外伝 硝子の窓辺に佇む【後編】

あらすじ
かつてこの国には名探偵がいた。あらゆる謎を解き明かしたその探偵は、悪の教典と共に暗い滝壺で眠っている。
舞台は英国。不可思議な事件を巡る、残された者の物語__。
エマ=ジェームズ・ワトソンの元に奇妙な殺人事件の解決依頼が持ち込まれる。貴族家の女性が窓辺に佇むようにして死んでいたという奇妙な状況。さらにその事件には『魔女の絵画』という神秘の遺物が関わっている__。依頼の手紙にはそのような文面があった。依頼を受けたワトソンはシャルルマーニュと共に事件の捜査へ向かうが……?

スペシャルサンクス
Littorio様: エストレア・アマネセール様、トゥリウンファル・アル・アマネセール様、アドレナリーナ・アマネセール様をお貸しいただきました。
快くお貸しくださり、物語をだいぶ好き勝手に書かせて頂き本当にありがとうございました。
笋様: 『鳥の一族』の一族名をお借り致しました。事後報告となってしまい申し訳ありません。
読者の皆様: いつも感想をありがとうございます。本当に励みになっています。

中編➤ https://privatter.me/page/65b902c57d32f
前編➤ https://privatter.me/page/65afd8e7e75d5

ついに【後編】です。ここまでお付き合いいただきありがとうございました!!!! もうしばらくミステリーはいい!!!! 禿げる!!!!!!


***



エマ=ジェームズ・ワトソンが、自力で『魔女の絵画』から出てくる以外にできることが俺たちにはない。
その結論に至ったものの、真っ先に浮上した問題があった。俺__シャルルマーニュ・ハイドノーブルは頭を抱えつつその番号に電話を掛ける。
まさかCIAが介入してきて強引にクラウス卿をしょっ引いて行くとは誰が思うだろうか。221Bに戻ってきた俺は定位置に置かれたストラディバリウスを視界に入れ、その辺に置かれていたバイオリンケースへ収める。そして本来であれば名探偵が腰かけるはずの、その一人掛けソファに腰を降ろして、電話の相手が出るのをひたすら待った。僅か数秒ほどの時間が異常に長く感じられ、俺は思わず電話越しで「はい」という声が聞こえた時、「遅っせえ!」と思い切り罵声を浴びせた。

「言うほど出たの遅くなかったはずだがね」
「んなこと言ったって! ……あー、悪かった。でも異常事態なんだよ」
「知っているよ。愛しい一等星たちがそのような事を言っていた。CIAが勝手にクラウス卿を連行した話だろう?」電話越しの声には棘があった。俺は「そう、その話だ」と返す。「全く、面倒事を増やしてくれる。CIAはMI6と違って統制が別の機関だ、つまりハイドノーブル卿の権限が微妙に届かない。やれやれ、管理不行き届きの文句は英国政府へ言うしかないな」
「クラウス卿を助けたいんだ。それと今、ヤードで取り調べを受けてる」
「ヤコフ・ニジンスキー?」

流石に耳が早い。俺はそう、そいつだよ、と言ってスマホを持って立ち上がり、エッグプラントが丸まっている弓張窓の方へ足を向けた。外では静かに雨が降っている。

「私が直接動くのは得策じゃない。エストレアにやらせよう」
「何でもいい。とにかくクラウス卿とヤコフの二人は、『魔女の絵画』に関する重要な情報を握ってるはずだ。……それだけじゃない。ハルハイムのおっさんの話によると、つい今しがた件の絵画が『十三の秘匿事項』に指定された。これから七十二時間後に秘匿封印処理が行われるらしい」
「つまり、今から七十二時間以内にワトソンが絵画から出てこなければ、彼諸共に永年封印という訳」涼やかな女性の声が室内に響く。俺はその声の名を呼んだ。
「シャオリン! 思ったより早かったな」

居間に音もなく入ってきたのは、東洋呪術のスペシャリストであるリー・シャオリンだった。俺は彼女を手招きしてスマホを手渡す。

「初めまして、トゥリウンファル卿。私はリー・シャオリン。呪術師だ。卿は件の『魔女の絵画』に関する事を色々と深くご存じの筈」シャオリンは少し冷たい口調で言った。「貴方がご存じの事__その全て、お教えいただきたい」
「御機嫌よう。電話越しで申し訳ないね、ミス・リー。シャルルマーニュ、ビデオ通話にしようか」
「オーケー、ちょっと待ってくれ」

俺は画面を点灯させてビデオのボタンに触れた。即座に画面が切り替わり、穏やかに微笑むトゥリウンファル・アル・アマネセールの姿が映し出される。マジでこの爺様も年齢不詳だよな、と思いながら画面を俺はシャオリンと一緒に見つめた。

「シャオリン、ホームズの部屋から出てきたあの絵について何かわかったのか?」
「興味深い事実。あの絵の裏に書かれていた文字__あれは、『if you tell me lie, meet you again will killed』……『嘘をついたら、次会う時は殺されるだろう』。そして管理局に残されていた僅かな資料から、あの絵の作者がフォックス・トロット・アーキテクトだと結論付けられた」
「成程。ホームズがやはり、あの事件を……」トゥリウンファルは面白そうに呟いた。「……『魔女の絵画』には一定の性質がある。必ず、見る者の過去に作用するという事だ。後悔や憎悪といった後ろ向きな感情を増幅させ、そして強く忘れてしまいたいと、無かったことにしたいと願う事をより強く映し出す。愛しい者との別離といった、そういうことは特にね」
「取り込まれた奴を無理やり引っ張り出す事はできねえのか?」

