戌丸アット
2022-05-29 23:52:24
38106文字
Public Fate
 

その肌へ口づけを

槍弓



「おや?エミヤ君、君に何かいい事でもあったかい?」
「え?いや、まぁ……はい、少し」
「はは、当たったようで何より!」

目の前の自分の事のように喜ぶ男性は見惚れる様になっているのを理解しているようにカップに口を付ける。
この嫌味な程、爽やかに見える男はアーチャーことエミヤの上司に当たり、名はダビデ。
エミヤの所属している警視庁組織犯罪対策部組織犯罪対策三課の課長に位置する人物だ。
どうやら日頃の生活にも影響が出る程にランサーには悩まされているのだとエミヤは漸く自覚させられる。
そこに話を聞いていた同僚のロビンが嫌味にも聞こえる言葉を言うが、エミヤからすれば挨拶と変わりない。
すぐに弱味を隠さねば犯罪者につけ込まれる。
そんな失態はランサーだけで十分なのだから。

「へぇ、容疑者確保しても喜ばないアンタが喜ぶなんてな」
「容疑者はあくまで容疑者なのだから気を抜かないのは当然だ。冤罪であってはならないんだぞ」
「あーはいはい。そりゃ勿論ですがね?今はアンタが珍しく喜んでる事の方が重要でしょうが」
「おぉ、それは確かに僕も気になるなぁ!一体どんな事があったんだい?」

ひくり、と顔が硬くなったのは気のせいではないだろう。
そもそも良いことがあったのか?と聞いてきたのもダビデだ。
昨日は愛しいランサーに抱かれてきました。でも少し寂しいんです、など言える訳が無い。
ましてや曲者揃い、強者揃いのメンバーの二人だ。
エミヤが何かしらの悩みを抱えている事などお見通しだろう。
ならば答えは決まっている。

「別に大した事じゃない。単に気になっていた……近所の犬が少し懐いてくれたのを思い出していただけだ」

否定すれば追求は逃れられないのは目に見えているので比喩をすることで避ける他はない。
と言うか、内心は大いに動揺しているエミヤは誤魔化す方法しか思いつかなかった。
すると幸か不幸か、二人は見事に誤魔化されてくれた事でエミヤは普段通りのペースを取り戻したかに見えた。

「なんすかそれ、意外すぎでしょ!アンタ今以上にモテる気ですか!?」
「む、何故そうなる……
「エミヤ君が気になる程の犬かぁ……ふむ、どんなワンちゃんなんだい?」

まさかのキラキラと瞳を輝かせ、かなり興味津々のダビデにエミヤは少々驚きつつ、ランサーの事を思い浮かべる為に瞳を閉じた。
語るに落ちている、などとは気付かずに。

「そうだな。まず見た目は毛並みが美しく顔立ちも精悍で男前だ。性格も人懐っこくはあるが人に従わされる程に心許している訳ではないから遊んでいても甘噛みして抗議してきたりする。またそこが可愛いがね。それに心許して来なくとも、あの子にはちゃんと帰るべき場所があり、私は一時的な遊び相手に過ぎないから寂しくはあるが私はそれで構わない。寧ろ当然だとも言える。実に聡明な子だよ」

語られていく程に空気が変わる事に気付いていないエミヤは熱弁を披露した。
ロビンは右目を隠していても分かる美丈夫を驚きで顔を強ばらせ、ダビデは普段は崩さない笑顔を珍しくきょとんとさせている。
語り終えたエミヤからすれば普通に話したつもりなのだが、聞いた方からすればエミヤがどれだけ件の犬へ愛情を注いでいるのか分かりやすい内容であった。

