」
「勝手になにを——
 盧笙の抗議を遮って、簓は「だって俺、お前とネタ合わせしたいねんもん」とむくれた。そう言われてしまえば、盧笙も「せやな」と一度浮かせた腰を下ろすほかなかった。
「ちゅうことで、俺はしっかりトリートメントでもさせてもらいますわあ!」
「いやなんでやねん! ネタ合わせしたいんちゃうんかい!」
 浴室に簓の調子の良い笑い声が響く。シャワーの権利はいまだ家主の盧笙に戻る気配はなさそうだ。いい加減、小さな空間に長い脚が煩わしい。
「絶対めっちゃ売れて、でかい風呂ある部屋住んだるからな……
 限りなく野望に近い希望を胸に、盧笙は空っぽの湯船の中で簓の気が済むのを待ちつづけるのだった。