しか野
2026-02-09 00:32:06
235465文字
Public 同人誌関連
 

★既刊サンプル(スミイサ)

2024.7〜2026.2に発行したスミイサ本のサンプルまとめ


◆ペイル・ブルー・ドット(2026.2.23)

合身を経て永遠の命を得た2人とルルちゃのお話。オジサマもいます。
展開上、イサミの出番は少なめ。
元気なモブがしゃべります(イメージ元のキャラはいます。誰なのか、なんとなく分かると思います)

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 絶え間なく打ちつける波が、太陽光を乱反射させる。まるで波そのものが光を放っているかのようだった。その眩しさに、スミスは目を細めた。
 波打ち際を子供たちと駆け回る二人を眺めながら、彼とぴったり身を寄せ合う。波の音に混じって、砂を蹴る音や、明るい笑い声が響く。
 やがて隣でうとうとと船を漕ぎ出した彼が、時々はっと気がついたように頭を振るのが可愛かった。眠っても構わない、とこの数分のうちに、おそらく三回は言っているだろう。しかし彼は「やだ。起きてる」と子供みたいに意地を張って見せるのだった。
……スミス」
「なんだい?」
 肩を抱き寄せ、彼の形良い頭に頬をすり寄せる。このところ伸ばしっぱなしの髪は、彼の気性をあらわしているかのように真っ直ぐだ。この手触りは嫌いではない、いや、むしろ大変好ましいと思っているが、そろそろ切りたいと言い始める頃だろうと思った。
……きれいだな、ここ」
「だな。しばらくはこの辺りに留まろうか。あの子たちもきっと喜ぶよ」
「ん。……あ、ルル!」
 彼の視線の先、元気に駆け回っていたルルが派手に砂を巻き上げながら転んでいた。見事に顔から突っ込んでいる。だがすぐさま起き上がって、きゃあきゃあと大笑いし始めた。どうやら怪我はなさそうだ。おろおろと彼女を取り囲んだ子供たちも、釣られて笑い始めた。いつでもそばにいる保護者の手を借りて立ち上がり、汚れた顔や膝やシャツをはらったかと思うと、「次は砂でお城を作ろう!」と高らかに宣言する。
 すっかり目が覚めてしまったらしい彼が、その光景を眩しそうに、愛おしそうに見つめている。柔らかく相好を崩した横顔に、スミスはしばらくの間うっとりと見入った。この瞬間、スミスの世界には自身と、彼の存在だけがあった。
 彼の望むまま、これからもどこへだって足を運ぶだろう。この星は青く美しく、そして大きい。きっとまだまだ未知なる場所が待っている。
「俺たちも行こうぜ、スミス。城作るの、昔得意だったんだ。兄さんにも褒められた」
「いいね。せっかくだから二チームに分かれて、どちらがより大きな城を机るか勝負といこう!」
 そんな提案に、彼はニヤッと笑って「負けねぇぞ」と勝気に宣言し、そして一足先に駆け出した。砂の上とは思えないほど軽やかで、楽しげだ。スミスはそんな彼の背中と、その向こうで笑う二人と子供たちという一枚の絵のような光景を、記憶に深く刻み込んだ。




