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黒竹
2022-05-30 21:20:05
41083文字
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オブザーバーなら遠すぎる
【初音ミク】【巡音ルカ】【オリキャラ】
取り残された君に会いに行こう、というお話。ミクさんとルカさんがメインですが多分ネギトロじゃないです。
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残念なお知らせと嬉しいお知らせが入ったのは三日目の夕方。その日の午後には来るはずのプロデューサが日暮れ間近になっても現れず、連絡してみようというルカともうちょっと待とうというミクが押し問答しているところに届いたコールが、まず残念なお知らせを告げる。
ウェブカメラとマイクセットを使った通信にて、ルカはプロデューサと初対面を果たした。なかなかの美青年で、疲れが溜まっているのか表情に微妙な陰りが見える。それが逆に母性本能を刺激して魅力的に映る、そんな顔立ちだった。
ミクはわざとらしいふくれっ面を作ってカメラに正対していた。
「もー、お昼過ぎには来るって言ってたじゃないですか。マスターのために作ってたご飯、ルカと食べちゃいますからね」
『悪い。打ち合わせが長引いてて今日は行けそうにないんだ。そっちに行けそうな日があったら連絡する。それと、昨日の歌のリテイク指示は後でメールしておくから、それでやってて。ミクならいつも通り、任せても自分でできるだろ?』
「判りました。お仕事がんばってください」
『ああ』
まるで事務的な会話。ルカとは挨拶しかしていない。なんの余韻もなくあっさりと通信が切れて、ディスプレイがデスクトップに切り替わる。
「なんだか
……
愛想のない人ね」
「忙しいから疲れてるんだよ」
今朝からミクが部屋をすべて丁寧に掃除したり、時間をかけて料理を作ったり、なんとなくソワソワしていたりするのをずっと見ていたルカには、彼の態度が少々冷たいように感じられた。別に言を尽くして謝罪しろとか涙ながらに来られないことを残念がれとか言うつもりはないけど、もう少しなにか、ミクに対して温かみのある言葉や表情を送ってもいいのではないか。
それにミクもミクだ。約束を破られたのに平気な顔をして「じゃ、ご飯食べちゃおっか」なんてこちらに持ちかけてくる。プログラムのせいだと判っているが納得いかない。
とはいえ、自分はたまたまここに居合わせただけのゲストだ。ミクの様子を見るに、今までもこういったことがあったのだろう。
彼女がそれを受け入れているなら。
それでいいなら。
ルカには何かを言う資格はない。己は単なる傍観者であり傍聴者である。
二時間も煮込んだポトフは確かにおいしかったのだけれど、喉の奥にわずかな苦味が感じられた。それは多分、調味料のせいではない。
ソーセージを咀嚼しながらミクが唸る。
「うーん、もうちょっとコショウ効かせてもよかったかも」
「充分じゃない? けっこうしっかり味がついてるし」
「マスターって濃い目の味付けが好きなんだよね。ああ見えて駄菓子とか着色料満載な外国のお菓子とか大好きなんだよ」
「
……
へえ。そんなふうには全然見えなかったけど」
どちらかといえばチーズとワインなどが似合いそうな外見だったが。人はみかけによらない。「かわいいでしょ」ミクがなぜか誇らしげに笑った。
会話をしながらの食事なので進みは遅かった。お互いに皿の中身が半分ほど残っているあたりでメールの着信通知が鳴り響いた。「あ、マスターが言ってたやつかな」ミクが席を立ってメールを確認する。あっ、という顔をしてすぐにルカの方へ振り向いてきた。
「ルカ、見て見て」
「ん?」
