しか野
2026-02-09 00:32:06
235465文字
Public 同人誌関連
 

★既刊サンプル(スミイサ)

2024.7〜2026.2に発行したスミイサ本のサンプルまとめ


◆Ephemeral(2025.2.11)

【収録内容】
01.Dusk(pixiv再録)
02.Twilight
03.Nightfall
04.Dawn(pixiv再録)
-----

■Twilight

 暇さえあれば──いや、この言い方は正しくないだろう。暇などないが、それでもスミスは足繁く基地内の医務室に通った。それは、心身ともに不調をきたして日がな一日眠っている相棒を見舞うためだった。
 医務室に収容されている人間は、そう多くない。それだけ生き残った者が少ないからだ。おそらく全戦力の七割は失われただろう。ろくにその死を悼んでやることもできず、腐敗しないうちにと火にかけられ、共同墓地とは名ばかりのただの穴に埋めてやるしかなかった。遺されたのはわずかばかりの遺品。それすら残っていない者も少なくない。
 あまりに惨いと嘆く者は少なくなかったが、それも初めのうちだけだ。人々は疲弊し、徐々に『こうするしかない』という雰囲気に変わっていった。
 そのときの空気が、その重さが、スミスの体には嫌というほど沁みついている。生涯忘れられそうもない。「ごめんなさい」「俺には誰も守れない」、そうイサミがしきりに嘆き、自分を激しく責めていたからだった。
「君は何も悪くない」そう言ってやるのは簡単だし、それはスミスの本心でもある。イサミは懸命に、休む間もなく戦い続けている。誰にも彼を責める権利などない。だが、安易な気休めの言葉を投げかけることがどうしてもできなかった。それがイサミの慰めにはならないと分かっていたからだった。

 始まりが唐突であれば、終わりもまた唐突だった。宇宙から飛来した敵対者は、地面に突き刺さった巨大な塔だけを残し、突然宇宙へと去っていったのである。それはあまりにあっけない幕切れだった。
 戦いの最中に突然動きを止めたかと思うと、今しがたまで激しく争っていた不気味な機械生命体はこちらに背を向けた。そして空の彼方へ、雲の隙間の向こうへと消えていく敵影を、スミスは呆然と眺めるしかなかった。
……敵影は……確認できない。何が、どうなったんだ……?」
 後部に座るイサミもまた、呆けた様子でそうつぶやく。わからない、と答えるほかなかった。たぶんその時点で正確な答えを示せるものは、この世界のどこにもいなかっただろう。
 そして襲来者たちが去って一日、二日、三日、そして一週間。これは束の間の平和にすぎないのかもしれないと警戒していた人々の緊張の糸は、十日経ったところでようやく途切れた。我々は勝利したのだ、と愚かな人間が言った。「違う」とスミスはひっそり、誰の耳にも入らないようにつぶやいた。
 勝ってなどいない。負けてもいない。いや、勝ち負けで争うものですらなかった。想起したのは、一方的に弄んで、飽きたからとおもちゃを捨てる無邪気な子供だ。その『おもちゃ』にあたるのが地球人類だったのではないか、そんな風に考えてしまったのだった。
 無論、大っぴらに口には出さない。感涙にむせぶ彼らの心をくじくようなことを、なぜ言えようか。
 その傍らで「終わった、のか」とイサミが小さな声で言った。そして彼の体は、糸を切られたマリオネットのようにその場に頽れた。それがあまりに前触れなかったので、スミスはその疲れ切った体を受け止めてやることもできなかった。

◇◇◇

 空母コンステレーションをはじめ、何隻かの艦は航行可能だった。生き残った兵や住民たちをかき集め、ハワイに残ることを希望する者を除いては、故国に順次送り届けてやる手はずになっている。
 だが、すぐには動けない。各国の状況が全く見えないからだ。襲撃はハワイのみだったのか、あるいは全世界なのか。もし後者であったとしたら、ハワイと同じように敵は去ったのか、あるいは今も戦闘が続いているのか。
 通信を回復させ、状況を把握しないことにはへたな行動に出られない。生き残った人間たちを、これ以上の危険にさらすわけにはいかないからだった。
 それでも人々は、一刻も早く故国の土を踏みたいと嘆く。家族や親しい間柄の存在を残してきている者はなおさらだった。ほんのひと時の演習のつもりで遠征した先でこんなことに巻き込まれるとは、誰一人として夢にも思っていなかっただろう。
 今日も膠着状態の基地の中で、スミスは医務室へ向かって歩いていた。両親を亡くし、引き取ってくれた祖父母もなくし、身内らしい身内がもうこの世に残されていない自分は、まだましな立場であるのかもしれない、とスミスは思う。無論愛国心は持ち合わせているから、本国を案じる気持ちに嘘はない。だが今の自分には、何よりも優先すべき存在がいる。
 ときどき目を覚ましてh一言二言だけ言葉を交わしてくれる時を除いて、イサミはほとんど眠りっぱなしだ。「これからが大変なのにごめんな」と眠りの合間でイサミは肩を落として謝罪の言葉を口にするが、そうやって己を責め立ててばかりの彼が、スミスにはどうにも歯がゆくて仕方がなかった。もし彼がいなかったら、いま生き残って呼吸をしている人々だって今ごろ、大半は土の下で眠っていたというのに。
 彼はもともと生真面目で、人を守りたいという気持ちが強い男なのだろう。だからこそ、それを生業にしている。しかし彼が必要以上に自責の念に駆られていることについて、スミスには心当たりがあった。
 戦いの最中、なぜ仲間を、家族を守ってくれなかったのか、そんな言葉をぶつけられたことは一度や二度ではないのだ。彼らは混乱しているだけだとスミスは受け流せたが、イサミはそうではなかった。彼の顔色は目に見えて悪くなっていった。さすがに何か一言言い返さなければ気が済まないとスミスはいきり立ったが、他でもないイサミが「やめてくれ」と力なく首を振ったのだった。
 スミスはイサミを心から愛している。友人として、相棒として、そして想い人として。だからこそ敵から、そしてあらゆる悪意から彼を守ってやりたかった。それができない、弱い自分に心底腹を立てる日々だった。

