主足怪文書不法投棄

アカウント移行前に新書ページメーカーで投稿していたものをまとめてみました


異物混入


「カップ麺とかテキトーにね」
そう苦笑いを浮かべる足立のすさんだ食生活事情を知った鳴上は、気づけば頻繁に足立に手料理を差し入れるようになっていた。
最初は夕飯の残り物を詰めた程度だった。けれど、いつの間にかそれは足立のために一から作る料理へと変わっていた。堂島家で食卓を囲んだ時のふとした感想を頼りに、味を調節したり、キャベツが好きと知ってからは、飽きがこないようアレンジを工夫したり。足立の喜ぶ顔が見たくて、自然と身体が動いていた。

足立は毎回、料理を受け取ってくれる。「僕は君に何を返せばいいのさ」とぼやきながらも、断ることは一度もなかった。けれど、どこか遠慮でも諦めでもない、複雑な表情を浮かべていたのが気になっていた。

鳴上にはひとつの疑念があった。
足立は一応、料理の感想を教えてくれる。ただ、その返答があまりにもテンプレートすぎるのだ。どんなに味付けを変えても、だしの取り方を工夫しても、具材をアレンジしても「美味かったよ」の一点張り。
──もしかして食べてくれていないんじゃ?

鳴上だって足立のことを疑いたくはなかった。しかし、それでも確かめずにはいられなかった。
だから、その日はわざと料理の味を濃くしてみた。自分でも顔をしかめるほどには濃く仕上げた。
結果、返ってきた感想は、いつもと変わらなかった。
「あー。うん。美味かったよ。また上達した?はは」
変わらない調子。変わらない笑顔。それでいて目が合う時間はやけに短く、足立はそのままそそくさと自宅に戻っていく。鳴上は玄関扉前で立ち尽くした。

……やっぱり、食べてない)
疑念が確信に変わるには、十分すぎる反応だった。
これは、料理を食べてもらえていなかったことへのショックでは済まない。ほんの一口でも食べてくれていたら、それでよかったのに。味が薄いとか、煮崩れていたとか、そんな文句でも構わなかった。足立の舌を通して自分の存在を感じてもらい、その料理で足立の身体を満たす。あとは話のきっかけにでもなれば、それだけで満足できたはずなのに。足立から返ってくるのは空っぽの感想ばかりだった。
それでも手を止められなかった。次こそはと信じて、また包丁を握る。そうして何度も同じことを繰り返すうちに、鳴上はとうとう自分の真意に気がつく。

鳴上が本当に欲していたのは、感謝の言葉でもなければ、足立の健康でもなかった。
それはただ、自分の痕跡を彼の身体のどこかに残したいという、静かで歪な執着だった。
一粒の米でもいい。食材が舌に触れたかすかな感触でもいい。味や匂い、温度の記憶──それだけでも。
自分の作った料理が、足立の身体を満たす。そう想像するだけで、鳴上の胸はひどく満たされた。足立に料理を食べさせるという行為は、鳴上にとって、もはやただの食事ではなかった。
自分という存在を足立の中に流し込むような、言葉よりも濃く、物質的な繋がりだった。

……どうせ、食べてくれないなら)
その考えがよぎったのは、ある日のことだった。
ほんの気まぐれのつもり。そう思いたかった。けれど、その欲は確かに、心のどこかで熟していた。
たとえば、スプーン一杯分の唾液。味にはほとんど影響しない。気づかれることもないだろう。もし足立が気まぐれに食べている日もあるのなら、その一滴は彼の体内に取り込まれることになる。
食べなかったとしても、構わなかった。
そうなると彼は、自分でも気づかないうちに、そんな汚れたものに触れていたことになる。
自分には「美味かったよ」と微笑みながら、一口も食べていない料理を処分する──その光景を思い浮かべるたび、妙な興奮が鳴上の胸の奥を焼いた。
穢されていることに気づかない。こんな狂ったことをされているとも知らず、平気で日常を過ごしている──その無知さが、たまらなく愛おしい。
むしろ、知らないままでいてほしい。何も知らず、自分が汚したことにも気づかず過ごしてくれたら。たとえ痕跡なんて残らなくても、それだけでよかった。

