戌丸アット
2022-05-29 23:52:24
38106文字
Public Fate
 

その肌へ口づけを

槍弓



光沢感のあるスーツを着ている男性にクーフーリンは拝み倒されていた。
男はカウンター席に座っているが机に頭を擦りつけ、頭を下げている。
バイト先なので目立つ事はやめて欲しい所なのだが男は顔を上げない。

「頼むよ、ランサー君!1日だけで良いんだ!」
「頼むって言ったってよ……その店、同性向けの風俗じゃねぇか」

ランサーと言う愛称で呼ばれる程に世話になっている人間であったが、ランサーことクーフーリンは日本に移住してきて6年、体育系の大学の3年生であった。
故に風俗関連へのアルバイトなどは入学している大学から固く禁止されている。
だがしかし断る頑なな態度とは裏腹にランサーの気持ち自体は揺れていた。
彼はアルバイトを掛け持ちしているのだがランサーは愛称の通り槍投げの選手である為に大会などに出場した月などは金銭不足に悩まされるのだ。

「うぅ……やっぱり駄目かな?」

拝むような体勢のまま、チラリとランサーを見るように見て再度、尋ねてくる。
この男も結構な位置の人間などでずっとカウンター席の机に頭を擦り付けさせている訳にはいかない。
何より今のランサーは食費の事を考えると選り好みをしていられる程、悠長な事はしていられなかった。

「あー……本当に1日だけなんなら良いぜ、条件付きでな」
「条件?」
「1日限定でスタッフの仕事のみだ、それなら受けても良い」
「本当かい!?それでも構わない!助かるよー!」

スタッフの仕事であればギリギリセーフのラインだろう、と何処か自分に言い聞かせるような事を考えながら男性と打ち合わせをして日時を決める。
要約すると1人のスタッフの都合により1日休みを許可したらしいのだが誤って他のスタッフの人数が足りない状態になっていた。
だからランサーの手伝いも1日だけと言う事でまかり通ったようだった。

そして予定を組んだ当日、予想外に苦労した。
ランサーの短期アルバイトは飲食店が多いので接客になるだろうと思っていたが学生と言う事を考えたのか与えられる仕事は掃除などの雑務だったのだが、これが精神的に辛いものがあった。
その理由はドアごしに稀に聞こえる声であったり、帰る客からのセクハラであったり、掃除中に見つけるゴムなどであった。
同性愛者に対して思う所は別にないランサーであったが生々しい所を見ると正直、困惑してしまう。

「はぁ……

だからこそ許された休憩中の煙草の一服が身体中に染み渡るような感覚に陥る。
しかし店が狭い為に客も利用する喫煙室で吸うように言われた為に客と思わしき、褐色肌の身なりの良い男が入ってきた。
店員の服を着ているのでマズイ!と頭で瞬間的に考えたが、休憩中なのでやましい事は無い。
何より店長からもお客さんは慣れているからお誘いだけ気をつければ良いよ、と言われ引き攣った顔で頷いた事を思い出し、喫煙室の隅っこへと移動して褐色肌の男を盗み見た。
ランサーは褐色肌の男が少々、気になったのだ。
何故なら普通は喫煙室に入ってきたら、すぐさま煙草に火を付けるものだが、男は一向に煙草を取り出さなかったのだから。

「あの……お客さん煙草ないんすか?」

気付けば、よせば良いのにランサーは男に声をかけていた。
今、思い返すとランサーは声をかけてしまいたくなる程には気になっていたのかもしれない。
一瞬、合った灰色とも銀色とも言える大きな瞳を少し見開いたかと思うと男は、すぐに納得したように視線を背けて腕組みをし直す。

「え?あぁ、煙草は吸わないので……
「は?」

男の言葉に思わず、灰を落としていた手が止まり、ランサーは顔を向ける。
煙草を吸わないのに何故、喫煙室に入ってきたのか分からない。

「はぁ、店員のようだし君ならば良いか……店に入ったは良いものの利用する勇気が無くてね。此処に逃げ込んで来たんだ」
「なるほど、キャストに問題はあったとか?」
「いいや、問題は私にあるから……
「お客さんに?」