「イサミ。日本は、横須賀ってところを目指すみたいだ。知ってる?」
 こく、とイサミはうなずいた。聞けば、横浜や鎌倉などが近いらしい。スミスにも、うっすら聞き覚えのある地名だった。
 あれから数日後にようやく通信が回復したが、判明したことといえばやはり世界中が同時多発的に襲撃されていたと言うこと、そしてハワイ同様に、おそらくはほぼ同じタイミングで去っていったこと、そして各国はまだ緊張状態にあるということ。
 スミスはそれらの情報を、少しずつではあるが起きていられる時間が増えてきたイサミに伝えてやった。少なくとも横須賀は通信ができる状態にある、ということを知って、彼はいくらかほっとしたような顔をした。
 彼の疲弊した心と体もまた、徐々に回復に向かっているらしいのは幸いだった。あいにく体はどうしてやることもできないから専門家に任せるしかないが、スミスはイサミの心の支えになってやりたくて、積極的に未来の展望について話す。復興には長い月日が必要になるだろうが、人類はきっと、いや必ず立ち直るはずだ。人はそうやって、この星で長い生を繰り返し営んできたのだから。
「俺は……一週間後に、本国に一旦帰還することになった」
 一旦、と言いおいたのは、その後どうなるかわからないからだった。そのまま本国勤務になるかもしれないし、あるいは他国に派遣されるかもしれない。可能性は低いが、イサミの帰る国にある基地に異動になるかもしれない。とにかく全てが『かもしれない』だ。
 ただはっきりとわかるのは、これきりイサミとは離れ離れになる確率が高い──というより、ほぼ百パーセントということ。
 スミスの言葉を受けて、イサミは表情を曇らせる。だがすぐに「そうだよな」と諦念に満ちた声を出すと、僅かに目を細めて口角を少しだけ引き上げた。微笑んでくれたのだとわかる。不器用でぎこちないその笑みは、スミスが抱いているある決意を一層固くさせた。
……今までありがとうな、スミス。お前のおかげで戦い抜けた」
「こっちこそ。君がいたから、俺はくじけずにいられた。ありがとう、みんなの……俺のヒーロー」
 右手を差し出す。イサミは慌てて自身の右の掌を病衣で拭うと──清拭はされているようだが、シャワーがなかなか浴びられないのを気にしているらしい──、遠慮がちに握ってくれた。日本では握手の文化があまりないと聞くが、スミスもその手を硬くしっかりと握り返した。
 厳しい訓練の痕が残る手だった。スミスも同じTS乗りだからわかる。操縦桿を握り続けてきた手にはその証が幾重にも刻まれている。
……イサミ。君に話があるんだ。とても大事な、話だ」
「俺に……?」
「ああ。できれば人に聞かれたくないんだが……
 医務室には他にも、傷病者が大勢いる。ベッド間は申し訳程度にカーテンで仕切られているが、会話はほぼ筒抜けだった。二人はできるだけ声を潜めているが、ほとんど抑止にはならない。
 しかし、イサミをこの場から動かすのは難しいだろう。まさか、二人きりで話がしたいからとベッドのキャスターをからから鳴らして連れ去るわけにもいくまい。
 どうしたものかと考えあぐねていると「いいぜ」とイサミが頷く。
「聞いてくれるってこと? だけど、君は」
「大丈夫だ。今日はまだ検査があるけど……明日には部屋に戻ることになってるんだ」
「平気なのかい、動いて」
 スミスにはそう思えなかった。イサミはだいたい日がな一日意識を失っているか、検査を受けているか、行動といえばそれだけだった。まだここを離れていい体とは思えなかった。
「大丈夫。安静にしていればいいだけなら、ここでも私室でも変わらないだろ? それなら、他の怪我人や病人にベッドを譲りったほうがいい」
「だけど」
「何かあればすぐ呼べ、ってコワルスキー中尉にもきつく言われてる。だから大丈夫、気にしないでくれ」
「なら、いいけど……
 まだ腑に落ちないような、すっきりしないような、どこか不安なような……とにかく、スミスは落ち着かなかった。だが医者がそれで良いというなら、口出しできる立場にない。
「明日の……そうだな、夜でいいか? 八時くらいに、部屋で待ってるよ」
「わかった。ぴったりに行くよ」
 それきり、イサミは「ねむい」と言って口を閉ざしてしまった。ずいぶん喋らせて、疲れさせてしまったかもしれない。背中に手を添えてそっとベッドに横たえてやって、すでに眠りの淵にあった彼に「Good night」と唱え、額にキスをしてやった。

