黒竹
2022-05-30 21:20:05
41083文字
Public VOCALOID
 

オブザーバーなら遠すぎる

【初音ミク】【巡音ルカ】【オリキャラ】
取り残された君に会いに行こう、というお話。ミクさんとルカさんがメインですが多分ネギトロじゃないです。

 部屋が狭すぎる、と、巡音ルカは初めて起動してから何度目か判らない愚痴を口の中で転がした。
 あるいは物が多すぎるのかもしれない。弦楽器に打楽器に鍵盤楽器、おもちゃのゼンマイやペットボトルに砂を入れたもの、ゴム紐、風船、さまざまな大きさの空き缶などなど。それらが出す音をひとつにまとめるために必要な機材がひとそろい。パソコンは大小合わせて三台がデスクに乗っている。あとは、人間が一人と人間大の機械が一台。その全てが六畳一間の一室に詰め込まれているのだ。狭いに決まっている。
 酔狂も大概にしてほしい。どうしてこの状況でボーカロイドを購入しようと思ったのだろう。ベッドまで楽器に浸食されているおかげで、わずかなスペースに丸くなって眠るような生活を送っていたくせに。
 ルカは今、六十センチ四方程度の空間に置かれたスタンドマイクの前に立っている。立って半畳寝て一畳とは言うが、だからって本当にそこから一歩も動けないような部屋はどうかと思うのだ。梱包を開けられて以来、ルカはそこから動いたことがなかった。自律行動型の面目丸潰れである。
 別に一日中休みなく立ちっぱなしでいたところで、筋肉痛になるわけでも体調を崩すわけでもないのだが、せっかく動ける身体で生まれたのだから、どうせなら動いてみたい。テレビを賑わせている『選ばれし』ボーカロイドのようにステージを駆け回ったりイベント会場で手を振ったりしなくていいから、せめて近所を散歩したりだとか、料理をしてみたりだとか、マスタの労をねぎらってマッサージをしてあげたりとか、そういうことをしてみたいのだ。
 小市民な夢を見るルカをあざ笑うかのように、壁に掛けられた小型ディスプレイがライブのネット中継を映し出していた。名のある音楽プロデューサに購入されたボーカロイドたちが、熱狂的な観衆へ歌声を届けている。彼らは選ばれし者だ。その歌声は百万を魅了する。使われている技術もライブラリも同じものなのに、彼らとルカの間にはけして越えられない隔たりが存在している。具体的に言えば、楽曲を動画共有サイトにアップロードした際の再生数として二桁ほどの隔たりが。
 ライブで歓声を浴びるボーカロイドたちに対して、羨む気持ちというのは持っていない。人間がアーティストに憧れを抱いても大多数は同じ場所に立ちたいとは思わないように、六畳一間のアパートで目覚めた巡音ルカは己の分をわきまえているつもりだ。
 ただ、ステージで歌う初音ミクが大変楽しそうなので、自分も少し楽しい気分にはなった。あれだけの歓声を受けたら、それは楽しいに違いない。
 マスタのことは嫌いではない。なんというか……彼は平等なのである。ギターとベースとシンセサイザーとドラムと巡音ルカ。ゼンマイと砂とゴム紐と風船と巡音ルカ。そういう同一線上の扱いをする。ひどいように思われるかもしれないが、彼はギターとゴム紐の扱いにも差をつけない。そういうフラットさを持っている。
 してみると、たとえ部屋が広くとも結局ルカはそこから動けないのかもしれないのだが、それでもお願いしてみることは可能になるだろう。一度でいいから寝転んでみたいのです、と。
 機材の隙間にはまりこんだ(何が部屋の主なのか一見して判断できない光景なのだ)マスタは横目でディスプレイを眺めながらも、それ以上にデスクのメインマシンの画面に気を取られていた。ルカの位置からは良く見えないが、どうやらけっこうな頻度でメールチェックをしているらしいことは判った。
 ライブがアンコールに入る頃、唐突にマスタの両手が上がった。まさかディスプレイから銃を突きつけられたわけでもあるまい。その両手は力強く握りかためられている。間違いなくガッツポーズである。
「ぃぃいやったあぁぁぁー!!」
「どうしたんですか、マスター?」
 いきなりのハイテンションに軽く引きながら尋ねると、彼は満面の笑みでルカへ振り向いた。
「当たった、当たったんだよ!」
「マスタに何かがぶつかったようには見えませんでしたが、その様子だとさぞかし打ちどころが悪かったようですね」
「ちがっう!」
 ディスプレイをルカに見えるよう角度を変えて、届いたばかりのメールを指さす。
 少し遠かったのでルカは視覚の精度を上げた。運営事務所、と差出人の欄にあり、先日行われた企画コンペでマスタの曲が選ばれた旨が記載されていた。
「ああ、この間歌った曲ですか? おめでとうございます」
 そういえば二ヶ月ほど前、マスタが寝食を忘れて作った曲に歌を入れた。鬼気迫る様子にルカもなんだか切羽詰まった気持ちになって、いつも以上に真剣に歌ったのを覚えている。
 マスタがデスクの脇に置かれていたジェンガのブロックを鷲掴みにして真上へ放り投げた。いくつか頭に当たったが彼は気にする様子がなく、また部屋がさらに散らかったことにも頓着していないようだった。
「もっと喜んでよ! ルカ、あのミクと一緒に歌えるんだぞ!?」
 アンコール曲を笑顔で歌っている初音ミクへ目をやる。界隈で一、二を争う人気プロデューサが使用しているボーカロイドだ。なるほど、コンペはそういう内容だったらしい。興味がなかったから聞きもしなかった。
 マスタが詳しく説明してくれたところによると、応募曲の中から一曲を選んで、かのプロデューサがアレンジし、ミクと応募者の使用するボーカロイドでデュエットさせたものをCDとして発売するそうだ。けっこうすごい企画である。よくマスタが選ばれたものだと内心で思う。ああいう企画は発表前に当選者が決まっていたりするんじゃないかと思っていたが、そうでもないらしい。
 早速メールの返信を書き始めたマスタの背中を眺めつつ、ルカはあの歌高音が多くて喉に負担がかかるからあまり歌いたくないなあとか思っていた。