戌丸アット
2022-05-29 23:52:24
38106文字
Public Fate
 

その肌へ口づけを

槍弓



学生やフリーターが住んでいそうな安いアパートの一室の真ん中でランサーは携帯の無料通信アプリ内の連絡先にある”アーチャー”と言う欄の上で己の彷徨う指に嫌気が差していた。
あまりにもアプローチどころの話ではない有様に今まで去る者追わずのスタイルであったランサーにとって連絡を迷うなど未知の体験なのだ。
自分らしからぬ状態に携帯をベッドに放り投げながら背中を預けるように倒れ込む。
すると見計らったように震え出した携帯に思わず起き上がり確認せずにはいられなかった。
しかし想い人から掛かって来る事はなく、連絡してきたのは仲良くしている後輩だった。
落ち込む気持ちを抑えてランサーは電話にとりあえず出ることにする。
可愛い後輩を無下にはできない。

『もしもし、ディルムッドです』
「おう……どうした?ディル」
『あ、あれ?間が悪かったでしょうか?』
「ん?あー気にすんなよ。それより夜中に連絡なんて珍しいな」
『あ、はい!実は……

夜も深まり、深夜と呼ばれる時間帯に礼儀正しい後輩から連絡がくるのは、かなり珍しいとランサーは記憶している。
異常なモテ方をする後輩の身に何か起こったのではないか、と身構えるが気遣いのできる後輩ディルはすぐに説明をしてきた事で強張った身体は緊張から解かれていく。
掻い摘んで説明されてみると、なんてことはない。
部の専属トレーナーであるバゼットが酔っ払った事でランサーに連絡を入れて呼び出せ!弛んでる!と騒ぎ出してしまったらしく。
話している現在もディルを見つめて、否、睨んでいるらしくランサーが来るまで現場に居る部員を返すつもりはないようだから来て欲しいと言う電話だった。

「あー分かった分かった。とりあえず行くからアンリのクソガキに連絡しとけ」
『え?彼、未成年じゃ……
「金持ちなんだから運転手や責任者くらい付き添って来るだろ。良いからしとけ、バゼットの解除パス言うぞ」
『分かりました。ってバゼットさんの携帯ですか?大丈夫かな……

何やら不安を抱いているらしいディルムッドに苦笑いを浮かべながらランサーは慌ただしくバイクのヘルメットや鍵、財布の最低限の物を持って家を飛び出すように玄関を開けた。
ランサーは中々連絡の取れなくなったアーチャーの事を半ば思い、八つ当たりしている事を自覚して尚、意気地のない己に向けるようにランサーはバイクのストッパーを蹴った。



そして見た物は案の定、アンリの呆れ顔とそんな彼氏に膝枕されるバゼットの姿である。
ランサーとアンリは過去に何度かバゼットに振り回された挙句に右ストレートをお見舞いされたのは、いつ頃だったろうかと意識を逸らす。
最早アンリはバゼットの番号から聞こえてくる男の声にはヤキモチも焼けなくなっている状態であり、ランサーとも顔を合わせるのは今月に入って三回目だろうか、四回目だろうかと数えるのも面倒になっている。

「遅いぜー王子様」
「こいつの王子はお前だろうが」
「今はねー」
「ったく、八つ当たりしてくんなよ」

八つ当たりはどっちだよ、と独特の拗ねた少年声に皺を深くしつつ不機嫌な自分を心配しているディルを筆頭に後輩部員が怯えているのを見ては出した煙草も苛立つ自分も握り潰して切り替える。
と言っても流石にすぐに切り替えられずもなく、バツが悪そうに頭を掻いて明るくなっていくランサーに対し、見るからに安心し始める部員をアンリは鼻で笑う。
アンリにとって、つくづく覚めたお湯のように気分の冷める光景に思えるからだ。
どれだけ明るく振る舞っていようと有象無象と分かり合える筈のない化物は恐怖しか与えることは出来ない。
あの鮮やかな青に隠された赤い瞳のようにランサーの背景にあるのは血と戦いの匂いしかないのをこの町に住んでいる者たちが察することは難しいだろう。
だが、そんな男がどうしてぬるま湯のような冬木市に来たのか、そこに興味はあるのでアンリはニヤリと口角を上げてバゼットの美しい黒みががった真紅の髪をサラサラと撫でる。
もう片方の空いた手で片っ端から断られている迎えを嫌味もかねてアンリは従兄弟の名前をタップした。
普通に迎えに来い、では足りない。
良い物がある、では釣られない。
なら一番、彼が触れられたくない事で呼ぼうではないか。

『なぁ、迎えにきてくれよ。きっとアンタ好みの男が居るからさ、アーチャー』

あぁ、すぐに付いた既読に笑いが堪えきれない。
怒るだろうか?
困るだろうか?
無視するかも?
いいや、きっとアーチャーは未成年である自分に一言でも文句を言う為に迎えに来るだろう。
そんな分かりやすく幼い筈の自分よりもウブで救いようがないアーチャーに笑いが浮かび、止まらない。
盛り上がる場にノッたと思われたらしいのでジュースや料理を小皿に積まれる様子は、まるで王様になった気分になってくる。
あぁ、楽しい。
アーチャーがどんな顔をして来るのかも。
人のフリをするランサーも。
何も知らない部員たちも。
皆みんな可笑しくて堪らないのだから仕方ない。
なんとか可愛い可愛いバゼットの睡眠を楽しく守ろうではない。