 翌日、スミスは焼け野原を歩き回っていた。少しでも仲間たちの遺品を回収できないかと、五体が満足な者の多くはそうして、特に激しい戦闘のあった地域を目を凝らしながら歩く。だが大抵の場合、空振りに終わってしまうのだった。
 今日もただ瓦礫の山を見て物悲しい気持ちになるだけで終わってしまった。そう思った矢先のことだった。
……あ」
 視界の端に、明度の高いものが映った気がした。目を凝らしてみると、健気に咲く一輪の花が、その繊細な花弁を風に揺らしている。奇跡的に焼けずに残っていたらしいそれは、剥き出しになった土や撒き散らされている瓦礫、煤などの中にあって、ひどく鮮やかで目を引いた。
……きれいだ)
 スミスは可憐なそれに歩み寄ってかがみ込む。
 その白く清らかな花弁が、彼を思い起こさせて仕方なかった。戦いばかりの日々の次は無機質な医務室にこもりきりになっている彼に見せてやったら、どんな顔をするだろう?
 せっかくこんなところで力強く咲いているのだ、とても心苦しく思ったが、どうしてもイサミの目を少しでも和ませてやりたい。
 ごめん、と呟いて、スミスはそれをそっと摘み取った。都合のいい妄想に過ぎなかったが「構わない」と囁いてくれたような気がした。