「と、彼の特徴はこんな所……ど、どうした?二人とも」
「いや、意外なもん見たら誰でも固まるでしょ」
「意外とは?私とて動物を愛でるくらいする」

愛でるレベル超えてるでしょ!?と何故か青筋すら立てて怒りそうなロビンにエミヤは小首を傾げずにはいられない。
エミヤにとっては、あくまでもランサーを犬に例えて褒めてみただけである。
ロビンの逆ギレのような事態に小首を傾げている中、考え事をしていたらしいダビデがスッキリとした表情で、漫画のように手のひらに片手を置いてポンッと音が付きそうな動きをしたので結論が出たのだと分かり易く示した。
正直、ダビデは仕事は出来るがエミヤから見ても人間性に問題がある場合が多いので発言して欲しくない事もある。
だが、そんな事は上司であり、自由な振る舞いのダビデには通じる筈もない。

「あぁ、そうか」
「え、なんすか突然、閃いたみたいに」
「エミヤ君の様子さ。なにかに似てると思ったら恋する少女のようだと思ってねぇ」
「ぶぼっ!!?!?」
「はぁあ!!?!?」

あぁ、分かってスッキリしたよ、と満面の笑顔を浮かべて自分の机へと戻って行くダビデに、ロビンは怪訝そうな表情や渋く険しい表情の部類を作らずにはいられない。
三課きって、警視庁きっての冷徹な印象しかない褐色の男が恋する乙女?
お笑いのネタにもならないでしょ、と否定する所なのだろうが流石のロビンも飲み込まざる負えない。
何しろアーチャーの様子は以前より明らかに変わっていたのだ。
一見すると以前通りなのだが、ふっとした瞬間に携帯を見る事が増え、目的の通知が来たと思われると明らかに緊張と僅かな喜びを表している。
そして極めつけは、通知の翌日や休暇の翌日に見かけるシャツの襟の下のキスマーク。
隣の席であるロビンからしたら、たまったものではない。
何故、仲がそれほど良くない同僚の見たくもない情欲の証に気付いてしまったのか。
しかも付けているエミヤは気づかないが周りの人間からは見える位置なのだ。
などと刑事として培ってきてしまったが故の気付いた事実に深い溜め息が出る。
所謂、ダビデの言葉は注意なのだろう。
恋愛は自由だが程々に、と言うのをダビデなりの言い方でアーチャーに伝えたに過ぎない。
寧ろダビデが指摘する程にアーチャーの様子は平常時とは明らかに異なっているのはロビンも感じていた事だ。
そしてアーチャーことエミヤが悪い方へと考え込むのも分かっていそうだと言うのに、あの上司は……と考えるとロビンは頭が痛くて堪らない。

あぁ、ほら。
真っ青になって几帳面な彼らしくもなく書類を拾いもせずに席を外してしまったではないか。

「ちょっと、あまり虐めると面倒なんで止めてくれませんかねぇ?」
「おやおや、そんなつもりはなかったんだけどな」
「はっ、よく言いますよ……ったくアフターケアも上司の仕事ですよー!」
「むぅ、しょうがないね」

あぁ、言葉とは裏腹に隠しもせずスキップで堂々とサボらないで下さい。
本当に三課には仕事をまともにする奴はいないのかとロビンは、机に頭を預けずには居られなかった。



トイレへと駆け込んだエミヤは己に対して失望の顔を隠しもせずに洗面台に両手をつく。
エミヤは元来、仕事に私情は持ち込まない事を徹底していた。
何故ならば自分は感情に流されやすいと自覚していたからだ。
簡単に激昂などしては任務に支障が出てしまうだろうと予想出来た。
だと言うのにランサーと関係を持ったあの日からエミヤの脳裏に絡みついて身体に触れられた箇所から絡みついた青い糸で緩くだが確実に絞められている気さえしてくる。