手招きに従って画面を覗きこめば、メールの送り主はマスタだった。先日の挨拶のおり、ミクのプライベートアドレスを教えてもらっていたのを思い出す。
『急ですみませんが、仕事が早く終わったのでそちらに向かっています。二十一時くらいに着くと思います。ルカの様子を見たらすぐに帰るので、少しお邪魔させてもらえないでしょうか』
やたらと慇懃な文章なのにわりと一方的な要求である。もう出発しているようだが、これでミクが断ったらどうするつもりなのだろう。一歩間違えば慇懃無礼になりかねない。
「
……
ごめん。うちのマスターが勝手なこと」
「いいよいいよ。ポトフも残ってるし、ちょうどいいから食べてもらお。ルカの喉もまだちょっと嗄れてるみたいだから今日来てもらえると助かるよ」
ミクが快諾の返信をすると、すぐにそれへ対する謝辞のメールが届いた。到着時間を鑑みると、どうやら特急を使っているようだ。車中で携帯電話からメールをしているのだろう。まったく、しょうがない人だ。今からこちらに来たら、ルカのメンテナンスが終わる頃には終電などとっくになくなっているはずなのに、それにすら気がついていないのか。
「ねえ、空いている部屋をひとつ使わせてもらえない?」
「もちろん。好きなところ使って」
ミクも判っていたようで、指でオーケイサインを作って見せた。「なんだったら一緒に寝てもいいよ」「遠慮しておくわ」せっかく大きなベッドを一人で堪能しているのに、わざわざ狭苦しくしたくない。
マスタはほぼ予告通りの時間に到着した。十五分ほど遅れたのは目印の少ない郊外の道で迷ったせいだそうだ。
「お、お邪魔します」
スーツの上着を片手におずおずと玄関を上がったマスタは忙しなく視線を彷徨わせていた。「でっか
……
」呆気にとられたような独り言が洩れる。コントロールルームを興味深そうに覗いたり、ブースの奥にあるドラムセットを羨ましそうに見つめたりしつつ(彼はいつも打ち込みでドラムを入れている。置き場がないのだ。)、リビングへ進む。
ルカの隣に腰を下ろしたものの、どこか据わりが悪そうにもぞもぞしているマスタの前にポトフの皿が置かれた。
「どうぞ。ご飯まだですよね?」
「あ、ありがとうございます。いただきます」
頭を下げてから遠慮がちにスプーンをくぐらせる。ジャガイモを口に入れた途端、「うまっ」目を見開いてかっこみ始める。彼の覚える感動は空腹のせいか久しぶりの手料理であるためか、単純においしいからか。まあ全部だろう。
「マスター、スープが飛んでますよ」白いワイシャツに小さな染みが点々とついているのを、ルカが冷静に指摘する。「これ使ってください」ミクがハンドタオルを差し出すと、彼は恐縮しながらそれを受け取った。
「もしかして、ルカも料理とかできるの?」
「機能はついてますし、レシピもある程度は標準で入ってますよ。というか、マニュアルに書いていたでしょう?」
「
……
音楽系のとこしか読んでなかったんだ」
目をそらしながら言い訳するマスタに、ルカはこちらを見ているミクへ視線を送りながら肩をすくめた。彼は本当に己を楽器としてしか見ていないのだ。指示さえくれたら買い物も料理もできるのに。自宅でカップラーメンやスーパーの総菜を食べる姿を思い出し、ルカはマスタに対して呆れる。
「これからはそういったこともしましょうか?」
「いや、いいよ。なんかそういうの、違う気がする」
俺、そういうつもりでルカ買ったんじゃないし。感覚をうまく言葉にできないのか、もどかしげな表情で彼は呟いた。
違うってなんだろう。機能は使うからこそ役立つのだ。『機能する』という用法を彼は知らないのだろうか。あの部屋の惨状と食事事情を見るに、十全であるから不要とはとてもじゃないが思えない。
話が済んだつもりなのか、それきり、マスタは黙々とスプーンを口に運んだ。
