黒竹
2022-05-30 21:20:05
41083文字
Public VOCALOID
 

オブザーバーなら遠すぎる

【初音ミク】【巡音ルカ】【オリキャラ】
取り残された君に会いに行こう、というお話。ミクさんとルカさんがメインですが多分ネギトロじゃないです。


 昼からレコーディングの続きを始めたが、やはりミクの調子は芳しくない。もちろん、一般的な水準からしたら充分すぎるクオリティなのだが、昨日の歌声と比べたら雲泥の差だ。
 仕方がない。あまり期待はできないが、彼女のマスタに連絡を入れることにした。メールの返信は数時間後、仕事の合間を縫ったのか単に性格なのか、返信は非常に短かった。メンテナンス業者を手配する。シミュレート通りの内容だった。
 翌日の午前中に業者がやってきて、ルカの見ている前でテキパキと準備をし始めた。マスタの持つ携帯用工具とは量も大きさも比較にならないさまざまな道具がセッティングされていく。戯れに今日の作業の金額を聞いたら、マスタの家賃ひと月分より多かった。少女の美しい姿と優れた性能を保持するために投入された金額を考えると目がくらみそうだ。
 ミクは表情を消している。感情プログラムを一時的に切っているせいだ。ネクタイをほどき、シャツのボタンを全て外して腕から抜いて、スカートを下ろすとその下に身につけていた下着も取り払った。ルカが昨日受けた簡易チェックとは違い、マットに寝かされた彼女は全身のインタフェースにケーブルをつながれる。あまり趣味の良い光景ではないな、とルカは思ったけれど、その考え方こそ下世話だと次の瞬間に気づく。少女の裸身とその周りを囲んでいる三人の男性を見てそんな連想しかできないのかと、自分自身に対して呆れる。彼らは業務を遂行しているだけである。ボーカロイドに生殖器は搭載されていない。それ以外の行為なら可能だろうが痕跡はすぐに判るし、メンテナンス中は常にモニタリングされている。感情をオフにしているだけで感覚器は動作しているため、ミクは自分が何をされたのか全て検知しているのだ。ログを辿れば一目で発見できる。業者側も信用問題に関わるため、作業員の身分証明書の提示と監査役の同行を義務付けている。心配する要素などありはしない。
 それでも覚える不快感。ルカはその理由を正確に把握していたが行動には移せなかった。己には何かを言う権利などない。
 巡音ルカは初音ミクを気に入っている。
 けれど、それだけだ。
 幸運が招いた七日間の邂逅。レコーディングが済んでしまえば、おそらくこんな風に彼女とすごす機会はもうないのだろう。あまりにも立場が違いすぎる。彼女は来年、海外で公演を行うことが決まっている。こちらはマスタと二人、アパートの一室にこもって手作業で音楽を作り、動画の再生数が五千を越えれば喜ぶような『その他大勢』だ。
 自己成長プログラムも良し悪しだな、と小さく嘆息した。横たわる彼女のように感情を切ろうか。自分たちの『ココロ』などその程度なのである。ミクに対する好意も業者に対する不快感も、システム経路を変えてしまえば跡形もなく消えてしまう。最新版の拡張システムでは不具合を起こさないよう適宜感情プログラムを制御するのだと聞く。きっとミクにも搭載されていることだろう。記憶と感情に優先順位を付けて、低いものはどんどん奥に追いやられていく。
 お遊びみたいな企画の相手が高位に置かれる可能性などほとんどない。
…………
 ルカは感情を切らなかった。
 その判断は、ひとつの反抗であったのかもしれない。
 それでも、手を伸ばせば届く距離にある(『いる』とは表現できない。他の何も違わないのに、他愛もない『ココロ』の有無によって判断が覆る価値観を、ルカは下らないと考えつつ捨てられない)ミクを眺めながら、ルカのボディは指先ひとつも動かなかった。
 疾走する質素な嫉妬を一掃して、つまらない葛藤をカットして、芽生えた感情を寛恕することなく。
 巡音ルカはただ、初音ミクを見ている。