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黒竹
2022-05-30 21:20:05
41083文字
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オブザーバーなら遠すぎる
【初音ミク】【巡音ルカ】【オリキャラ】
取り残された君に会いに行こう、というお話。ミクさんとルカさんがメインですが多分ネギトロじゃないです。
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目一杯に引きのばされた二時間をまんじりともせず過ごしたルカは、いよいよ出発の時間が近づいたことを内蔵された時計で知覚する。
窓際で煙草を吸っていたマスタがそれをもみ消した。
「今出ればちょうどいいかな。行こう、ルカ」
「はいっ」
ついにその時が来た。マスタがぎこちなく手を差し出してくる。バランサは正常だから本当は必要ないのだけれど、ルカはその手を取った。う、と彼の喉から妙な呻き声が洩れた。どうしたのだろうと首をかしげるが、マスタはわざとらしい咳払いで呻き声をごまかそうとした。
そのとき彼はようやく初めて、ルカに意思があり、また彼女が美しい女性の姿をしており、その手が柔らかいことを意識したのだが、だからといって二人(そう、今ここでついに、彼らをそのように呼ぶ条件がそろった)の間に何かが生まれるわけでもなかったので、ルカが疑問をスルーしたとてさしたる問題はなかった。
マスタが同行してくれるのは最寄りの駅までで、そこから先は寂しく一人旅だ。といっても、ルカにしてみれば外に出られる喜びが勝っているので大した不安もなかった。道筋は事前にインプットしてあるし、子どものように電車の乗り方が判らないなんてこともない。すべてはデータとして記録されている。
改札の前でマスタが軽く手を上げた。
「じゃ、気をつけて。行ってらっしゃい」
「行ってきます」
応えてから、どことなくおかしみを感じたルカが笑う。
「マスターに見送られるのは初めてですね。いつもは私が見送る側でしたから」
「
……
うん。これからは、録りがない時とかも出かけたりするといいよ」
かすかに苦笑いを浮かべながら彼は言った。彼にとっても、ルカを手放すのは初めての経験だったのだ。色々と思うところがないでもなかった。娘を嫁にやる父親の心境、というのは言いすぎだけれど、それに少しだけ似ているものが去来する。自身の所有物であると同時に、彼女はひとつの独立した意思である、という実感が。
不測の事態に見舞われることもなく、ルカは目的地に到着する。
自宅から電車で数時間という距離なのに、見違えるほど空が広い。飛行機が雲ひとつない空を飛んでいた。それが作りだす飛行機雲が青空にラインを描いている。まるで空に切り取り線を引いているかのようだ。
山々に囲まれた郊外に、近代的な外観の建物がぽつねんと存在していた。二階建てでそれほど大きくはない。壁が白くて平べったい外観なのでルカは豆腐を連想した。建屋自体は小ぶりだが門と生垣に囲われている敷地はけっこうな広さだった。音漏れに配慮したのだろう。庭らしきスペースは十数人規模でバーベキューなどができそうだ。
景色の匂いが少し古い。年配の人ならタイムマシンに乗ってしまったのかと錯覚するかもしれない。
マスタなら気後れしてしまいそうだが、ボーカロイドにそういった情緒は備わっていない。広いな、と考えただけで、ルカはためらいもなくインタフォンを鳴らした。
応答したのは少女の声だった。聞き覚えのある声だ。もっとも、インタフォン越しではなく、テレビやパソコンのスピーカーから出力されたものを聞いていたのだけれど。
『あ、コンピCDの。どうぞ、今開けますから』
初音ミクはルカが名乗るとすぐに察してくれたようで、門の電子ロックを解錠してくれた。お邪魔します。誰も聞いていないが一応ささやくように言って敷地内へ足を踏み入れる。