空になった皿にスプーンを置いて、「ごちそうさまでした」マスタがミクに頭を下げる。「お粗末さまでした」微笑みながらミクが答えると、彼はわずかに顔を赤らめた。世紀の歌姫が手ずから作った料理を口にする機会になんてそうそう恵まれない。己の幸運にようやく気づいたマスタだった。
マスタが遠慮がちに視線をさまよわせた。落ち着かないその様子を観察したルカは特に不思議がるでもなく「煙草ですか?」と彼に尋ねる。
「あ、喫煙所は外なんです。うちのマスター吸わないから」
「向こうから出た先の、屋根のあるところよね? マスター、こちらですよ」
ボーカロイドは当然ながら喫煙などしないが、庭の隅にポールタイプの灰皿が置かれているのは目にしていた。ミクが食器を片づけている間にマスタを喫煙所へ案内する。
灰皿に飛び付いたマスタは、早速ワイシャツの胸ポケットから煙草を取り出して一本咥えた。暗がりに小さな火が浮かんで、煙草の先端が赤く灯る。途端にココナツの甘い香りが漂った。ココナツフレーバーのそれが彼の愛用品だ。
人心地ついた様子で煙を吐き出すマスタが、弛緩しきった表情でルカの方を向いた。
「ルカが言ってくれて助かったよ。最近は煙草嫌いな人も多いから言いだしにくいんだよな。ボカロに匂いとかヤニがつくの嫌がる人もいるしさ」
彼はけっこうなヘビースモーカだ。作曲中などは集中しすぎて灰皿に吸殻が山盛りになったりする。その山が崩れるたびにルカは溜め息をつきたくなるし、できれば控えてほしいと思ってはいるが、理由としてはデスクが汚れるのが気になるのとマスタの健康を危惧しているからであって、自分自身が汚れるから不快だと思ったことはない。
彼の身体中に沁み込んだ甘い香り。
この香りが、ルカは嫌いではない。
ゆっくりと吸い込み、煙をくゆらせて味わい、吐き出す。蛍のように煙草の先端が瞬く。長くなった灰を落とすと、マスタは咥え煙草で伸びをした。
「でもホント、うまくやれてるみたいで良かったよ。なにせあっちはスーパースター様だからさ。なんかあったら俺みたいな底辺なんて、すぐに潰されちゃうよ」
揶揄か僻みにも聞こえる言葉選びは彼の羞恥心の表れだった。彼は電子ファイルによって、どれだけ頑張っても辿り着けない、高い高い塔のてっぺんを間近に見てしまった。ミクの歌声とルカの歌声を比べてしまった。自分の音楽が、才能が、努力が、時間が信念が理想が思想が志向が嗜好が『そこ』に行けないことを悟ってしまった。
四十メートルを走り切ることならたやすい。
けれど、空へ垂直に伸びる高さ四十メートルの塔を登り切ることのできる人間は、そうそういない。
彼は名声を欲してはいなかった。プロフェッショナルを目指しているわけでもなかった。
けれど向上心を失ってはいなかった。
俺は登れないよ。
あそこからの景色を見れないよ。
『底辺』なんて恥ずかしい言葉を口にしてしまった彼は、そのことに自らを蔑んで醜く笑った。
「マスター。もし私が粗相をしてミクを怒らせてしまったら、それが原因で迫害を受けたら、あなたはどうしますか?」
フィルタから数ミリとなった煙草をもみ消したマスタが醜く笑ったままルカを見やる。
「それ、圧力かけられて曲をアップできなくなったらってこと?」
「ええ」
「
……
そうだな、路上で一緒に歌おうか」
ルカはその返答に満足した。
「マスターのハモりは微妙ですけどね。前に動画をアップした時もコメントでさんざん言われてたじゃないですか」
そう言うなよ、と彼は苦笑いした。
室内に戻ると洗いものはもうみんな済んでいて、コーヒーメーカが黒い雫をポトポト落としていた。暇つぶしに雑誌をめくっていたミクが顔を上げる。「あ、おかえりー。今コーヒー淹れてるから、できるまで休んでて」
「ありがとう。手伝えなくてごめんね」
「ん? いいよー。ルカはお客さんなんだから気にしないで」