 その日、夜八時のほんの少し前に、スミスはイサミの部屋を訪れた。そして袖を捲って腕時計を見て、四桁の数字がぴったり二〇〇〇になるのを待ってからドアをノックした。間もなく返事があったので、スミスは鉄製の硬いドアを開ける。もうすっかり聞き慣れている、金属のこすり合わされる音がする。
 イサミは個室を与えられている。彼はベッドに腰掛け、本を読んでいたようだった。
「ぴったりだな」
 イサミは本を閉じる。スミスは非常に視力に優れるが、表紙に書かれているタイトルは読めなかった。日本語だ。
「実は三分前から部屋の前で待ってたって言ったら……怒るかい?」
「律儀だな。三分くらい構わないのに」
「そうはいかないさ。約束だからな」
 入れよ、と促され、スミスは花を背中に隠して小さな部屋に踏み入った。
 中はすっかり片付いていた。というより、極端に物が少ないと言い替えた方がいいだろうか。ここを離れることを受けて、すでに身の回りを整頓してしまったのかもしれなかった。
「体の調子はどう?」
「悪くない。さっきまで横になってたから、こんな格好で悪いな」
 イサミは乱れた前髪や跳ねた後ろ髪を恥ずかしそうに撫でる。スミスは首を振り、備え付けの椅子の背もたれに触れた。
「いいんだ。俺が勝手に押しかけてんだから。……座っても?」
「もちろん。……ところで、さっきから後ろに何を隠してんだ?」
「おっと、そうそう、まずはこれだ」
 スミスは後ろ手に隠していた花をさっと掲げて見せた後、彼の前に膝をつき「君に、これを」と差し出した。
……きれいな花だな」
 イサミは顔を綻ばせる。その清廉な微笑みが、スミスにとって花を思わせる。
「喜んでくれてよかった」
「しばらく見てなかったな、花なんて……。なぁ、そこにグラスがあるから、水を入れて挿してやってくれないか」
 スミスは言われるままにグラスに水を注ぐと、即席の一輪挿しとしたそれに白い花を飾り付ける。そしてベッドにいる彼に見やすい位置に置いてやると、イサミは「そこだけ光って見える」と嬉しそうに微笑んだ。
 そうして笑んではいるが、彼はまだ、顔色が優れない。それに、出会ったころにはよく日に焼けていた肌が、いやに青白く見えるのだった。
 スミスは椅子に腰掛けると、さて、どう切り出したものかと考えた。
……それ、何を読んでたんだ?」
「ん? ああ、これか」
 イサミが膝に乗せていたそれを手に取る。小口が太陽の光によってずいぶん変色している。古い本のようだった。表紙には海と、二つの人影と、そして大きな魚が描かれている。どことなく、覚えのある構図のように感じた。
「同僚に借りてたんだ。……返す前に死んじまって、形見になったから……ご家族に返さないといけないな」
「そう……か。……どんな本なんだい?」
「ヘミングウェイって、お前のところの作家じゃなかったか?」
「ああ。それ、ヘミングウェイなのかい」
 アーネスト・ヘミングウェイの名前を知らないアメリカ人は、そうそういないだろう。
「『The Old Man and the Sea(老人と海)』ってやつ。知ってるか?」
「もちろん。子供の頃に読んだことがあるよ」
 不漁に見舞われた老漁師の、三日間にわたる大魚との戦いと、その後の苦難、そして希望の話だ。人は打ちのめされることはあっても、負けはしない──それはとても印象深い言葉だったから、よく覚えている。今後の人類もどうかそうあってくれと、願わずにはいられない。
「『陸自のくせに海の話か!』なんて揶揄われてたな、って、なんか……思い出しちまった」
……その人のことはとても残念だけど、遺品が一つでも多く残されているのは……ご家族にとって、きっと救いになると思う」
「そうかな……そう、だといいんだが」
 イサミはその本の表紙を撫でると、大切そうに枕の横に置いた。
「それで……話ってなんだ?」
「え、あ、ああ……その……だな」
 話をふられ、思わず挙動のおかしくなるスミスに、イサミが不思議そうな眼差しを向けてくる。必ず伝えようと思って取り付けた約束だった。まさか、花を渡したくて来ました、では済まされない。
 だが、長く迷っているわけにはいかない。イサミの体のことを考えれば、伝えるべきを伝えて速やかに去るべきなのだ。言え、言うんだ、とスミスは己を奮い立たせた。
「その、話というのは……
「なんだ?」
……俺と……俺と、結婚してくれないか!? イサミ・アオ!! 君のことが好きなんだ! 愛してる!!」
 スミスは硬く目を閉じ、大声で、一息に捲し立てた。
 スミスにとって、生涯を共にする伴侶として、イサミ以外は考えられなかった。目を開けるのが怖いが、きっとイサミは驚いているだろう、あるいは怒っているかもしれない。「いきなりすぎる」「俺たちは恋人同士ですらない」と常識を説いてくるかも。そうしたら「だったら恋人になろう」と言ってのけるつもりだった。もはやスミスには、何も恐れるものはなかった。
「スミス、お前……
 よほど驚愕したのだろう、イサミの声が掠れている。スミスは恐る恐る、目を開けた。少なくとも、彼の声音から嫌悪感は感じ取れなかったからだった。
「驚かせて、ごめん……けど、失ってから後悔したくないんだ。心からそう思った。……どうかこの先、俺の生涯のパートナーになってくれないか」
 心の底から搾り出すような、切実な声だったと思う。冗談ではないし、血迷ってもいない。
 イサミはしばらく驚いて目を丸くしていたが、やがて、その表情を落ち込ませていった。
……悪い、気持ちはすごく嬉しい……けど、無理だ」
 彼は俯き、力無い様子で首を横に振った。それは拒絶に他ならなかった。
「どう、して? ……俺のことが、嫌いかい」
 我ながら、ずるい聞き方だと思った。イサミはまたも首を振って、「そんなことはない」と呟いた。
……お前、何か勘違いしてるんだ。ずっと一緒に戦ってきたから、それで」
「違う。俺の気持ちを否定しないでくれ。……第一、俺は……あの時、君がTSで目の前に躍り出てきたときから惚れてるんだぜ?」
「なんだ、それ……
 演習の日の、あの鮮烈な出会いをスミスは思い出す。イサミの脳裏にも、きっと同じ時の光景が描き出されているだろう。
 海兵隊に先行する自衛隊なんて、聞いたこともなかった。スミスは悔しさに歯噛みし、追い縋ったが──まるで特撮映画のCGモデルのように軽やかで、無駄がなく、踊るようなその動きに魅了されてしまった。あの場にあって明らかに、彼だけが異質で浮いていた。JSDFにたいそう腕のいいTSパイロットがいるという話は聞き及んでいたが、まさかこれほどとは思っていなかったのだ。
 しかも、彼の駆るTSは旧式だ。何か特別な改造をしているのではと思ったが、のちにそれは専任の整備士によって否定されている。
 全く信じられなかった。完膚なきまでに敗北したというのに、どこか清々しい気持ちになりすらした。メットを脱ぎ、涼やかな眼差しを見せた彼に挑発するような言葉を投げかけられ、スミスは背筋が粟立つのを感じた。
 多分、あの場に最も相応しいのは『運命』という言葉だっただろう。
……お前あの時、そんなこと考えてたのかよ。じゃあ、次の日のあれも」
「また勝負したかったのは本当だけど、なんとしても君に近づきたかった、っていうのも大きかったよ。……あの時の君は、警戒心を隠せない子猫みたいでとてもかわいかったな。そしてストイックな制服がクールだった! あの日の晩は胸が高鳴って、うまく寝付けなかったんだぜ?」
 アド・リムパックの最中にあんなことが起こらなければ、スミスはきっとイサミをしつこくかき口説いて、連絡先を交換して、恋人の座を得るためにどんなことでもしたはずだ。演習後の配属先は日本になる予定だったから、きっとチャンスはいくらでも作れただろう。
 だが、そうはならなかった。スミスは恋心を封じざるを得なかった。うつつを抜かしていたら命を落とす、そういう戦場だった。生き残るために、何よりイサミを守るために、スミスは一人の冷静な戦士にならなければならなかった。
 だがそれも今日までだ。
 スミスはじっと射抜くようにイサミを見つめる。彼の目はまだ、戸惑いに揺れている。
「どうか、どうか頷いてくれ。イサミ。そうしてくれたら俺はこの先も君を、君だけを守る騎士になる。誰がなんと言おうと関係ない。……愛してるんだ、心から」
 スミスは立ち上がると、彼の前にまさしく騎士のように片膝をついた。
……本気、なんだな……?」
 その問いかけに、スミスは「Of course」と力強く、迷いなく頷いてみせる。
「わかった。……だったら俺も、ちゃんと応えないとな」
 イサミは「じゃないと、お前の誠意に失礼だよな」と自分に言い聞かせるかのように言ってから、跪くスミスを真剣で、そしてどこか寂しげな眼差しで見下ろした。
「気持ちは、すごく嬉しい。俺なんかにはもったいない男だ、お前は」
「イサミ」
 己を蔑ろにするような言葉につい、咎めるような声が出る。しかしイサミは遮るようにして言葉を続けた。
「けど俺は……お前と一緒には、行かない」
 彼の口から吐き出されたのは、明確な拒絶の言葉だった。
……それが、君の返事かい」
「ああ。……ここでお別れだ、ルイス・スミス少尉」
……理由は? 俺のこと……嫌いじゃ、ないんだろう?」
……けど俺は自分の国に戻るし、お前だってそうだろう?」
「辞めるよ」
 すんなり、その言葉が出てきた。イサミは目を見開いて、目の前の男が操っているのは本当に人類の言葉か?と言わんばかりの顔をした。信じられないものを見る目だった。
「君が頷いてくれたら、除隊を申し出るつもりだったんだ。そして君の国で、君を救けながら生きていこうと思ってた」
「お前……
「だから、離れ離れになるから、という理由では頷けない。……俺の、自惚れでなければ……君も少しは、俺のことを」
「スミス、待ってくれ」
 好いてくれているのでは、という言葉は、イサミの怯えたような声にうち消されてしまう。それ以上言ってはいけない、というように。
……わかった。本当のこと……教えてやる」
「本当の、こと?」
「ああ。まだコワルスキー中尉と、一部の上官しか知らないことだ。……どうやら、俺はもう──」
 彼の口は動いていたが、スミスにはそれを意味のある音としてうまく聞き取ることができなかった。聴力は正常だし、今の瞬間失われたわけでもない。ただ、心が理解を拒絶していたのだった。