玄関で出迎えてくれたミクは朗らかな態度だった。ライブ映像で見るよりも落ちつきのある印象だ。まあ、あれはライブ用にテンションをチューニングされていただろうから当たり前かもしれない。四六時中あのテンションでは本人もプロデューサも疲れてしまう。
「いらっしゃいませ。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。えぇと、そちらのマスターは
……
?」
一週間も世話になるのだし、挨拶のひとつもしなければ、と思っていたのだが、ミクが少し申し訳なさそうな顔で首を横に振った。
「うちのマスター忙しくて。今日も次に出すアルバムの打ち合わせで都内にいるの。ここ、マスターの家からけっこう遠いし、なかなか来れないんだよね」
「ああ、そうなの」
お互いにフランクな口調で会話を交わす。置かれている立場は大きく違えど、それよりもっと根本的な部分で彼女たちは『同型機』である。初めの挨拶はマナープログラムの指示に過ぎない。社交辞令を終えてしまえば、人のように段階的な親しさを得る必要などなく、対等に接することができる。
それにしても残念だ。マスタからサインをもらってきてほしいと言われていたのだが、その願いを叶えるのは少々難しいらしい。帰るまでに一度でも会えたらいいのだが。
そのことについてミクに尋ねると、
「ルカがいる間に何回かは来ると思うよ。時間作ってくれるって言ってたし。一番近くて明後日かな?」
なるほど、まだ希望は持っていて良いようだ。
ミクが軽くスタジオを案内してくれる。一階がコントロールルームつきのレコーディングブース、二階が居住区になっていて、室数は四。うちひとつが応接間のような広いリビングルームだった。対面キッチンつきである。バンド演奏を録音することもあるので大勢入れる部屋が必要だったとのこと。マスタのアパートにこれくらいの広さがあれば、もっと解放的な空間になるのだろうかと一瞬考えたが、その場合は物が増えるだけで今とあまり変わらないなと次の瞬間に確信する。
ミクが使用している部屋のディスクラックには、彼女の歌ったCDやライブDVDがぎっしり詰め込まれていた。昨今は電子ファイルのダウンロード販売のみを行うプロデューサも増えているけれど、彼女のマスタはディスク媒体に拘るため、必ずパッケージ販売をしているのである。おかげで部屋が狭くなる、とミクがぼやいた。どこが?とルカは思った。
ふと、違和感を覚えた。ルカはその原因を分析する。システムには有か無しかない。そして一度『有る』と判断されたのなら、それは気のせいなどでは絶対にない。
数秒でルカは解に到達する。ミクの部屋、ここに生活感がありすぎるのだ。ディスクラックやクロゼット、あるいはベッドなどの調度品、それらすべてが使いこまれすぎている。レコーディングの時だけ滞在しているのなら、こんなふうになるまで数年は必要だろう。ネットで拾った情報によれば、プロデューサがミクを使い始めたのはここ三年ほどのことだ。それから一年弱で花開いたので、どう長く見積もってもスタジオを使用するようになってから二年ほどしか経過していない。飛び石で使っていたならもっと新品に近いはずなのだ。
あるいは中古物件を家具ごと買い取ったのだろうか? それにしては調度類のデザインや色合いが、あつらえたかのようにミクと似合っている。ように、というか、彼女のために揃えなければこうはなるまい。
「もしかして、ずっとここで暮らしてるの?」
「ん? そうだよ。私が要るのは歌入れとライブの時だけだから、それ以外はここの管理してるの」
「そう、なの」
なるほど有効活用である。ボーカロイドには腕もあれば足もあり、最も効率よく掃除する方法を解析する計算能力があり、さらには食事や睡眠の必要がないし(充電のために数時間のスリープはあるけれど)、人目がないのをいいことに命じられた作業をボイコットする心配もない。ハウスキーパとして使用するのは大変理にかなっていた。
うちのマスターはなぜそういう発想ができなかったのだろうとルカは溜め息をつく。ミクがしているそれは、ルカにだって難なくこなせる作業なのだ。一日中ただ立たせているよりも、こういった使い方をすればいいのに。そうしたらあの部屋だってもう少しマシになるはずだ。やっぱり、命令外だからと遠慮せずにジェンガを片づければ良かった。