 自身の愛機は、可能な限り自身で整備する、というのがこの組織のモットーだ。一昔前まではチームごとに専任の整備士がついていたというが、人手不足に次ぐ人手不足で、パイロット自身が整備の腕を上げざるを得なくなったのだと聞いている。
 基地内の基本的な業務──例えば清掃だとか調理だとかの隊員の生活に関わる業務や、二十四時間交代で実施される哨戒任務などは自立式のヒューマノイドロボットやドローンに任せられるが、TSの整備は別だ。全面的に体を、時には命すらも預ける物だから、いまだにオートメーション化に踏み切れていない。『ここの動きが何かおかしい気がする』というパイロットの勘も、なかなか馬鹿にできない。
 スミスも例に漏れず、ここにやってきた当初はマニュアルを必死に読み込んだものだ。
 整備を終え、相棒であるTSに乗り込む。灰色の無骨な機体は、十年ほど搭乗している割にきれいな方だろう。何せこいつに乗り込むのは、治安維持のための見回り──という名目の監視のために、街中を闊歩する時くらいのものだからだ。
 だから、今回与えられた任務について、もしかしたら愛機の方が驚いているかもしれない。もしAI頭脳に感情があれば、の話だが。
 実戦となれば、今はそれ向きの主流となった人型のTS──BV型と呼ばれるそれが主役となる。『彼ら』が最後に稼働し、戦火の中に立ったのは、約十年前の話だ。スミスも訓練のためシミュレータならば扱ったことがある。姿形はまるで別物なのに、操作感はよく似通っていた。
(しかし俺は、こっちの方が落ち着くな)
 すっかり馴染んだシートに身を預け、タブレットをタップして作戦要項を確認する。AIに読み上げさせるより、自分の目で文字を追うのを好んでいた。
「おーい、スミス!」
 己を呼ぶ声が、開けたままの頭上のハッチから降ってきた。モニターを起動すると、所属チームのリーダーに当たる男が、おおよそ六メートル下から手を振っているのが見えた。
 ハッチから顔を出すと、彼は「おはよう。もう準備万端って感じだな」と笑った。立場としては目上に当たるが、たびたび酒を酌み交わす良き友人でもある。
「ああ。機体も問題なさそうだし、もう出ようと思ってる。いいかな?」
「そうだな。半日はかかるだろうし、いいぜ。定時報告は欠かすなよ」
「Roger」
 スミスはひらっと手を振ると、再び硬いシートに収まった。
 これから仲間たちと、手分けして世界中を巡る。すでに無人と認定されている地域も、くまなく捜索する予定である。生き残った人々が隠れ住んでいたり、地下に潜っていたりする可能性があるためだ。
 この星は、荒廃が著しく進んでいる。度重なる地球外生命体の襲撃によるものだった。おおよそ数十年に一度、未知の敵性存在によってこの星は炎に包まれる。全域に渡ることもあれば局地的であったりと規模は様々だが、人口が現象し、文明が後退してしまうのはやむを得なかった。原因は判明していないし、これから判明する日もおそらくこないのだろう。人間にとって、想像や推測の範疇を超えている。
 もはやこの星で命を育んでいくことは困難であると諦め、見切りをつけた人々は、巨大な宇宙船をいくつも建造した。そして宇宙へと脱出を図ったのだった。航海の中で安住の地を見つけられればそれでよし、そうでなければ小さな箱庭の中で生命を終える、過酷な旅だ。それでもいつ命が脅かされるか分からない生活から逃れるべく、多くの人々が旅立っていった。
 最初の船が旅立っていったのは、もう百年近く前の話だと聞いている。彼らがどうしているのか、知る由もない。今もあの広大な宇宙のどこかを漂っていて、宇宙船を故郷とする子供が生まれ、育ち、外の世界を知らぬまま亡くなっているのかもしれない。
 それは一体、どんな気分なのだろう。スミスは、途方もない想像をする。
 今も地球に残るのは、この星を捨てられなかった人々や、同じ思いをかつて抱いた人々の子孫たちだ。そして、今や在り方が形骸化して久しい対地球外生命体対策機構・ELCOに身を置く人間たち。スミスは、後者に属する。
 ELCOの拠点としている街の地下で新たな宇宙船の建造が進んでおり、試験を控えた最終段階まで到達している。人手や技術力、残存資源の観点から見て、これほど大きな船を作れるのは、これが最後になるかもしれない。それに、決して一朝一夕で完成するものではない。十数年の時を必要とするのだ。
 ゆえに、希望する人がいれば、できる限り搭乗してもらわなくてはならない。そのための、今回の任務である。ELCOのメンバーも──スミスを含め、ほとんどの者が搭乗を希望している。
 スミスのチームは、主に北太平洋を周るグループに組み込まれた。タブレット上の電子地図に、大きな丸が描かれる。ぐるりと囲まれたのは、ハワイ諸島と呼ばれる島々である。ELCOによる調査──数年ごとに実施されている人口調査のデータによれば、この地域はずいぶん前から無人と認定されている。つまり、この島々に住んでいた人々は、いずれも大陸に点在する集落に合流したか、この星を後にしたか、いずれかである。
 北西、カウアイ島から順に巡ればいいかとスミスは考えたが、その南東にあるオアフ島に、なぜか視線が吸い寄せられた。理由はわからないが、強烈に惹かれるものがある。任務をここから開始するのは悪くないかもしれない。かつては一大観光地であったと聞くし、万が一隠れ住んでいる人が存在するとして、この島を選ぶ可能性は高いだろう。そう結論づける。
 スミスはTSを飛行形態に変形させ、目的地に向けてオートパイロットを設定する。所要時間はおおよそ十一時間十二分、とAIが滑らかな音声で知らせてくれる。
「しばらく眠るよ。八時間くらいで、一旦起こしてくれるかい」
『了解しました』
 スミスは狭いシートの上で腕を組み、目を閉じる。まともでない寝床で眠ることには慣れている。宿舎のベッドだって、決して寝心地が良いわけではないのだ。

