主足怪文書不法投棄

アカウント移行前に新書ページメーカーで投稿していたものをまとめてみました


ベルベットルームの祝杯


鳴上悠の独白

足立さんは、ずっと俺を試していた。
あるときは、共犯関係に堕ちて戻れなくなった俺を見下ろして「犯罪者」と、わざとらしく罵倒した。
またあるときは、人をテレビに突き落とす瞬間を見せつけて「後よろしくね」と、にやにや笑った。
そしてある夜は、酒の匂いを纏わせて俺に寄りかかり「ねえ、壊してよ」と、弱々しく懇願してきた。

怒ってほしかったのかもしれない。非難してほしかったのかもしれない。あるいは、本当に壊して、終わらせてほしかったのかもしれない。
でも、俺にはできなかった。どれだけ傷つけられても、足立さんを突き放すことはできなかった。足立さんが望んだ役には、結局なれなかった。
──それでも、傍にいると決めたはずだった。

けれど。
あの日、屋上に呼び出されたときには、すでに遅かった。雑居ビルの最上階。柵の向こう側で待っていた足立さんは、俺を見て笑っていた。
飽きた時の、全部どうでもよくなった時の、虚無を映した目。とってつけたように引き上げられた口角。
……ゲームオーバーだよ、悠くん」
「最初はちょっと楽しかったんだよ?でも結局、君って何もしてくれないじゃん。罵っても怒んないし、試しても裏切んないし、懇願しても壊してくれないし」
……なんか、もう、つまんなくなっちゃった」
その言葉が冗談なのか、本音なのかなんて、わからなかった。言いたいことだけ言って、目の前で身を投げる足立さんを──俺は、止めることができなかった。

今でも耳の奥に焼きついている。
「じゃあね。次は、もうちょっと上手くやりなよ?」
それが、俺に向けられた最期の言葉だった。

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瀬多総司の独白

足立さんは捕まった。だから、俺は待つことにした。
面会を申し込んだが、許可してもらえなかった。
返事が来ないとわかっていても、何度も手紙を出した。季節の移ろいを書き、学校での出来事を書き、ちょっとした日常の愚痴なんかも添えた。返ってくることのない手紙を、ただ一方的に綴り続けた。

そんなことを数年続けていたある日、叔父さんから静かに告げられた。──足立さんの極刑が確定したと。
何度もその言葉を脳内で反芻したが、しばらく意味を理解できなかった。けれど、思い描いた未来が一瞬で崩れ落ちたことに気づくのは、そう遅くなかった。

俺の時間は止まった。世界から色が消えた。
それからの毎日は、感情のない作業だった。起きて、食べて、動いて、寝る。繰り返すだけの毎日。何を見ても、何を聞いても、何も心が動かなかった。
そんなある日。ポストに一通の手紙が届いていた。
差出人は──足立透。

見間違いじゃないかと何度も目をこすった。けれど確かに、その名前だった。事件の真相に辿り着くきっかけとなった、あの手紙と同じ筆跡がそこにあった。
『面会なんてしたって、キミの顔見たら気まずくて笑っちゃうだろ。だから拒否しといた』
『手紙は読んでたよ。全部。季節の話とか真面目に書いてくるから、メルマガでも登録したのかと思った』
その文章は、いつもの足立さんだった。皮肉が効いてて、掴みどころがなくて、でも、手紙だと少し素直。
そして、手紙の最後に──『キミは幸せになりなよ』
その言葉が冗談なのか本音なのか、もう確かめようがない。それでも、ひとつだけ確信したことがある。

──俺の幸せは、足立さんがいないと成立しない。

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月森孝介の独白

刑期を終えて出所した足立さんを、俺は引き取った。足立さんには行く当てがなかったから。そう言えば聞こえはいいが、本当は違う。
誰にも渡したくなかった。裁きを終えた、もう誰のものでもないあの人を、俺が迎えたかっただけだった。

最初は普通だった。スーパーの特売品に食いついたり、テレビに悪態ついたり。「ようやく社会復帰した新人なんですけど?」なんて自虐を言う余裕もあった。
しかし、社会の風当たりは強い。噂はすぐに広まり、何をするにも視線がついてくる。刑務所から出たばかりの精細な足立さんの精神は摩耗していく一方だった。
……上手く、いかないもんだね」
ある夜、ぼそりとそう呟いたのが最後だった。