それからも、足立の反応は特に変わらなかった。次第に鳴上は、唾液程度では物足りなくなっていく。もっと汚したい。もっと穢したい。鳴上は歯止めが利かなくなることを自覚しながら、それでも止まれない。
その日はシチューだった。足立へ差し入れする分をタッパーに詰め、その乳白色のとろりとしたルーの表面を眺めているうちに、とうとう魔が差す。
(……これなら、バレないんじゃ?)
これから行おうとしていることを想像するだけで、鳴上の下半身は素直に反応してしまっていた。

鳴上はタッパーを自室に運ぶと、静かにズボンと一緒に下着も下ろす。硬く上を向いた自身に手を添え、シチューへ目線を落とした。溜まった唾液をごくりと嚥下し、目を閉じて足立のことを想う。
足立は、鳴上がこうして足立を汚していることを知らない。その無知につけ込み、自分はなんて卑劣なことをしているのだろう。そう自覚するたび、背徳感と興奮が鳴上の背筋を駆け抜けていった。
「ん……っ」
鳴上は足立のことを考えながら自身を慰める。
足立がこれを食べるかもしれない。そんな想像だけで、鳴上のそれはさらに質量を増した。
「は……っ、足立さん……
足立の名前を呼びながら、鳴上は自身を慰め続ける。
足立さん、好きです、好き、気持ちいい──熱に浮かされたように、鳴上はその想いを口にした。言葉にするたび興奮が増していく。その勢いのまま心置きなく自身を擦れば、やがて限界が訪れる。鳴上は手の動きを早め、そのまま達した。
「はあっ、はあ……っ」
肩で息をしながら、鳴上は目の前のタッパーを呆然と眺める。とうとうやってしまった。
「あ、はは……
乾いた笑いが口から零れた。料理に精液をかけるなんて、どうかしている。そうは思っても、やってしまったことは取り消せない。なにより、早くこれを足立に渡してしまいたいと考える自分が恐ろしかった。
結果、最後まで足立に言及されることはなかった。
あれからも足立の感想はテンプレートから繰り出され、鳴上もまた、何事もなかったように料理を差し入れ続け――体液を混ぜる行為もやめられずにいた。

出所した足立と共に暮らすようになった今、鳴上はその記憶をときおり思い出す。食卓で向かい合って食事をするとき。ふと、あの頃の自分の異常すぎる行動を思い返し、思わず苦笑する。
……どうかしてたな」
その呟きに足立は怪訝そうに首をかしげるが、鳴上は首を振ってごまかす。これが若気の至りというものなのだろう。胸の奥に秘めておくしかなかった。

最近になって、足立はあの頃の差し入れをほとんど捨てていたと自ら白状した。
「だって、君のこと嫌いだったし……ねえ?」
そう苦笑いを浮かべながらも、今は目をそらさずに言ってくれる。その顔に鳴上は心底ほっとして、同時に肩の力が抜けるのを感じた。それが安堵か悔恨か、自分でもよく分からない。
今は隣で同じものを食べている。湯気の立つシチューを食べながら、十年前には想像もしなかった穏やかさを、鳴上は小さく噛みしめる。

足立がふとスプーンを止めて呟く。
「君、シチューの作り方が二通りあったりする?」
急な質問だった。テレビからはバラエティ番組の賑やかな音が流れ、テーブルには湯気を立てる皿が並んでいる。今夜のシチューは少しだけ具材の選び方を変えていた。鳴上の意識はそちらに向いていたせいで、一瞬、その問いの意味を正しく捉え損ねた。
……はい?」
「ああいや、今のこれも美味いけどさ」
足立は再びシチューをすくい、口へ運ぶ。
「昔差し入れしてくれたやつ、結構好きだったんだよね。あれ、もう作れないの?」
何の気なしに口にされた一言だった。懐かしむためだけの、軽い雑談。特別な意図などない、ただの思い出話。けれど、鳴上はその一言で思わず硬直した。
(まさか、あれを……?)
手に持っていたスプーンがわずかに震える。指先の感覚が薄れ、次第に冷たくなっていく。鼓動が騒がしくなり、頭の中では足立の言葉が反芻されていた。
言いようのない感情が胸の内側をじわじわと満たしていく。罪悪感とも背徳とも違う、名付けようのない熱。鳴上は目を伏せたまま、そっとスプーンを置いた。
……今度、作りますね」
そう口に出した瞬間、胸の奥が更に熱くなる。誰がこんな状況を想定できただろうか。
「あ、そう?……なんか顔、赤くない?」