■Nightfall

『それは』はなんの前触れもなく、極めて唐突に訪れた。
 何か、妙な気配と胸騒ぎを感じて空を見上げた後すぐに「ウィーラー基地が攻撃を受けているようだ」とアラカイが切迫した声で叫ぶ。
「攻撃って、誰に」
 各国の優秀な軍人たちが集結したこの地で、幼稚なテロリズムを掲げる愚行を働く人間がいるとは思えなかった。ましてや、基地を直接攻撃など。
 アラカイは「さぁな」と肩をすくめる。
「とにかく、尋常でない事態が起こっているのは確かだ。ここでのんびりペイント弾を撃ち合ってる場合じゃないのは明らかだな。……他国の連中にも呼びかけて戻るぞ。さっさと準備しろ」
 ラジャー、ヒロと声を揃えて応え、急いでメットを被る。ぞくっと首筋に鳥肌が立ち、とても嫌な予感がした。緊張感に喉が渇く。しかしスミスとて軍人だ、不測の事態を前にして、いちいち子供のように狼狽えている場合ではない。

 確かに自分は軍人だった。戦闘訓練を──人の命を奪う訓練だって受けている。油断したり、躊躇したり、怯えて震えていたら殺される、戦場はそういう場所だ。だからスミスはいつだって、強くあれ、冷静であれと自身に言い聞かせてきた。
 だが、こんな事態を前にして、果たしてどれだけの人間が正気を保っていられるのだろう。
 降り立った巨大な塔、そこから放たれる目を灼かれるほど眩しい光線。それが周囲を焼け野原にした。もう一度あれを撃たれたらお終いだ。かろうじて生き残ったものたちも、ぼろぼろのTS諸共吹き飛ばされて、全滅に違いなかった。
 ここで終わるのか、とスミスは仲間の体を必死に引き摺りながら思った。
 ヒーローになれないまま、正体も目的もわからぬ不気味な存在に命を奪われるのが、己の運命だったというのか。
……嫌だ!)
 諦めてなるものか、少しでも遠くへ、とスミスの体は動く。たとえ無駄な足掻きであっても、足を止めることなどできない。ヒーローとは、決して諦めないものだから。
 果たしてスミスの祈りが通じたのか、極太の光線が放たれたかと思えば、それは軌道をぐにゃりと曲げた。大きく逸れた巨大なエネルギー体は、一帯の機械生命体を一息に薙ぎ払い、爆発的な衝撃と煙が巻き起こる。スミスは気を失っている仲間を庇うようにして覆い被さり、吹き飛ばされぬように姿勢を低くした。
 ようやく視界がひらけてきた頃、スミスは薄目を開ける。轟音を受けた鼓膜がびりびり震え、金属音のような音を立てていた。
「あれ、は……
 そして、ぽかんと塔を見上げた。よくよく目を凝らすと、『何か』が射出口らしき箇所の前に浮いているのがわかった。その『何か』が真っ向から立ちはだかって、光線の軌道を強引に捻じ曲げたらしかった。あり得ないと思ったが、現実に起こった出来事である。
 そもそも、今日起こったことそのものが、現実とはとても思えなかった。全て夢であってほしいと切実に願う。そうやって、現実から逃避するようなことを考えていると、『何か』はバーニアを吹かせてこちらへ──スミスの方へと、真っ直ぐ飛んでくるのだった。
「あれは、TS……なのか……?」
 オレンジの塗装が、この紫色の空の下でも美しく輝いている。敵ではない、とスミスは考えるよりも早く判断を下した。全く見覚えはないが、近づいてくるそれは間違いなくTSのようだった。
「助けてくれた、のか……? 誰が乗ってる?」
 未知のTSが目の前に降り立つ。敵ではないと示しているつもりなのだろうか、いっそ無防備にすら見えるほどまっすぐに、ただそこに立っている。
 呼ばれている、そんな気がした。
 スミスは仲間の呼吸を確かめると、立ち上がって恐る恐るTSに歩み寄る。すると、まるで応えるかのように、あるいは招かれているかように上部ハッチが開いた。そこからパイロットが顔を出すのかと思いきや、しんとしている。まさか動けない状態なのかと慌ててよじ登ってコックピットを覗き込み、スミスは驚愕した。
 前面のシートには、誰も乗っていなかったのだ。
「オーパイだってのか?」
 あるいは遠隔操作か、とスミスは物珍しげに中を見回す、が、今は呑気に好奇心を満たしている場合ではない。先ほどの光線でこの辺りの敵は大方消し飛んだが、別の場所ではきっと仲間たちの奮戦が続いているだろう。
「考えている暇はない、か……オーパイか遠隔操作かわからないが、こちらに権限を渡すことはできるか?」
 問いかけながらシートに座ると『pilot, check and ready』と機械的なAI音声が響く。どうやら問題なく委ねてもらえたようだ。
 管制に呼びかけるが応答はない。このTSに備わっているレーダーで追える範囲でしか索敵はできない状態だ。いささか頼りないが緊急事態だ、致し方ない。今できることは、一人でも多く生存者をここから逃してやることだろう。
 ゆっくりマニュアルに目を通している時間はない。操作については、体で覚えるしかないだろう。愛機であるイクシード・ライノスと操作感がそれほど遠くないことを祈るしかなかった。
……これは?」
 レーダーに多くの光点があらわれる。スミスの疑問に応えるように、文字が浮かび上がった。周辺のいくつかの明るい光点にはsurvivor、無数の紫色の光点にはenemy、と。
「生存者と、敵の位置か……? これは……いや、考えている暇はないか」
 導かれるようにTSを動かすと確かに、光点の位置に息のあるものが横たわっていたり、あるいは壊れたTSのシートに挟まれていたりした。スミスは生存者たちをどうにか拾っていき、距離を取ろうとする。
 しかし紫色の光点がいくつか近づいてくる。背後から攻撃されては、生存者を抱えているこちらが圧倒的に不利だ。彼らを守るために、この背中を盾にしなくてはならないし、両手が塞がっている以上、ナイフや火器で応戦することもできない。
(Shit……
 思わず舌打ちすると「任せてくれ」何者かのと声が聞こえた気がした。
 スミスが操作するでも指示するでもなく、背に格納されていた火器がひとりでに展開され、背後から迫り来る敵を撃ち始める。どうやらあの不気味な連中は前方にバリアのようなものを展開できるようだが、手数と火力で押している。このままこの場を離れ、味方TS機と合流できれば、生存者を逃すくらいはできるかもしれない。
 どういうわけか、スミスはただ操縦だけに集中すれば良かった。
 そこでふと、演習前にアラカイが言っていたことを思い出す。
(まさかこいつは、噂に聞いていた、あのTSか……?)

