主足怪文書不法投棄

アカウント移行前に新書ページメーカーで投稿していたものをまとめてみました



朝。ほんのり明るくなり始めた部屋の中で、足立はぼんやりと瞼を開けた。
心地よい温かさ。柔らかい毛布。そして隣に──
……ん?」
目の前にいたのは、知らない犬。……にしては、でかすぎる。そのサイズは足立とさほど変わらないどころか、若干大きいまである。銀色の毛並み。大きな耳。すらりとした長い脚。ふさふさした尻尾。
「おお、かみ……?」
思わず呟いたその瞬間、血の気が引いた。
「ちょっ……!?待って、えっ、なっ、なに!?」
ベッドから飛び起きて困惑の声を上げる足立に驚いたのか、眠っていた犬は跳ね起き──そのまま、後ろで眠っていた鳴上悠の上に落ちた。
「ぐえっ!?」
思いがけぬ不意打ちの衝撃へ情けない声を上げる鳴上に一ミリも笑う余裕がない足立は、じりじりと後退し、その大きな獣を刺激しないようジリジリと扉の方へ移動を試みる。
鳴上の上に落ちてバランスを崩した犬は、ベッドの端からずるずると床へ滑り落ち、じたばたと体勢を立て直している。

「いてて……おはようございます、足立さん」
起き上がった鳴上は極めて冷静で、軽く自分の前髪を整えながら状況を確認する。その視線の先で、犬は不安そうに前足を揃え、耳を伏せていた。
「ね、ねえ……?それ、なに……なんなのさ……
不安げに犬を見つめる足立に犬の方も恐怖心を察知したのか、自分は無害だとでも言いたげに、ぺたりと伏せの体勢になった。
そんな犬の様子を暫し観察していた鳴上は、少しの沈黙の後、至極真面目な顔で、ぽつりと呟いた。
……俺の、シャドウ?」
……は?」
「目がシャドウに似ていませんか?それに、毛の色や、前髪のような毛も、心なしか俺に似ている気が」
そんなわけがあってたまるかと思いつつも、足立はちらりと横目で犬を確認してみる。悔しいが言われてみれば似ている気もする。それよりも、何故かこちらを凝視していることの方が気がかりだ。刺激してはいけないとすぐに犬から目を逸らす。

犬は申し訳なさそうに耳を伏せたまま、しかし、じりじりと、足立の方へ前足を伸ばす。
「ひっ……!来ないで!僕、犬苦手なんだって!」
足立が後ずさり壁に張り付くと、犬はびくりと動きを止め、前足を引っ込めてしょんぼりと伏せ直した。尻尾まで力なくぺたりと床に垂れている。
「そんなに怖がらなくても……
鳴上が犬の頭をそっと撫でると、犬は目を細め、自ら頭を押し付ける。攻撃性はまるでない。ただただ甘えたがっているような様子だ。
「ほら、怖くないですよ」
足立さんもほら、とでも言いたげに鳴上が足立を見やるが、足立は本当に犬が苦手なのである。油断できぬ緊張感で一人と一匹を遠目から見ていると、鳴上が犬に触れながら「ん?」と不意に首を傾げる。
……この子、犬じゃないかもしれません」
「犬じゃない……?というか、なんでずっとそんなに冷静なのさ君は……!」
「犬というより、狼の方がしっくりきませんか?」
その言葉に、伏せていた犬──ではなく狼は、確かに反応を見せた。
ぴくりと耳を動かしたかと思えば、鳴上の方を見上げ、首を縦に、こくん、と一度だけ振った。

……嘘でしょ?今の、頷いた?」
狼はそれに答えるように、今度は足立の方を向いて、もう一度頷いて見せた。
「いやいやいや……何これ。リアルすぎる夢?」
未だに現実感をまるで感じない足立は、一周回ってリラックスする余裕すらできてきた。額を押さえ、大きくため息をつく。
「そもそも、さ。……これがシャドウだったとして、なんで狼なわけ?君、変身願望とか持ってるの?」
「流石にそれは俺にも分かりかねます……が、狼の愛情表現は体を甘噛みすることだった気が」
……なに、急に」
足立は訝し気に鳴上の顔を見やる。日頃の被害を思い出すだけで気疲れすらしてきた。
「じゃあなに?これ、君のいつもの噛みたい欲が実体化したとかそういうアレ?」
「そこまで単純じゃないと……思いたいですけど」
足立は、鳴上とその横で伏せたまま様子を窺う狼を見比べる。仕草も、目つきも、空気の読み方すらも似ている気がしてきて、頭が痛くなってきた。
「待って待って……あれだけ僕のこと噛んでて、なお分裂するほど満たされてなかったってこと?」
「それは……その、満たされていないわけでは……
鳴上が珍しく言葉に詰まる。それだけで、足立的には日々譲歩しているつもりでも、彼の中の欲はくすぶったままであるということに嫌でも気づいてしまう。

「ねえ……その子、本当に噛まないの」
「今のところは、大丈夫そうですけど……
鳴上も狼も、じっと足立を見つめている。その表情があまりにもそっくりで。まるで“次に噛むなら、ここ”と決めかねているような視線。
「マジでやめてね!?噛まれたくないの!僕は!甘噛みとか言ってどうせ強めなんでしょ!?君のはいっつもそう!嘘吐き!詐欺師!」
足立の語気が強まると、鳴上はふっと目を伏せ、何かを思い返すように沈黙する。
……あの時も、強かったですか?」
「あの時っていつ……ってくらい常に強いけど……
……すみません」
しょんぼりした声。その鳴上の横では、何故か連動するように俯く狼の姿が。
「なにその連動……罪悪感増すじゃん……
足立はしばらく無言で狼と鳴上を交互に見つめていたが、ふと、溜息と共に肩の力を抜いた。
……はぁ。なんかもう、怒るのも馬鹿馬鹿しくなってきたな……
そう呟いてベッドに腰を下ろすと、狼はおずおずとその場から立ち上がり、慎重に足立の足元へ駆け寄ってきた。
「み、見張っててよ?悠くん……!」
狼は足立の膝に鼻先を寄せてくる。温かい体温。嫌な感じはしなかった。むしろどこか落ち着くような、不思議な安心感すらあった。そっと頭の上に手を置く。ふかふかの毛並みに、手が少し埋もれた。

……撫でるだけ。噛んだら二度としてあげないから」
そう忠告しながらも撫でる手はどこか優しく、狼は嬉しそうに目を細め、喉を鳴らす。
……仲良くなれそうですね」
「君に懐かれても、ろくなことにならないよ……
そう言いつつも、足立は撫でる手を止めなかった。狼は小さくくぅんと鳴き、まるで“ここにいてもいいですか”とでも訊いてくるようだった。

足立は、もう一度深くため息を吐いた。
……ま、しばらくは、様子見ってことで」
狼は嬉しそうに尻尾をぱたぱたと揺らす。
これが二人と一匹の奇妙な生活の始まりだった。