俺は焦れて、ゆったりと言葉を紡いでいるトゥリウンファルに突っかかった。トゥリウンファルは「類は友を呼ぶ、か」と訳の分からない事を呟いて、俺の質問に答えた。

「有効な方法はあるにはあるがね」
「あんのか! どうすりゃいい!?」
「絵画を燃やすことだ。そうすると出てこられた__という事例が一件ある。ただ出てこられたものの、その人物は精神を病んでそのまま自殺した」
「絵画の内部でも炎が上がり、仮に大切な人に会っていたら……その人物が火達磨になるのを目の前で見た可能性があるのか……」シャオリンは険しい顔をして、「その案は駄目。他の事例は?」
「残念だが、私が確認できたのはその一件のみだ。やはり本人が自力で過去と向き合い、出てくるのを待つ以外に方法はないだろう。だが幸いあと七十二時間〝も〟ある」
「〝しか〟の間違いだろ! そもそも、向こうでの時間の流れがどうなってるか分からない! もしこっちの時間と絵画内の時間がズレてて、ワトソンが絵の中で何十年も過ごしてる気分になってたらどうすんだ!? なおの事引っ張り出せなくなる!」
……ねえ、シャルルマーニュ。ミスター・ワトソンはそもそも、絵画に望んで自ら足を踏み入れたのではなかったかい?」
「え?」

俺はトゥリウンファルの発言に困惑する。俺が見たのはカンヴァスに浮かび上がったライヘンバッハの滝、そしてそこから伸びてきた黒い靄のような腕。その腕はワトソンの手を掴み、絵画へ誘った。俺の主観で見るかぎり、『自ら望んで足を踏み入れた』訳ではなく、『困惑のままに連れ去られた』の方が正しい気がする。

「それは違うだろ。あいつは訳わかんなくなってるうちに連れて行かれた」
「果たして本当にそうかな。『魔女の絵画』、そしてアーキテクト家。ワトソンがそれらから一つの事件を導き出せないとは思えなくてね。私たち馬子の界隈でも結構有名な事件だよ。『鳥籠事件』と俗に呼ばれているものだけど」
「__!」

俺はワトソンが大爆死したと嘆いていた一本の長編小説を思い出す。日本では随分高評価だったこともあって、俺は邦訳版を読んだ。
俺の感性では駄作だとは思えなかったし、もしも英国民があれを駄作だと断じたなら、それは単純にミステリーに求めるレベルが最初から高すぎるという話だろう。

「『誰が金糸雀を殺したのか』……
「ああ、そういえば日本では大人気らしいね。私は原文も日本語訳も読んでいないが、その事件の真相については知っている。三つの事件が絡み合い、結局神秘管理局と魔術師らの手によって厳重に秘匿され、誰もその結末を知り得なかった事件だ」
「『鳥籠事件』……すまない、私はその事件をよく知らなくて」シャオリンが横から興味深そうに言った。
「正確に言うなら、『アーキテクト一家惨殺事件』だ。この事件によって古来から続いてきた置換魔術の大家たる、アーキテクト家は断絶した。主犯はロベルト・フォークナー。ある女性のために企てた復讐がこの事件なんだがね……まあその復讐の刃は身内にも向いていて、兄であるルドルフ・フォークナー、父であるローレンス・フォークナー……この二人も殺害されている」トゥリウンファルは一度言葉を切った。「この事件は実に複雑だ。そもそも、フォークナー家の成り立ちや、『鳥の一族』との関り__そうした複雑な要素が絡み合って起きた事件だからね」
「確か当時のアーキテクト家は画廊を経営していたんだったか」俺は本に書かれた文章の記憶を手繰る。
「そうだ。当然ながら一般的な絵画だけでなく、扱われていたのは『魔女の絵画』も含まれている。事件後、秘匿処理の一環としてアーキテクト家が保有していた画廊や絵画などは全て神秘管理局が差し押さえたんだが、その折に五枚の『魔女の絵画』が出てきた」
「そしてその『魔女の絵画』のうち、四枚が十三の秘匿事項に指定されるほど、強力な魔術によって編まれたものだったわけか」
「流石に理解が早いね、ミス・リー」スマホ越しのトゥリウンファルは穏やかに微笑んでいる。「だからこの事件をホームズが解いたというのであれば、ワトソンには『魔女の絵画』についての知識があったはずだ。何せホームズとワトソンの傍には神秘秘匿執行官であり、幻想について多くを知りえる者だった__メアリー・モースタンがいたのだから」

俺は驚きを持ってトゥリウンファルの話を聞いていた。もしも彼の推理が正しければ、ワトソンは__。
俺はワトソンの背中を思う。確かにワトソンは抵抗しなかった。もし絵画に飲み込まれることを是としなかったならば、その場で魔術をぶっ放して絵画を燃やしていたはず。エマ=ジェームズ・ワトソンというやつは案外そういう所がある。殴られたら殴り返せ、只では済ましてやるな、みたいなところが。

「さて、先ずはクラウス卿とヤコフを助けようか。御代は高くつくよ?」
「エストレアのお友達割引!」俺は値切る態勢に入った。「半額にしてくれ。今は金がない」
「半額は駄目だね。安すぎる」
「三割でどうだよ」
「二・五割ではどうだい? これより譲歩はできないね」
「いや三割だ。それができねえなら、エストレアが壊したハイドノーブル家本邸の噴水の修繕費、全額に上乗せして賠償請求するからな」
「おっと……そうきたか。分かった。三割引きだ__その代わり君も手伝えよ?」
「元からそのつもりだっつの。また連絡しろ」