◆◆◆

 制圧目標はMLCVー3・クラーケン。プラムマン上級曹長の駆る旧型機だが、油断は全くできない。相手は指導官であり、歴戦の勇士である。
 タイタン小隊はどの隊より前に出て、先行している。日本のJSDF──自衛隊もなかなか悪くない動きをしているが、海兵隊としては遅れをとるわけにはいかない、決して。ちっぽけなプライドにすぎないが、戦場ではそのプライドが戦局を左右することもあるのだ、良くも悪くも。
 出過ぎだぞ、と上官兼飲み仲間のアラカイが怒鳴っているが、スミスはとにかく、誰より早く接敵したかった。己を抑え、堪えながらも、チャンスがあれば確実にものにする、その気概だけは常に迸っている。
 結果として、スミスは見事目標を打ち果たし──演習なので、もちろんペイント弾で撃っただけだ──、いくつかの命令違反については減俸三ヶ月で見逃してもらった。
 演習後、タイタン小隊に拮抗して最後まで追い縋ってきたJSDFの小隊(ダイダラ隊というらしい)、そこに所属する気の良い女性隊員と言葉を交わす機会を得た。彼女はヒビキ・リオウと名乗り、年齢は一つ下の二十三。スミスも名乗って、尊敬すべき優秀なパイロットと固く握手を交わした。
「なかなかやるね、海兵隊」
「そっちも。君たちを見くびっていたかもしれない。こんな旧型で、見事な動きだったよ」
「旧型は余計だけど、どうも。でも負けちゃったからなぁ……
 そもそも勝ち負けはなく、同じ目標を相手取る味方同士という名目ではあったが、彼女も負けず嫌いの性質があるらしい。共感を覚えつつ、彼女の言葉に耳を傾ける。
「うちにもね、エースがいたんだよ。あいつがいたら、負けてるのは間違いなくそっちの方。悪いけどね」
「へぇ……?」
 断言されて、スミスは興味を引かれた。この場にいない以上、IF(もしも)の領域を出ないのだが、彼女ほどの実力者にそう言わしめる存在がいる。
「そんなに強いのなら、なぜこの場にいない? エースを戦わせないなんて、高貴なクイーンか何かかい」
 からかうように言うと、ヒビキは悄然とした様子で肩を落とす。そして「辞めちゃったから」と暗い声でつぶやいた。
「演習中の事故で大きな怪我をして……退官して、実家に帰っちゃったんだ」
「そう、かい……それは、残念だ」
 悲しげに顔を歪めるヒビキに、気の毒なことだとスミスは思った。だが、それだけだ。会ったこともなく、名前も顔も知らない、もうTSにも乗れない『元』エース。その事実でスミスの興味は薄れ、後は他愛もない話をぽつぽつと交わすばかりだった。

