外伝 硝子の窓辺に佇む【後編】

あらすじ
かつてこの国には名探偵がいた。あらゆる謎を解き明かしたその探偵は、悪の教典と共に暗い滝壺で眠っている。
舞台は英国。不可思議な事件を巡る、残された者の物語__。
エマ=ジェームズ・ワトソンの元に奇妙な殺人事件の解決依頼が持ち込まれる。貴族家の女性が窓辺に佇むようにして死んでいたという奇妙な状況。さらにその事件には『魔女の絵画』という神秘の遺物が関わっている__。依頼の手紙にはそのような文面があった。依頼を受けたワトソンはシャルルマーニュと共に事件の捜査へ向かうが……?

スペシャルサンクス
Littorio様: エストレア・アマネセール様、トゥリウンファル・アル・アマネセール様、アドレナリーナ・アマネセール様をお貸しいただきました。
快くお貸しくださり、物語をだいぶ好き勝手に書かせて頂き本当にありがとうございました。
笋様: 『鳥の一族』の一族名をお借り致しました。事後報告となってしまい申し訳ありません。
読者の皆様: いつも感想をありがとうございます。本当に励みになっています。

中編➤ https://privatter.me/page/65b902c57d32f
前編➤ https://privatter.me/page/65afd8e7e75d5

ついに【後編】です。ここまでお付き合いいただきありがとうございました!!!! もうしばらくミステリーはいい!!!! 禿げる!!!!!!


***



「このまま事件を解決できなければ__私はここから出られなくなる。加えてこの『魔女の絵画』は秘匿封印処理がなされると予想している」
「うん、想像以上に不味い状況だな。しかもこの扉を開けると」ホームズはそう言って221Bの玄関を開いた。その先は断崖である。滝だった。221Bの玄関先がライヘンバッハの滝になっているのだ。
「なんだかパッチワークみたいね。本来有り得ない場所同士が繋がっている」メアリーはそう言ってハドソンさんの部屋に通じる扉を開けた。「これは……森だわ」
……シャルルマーニュが言った『森の絵』はこれの事か」

私は一度内部に上半身を突っ込んで確認する。森は昼のようだが、陽の光はおよそ全く入って来ず不気味な気配が全てを包み込んでいた。確かに魔女が棲んでいそうな空間である。

「全ての扉を開けよう」私は二人に提案した。絵画の中ではどうやら絵画によって投影された存在にしか魔術が使えないらしい。
「私は三階に行く。シャーロック、あんた二階の全部の扉開けてきて。ジョンは一階ね」
「よし。クローゼットまで開けてやろう」

ホームズは嬉々として二階へ扉を開けに行った。
私は先ず物置となっている奥の部屋を開ける。やはり他に取り込まれた者の過去を記録しているらしく、そこには美しい薔薇の庭園であったり、穏やかな食卓であったり、または恐ろしい拷問部屋のような場所だったり__一つとして同じような風景は存在しない。

「ホームズ! メアリー! 大きな窓のある風景があったら教えてくれ!」私は階下から上へ声を張って叫ぶ。
「あったわ!」

メアリーは上から身を乗り出して叫んだ。私とホームズは急いで上へ向かう。嘗てメアリーが使っていた部屋、今はシャルルマーニュが間借りしているその部屋の様子は全く異なっていた。
豪華絢爛な装飾が施された花瓶には紅い薔薇が活けられ、大きな窓からは燦燦と陽の光が降り注いでいる。床も壁同様に大理石で彩られ、天井にはシャンデリアが釣り下がり、今まで様々な邸宅へ依頼を受けて訪れたがそのどれよりも贅が凝らされている。つまりこの部屋はバッキンガム宮殿の内部を再現した空間ということになるだろう。
だがそうなるとデイム・ロディアの発見状況に疑問が残る。仮に彼女が絵画の内部で死んだというのなら、遺体が現実世界で回収されるようなことはないはず。それとも何かもっと別の要因があって現実へ放り出されたのか。

「実に興味深いな。君が言う通り、デイム・ロディアがこの絵画の中で死んだなら、ここに遺体が残りそうなものだがね。それともここは虚像の世界だから、殺人が起きると現実へ干渉するのか……?」
「私は何も言ってないが……まあ、いい。デイムは心臓を刺され、この窓辺に佇むようにして死んでいたらしい。ただ心臓を刺されていたにも関わらず、現場に血液は一滴も残っていなかった」
「血液が一滴も? そんな話があるの?」メアリーは窓を眺めながら言う。「確かに、こんな感じで寄りかかれば立ったままで発見される可能性はありそうだけど」