それから、足立さんは少しずつ上手く言葉が出なくなった。会話の途中でつっかえたり、簡単な言い回しを選ぶようになる。語彙も態度も表情さえも柔らかく軟化していき、まるで子どものように退行していった。
「孝介くん」
「お腹、空いたな」
……今日、どこもいかない?」
今では、俺が傍にいなければ、足立さんは日々をまともに送ることすらできない。
それでも、足立さんがここで生きているという事実に俺は救われている。壊れてしまったとしても、俺を正しく認識できていないとしても、それでも足立さんはここにいる。
自分を保てなくなっても、誰かに頼って共に生きる道を、この人は無意識に選んでくれた。それなら、俺はこれからも守っていく。愛おしい、この人を。

──あと一度だけでも。あの頃の足立さんに会いたいと願ってしまうのは、罪になってしまうだろうか。

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ベルベットルーム

豪華な見慣れた青い内装の車内に、今日は主も秘書もいない。三人のよく似た男が座っている。

口火を切ったのは、骨箱を膝に抱えた瀬多総司。
「俺は、待ち続けた。足立さんが罪を償って帰ってきてくれるって、信じてた。待つことしか、できなかった。……でも、その日が来る前に、全部終わった」

小さく笑う、黄色いモッズコートを羽織った鳴上悠。
「俺は傍にいたよ。足立さんと一緒に堕ちて、罪を分け合ったつもりだった。でも、俺はあの人が求めていたことができなかったから、ゲームオーバーだって」

最後に口を開いたのは、度の入っていないツーブリッジ眼鏡をかけた月森孝介。
「俺は、守れなかった。……足立さんがこの眼鏡をかけることすらやめた時、わかったんだ。完全に自分の世界を閉じたんだって。……もう、あの頃の足立さんに戻ることはないんだろうって」

三人はそれぞれの足立透を思い出す。
帰りを信じて待ち続けた面影。共に堕ちてなお、届かなかった背中。壊れても傍に在り続ける存在。

「どうして、こうなってしまったんだろう」
「どうすれば、足立さんを救えたんだろう」
「俺たちは、一体どこで間違えたんだろう」
違う選択をし、違う結末を辿ってきた自分自身。けれど、たどり着いたのは同じ問いだった。
長い沈黙のあと、三人のうち誰かがふっと微笑んだ。
──それは、次の巡りに託すような、小さな祈り。
……次の俺は、もっと上手くやってくれるといいな」
その言葉に、残りの二人も同じように微笑む。
景色は、青い光に溶けていく。

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鳴上悠の回答

手紙を書いている。明日、十年ぶりに再会する足立さんに向けて。きっと対面したら感極まって伝えたいこともろくに言葉にできないだろうから。この十年間続けてきた、手紙で気持ちを伝えようと思う。
今まで返事をくれたことはなかった。読んでくれているかも分からない。いや、足立さんならきっと読んでくれている。そんな確信が、俺にはあった。

あの冬、俺たちは互いの思いをぶつけ合い、拳を交えて、本心をさらけ出した。そしてその後、四つ揃ったマグカップを見つめる足立さんの、まるで憑き物が落ちたような──前の俺には見ることのできなかった、あの表情が、なによりの答えだった。
救えたとは言わない。それでも、少なくとも──あの全てがどうでもよくなったような、虚ろな顔していた足立さんとは、まるで別人だった。最初の一歩を踏み出せた気がした。それだけで十分だった。
前の俺はといえば、ただ傍にいる。その最初の選択を最後に、何もできなかった。──でも、今回は違う。声を張り上げて怒鳴った。綺麗事をぶつけた。感情のままに殴りすぎたが、後悔はしていない。これで足立さんが揺らいだのは、あの人の中に少しでも変わりたい、という気持ちがあったからだと思う。

足立さんが傍にいないのは、やっぱり寂しい。正直、手紙じゃ物足りない。あの時はどれだけ苦しくても離れられなかったのに、今更こう思ってしまうのは身勝手だろうか。──それでも、失敗の記憶があるからこそ今の俺がいる、そう思えるようになった。

足立さんは今、生きている。
罪を償いながら、同じ時間を生きている。それがどれほど尊いことか、俺は身をもって知っている。

今度は、上手くやれたでしょうか。

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瀬多総司の幸福

足立さんが出所して、もうすぐ一年になる。
同居中の家。リビングのこたつに潜り込み、カーテンの隙間から差し込む早めの春の光を浴びながら、ぬくぬくと丸くなっている無防備な背中を見ると、たまらなく幸せで──思わず泣きそうになってしまう。

足立さんを刑務所まで迎えに行った日のことは、今でも覚えてる。痩せた身体、うつむいた顔。見た目は大きく変わってないのに、どこか遠い存在になってしまったように見えた。でも、俺と目が合った瞬間、バツが悪そうにふっと笑った。「……待ってたの?」と。

