主足怪文書不法投棄

アカウント移行前に新書ページメーカーで投稿していたものをまとめてみました


映画を観たいだけ


夜。二人はソファに隣り合って座りつつ、サブスクリプションの映画を再生しながらゆったりとした時間を過ごしていた。少なくとも足立はそう認識していた。
異常があるとすれば、アイスコーヒーを飲み干した鳴上が、グラスの中に入っていた氷をガリガリと音を立てて噛み砕くことくらいだろうか。その異様な音がリビングに響くたび、足立の嫌な予感が、予感から確信に変わっていく。しまいには、足立がカフェオレを飲み終えたタイミングを見計らって「氷、もらってもいいですか」と聞いてくる始末だ。
足立はこれまでの経験で、鳴上が氷を食べたがる意味を痛いほど理解している。これは比喩ではない。物理的な痛みを伴って体で刻まれている理解だ。

……もう、わかった。わかったってば」
観念したようにため息をつき、足立は映画の内容を見逃さないよう、テレビ画面から目を逸らさぬまま、自分の手を鳴上に差し出す。人差し指を鳴上の口元へと持っていき、半ば投げやりに言葉を落とした。
「そんなに噛みたいなら、ほら……ここ噛んでなよ」
唐突な提案に、鳴上は思わず目を丸くする。普段は自分から無理に迫って噛んでしまうのに、今日は足立の方から差し出してきたのだから。
……足立さんが、自分から……?)
驚きと喜びと、抑えきれない欲が混ざり合い「本当に、いいんですか?」と、恐る恐る訊ねることが今の鳴上には精一杯だった。
……今更それ聞く?だったら普段も確認してくれる?あと、許可しなかったらやめてほしいんだけど」
乾いた笑いを浮かべる足立の指を、鳴上はお言葉に甘えてそっと口に含んだ。返事はしない。拒否されたところで到底我慢できる気がしないからだ。守れない約束を承認するのは、不誠実だろう。
足立を噛みたいと思っていたのは事実だ。足立さんは俺のことをこんなに理解してくれている、と内心浮かれている鳴上。ただ単に、足立を噛みたい時は氷を噛むという自身のクセを未だに認知していないだけだ。

歯が軽く当たった瞬間、足立が小さく身じろぎする。足立の方へ視線を向ければ、視線はテレビ画面に向けられているが、耳が赤く染まっているのが見える。その反応に、抑えていた欲が一気に膨れ上がった。
……だめだ、指だけで済ませられる気がしない)
噛みたい、舐めたい、押し倒したい衝動がじわじわとせり上がる。しかし、足立が指を差し出したのは、それを抑えるための譲歩だと理解している。理解してしまったが故に、鳴上は必死でその衝動を押し殺す。
……俺、たまに足立さんが無防備で危なっかしくて心配になります」
「うん。心配してくれるのは嬉しいけど、僕が危ういんじゃなくて、君が危ない猛獣なだけなんだよね」
通常運転に見えるが、皮肉を返す足立の声は上ずっていて、鳴上の欲を更に煽っていく。そんな鳴上の内心も知らず、足立はわざとらしく肩を竦めて続けた。
「こうやって噛ませてあげれば、急に襲ってきたりしないでしょ。ね?」
なんで今までこれやらなかったんだろ、僕ってば天才じゃん、と口々に呟く足立の言葉を半ば聞き流しつつ、鳴上は噛む代わりに口に含んだ指先を舌で優しくなぞった。そのぬるりとした感触に足立がびくりと震えたのを見て、噛みたい欲とはまた別の欲が浮かび上がりそうになる。いいや、もう手遅れだろう。
この衝動をいつ告白すれば足立は絆されてくれるだろうか。鳴上の心理戦が今始まる。

指先を舐められるたびに、登場人物たちの台詞が脳内を素通りしていく。集中しようとしても神経が手元に集中してしまい、全く集中できない。
……っ、ねえ。僕、噛むのは許したけど、舐めていいなんて言ってないと思うんだけど……?」
震える声で抗議してみるが、返事はない。代わりに、鳴上の熱のこもった視線が足立へ突き刺さる。
足立は最早意地だけでテレビ画面へ視線を向けている。内容はまるで頭に入ってこない。指先の熱が、じんわりと体中に広がっていく。
……足立さんがこうして指を差し出してくれるなんて、夢みたいです。またやってくれたら嬉しいです」
……夢じゃなくて、悪夢かも。……僕、今すっごく後悔……っ、してるから。期待、しないでよね」
いつも通りの軽口を叩くが、鳴上が噛むたび、舐めるたび、足立の言葉が詰まる。その可愛らしい反応を、鳴上は文字通り味わっていた。

……安心してください。襲いかかりはしません」
「ほんとに……?目がぜんぜん信用できないけど」
唇の柔らかさと舌の熱があまりに生々しい。妙な気分になってきたことに危機感を覚えた足立が差し出した指を引き抜こうとすれば、鳴上は指を噛む力を少し強め、足立の手首を掴み、固定する。
……これ、解放してくれないやつ?」
「はい。まだ足りませんから」
あまりにも素直な返事に、足立は返す言葉を失う。抗議しようとしても、鳴上の舌が指の腹をなぞっただけで頭が真っ白になり、言葉が途中で途切れてしまう。
……っ、あのねぇ……僕の指は、おやつじゃ……
言い切る前に、指が解放されたかと思えば、熱い舌が指の間をゆっくりと舐る。想定外の感覚に、足立はびくんと肩を震わせ、つい声を洩らしてしまった。
「ん……っ、あ……
自分でも驚くほど甘い声。慌てて口を押さえたが、既に鳴上の耳には届いている。もう手遅れだった。
……今の、気持ちよかったですか?」
「き、聞かなかったことにして!」
顔を真っ赤にしながら必死に抗議する足立をよそに、鳴上は指の間を再び舐め上げた。わざと音を立てて啜るたびに、足立の身体から小さな震えが走る。とうとう視線はテレビ画面から鳴上に向けられていた。
……本当に、映画を観る気あるんですか、足立さん」
「僕は観る気あるよ!君が……っ、変なこと……!」
情けなく裏返る声へ、鳴上はその反応を楽しむように静かに微笑んだ。
……なら、どうぞ映画に集中してください。俺のことは気にしなくていいですから」
言葉と同時に、鳴上は甘やかすように舐めていた舌を止め、ふいに歯を立てて指先を噛む。柔から硬への急な変化に、足立はびくりと肩を震わせ息を呑んだ。
「ん……っ、う……っ」
……そんなに声を出して、内容が頭に入りますか?」
「君、絶対集中させる気ないじゃん……!」
鳴上はわざとらしく息を吐き、言葉を重ねた。
「手を差し出してきたのは足立さんですよ?俺はお言葉に甘えているだけです」
「そ、それは……っ、こうなるとは……
言い訳も最後まで続かない。指の根本から奉仕するように、ねっとりと舐め上げる。他の行為を彷彿とさせるようなその動きに、足立は声を抑えられない。
「ん……っ、や…………♡」
声を洩らすたび、鳴上の愛撫は激しくなっていく一方で。やがて、映画のクライマックスを告げる音楽が響き始めても、足立の意識は画面ではなく、舐め尽くされる手に引き寄せられたままだった。

「この映画、なかなか面白かったですね。……後で感想聞かせてください、足立さん」
エンドロールに差し掛かる頃には、びくびくと痙攣する足立の体が、ぐったりと鳴上に預けられていた。