 その日の夜は、アラカイと、それからヒロも連れてワイキキのバーへと繰り出した。大活躍だったな、と賞賛半分、皮肉半分の言葉を受けながらコナビールの瓶をぶつけ合う。
「そういえば、こんな噂を知ってるか?」
「噂?」
 アラカイがビールを半分ほど一気に煽った後、少年じみた得意そうな顔をしながら切り出した。
「今回の演習、それからアドリム。極秘開発されてる新型TSのテストパイロット選考を兼ねてる、って話」
「そんな話、漏らしていいのか?」
 ヒロが眉をひそめると、アラカイは肩をすくめて「大丈夫」と根拠もなく言った。
「ただの噂だよ、噂。俺に正式に降りてきた話じゃないし、どこで聞いたのかも忘れちまった程度のもんだ」
 それはヒーローになりたくてTS乗りになったスミスにとって、非常に心惹かれる『噂話』だった。たとえ眉唾物でも、ワクワクする心は止められない。初めてTSに乗り込み、その無骨なシートに座って巨大なマニピュレータを動かした日の感動を、スミスは今も鮮明に思い出せるのだった。
「あのなぁスミス。噂だぞ、ただの噂。ガキみてぇに目をキラキラさせやがって」
「いつものことさ。こいつは幾つになってもてんでガキなんだ」
 二人の軽口は、もう耳に入っていなかった。どんな機体なのだろう、どんなカラーリングで、どんな兵装を積んでいるのだろう。あるいは……と、スミスは己の想像の世界に没入しつつあった。

◆◆◆

 そんな風に笑い合いながら酒を酌み交わし、他愛ない話に興じていたのが昨日のことだとは、とても信じられない。それくらいに、今日という日には色々なことがありすぎた。
 果たして昨日までの平和が夢なのか、あるいは今目の前に広がっている惨状こそが夢なのか。今のスミスにはわからなかった。もし後者であるなら、一刻も早く覚めてほしいと思った。
 スミスは出来うる限り生存者を回収して帰投した。どうやら未知なる敵も退いたようだった。レーダーから、エネミーを示す光点が次々消えていく。このままどこか遠くへ飛び去ってくれればと思うが、きっとそう都合良くはいかないのだろう。聳え立った塔のようなものが、そういうふうに現実を突きつけてきているような気がした。
……俺たちもここまでだな。ええと……こいつはどこに返せばいいんだろう」
 とりあえず適当な格納庫に、と巨体を動かそうとしたところで、数人のメカニックが泡を食った様子で駆け寄ってきているのが前面モニター越しに目に入った。スミスがハッチを開けて顔を出すと、彼らは一様に驚愕し、目を丸くした。
 なぜこれに乗っているのかと尋ねられ、スミスは困惑する。こちらにもよくわからないのだから、ありのままを説明するしかなかった。スミスは機体から降りて、身振り手振りで先ほど起こった奇妙な出来事について語る。
 どこからともなく飛んできて、命を救ってくれて、そして撤退のために乗せてくれた。それだけだ。オートパイロットか、極めて正確な恐るべき遠隔操作のどちらかだと思っていたが、メカニックらのこの様子ではいずれも違うのだろう。
 それではまるで、この機体が意思を持ってスミスを助けに現れたようではないか。まるで夢物語だ、とスミスは自身の考えを馬鹿らしく思った。
……ともかく、緊急事態だ。この機体を俺に使わせて欲しい。隊長には許可、を……
 スミスの言葉は尻すぼみになる。そうだ、隊長は、アラカイはもういない。あの塔のようなものから放たれた光線で命を落としてしまった。あの様子ではきっと、遺体の回収もできまい。ああ、彼の、今は本国にいるはずの気の良い妻にはなんと説明しようか──
……
 押し黙るスミスを、メカニックらは訝しそうな目で見てくる。しかしこれ以上の情報は得られないと悟ったか、「整備しますから」と格納庫を追い出しにかかってきた。見ていては駄目かと申し出たが、もしもに備えて少しでも休憩してくださいと、正論を言われてしまった。確かに、そうすべきなのだろう。今の己は心身ともに疲れている、そういう自覚があった。
 やむを得まいとステップを降り、去り際に振り返った際──不思議なTSが、なんとなく寂しそうに見えた。