次にルカが滞在中使う部屋へ案内された。彼女の私室よりずいぶんすっきりしている。ベッドやデスクなど最低限の家具だけが配置されたそこは、ホテルの一室をイメージさせた。まあ泊まったことはないけれど。
「ベッドに充電パッド敷いてるから、夜ここで休んでくれれば充電できるよ」
「へえ、便利ね。うちではケーブル充電だから少し楽しみかも」
「けっこう気持ちいいよー。ケーブルより電荷誘導効率がいいから、寝てるとぽわーってあったかくなんの」
二人に搭載された受電コイルはかなりの性能を誇っている。一度に多量の電気を送られても問題ないが、その際の熱量だけは防ぎようがないので一時的に内部の温度が上がるのだ。ミクが言っているのはそのことである。
「うちじゃ、たとえあっても使えないわね。これだけ大きな充電パッドを敷く場所がないもの。マスターとくっついて寝なきゃいけなくなっちゃう」
「別にいいんじゃない? 冬とかあったかくて喜ばれるんじゃないかな」
「
……
そうかしら」
時々スランプに陥ってやけ酒したマスタが全裸でギターを抱いて寝てたりするが、さて自分がギターの代わりになってよいものかと考えると少々疑わしい。誰に見られるわけでもないし、彼が良いなら良いのだろうけれど。
一通り内部を説明してもらって、リビングへ戻る。ミクがコーヒーを淹れてくれた。飲食は不要ではあるけれど摂取できないわけでもない。味覚の好みだってカスタマイズできるのである。そのため、コーヒーに加えるものも、ミクは砂糖とミルク、ルカはミルクのみと違いが出ていた。
「でも嬉しいな、コラボって久しぶりだから」
「そういえば、あなたが他のボーカロイドとコラボしている曲ってあまり見ないわね」
「何度か話はあったんだけど、スケジュールが合わないことがほとんどだったんだよね。マスターってば時間取れないくせに歌入れには拘っちゃうから、別録りで編集するの嫌がるの。そうなると私が相手のところに行くか、今みたいにここまで来てもらうかしないといけないでしょ? そのうえ何日もかかっちゃうからみんな都合がつかなくて」
「じゃあもしかして、うちのマスターが選ばれたのって私が暇だったからかしら」
冗談半分に笑いながら言ったら、途端にミクが慌てだした。ブンブンと激しく首を振る。
「違うよ、マスターもあの曲気に入ってたし、わたしもルカと歌いたいって思ったの。確かにもっと有名な人の曲とか上手い歌とかあったけど、ちゃんとこれがいいってマスターと私で決めたんだよ」
「あ、ええ、ごめんなさい。皮肉とか、そういう意味で言ったんじゃないわ。ありがとう、選んでくれて」
こちらもつられて動揺してしまう。妙な沈黙が流れた。耐え切れなくなってふっと吹きだす。「なんで笑うのー」ミクも苦笑気味に口角を上げた。
「でもわたし、ホントにあの歌好きだよ。ルカとルカのマスターが一緒に頑張ったのが伝わってきたもん」
「ありがと。そう言ってもらえると嬉しいわ」
寝る間も惜しんで作曲していた彼の姿を思い出す。応募期日が迫って焦る横顔と、それでもルカに過度の負担がかからないよう調整する真剣な表情。そこは二人きりの小さな世界だったが、だからこそ彼らのつながりは深かった。彼は掴みたかったのだ、遠い遠い、大きな世界の端っこを。隣にいたルカと一緒に。
掴もう、と。
君の手と、僕の手で、と。
言葉で言われはしなかったけれど音楽によって彼はその意思をルカに伝えた。
その想いが報われたのなら嬉しい。
「でも、けっこう難しい曲だよね。転調も激しいし、音程の高低差もおっきいし」
「歌入れは大変だったわよ。ハードの耐久度ギリギリの音ばかり使うから」
「だよねー」
「まあ、マスターがちゃんとメンテナンスしてくれたから、特に故障とかはしなかったけど」
それでもしばらく本調子が出なかったと肩をすくめるルカに、しかしミクは微笑みを浮かべた。「優しいマスターだね」