何十年だって、何百年だって待つつもりでいた。過去の俺には、それすら許されなかった。最期の言葉すら交わせないまま、置いて行かれてしまったから。
だから今回は、ちゃんと目を見て、手を取って、「おかえりなさい」と笑顔で迎えたかった。
この一年、特別なことはなにもない。
俺が料理をして、気まぐれに足立さんが空いた家事を手伝ってくれる。夕方には二人でスーパーに出かけて、安売りの卵に食いついたり、鍋用のカット野菜を見て「手抜きだなぁ」と文句を言ったり。そんな何気ない一言一言が、どうしようもなく嬉しかった。足立さんが今を生きてると、実感できるから。
足立さんの人を食ったような物言いは昔と変わらない。俺に意地悪なところは、むしろ酷くなった気もするけど。でも、ふとした時に俺の顔を見て、安心したように笑う。その顔を見るたびに思う。この人は、ちゃんとここにいる。俺の隣で、同じ時間を歩いてくれている──俺にはそれだけで、十分だった。

足立さん。あなたは最期まで、どこか他人事のように俺の幸せを案じてくれていたけど。
やっぱり俺はあなたがいないと幸せになれなかった。

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月森孝介の追跡

事件は霧の中に消えた。
足立透が犯人という真実を知る者は、俺だけ。告発する選択肢など、最初からなかった。罪を見逃し、真実から目を逸らす。俺は世界より、足立さんを選んだ。
八十稲羽を発つ間際、唐突に海外赴任が決まったと知らされたときは、さすがの俺もかなり驚いた。けれど、もう一度手に入れたこのチャンス、そう簡単に手放すわけにはいかなかった。

足立さんが姿を消してから数年。都会に戻った俺は、とにかく社会的信用を積み重ねた。海外に拠点を持つ一流企業に勤め、少しずつ、確実に足場を整えた。
あるツテを使って、俺はついに足立さんの現在地を特定することが叶った。あとはその国に海外転勤を志願。経歴も、成績も、志望動機も、完璧に整えて。

……なんで、君がここに」
戸惑いと怯えが入り混じったその声は、まるで幽霊でも見たかのようだった。俺は微笑んだまま、一歩、また一歩と近づく。足立さんは反射的に後ずさる。その仕草すら懐かしくて、愛おしくて、たまらなかった。
「いいですね、海外」
穏やかにそう呟くと、彼の肩がわずかに跳ねる。
「誰も事件のことを知らず、誰も貴方を裁かない」
揺れる瞳を見つめながら、構わず言葉を重ねる。
「俺だけでいいでしょう?貴方のことを知って、全部赦してる。……そんな人、他にいませんよね?」
足立さんは何かを言いかけては、口ごもる。逃げようとはしない。ただ、その場に立ち尽くしているだけ。
「ここで、二人で暮らしましょう。誰にも見つからず、全部忘れて……俺と、幸せになりましょう」
そう囁いて、自然な動作で足立の手をとる。手の甲にキスを落とし、うっとりと目を細めて見下ろした。
「──もう逃がしませんよ、足立さん」

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ベルベットルーム

豪華な見慣れた青い内装の車内。今日は主も秘書もいない。三人のよく似た男が、静かに座っている。

エプロンを身に着けた瀬多総司が、柔らかく笑う。
「足立さんが傍にいるだけで、世界が鮮やかに見えるよ。特別なことは何もない、そんな当たり前の日常も幸せで。……俺、やっとおかえりって言えたんだ」

手紙を持った鳴上悠が、その笑顔につられて微笑む。
……十年って、こんなに長いんだな。俺は明日、迎えに行く。まだ始まりにすぎないけど──あの足立さんなら、きっと、もう一度やり直せると思う」

月森孝介は左手の薬指をそっと撫でる。
「こっちは完全に逃亡犯。まさか海外に逃げられるとは思わなかったけど、当然迎えに行った。今も警戒されてる気はするけど……これ、外さないんだ」
三人はそれぞれの足立透を思い出す。
当たり前のようにただいま、と呟いて帰宅する姿。
四つのマグカップを見て、何か言いたげだった姿。
指輪をはめられて、諦めたように肩を落とした姿。
「今回の俺たちは、悪くなかったな」
……今度こそ、ちゃんと救えたかな」
「ああ。俺たちも、足立さんも、きっと」
静かな沈黙が三人の間に流れる。やがて誰からともなく、ふっと微笑みがこぼれる。それは、確かに届いた幸せにそっと指を添えるような、静かな余韻だった。

「そういえば、こここのウイスキーって飲めるのかな」
……怒られないか?」
「俺たちのベルベットルームだろ?」
「祝杯でもあげておくか?」
誰が最初にグラスを取ったのかは、思い出せない。
ただ、その時、三人とも間違いなく笑っていた。