メアリーは少し飛び出た壁の隙間と窓枠に背中を当てている。現場の写真がないため詳しい状況が分からないが、アドレナリーナの手紙を考えるに、メアリーが立っているような状態で発見された可能性は大いにあるだろう。

……私が二人に絵画の中で会い、こうして他の記憶にアクセスできるのは多分、私がアンシーリーコートだからなのだろう。本来は取り込んだ対象が最も拘泥する過去を投影し、それによって対象をこの空間に繋ぎとめ__そして取り込む。これは置換魔術の一種だ」
「置換魔術だと? ワトソン。……それは、まさか」

ホームズとメアリーは思い至ることがあったのか顔を見合わせて頷いた。私は二人の様子を見ながら続ける。

……『金糸雀の涙』と同じだ。あの場合は魔術を用いて対象を殺害することで発動する、最も基本となる置換魔術が行使されていたが……。これは恐らくオートマチックで置換魔術を発動し、取り込んだ対象を魔力に変換して貯蔵している」私は床に触れる。〝魔術が使えない〟のではなく、そもそも私に対して既に数重に渡り魔術がかけられているから上書きできないということだ。「……『魔女の絵画』、この絵は特に、だが……他者の魂を取り込むことで魔術の強度を増幅させているようだ」
「でもデイム・ロディアは純血貴族……馬子でしょう?」
「だが魔術師の家系だ。つまり血統に回帰者がいる」私はメアリーの疑問に答えた。「それにカーステアズ家は『魔女の絵画』に所縁があると依頼の手紙にあった。デイムがこの絵の危険性を認識していなかったとは思い難い」
「では、デイム・ロディアは危険性を認識した上で、〝敢えて〟自らこの絵に向きあったと……君はそう考えているのか。マイ・ディア」
「ああ」

私は窓に触れる。
この大きな硝子の窓辺に佇み、死んだデイム・ロディア・カーステアズ。心臓を貫かれ、血液を奪われ__まるで蝉の抜け殻のようにそこにいたというのなら、真実は全て絵の中にあるはずだ。私はメアリーの方へ歩み寄った。メアリーは何も言わずに頷き、鞄から退魔礼装を取り出す。

「マルミアドワーズ」

メアリーの声とほぼ同時に金色の騎士が細剣からゆらりと立ち上る。それはメアリーが契約を結ぶ高位の妖精であり、古き聖なる剣に宿る精霊でもあった。

「__<七つの門は閉じよ。その憂いを撃ち祓え>」

メアリーが細剣を横へ振るう。突如風景がぐにゃりと歪み、絵の具が混ざり合うように風景が変化した。重ね掛けられた秘匿魔術が解除されたのである。美しい窓には血飛沫が飛び、床の大理石にもまた真っ赤な血液がぶちまけられている。その鮮血の中心にはこと切れた馬子の女性がいた。
だがその死に顔はとても穏やかで、微笑んでいる。まるで午睡のように。まるでその静寂を待ち望んでいたかのように。
ロディア・カーステアズ。その胸には深々と何かが刺さった形跡があり、一度引き抜かれたような傷もあった。


……やはり」私は呟く。「デイムは他殺だ。そしてこの絵画の中には殺されたデイム以外の人物がいた。その人物が彼女を刺し殺したんだ」


私の声が妙に反響した。
ホームズはつぶさに遺体を確認している。死後から時が止まったかのように、遺体は劣化していない。そう考えるとやはり絵画の内部は時間が経過しているようで、実際は停滞しているのだろう。そもそも時間という概念が存在していない可能性もあり得るが。

「死因は失血死か。どうやら彼女は自分で刺さった剣を引き抜いたようだ。手に血と切り傷がある」ホームズはじっと手を見つめ、「爪の間にも血がある。誰かを引っ掻いたな。犯人は彼女に引っ掻かれている。なあワトソン、ここにあるデイムの遺体はどういう類のものだ?」
……魂だけがここにあるのだろう。肉体には抜け殻となって、血が全部失われた状態で回収されている」
「成程。確かに魔術においては脳より心臓や血液を重視する傾向が強い。納得だな」
「現実世界に凶器と思われる短剣が落ちていたらしい。ハルハイムがこの絵画全体にかけられた魔術効果を解析しようとしたところ、別の場所に強制転移させられたそうだ」
「ハルハイム先生ほどの魔術師でも解析できないのね……」メアリーが私の横でそう言った。「待ってジョン。何か……何か、聞こえるわ」