 翌日、早朝のことである。
 あまりに突然、理不尽に命を奪われた者たちの追悼のため、形ばかりの式典が執り行われることとなった。
 納めるべき機体をなくしたがらんどうの格納庫に、遺体袋が整然と安置されている。無数に並べられたそれは人の形に盛り上がっていたり、不自然にへこんでいたり、あるいは少しばかりの遺品だけが置かれていたりした。そのすべてはぴくりとも動かず、登りつつある朝日にただ虚しく照らされている。
 見送る兵士たちは、もはや正装に身を包む気力もなく、薄汚れたパイロットスーツや作業着のまま、ただ茫然と佇んでいるも同然だった。昨日の出来事が夢などではなく現実であることに絶望でもしているかのようだった。
 しかし、手をこまねいていられる状況ではない。この事態がハワイのみで発生しているのか、あるいは世界各国が同じ状況なのか。そもそも『あれ』はなんなのか。何もかもわからない状況だが、はっきりしていることがただ一つだけある。抵抗しなくては命を落とす、それだけだ。
 有事に備えて、半数には暖機運転の命令が下されてた。タイタン小隊は隊長であるアラカイが殉職、ヒロは重症で動けず、他の隊員は行方不明──まず、生きてはいないだろう──、つまりほぼ壊滅状態と言ってよかった。他の隊も同じようなものだ。生き残ったものたちで間に合わせの隊を編成するしかない。海兵隊の連中とそんなことを話したが、この異常事態下ですぐにはまとまらないだろう。
 ひとまず待機する側を選んだスミスは、昨日例のTSを帰した格納庫へと足を運ぶ。そこには、先日の演習の際に知り合ったヒビキ・リオウと、もう一人、メカニックらしい若い女性が立っていた。
「やぁ、君も生き残っていたのか」
「ああ……スミス少尉。そっちもね」
 答えたヒビキは軽傷、とはいかなかったようだった。頭には包帯が巻かれ、片目に貼られたガーゼが痛々しかった。それに右腕を吊っていて、戦力として数えるのは困難な様子だった。
「こんなことになっちゃってね、せめて何か手伝えることはないかなと思って、来たところ」
「そうか……
 無理をせず休め、などとは口が裂けても言えそうになかった。きっと彼女も、スミスと同じように多くの仲間を失っている。ただじっとしていたら後悔や恐怖が押し寄せてきて気が触れそうになるのだ。その気持ちは大いにわかるし、だからこそスミスもここにやって来たのかも知れなかった。
……待機命令が出ているんだが……こいつは、使えるのか?」
「私はこの子の整備には関わっていないので……機体に搭載されてるマニュアル以上のことは分かりません」
 応えたメカニックは、ミユ・カトウと名乗った。
「ただ、見たことない子がいるなと思って観察してたんですけど……ええと、スミスさんは何かご存知なんですか」
「昨日はこいつに助けられたんだ。どういうわけか、駆けつけてくれてね」
「駆けつけた、ですか?」
 ミユは不思議そうに顎に指を当てて首を傾げるが、スミスにだってどういうことかわかっていない。とにかく来てくれた、以上の情報は持ち合わせていないのだった。
「詳しいことは俺にもよくわからない。整備するときは追い出されちまったし」
「ん〜、でも、乗っていいんじゃないですか? スミスさんのTS、壊れちゃったんでしょう?」
「ああ、駄目と言われてもそうするつもりだったよ。……ええと、ハッチは……どう開けるんだろう?」
 スミスはステップを駆け上がると、つるっとしたボディをあちこち眺めまわす。
「昨日乗ったんじゃないの?」
「その時は勝手に開いたんだよ」
「じゃあ単純に、開けて、ってお願いすればいいんじゃないですか? 音声認識で多分開きますよ」
 それもそうかも、とスミスは機体にそっと手を当てて──起動していないのになんとなく温かいような気がするそいつに話しかける。
「ええと、昨日……俺を助けてくれたよな。改めて、ありがとう」
 親しげに、人間を相手取っているみたいに話しかけてしまう。スミスは元々TSが好きだし、颯爽と降り立ってくれたこの機体にはすでに愛着のようなものを持っていた。
 すると、どうだろう。機体の目が、まるでまばたきでもするかのように瞬いたのだ。
「あれ、起動したっぽい?」
「お礼を言われて喜んでるみたいにも見えます」
 なんだかかわいいですね、とミユは頬に手を当ててうっとりしている。
 ハッチが、ひとりでに口を開く。昨日と同じく「乗れ」と招いてくれているかのようだった。スミスは迷うことなく中に体を滑り入れてシートに体を納め、コックピット内を眺め回す。
 昨日は目の前の事態を切り抜けるために必死で気が付かなかったが、背後に大きな黒い塊が鎮座していた。表面はつるっとしていてゆるいカーブを描いており、円筒形にも見える。賢い機体のようだから、もしかしたらこの中に叡智が詰まっているのかもしれなかった。
「やぁ……招き入れてくれて、ありがとう。昨日は本当に助かったよ。君が来てくれなかったら、俺もきっと命を落としていた」
 語りかけると、暗かったモニターも起動する。視界が開け、機体を見上げているヒビキとミユの姿が目に入った。
 そしてそのモニターの右下に、文字列が浮かび上がる。『XM3 ライジング・オルトス』──それが彼、あるいは彼女の名前らしかった。
 なかなかクールな名前だとそれをしっかり脳に焼き付けると、その下にさらに文字が追加されていった。
『大きな怪我がなくてよかった。仲間のことは残念だった。間に合わなくてすまない』
 それはシンプルな三つの文章だった。スミスの言葉に応答してくれたようだった。相手がAIとわかっていても、心遣いを単純に嬉しく思う。音声機能が故障した時や、そのほかの不測の事態に備えて、文字でもって意思疎通を図るシステムは今や珍しくない。
「ありがとう。みんなのことは君のせいじゃないさ。……亡くなった仲間たちの分まで、俺は戦わなくてはいけない。やつらはまた来るだろう……また、俺に力を貸してくれるか?」
『もちろんだ。俺はそのためにここにいる』
 パイロットに従うようプログラミングされた電子頭脳が、否やと唱えるはずもない。だが即答してくれたことが嬉しくて、スミスは微笑む。
「頼もしいよ。ありがとう」
『名前は……スミス、でいいのか。話しているのが聞こえた』
「ああ、ルイス・スミス少尉だ」
『スミスと呼んでも?』
「Sure. ラストネームを呼ばれるのは、慣れてなくてね」
……会えてうれしい、スミス』
「ああ……俺もだ。ところで、君のことは」
 何と呼べばいい、と問いかける前に、基地の警報が鳴り響いた。Shit、と思わず舌打ちする。
「昨日の今日で早速お出ましか。……とりあえず、XM3と呼ぼう。行けるか?」
『ああ、すぐにでも』
「Good. 生きて帰るぞ」
 二人が離れるのが目に入る。外部スピーカーから「すぐに出られますよ!」とミユの声が響いた。