『予定時間です、マスター』
 目覚ましのために通常よりやや大きめの音声。それに反応し、スミスは瞼をあける。時計を見れば、目を閉じる前に見た数字から数えて、おおむね八時間後だった。どうやら一度も目を覚ますことなく、たっぷり深く寝入っていたようだった。背中は痛いが、頭はすっきりしている。
 ベルトを外すと、『飛行中は着用が義務付けられています』とすかさす機械の相棒が口を出してくるが、少しだけだからと軽くいなす。
 頭上のボタンを誤って押してしまわないよう注意しつつ、腕を上げる。胸を逸らして思い切り体を伸ばすと、思わず声が出た。「あと四時間か」と誰へ向けるでもなくぼやく。
 味気ない軍用レーションを齧りながら、モニターの向こうを見た。機体はすでに北大西洋の上にあって、見渡す限り、美しい青色が広がっている。だが、異物も点在している。海底深く突き刺さった様々な残骸が、海面にぽっかり顔を出しているのだ。
 例えば沈没した船やTSなどは、長い時間をかけて波に削られ、塩や菌によって腐食が進み、やがては崩壊してしまう。だが宇宙から襲来した敵の体であったものや、母船や基地と思しきものは、ずっと形を保ったままそこに存在しているのだという。地球には存在しないとされている素材が用いられているのだ。
 かつては回収されて研究、観察されたり、あるいは再利用の道も探られたと聞くが、今はこの通りだ。この忌まわしき残骸たちは、世界中に放置されている。巨大なものは埋めることも難しいし、火にかけたところで燃えることもない。
 忌々しいものだ、と思う。それを目にするたび、人は恐怖の記憶を呼び起こされてしまう。
……けど、きれいだ」
 無粋な異物から目を逸らせば、真っ青な海は美しい。普段は内陸にいてほとんど目にすることのないそれは、豊かで、雄大で、畏怖すら抱かせる輝きを持っている。例えモニター越しであっても、見ていて飽きがこない。きっと絶え間なくうねり、形を変え、同じ姿を見せることは二度とないからだろう。
 それから約四時間、ようやくハワイ諸島上空に到達する。所要時間や時差を考えて早朝に出発したから、おおよそ昼下がりくらいの時間帯だ。
「オアフで、着陸できそうな場所は?」
 尋ねると、AIが素早く複数の候補地を挙げる。スミスはそのうち、ノースショア・ハレイワにある草地を目標に定めた。草花は生い茂っているが、瓦礫等の障害物もないようだし、隅からくまなく探索したいから、スタート地点としては悪くないだろう。あとは相棒に任せて、次第に近づいてくる陸地を眺める。
 着地は極めてスムーズだった。ほとんど振動なく十二時間ぶりの地上に降り立ったスミスは、まず作戦内容を再確認する。期間は一週間、諸島を巡って住民を捜索し、もし存在が確認された場合は名前や暮らしぶりを聞き取り、そして意思確認を行う。定時連絡は毎日午後五時。
 今ごろ同作戦に割り当てられた仲間たちも作戦を開始している頃か、あるいはまだ空の上にいるだろうか。
 スミスはヘルメットを脱いでハッチを開け、ふちに手をかけて飛び上がるようにして外に出た。くるりと一回転が決まる。鉄の塊から這い出た人間の頬を、あたたかく柔らかい風が撫でた。ハワイは一年を通して寒暖差が少なく、常夏の島であると聞く。
 もはや国というものが形骸化して久しいとはいえ、この島は同じ合衆国に属している。にもかかわらず、スミスがここを訪れるのは初めてのことだった。
 しかし、不思議な感覚が体を包んでいる。優しい風が「お前を待っていた」と語りかけているような気がした。あるいは本当に、ここに足を運んだことがあるのかもしれない。
 ただ、記憶にないだけで。
 スミスはマニピュレータを伝って、器用に地面に降り立った。大柄な体を受け止めてくれた柔らかい草花は、人の手が入らなくなって久しいためか、ぼうぼうと伸び放題である。その中に見つけた白い可憐な花をなんとなく一本摘みとって眺める。花を愛でる趣味はないが、普段は基地の無機質な鉄板(壁と呼ぶには無骨すぎる)や、荒れた街ばかり目にしているから、そのしなやかな花びらを「綺麗だな」と素直に思った。