「そうね」ルカも頷く。フラットな彼はギターを抱くのと同じくルカを大切に扱う人だった。通常、不調が現れた場合は業者を呼んで見てもらうのだが、彼は一度もそうしたことはなかった。マニュアル本やネットの情報と首っ引きになりながら慣れない手つきでルカのメンテナンスを行った。初めのうちは覚束なかった手際も、今では大抵の不具合は十分程度で修繕できるようになっている。
といっても、金銭的な都合がないこともないのだけれど。中小企業で営業マンをしている彼の収入は、お世辞にも多いとは言えない。
おそらく対面にいる彼女は腕の良い技師に手厚いメンテナンスを受けていることだろう。もしかしたら定期点検などもあるのかもしれない。そういう世界にいる存在なのだ。人間のトップモデルが身体の部位ひとつひとつに高額な保険をかけているように、彼女の身体も内部システムも、さまざまな力で守られている。
ミクがカップを置いて、テーブルに置かれていたポータブルPCを引き寄せた。スリープを解除するとつなぎっぱなしだったケーブルをルカへ差し出す。
「マスターがアレンジした曲のデータ渡しておくね。オケもこのまま使うそうだから、これに合わせてほしいって」
ケーブルの端を受け取ったルカは手首を返すと、そこにあるソケットを開けてコネクタを接続した。統一規格のコネクタをつなぐための接続ポートは両手首と腹部に設けられている。SF漫画や小説ではうなじやこめかみにあることが多いが、ボーカロイドはそういった場所にポートはない。理由は単純、見えないのでコネクタを差しにくいのだ。
転送されてきたデータを簡易解析する。マスタの特色を消さずに、けれどクオリティは飛躍的に上がっていた。さすが、とルカは素直に感嘆する。
「音のつなぎがなめらかになってるわね。これなら歌いやすいわ」
「うちのマスター、元々は人と組んでやってたから、やっぱり人が歌える範囲に収めるのが得意なの」
少し不思議な感覚だった。何度も歌ったものとメロディは一緒なのに別の曲に聴こえる。早くマスタに聴かせて感想を聞きたい。
と思っていたらグローバルネットワークに通信が入った。「ごめん、マスターから」ミクに断って席を立とうとしたら、彼女はルカの手を掴んで引き止めてきた。マイクスピーカを持ち出して、これと同期させろと手振りで示す。どうやら彼女もマスタと話がしたいらしい。指示に従ってマイクスピーカの近距離ネットワークを構築する。ミクの使用するプライベートネットワークが使えればもっと簡単なのだが、それにはルカとマスタのどちらも接続先と接続パスワードを教えてもらわないといけない。
「マスター、ミクも話したいようなのでオンフックに切り替えました。せっかくなのでご挨拶でもどうですか?」
『え!? 今? もうつながってるの? あの、あの、えっと、初めまして』
上ずった声に二人で笑いをかみ殺す。「こんにちは、初音ミクです。初めまして」ミクがマイクに向かって話しかけると、『おわっ、やばい本物だ』と独り言らしき小声が聞こえた。
「どうしたんですか? 何か急用でも?」
『別にそういうわけじゃないんだけど、今どうしてるかなと思ってさ。ルカのことだからミク、さんに迷惑かけたりはしないと思うけど、なんか困ったこととかないかと思って』
少し言いにくそうに、ミクに敬称をつけるマスタ。いつもは動画を見ながら呼び捨てにしているのだが、さすがに本人に聞かれているところでそれはまずいと思ったのだろう。人間がボーカロイドに敬意を払う構図は少々滑稽である。分類で言えば彼女たちは楽器のひとつにすぎない。
「大丈夫ですよ。とても良いところですし、ミクとも仲良くやっています。ついさっき、アレンジ版をもらいましたよ。送りましょうか?」
『ホント!?
……
あ、でも、まだ歌は入れてないんだよね? もうちょっと待つよ。歌が入ったら送って』
「判りました」
「明日から早速レコーディングしますから、ミックスしたら送りますね。アドバイスも聞きたいですし」
『あ、はい。えっと、ふつつか者ですがよろしくお願いします』
嫁入りでもするのかとルカが胸中で突っ込んだ。
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