「しかし、それでも俺は彼から……っ!?」

彼から離れたくない。
無意識に呟きかけた言葉を遮るように、わざと靴音は響き渡るようにしているのか。
それとも高くて性能の良い靴を自慢しているのか。
本人以外には分からぬ本心をエミヤは探る暇もなく、ダビデは現れた。
だがエミヤは現れた上司を何ら不思議に思わない。
何故なら彼は態度など巫山戯ており、マイペースだが仕事の腕は班のメンバーだけではなく公安内でも選りすぐりに位置している人物である。
エミヤ自身でさえ自覚する程の普段とは違った様子なのだから何かしらの確認をしてくるのは班長であるなら当然だと考えていたのだ。
が、それは立派な人格者であれば……と言う事をエミヤは失念している。

「大丈夫かい?エミヤ君」
「あ課長。はい、問題はありません」
「うんうん。あ、ところでエミヤ君、もしかして彼女できたのかい?僕にも紹介して欲しいなぁ」
「は!?え、恋人など……作っていません」

まさか彼女を作ったのなら女性を紹介して欲しいまで飛躍するとは思っていなかったエミヤは絶句しかけたが、逆に本来の調子を取り戻す事に成功すると事実を伝えた。
ランサーには脅されて何故か身体を求められているのだ。
言い方を換えた所でセフレがマシな表現だろう。
エミヤは己の想いを無視して言い訳にも似た事実を頭の中で整理する。
だがダビデがエミヤの言い分、否、誰かの言い分を根拠も無く、信じる程のお人好しではないことは説明したばかりだ。
牧羊犬を操る羊飼いの如く、遠回しだろうと言葉、仕草、時には人すら操る事で哀れな羊を追い詰める術は誰よりも長けている。

「ふぅん、なら仕方ないね。あ、そういえば君のお気に入りの犬君は何が好きな物はあるのかい?」
「え……
「いやね、私の息子の誕生日が近いのだけどサプライズしようにもあの子の好きな物が分からない有様でね……言葉の通じない犬君の好物を知ってるエミヤ君なら何か良いアドバイスくれそうだと思ったんだけど」
「好きな…………彼の
「うん、好きなもの」

ダビデの言葉を素直に聞き入れたエミヤは顎に手を当てながら内心かなり動揺しており、刑事としてベテランであるダビデでなくとも見れば分かりやすい有様であった。
まず相手の性別は男性だ。
そして動物ではなく人なのは勿論、エミヤと話題の人物は明らかにただの同性の友人関係ではない。
また何より人物を語った時のエミヤの様子は分かりやすく機嫌が良いにも関わらず、指摘されると激しく動揺して席を立った。
あからさまな動揺を隠せぬ程の理由が話題の人物との間にあるのだ。
何より決定的なのはエミヤの首筋にある赤い痕。
ダビデからすれば以上の情報が集まれば対応を考える方が早い。
さてエミヤに後一歩で吐かせてしまおうか、と思案を巡らせようとしてダビデは踏みとどまった。
エミヤはすっかり普段の仕事一筋の男に戻っていたからだ。

「班長、私は生憎と彼……仲良くしている犬の事は帰宅などの些細な合間での愛瀬なのでね。貴方の望む答えは持ち合わせていないですよ」
「おやおや、これはまた」
「他に何か。あぁ、ご子息にはとりあえず流行っているキャラクターの文房具などにしてみては?もっとも貴方が人の意見を取り入れるとは思えませんが……兎も角、私は仕事に戻ります」

何処か早口にも感じる無機質ですっかり仕事モードなアーチャーの態度にダビデは自身は一手だが確実に間違ってしまったと感じつつ、寂しい背中を見送った。
あぁ、彼は何も知らないのだ。
少なくとも、おいそれと口には出来ぬ関係の人間についてならば、ある程度の親しさの証である情報を持っているものだがアーチャーに、その情報は持ち合わせていなかった。
この事実でアーチャーはセフレのように小手先での親しさの不要な関係だと言う事だけは理解できた。
あんなにもアーチャーは話題の人物を求めていながら求める言葉すら告げもしていないのか、とダビデは呆れて自然と出ていた溜め息を最後に、アーチャーについては見守る事にすると決めて仕事をする為にダビデもトイレを後にした。