racmon
2024-05-30 18:47:36
30891文字
Public
 

既刊『阿吽の呼吸』全文web再録

「コンビ時代の2人、ささろ未満」
3年前に出した本のほぼ全文web再録です。
まだとらさんに在庫はありますが、かなり経つので投稿します。
これをお読みいただいて気になったかたは、本の方もよろしくお願いします!

2025.2.6 追記
最後のところまで全文載せました。
ヒプムビ公開おめでとう!ささろをよろしくお願いします!



  ◇  ◇  ◇


「おっちゃん! たこせん!」
 タンッと踏み出した簓のこめかみから汗が散る。盧笙はまだ少し慣れないレンズ越しにそのきらめきを眺めた。
 じゃんけんの敗者は花壇に腰掛け優雅に脚を組み替える。男気を見せられずに非常に残念だ、と盧笙は腹の虫を宥めた。ちなみに勝負の言い出しっぺは簓だった。
「おっちゃんはたこせんやないぞー」
「あはは! 『センセートイレ』のやつや!」
 ここのたこ焼き屋へ来るのは今日でたった二度目のはずだが、簓は店主と大層親しげだ。それでも盧笙は特別驚きはしない。簓はいわゆる『そういう奴』なのだ。
「はい! おまちどーさん!」
 簓の声が頭の上から降ってくる。盧笙は差し出されたたこせんより、簓の左手にあるかき氷が気になった。緑色のシロップがかかっただけの素朴なそれが途端に羨ましく思えてくる。
「なんやお前かき氷にしたん」
「うん、暑いねんもん」
 確かに、と盧笙は自身の戦利品を見た。煎餅に挟まったたこ焼きから上がるほんのりと暖かい湯気。盧笙は「あとで一口やるわ」という優しさを建前に、お返しのかき氷を堪能するつもりで自分を納得させた。
「ろしょろしょ。『先生はトイレじゃないゾ』ってさ、あれほんまに言うやつおるんかな?」
「さあ? 俺は聞いたことないな」
 簓は店主との会話が引っかかっていたのだろう。注文して商品を受け取り、ここへ戻るまでずっと考えていたのかと思うと、盧笙はなんだか可笑しかった。堪えきれずふくみ笑いすると、簓は「なにわろてん」と口を尖らせた。簓は自分が狙って発言したこと以外で盧笙が笑うと、大抵は不思議そうな顔をする。
「ほんならろしょはさ、センセとオカン呼び間違えたことある?」
「ないなあ」
「俺もなーい」
「ないんかい」
「ほなセンセートイレも漫画だけの話?」
「そうちゃう? もう知る由もないけどな」
「俺らもう大人手前やもんなあ」
 意外だな、と盧笙はほんの少し驚いた。簓が、成人することを『大人になる』と表現するとは思わなかった。緑に染まった舌をベェと出す簓に「見せていらんわ」と言うと「そこソース付いてんで」と口元を指される。こんな大人がいてたまるか、と盧笙は拭った親指をぺろりと舐めた。
「センセー! バナナはおやつに入りますか!」
 簓が体を弾ませた。爛々とした瞳で目配せされる。ぶつかる腕からワクワクが伝染して、全身に行き渡る。すぅと息を吸い、盧笙は正面に向き直った。
——えー、そこは個人の判断に任せます」
「センセー! ボクがもし猿だった場合、主食もおやつもバナナになるのですが?」
「ですが? やないねん。それは仮定から間違っているので大丈夫です」
「センセー! ハバナはキューバの首都ですか?」
「そうでーす」
「センセー! ナバナの里は最高のデートスポットだと思われますか?」
「先生には彼女がいないのでわかりません。ってなに言わすねん!」
「センセー! バナナと言ったら?」
「実! 芭! 蕉! いや誰がマジカルバナナせえ言うてん!」
 即興のわりには気持ちの良い出来だったと、盧笙は鼻を鳴らした。「いやミバショーてなにぃ?」と目尻を拭う簓もやけに楽しそうだ。
「お前なんかええことあったん?」
「へぇ? なんでぇ?」
「縦揺れやばいでさっきから」
「うぇ、無意識。盧笙と買い食い楽しいからかなぁ?」
……殊勝なこと言うてからに」
 幼児退行気味の簓の言動が、盧笙の心へどっさりと積もっていく。いつもより高い声のおしゃべりはまだまだ止まる気配はない。
「せやねん! 俺、シュショーやねん! この国を笑いで変えてみせんねん!」
「その首相ちゃうけどな」
「あぁ、なんてこと! この人、笑い過ぎでぽっくり逝ってしまったわ!」
「それはご愁傷」
 盧笙はほとんど子供を相手するように簓へ打ち返していた。一瞬の沈黙の後、ふいに肩を抱かれて咄嗟に簓を振り返る。流れるように顎を掬われたかと思えば、目の前に見えた瞼は確実に閉じ、唇が迫る。一連のモーションを受け、盧笙の頭脳が唸りを上げた。
……いやそれは『チューしよう』や!」
「ようわかったな!」
 簓はパッと両方の手のひらを見せた。まあな、と盧笙はふんぞり返る。——もし、今のボケにツッコまなかったとしたら。観客もいないのに相方とキスをしたって面白くないな、と盧笙はいたって冷静に考えた。
「ろしょ、一口いらんの?」
 散々好き勝手にボケ倒していた簓がスチロールカップを押し付けてくる。そこから伝わる温度はもうすっかり生ぬるくなっていた。
「お前もうこれシャバシャバやんけ!」
「盧笙もたこ焼き全部食うてるやん! 湿気ってキシキシの煎餅だけやん!」
 福があるはずと信じた残り物に、二人は不満を剥き出した。そこへ聞こえてきたのは「ほなおっちゃん奢ったろ!」という鶴の一声。カウンターから身を乗り出した店主が手招きをしている。
 「盧笙! 行こ!」と簓が腕を引いた。食い意地が張っているせいか、その力は見かけより強くて、盧笙は前へつんのめった。
「そンかわり、条件があるぞー」
 丸い頬を持ち上げて、店主が人差し指を立てた。もったいぶるように、簓と盧笙を交互に見る。
「自分ら将来、俺の店のCMに出ぇ!」
 無賃で労働を課せられるくらいだろうというのが二人の予想だった。見合わせた顔は困惑と照れが入り混じっている。すると簓がニッと歯を見せた。盧笙はそれに頷いてみせた。
「ほんなら、尚更いまは遠慮しときます」
 背筋を伸ばして目線が高くなった二人に、店主はぽかんと口を開いたままになっている。
「俺らがそンくらい有名なったら、そんときにまた食わしてください」
 盧笙の言葉に補足した簓はいつのまにかタメ口をきくこともなく、真摯に答えていた。そうかと思えば「ほなね!」とまた人懐っこく笑顔を見せる。
 明日もまた、板の上で歓声を浴びることになるだろう。冷たいかき氷と温かいたこせんにまた一歩、着実に近づいていくのだ。それまではぬるいシロップと噛み切りにくい煎餅で胃を満たす。今の二人にとっては、これくらいの幸福がちょうど良い塩梅だ。