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黒竹
2022-05-30 21:20:05
41083文字
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オブザーバーなら遠すぎる
【初音ミク】【巡音ルカ】【オリキャラ】
取り残された君に会いに行こう、というお話。ミクさんとルカさんがメインですが多分ネギトロじゃないです。
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ミクの復調によりレコーディングも無事終了し、CDも先週発売された。大々的に宣伝を打たれたそれの売り上げは好調らしく、マスタは初めて見る権利関係の書類におどおどしながらサインをしていた。印税は一年後に支払われることになっているが、現在の時点でけっこうな額が約束されているようだ。
巡音ルカは六畳一間のアパートであてがわれた椅子に腰かけている。頑張ったご褒美にとマスタが買ってくれたものだ。職人が手作りしたという椅子の座り心地は大変良いものの、背もたれのへりがすり減っているのと、クッション部の端がほつれているのが気になる。つまり中古品ということである。まあそれでも、彼なりの精一杯だったのだろう。印税が入ったら新品を購入してほしいものだ。
マスタはCDの効果で他の曲の再生数も上がるんじゃないかと期待していたようだが、そう上手くはいかず、既存曲が話題になることは少なかった。
けれどもたまに、あのコンペをきっかけに知ってくれた人が好意的なコメントをくれたりして、そういう時は一日機嫌が良い。
「いやー、でもホント、夢みたいだったよな。俺の曲がCDになってショップで売られてんだよ?」
「知ってますよ。一緒に見に行ったでしょう?」
「棚の一段、丸ごと並んでたじゃん。まあみんな俺じゃなくてミクが歌ってるってので注目したんだろうけど。でも、俺が作ってルカも歌ってるもんな。すごいよなぁ」
ふわふわした笑顔で話しながら煙草の煙を吐く。
「どうする、またどっかからオファーがきちゃったりしたら」
「有名になりたいですか?」
「なりたくないわけじゃないよ、そりゃあ。やっぱ作る以上は誰かに聴いて欲しいしさ。まあでも、今のままでもいいかな。ルカのメンテナンスも慣れてきたことだし、褒めてくれる人もいるし、あんま困ってないか」
「有名になれたら専門業者にもっと高度なメンテをしてもらったりできますよ? それこそあのミクみたいに」
「ええ?」
マスタはなぜか眉をしかめて、隣にいるルカを見やった。
煙草が短くなって、それを消して、次の一本に火をつける。ココナツフレーバーをまといながら煙を塊で吐き出した。
「
……
他の奴にルカいじられんの、なんかヤなんだよね」
「愛の告白ですか? お気持ちは嬉しいですけど、マスターのことは何とも思っていませんし、私ボーカロイドですし。申し訳ありませんが人間の彼女を探していただけませんか」
「そうじゃねえ! そうじゃねえよ。だから、パートナーとしてルカのことについての責任は自分で負いたいって話だよ」
何を言ってるんだ、とブツブツこぼしながら煙草をふかすマスタ。険のある目元の下、頬がかすかに赤いのはまったくの的外れでもなかったせいだろう。
パートナーという非常に狭い単語に、ルカは満足感とともに、正反対の寂寞のようなものを感覚した。
君と僕、で完結する小さな世界。
『ここ』に戻って以降、ミクからは一度も連絡がない。
大きな世界の端っこを撫でた小さなルカは、けれど掴めはしないままそこから離れてしまった。
ルカは何もできないまま塔を下りてしまったし、ミクは何もできないまま塔に取り残された。
結果が間違っているとはおそらくミクもルカも思っていない。安定した元の形に戻っただけで、お互いに不幸はなく、ミクは彼に歌声を捧げるために在り、ルカはここでマスタの一喜一憂に相槌を打つために居る。
ルカとミクの未来線は、今後交わることはないのだろう。
動画サイトの新着作品を眺めていたマスタが「おっ」と一つの作品に注目した。
「新作来てる。さすが仕事速いなー」
ディスプレイを覗きこむと、PVつきの動画が再生を始めていた。以前より少しだけ親しみを持って、ルカは歌い踊る彼女の姿を眺める。相変わらずの、震えるほどたまらない声だった。
画面の中の彼女は、笑顔だ。
「うわ、転調やべえ
……
。なんでこんなセンスあるんだろ
……
。なあルカ、どう? こういうの好きじゃない?」
「そうですね
……
」
画面を見つめながら、どこか上の空でルカが答える。
「見てるだけだと、少しつまらないですね」
「えぇ? なんだよそれ。やっぱお前もこんなふうに歌って注目されたいんじゃん」
からかい交じりの、語尾に苦笑が滲んだマスタの言葉に、ルカは曖昧に笑う。
そういう意味ではなかったのだけれど。
「良い曲だと思います。でも私は、マスターの曲の方が好きですよ」
「そう? まあ、そう言ってもらえるとありがたいけど。単に聴き慣れてるってだけじゃないの」