少女の外見に似つかわしくない、慈母のような笑みだった。先ほどの例え話が現実になるような状況がルカには想像できない。もしかしたら彼女は起動してから一度も怒ったり哀しんだりしたことがないんじゃないだろうか。
「じゃあ、早速ですけどルカを見せてもらっていいですか? 多分すぐ終わると思うんで」
「ルカはあなたのだから、わたしに許可もらう必要ないんじゃないですか?」
小首を傾げて言うミクに、マスタはそれもそうだと表情で応え、ルカに助けを求めるような視線を送ってきた。彼のなにがどのようにピンチなのかルカにはひとつも判らなかったので、ミクにどう?と視線で尋ねた。ミクはますます首を傾げる。三すくみだった。
「ま、まあ、とにかくちょっとメンテするか。後ろ向いて」
マスタの指示に従い、ルカはいつものように首元を覆う襟を緩めると、彼へ背を向けて髪をかき上げた。うなじから肩先までを露出させる。そこにあるスライド式のパネルを彼の指先が開く。
ケーブルが何本か接続されて、テスト用のコマンドが三種類打ち込まれた。それに対してルカの意思とは無関係にレスポンスが返る。「あー、少し削れてるけど、これくらいなら大丈夫か」ノズル式の冷却スプレーでルカの声帯パーツを冷やしながら独白めいた呟きを洩らしたマスタの口調に嘘はない。
マスタがパネルを戻してケーブルをしまいこんでいる間に、ルカは襟を直す。
「自己チェックでもパフォーマンスに影響はないと判断していましたし、明日からのレコーディングも特に問題はありませんね」
「うん、仮歌聴いたけどすごく良かったし、ルカなら大丈夫だ」
少年のように笑うマスタへ微笑み返しながら、ふと、ミクの気配が薄れていることに気づく。
彼女の方へ眼をやれば、そこにはどこか胡乱な、意思の読みとれない双眸があった。
「ミク?」
「え?」
「どうしたの? 考え事?」
「あ、ううん。ルカたち、仲いいなーと思って」
そう?とマスタと顔を見合わせるけれど、彼もまたルカと同じような表情でいた。仲が良いとか悪いとか、そういうことを考えたことは今まで一度もなかった。使用者と所有物なのだ。心を通わせるすべなどないはずの、一人と一体だった。
そう見えるのならおそらく、お気に入りの玩具を常に磨いているような稚気を彼が持っているという、それだけの話だろう。仲が良いというのはどこかへ連れだって出かけたり食事を一緒にとったり、あるいは他愛もない話題で何時間も話し込んだり、そんな関係を言うのだ。そんなこと一度もない。こちらは外に出たのだって今回が初めてなのである。
「別に普通じゃない?」
「そっかな。じゃあたぶん、それがルカの『普通』ってことなんだね」
普通、という単語に、そこはかとない羨望のようなものが、含まれていたような気が、した。
コーヒーメーカが最後の一滴を落とす。
「あ、あのー、俺、もう帰ります。急に来ちゃってすいませんでした」
微妙な空気を感じ取ったのか、マスタがおずおずとミクに話しかける。彼女はうーんと小さく唸った。
「もう終電ないですよ? このへんって観光地だから、今みたいなオフシーズンは電車終わるの早いんです。さすがにタクシーじゃお金かかりすぎちゃうし、どうせだから泊まっていったらどうですか?」
「えぇっ」
慌てて携帯電話を取り出して時刻表を確認するマスタ。「ほんとだ
……
」日付が変わる前に電車が終わるとは思っていなかったらしく、信じられないと消え入りそうな声で呟く。
「ね、ルカもその方がいいよね?」
「私はどちらでもいいけど。このあたりはホテルとかもないですし、始発で帰れば仕事には間に合うはずですから、お言葉に甘えてはいかがですか?」
「うぅ
……
」
マスタがうな垂れたのか頷いたのか判断に困る微妙な角度で首を落とした。
コーヒーは時間を考慮して薄めに作られていた。
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