ぱき、ぱきと音を立てて地面に亀裂が走っている。いくら何でも用心深過ぎるだろう、と悪態をついて私は二人に向かって叫んだ。

「まずい。二人とも走れ!」

背後から襲いくる黒い霧が徐々に輪郭を帯び始め、叫び声を上げながら轟音を立てて私たちへ迫る。
前には一つの扉。ホームズがそれに手を伸ばした。だが直感で私はこれは絶対に開けたらまずいやつだと確信する。

「 開けるな! こっちだ!」私はホームズの手を引っ張った。無限に続く廊下を左に曲がって私たちの前には再び__今度は紺色の扉。
「ジョン、これは!?」
「違う、もっと黒い紺だ! ……ッ! メアリー!!」

メアリーの真後ろまで黒い影が迫っている。私は強く腕に力を込めて杖を呼び出そうとした__やはり奇跡も拒絶される。魔術が使えない。メアリーは素早く鞄から剣を抜き放ち影の首めがけて振るった。黒いインクがぶちまけられ、白い壁を染める。メアリーは倒れ込んでくる影を蹴り飛ばして廊下の曲がり角まで吹き飛ばす。

「この程度で私を殺そうなんて舐められたものね」
「しかし……何なんだ一体これは」

ホームズの困惑した声の通り、廊下の雰囲気は様変わりしていた。壁や天井には所狭しと絵画がかけられており、窓もあるようだがカーテンに覆われて外の様子を窺い知る事はできない。ホームズが怖いもの見たさか、そっとカーテンを僅かに開いてさっと閉めた。

「い、いま、目があった」気色悪いと言わんばかりにホームズは素早く窓から距離をとる。「君との『空き家の冒険』はまるでナイトミュージアムだな」
……」私は黙ったまま考える。抜け殻の遺体。あるはずのない場所に落ちていた凶器。そして魔力と魂を貯蔵している魔女の絵画。「デイム・ロディアの殺害は、補填……か?」
「どういう事だ?」
……あの絵を見ろ。あれだけが風景画だ。それ以外は全て人物が描かれているのに」私の指差した方向には雪に閉ざされた一面の白がある。そこには妙な空白があり、そこに描かれていた人が抜け出たかのような__
「確かにこの空白はおかしいな。ちょうどここに人物の、腰から上ぐらいか……背景が人の形に途切れている。ワトソン。この建物に見覚えはあるか? ここに見切れている建物だ」建物が描かれている。支柱は白く、アーチ状の構造物の上にはバルコニーのようなものがあるようにも見えた。
「無名戦士の墓かもしれない」
「墓……」ホームズは私のその言葉を鸚鵡返しに、一度絵から後ろ歩きで遠ざかって俯瞰する。
「ポーランドに存在する第一次世界大戦の犠牲になった戦死者慰霊碑だ。確か大きな公園の中にある」

ポーランド人がここに描かれていたのかもしれない。だがここにはいない。絵画から抜け出た者は一体どこに行くのか。ホームズとメアリーは絵画に魅入られて死んだわけではないので、ここに絵はない。私は壁や天井を見回しながらロディア・カーステアズの絵を探す。この絵画が描かれてから数百年のうちに、一体何人の人間を食ったのか__。膨大な量の絵画を眺めながら、私はある事に気づいた。

……置換魔術を使えば、人間と寸分違わないホムンクルスを錬成できる」

かつて置換魔術によって鉱石にされた女性を使い、娘を錬成した魔術師がいた。彼は結局殺害されたが、今は殺害された事よりも『置換魔術で人間そのものを錬成できる』というところが重要だ。

……絵画は魂と魔力を貯蔵している。全てが混ぜられても完全に全てが混じり合う事はない。だとすればこの絵画の中から、魂を抽出することもできるはずだ」
「そうか」ホームズははっと気づいたように大声で言った。「目的はデイムを殺すことのほかに、この絵画の中にいた者を引っ張り出すこと。つまり、過去を今に呼び出す……究極的な目標は、死者の蘇生か!」
「私も同じ結論だ。メアリー、出来ると思うか?」私は考え込んでいるメアリーに問いかける。
「これだけ条件が揃えば、死者蘇生に近い事はできると思うわ。でも錬成したその人を、すでに亡くなった本人とするかは……でもきっと、そんな事は些事なのね」

ぽつりと言葉が溢された。私は白い絵を見遣る。その空白に戻る者はおらず、閉じた世界を出て遠くへ行ってしまったのか、それとも案外私のそばにいるのか。

「だって、禁忌魔術に全てをかけるんだもの。
嘘でも紛い物でも構わないから、その人に側にいて欲しかったんだわ」