マスタは緩む口元を煙草のフィルタを噛みつぶすことで誤魔化し、再生を終えた動画を自身の保存リストに登録した。
「一休みしてお茶でもいれましょうか。マスター、朝からずっとそこを動いてませんし」
「ああ、うん。でもいいよ、俺がやるから」
ジェンガや空き缶や風船が敷き詰められた床の、なんとか見えるけもの道を通ってマスタがキッチンに到達する。「なにがいい?」「じゃあコーヒーを」「はいよ」
ヤカンでお湯を沸かしている間に、カップを二つ取り出してインスタントコーヒーの粉を入れる。この部屋にコーヒーメーカなどというしゃれたものはない。
カップは色も形もちがっていた。
「砂糖はいらないんだっけ?」
「はい」
「そういうの、俺今まで知らなかったんだよなあ。つーかルカとお茶したり飯食ったりしたことなかったし」
「絶対に必要というわけではありませんから」
それはそうなんだけどさ、と、マスタはどこかバツが悪そうな語り口で呟いた。あれ以来、彼と彼女の関係はわずかな変化を見せている。そう、少しだけ、友好的になった。椅子なんて以前の彼では発想すらできなかっただろう。現在、彼は全裸どころか下着姿で室内を歩きまわることもしない。まあルカが起動していない時はどうか知らないけれど。羞恥心とは知恵の実を食べて『自己』と『他者』を区別するようになった時に生まれたらしい。そういう意味で、マスタは初めて、ルカをルカとして認めたのかもしれない。
不意に、ピロロンと軽快な電子音がマスタのパソコンから鳴った。メールの着信を知らせるものだった。「マスター、メールが届きましたよ」勝手に開いて確認するわけにもいかないので、カップにお湯を注ぐ背中へ声をかける。
「お? なんだろ」
両手にカップを持って戻ってきたマスタが一つをルカに渡し、もう一つをキーボードの横に置いてからマウスを操作し始めた。メーラーをアクティブにして新着メールを選択する。差出人が初音ミクとなっていて、思わず二人は顔を見合わせた。
「ルカ宛てになってる。って、本文真っ白じゃん。なんだこれ?」
スパムかと思ったが、差出人のメールアドレスは以前教えてもらったミクのプライベートアドレスだ。さて本文を書く前に送信してしまったのかと首を捻る。人間ならそんなうっかりミスも考えられるけれど、人ならぬボーカロイドである彼女は、メールを送るというルーチンを間違えない。
ならばこのメールはこれ単体で完結しているはずだ。一体どんな意味が込められているのだろう。
「あ、添付ファイルついてる」
マスタの言葉に目を移せば、確かに音声ファイルがひとつ、メールに添付されていた。「まさか、未発表曲の音源とかこっそり送ってくれたりしたんじゃないよな」まさかと言いつつ期待の見える口調だった。
たかだか一企画のコラボ相手にそんなことをするわけがないと内心で呆れつつ、ルカはマスタを促してファイルを再生してもらった。
次の瞬間、二人揃って耳をふさぐ。
「なな、なんだこれ!?」
マスタが狼狽するのも無理はない。スピーカが壊れるんじゃないかというほどの、超高音のシャウトが部屋中に響いている。ボーカロイドの特性上、人では発声不可能な高音を使用されることはあるけれど、これはさすがに常識の埒外だ。
部屋中を覆う声を聴きながら、ルカはそれによって記憶を呼び起されていた。
この音。
この声。
聴いたことがある。
たぶん、ルカだけが。
慌てて停止ボタンをクリックしたマスタは、呆然とした様子でディスプレイを見つめた。
「ファイル壊れてたのかな
……
。あー、耳痛ぇ
……
」
「そうではないと思いますよ」
「え?」
ルカに送られたメッセージ。激しく負荷をかけたその声の意味を、おそらく世界中でルカだけが知っている。
やれやれ、と肩をすくめたい気分だった。彼女がこんな手段を選んだ理由を想像する。恐かったのだろう。傍観者のスタンスを崩さなかったルカに対して、気まぐれの手を差し伸べてきたルカに対して、あれきり一度も連絡をしてこないルカに対して、何かを望んでしまうことが。
メールを受け取ったルカが何もしなかった時、「気づかなかったのだ」と自分を慰められるように。
コーヒーを口に含む。インスタント特有のざらざらした酸味と苦みが舌を刺激する。これはこれでオツなものだ。上級なものと下級なもの、双方を好んでも矛盾はしない。
選択を迫られていた。
「マジびびったー。これ、返信した方がいいのかな。一応ルカに来たメールだから、ルカから返す?」
「いえ、必要ありませんよ。マスター、ちょっと出かけてもいいでしょうか?」
ん?と首をかしげるマスタへ、空になったカップを返す。「おいしかったです」「あ、ああ」目が点になっているマスタへ笑いかける。彼は訳が判らないままだった。
「出かけるってどこに?」
「ちょっと、鳥に餌をあげに」
「はぁ
……
? うん、行ってらっしゃい」
クエスチョンマークを頭上に浮かべつつ、マスタが頷いた。
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