どうやら初めて店を利用するらしい男に恥じらいでもあるのだろうか、と何処か他人事のように考えていたがムクムクと好奇心が湧いてくる。
問題は自分にあると言った男の顔は自覚しているとは言い難いであろう灰色の瞳を揺らめかせて、儚げな表情をしていたのだから。
こんな色っぽい表情が男でも出来るのか、と思わずランサーは瞳を奪われた。
性別など関係なく、あんな表情をした、この男の表情を掻き乱したい。
様々な表情を見てみたいと思わせる魅力がその男にはあった。
しかしランサーとて性欲に対して経験不足な訳ではない。
少々、相手が男である事に動揺を隠しきれそうにないが、むしろそれだけである。
何も手を出そうなどとは思わない。
きっとこの場所の空気にでも当てられたのだろうと思い、湧き上がった感情を消化しようと短くなった煙草を口に運ぶ。
なのだが人間と言う者は好奇心の塊。
深入りしてはならないと頭では理解しつつも思わず問いかけるような言葉をランサーは発していた。

「お客さんにどんな問題があるんです?俺にはいい男に見えます。普通にこの界隈の奴らにモテそうだ」
「それは……褒め言葉なのだろうか?」
「えっ?あーいや、そこは深く考えないで下さい……

ランサーも内心は確かに褒め言葉ではないな、と思いつつも男の反応に乾いた笑みをせずにはいられない。
この店は男の同性愛者向けの店にも関わらず、それに関する下世話な話に茶化す事や流すどころか困惑したような表情で悩む姿は似合わない。
明らかに男の反応は少々同性愛者に対して寛容なノーマルの男性に感じられたからだ。

「君は同性愛者なのか?」
「あぁ、いいえ。俺はノーマルですよ」
「そうか……なら聞くのだが友人などの同性に対して執着した事はあるか?」
「は?いや……別に。てか考えた事もないなぁ」

内心は今さっき、人生で初めて同性である貴方にやましい気持ちが湧きました。
と考えたが、言える訳がないのでランサーは答えになっていないような返答をする。
だが男は話しているだけでも違うのか、少し困ったような表情で、そうかと微笑むだけだ。
煙草は吸わないと言った男に煙や匂いはキツくないのだろうかと言う現実逃避まがいの考えが過ぎりながらもランサーは、この場を離れ難く思っていた。
正直、この褐色の男への興味が無くならないのだ。

「その様子だと大方、同性の友人とかに惚れたって所ですか?」
……少し違う、がな」
「ふーん……ま、どちみち、この店に来ても無駄かも。そういうのは男だからとかじゃなくて、その相手だったから良いと思います」
「そう……なのだろうか?」
「まぁ、それは自分で考えてみては?んじゃあ、お客さん、俺は休憩終わりなんで失礼します。良ければ店を使って下さい」

話を聞いている限りだと好きになったら男だった、とも言えるだろうなと何処か他人事なせいか、いい加減な見解をしつつランサーは暗い顔で思い悩む男を背に立ち去ろうとした。
無論、ランサーとしては興味を持った相手と話していたいが休憩にも終わりの時間がある。
そろそろ仕事場に戻らねばならない、と煙草の火を消して立ち去ろうとしたが。
突然、男にランサーは片腕の手首を掴まれて驚く羽目になった。
特に恐怖心はなかったが男に対して大人しい印象を受けていたので、まさかこんな行動を取ってくるとは思わなかったのだ。
そしてランサーは次に発せられた言葉に更に驚いた。

「君を……選ぶ事は出来ないのだろうか?」
「は?」

ランサーは今回のアルバイトで幾度となく指名できないか誘われていた。
しかしまさか目の前の己は、ノーマルかアブノーマルなのか悩んでいる男からも指名をされるとは思っていなかったランサーは驚きを隠せず間抜けな顔を晒していると分かっていても動揺を隠しきれなかった。
と言うか見るからにスタッフでしかない自分を選ぶのは産まれたての雛のように思えたのだ。
つまり話を聞いたランサーに対して少し湧いた親しみなどから選んだと思えた。
だが、これも何かの縁ではないだろうかともランサーは思う。
だからランサーは掴んできた震える男の手を取って手首から離すと、その手の甲へ口づけを落とした。

「な、にを!?」
「俺はキャストじゃない。ただあと一時間で仕事が終わる。お客さんの……アンタの気が変わらないと言うのなら一時間後、この店の玄関先で待ってな。俺がアンタの相手をしよう」
「なっ!!!」

手首を掴んででも引き止めてきたがランサーの行動や言葉は予想外だったのだろう。
目を丸くさせ、ランサーの手が離れても腕を上げたまま固まってしまっていたので、ランサーは小さくほくそ笑みながら喫煙室を後にした。
男が相手なのは初めての出来事だがランサーと言う男は、そんな事で怖じ気づくような質ではなかった。