 ひとまずそれは胸ポケットに押し込んで、スミスは周辺を散策した。人は見当たらないが、小動物だとか、牛だとか羊だとか、人間以外の生物はやたらにいるようだった。きっと野生化した家畜が伸び伸び暮らし、世代を繋いでいるのだろう。幸い襲いかかってくる個体はいないようだが、それでも刺激を与えないよう、人の営みの残骸を慎重に避けながら歩く。
 きっと家の一部であったのだろう高い壁に、蔦が無数に絡みついている。スミスはそこに、一枚の紙を貼り付けた。ELCOが人を捜索している、という内容だ。前時代的な手法だが、島中に広報するなら一番確実な手法でもあるだろう。スミスがいくら全力で叫んでみたところで、声が届く範囲などたかが知れている。連絡が難しい場合には、この紙に何かしらの印をつけるなどして、存在を知らせてくれるはずだ。
 そうして歩き始めて、一時間ほど経過したころである。少し休憩しようかと、スミスは小ぶりな岩の上に腰を下ろして額の汗を拭った。その時だった。
 がさっと、茂みから音がした。うさぎかリスでも警戒しているのかと思いきや、草をかき分けて顔を出したのは、全く予想だにしない奇妙な物体であった。
『む』
「は?」
『お主は……
 その紫色を基調とした物体は、滑らかで自然な言葉を発する。低い男の声だった。
 見た目は、ふっくらとしたぬいぐるみそのものだ。しかしテディベアだとかそういう愛らしいものではなく、人型のロボットを大体二等身くらいにデフォルメしたような姿である。BV型に、ほんの少しだけ似ているかもしれない。
 そしてその物体は、ほんの数センチだが浮いていた。
……ドローンか? 変わった形状だが」
『失礼な! 我はそのようなものでは……いや、それより、お主まさか……ルイス・スミスか?』
……なぜ、俺の名前を」
 AIか、あるいは操縦主がいて、そいつがスピーカー越しに喋っているのだ。きっとどこかに仕込まれているカメラを通して、こちらを見ている。いや、今はそんなことはどうでもいい。
『生きていたのか? それとも、我と同じように』
「俺を、知っているのか?」
……別人か? いや、それにしてはそっくりだが」
 むむ、とドローンが短い手を顎に当てて考え込む。妙に人間臭い仕草で、作り手のこだわりのようなものが感じられた。
『お主、TSで来ているな?』
「え? あ、ああ」
『何か通信機器は……ああ、それでいい。こちらによこせ』
 ドローンはスミスの持っているタブレットを、短い両手でひょいと奪っていくらか距離を取る。目にも止まらぬ速さだった。「何するんだ」と手を伸ばすが、指が届く前にひょいと投げ返された。先ほどの繊細な、こだわりある動きに比べてなんと大雑把なことかと驚きながら、慌ててキャッチする。
『座標を送った。後でそこに来るがいい。良いか、あまり待たせるなよ』
「ええ……? って、うわ本当だ。いつの間に!? というか、どうやって」
『では、さらばだ。後ほどまた会おう』
 一方的に言うだけ言って、ドローンは飛び去っていった。文字通り、高く飛んで南東の方角へとふわふわ飛んでいったのである。見る限りプロペラもエンジンも推進機構も見当たらないのに、非常にスムーズな発進と飛翔だった。と、感心している場合ではない。
「な、なんだったんだ……?」
 スミスは呆然と小さな背中を見送った後、タブレットを見下ろす。探索済みの場所をチェックするために表示しているこの島のマップに、丸い印と座標が浮かび上がっている。ELCOのエンジニアと優秀なAIによって厳重にプロテクトが掛けられているはずのそれに、ほんの一瞬で侵入・干渉されてしまった形だ。報告をあげるか、非常に悩ましいところだった。
 示されているのは、ここからおよそ六マイル南東に下ったあたりだ。ちょうど、ドローンが飛んでいった方角である。どういうわけか知らないが、持ち主だか操縦主だかがそこで待ち構えているのだろう。
 つまり、この島は無人島ではない。人がいるのだ。すなわち調査報告のために会って話をする必要がある。そう考えると、あちらから接触してくれたのはむしろ好都合と言えた。
 スミスは素早くTSへ駆け戻り、座標を入力する。へたに瓦礫を避けたり、動物たちを怯えさせるより、飛んでいった方がいいだろう。
 操縦はオートパイロットに任せ、スミスは腕を組む。人がいた、それはいい。しかし今は任務よりも気になることがある。
 あのドローンは、スミスの名を呼んだのだ。ありふれた名前ではあるが、あのドローンは明らかに己を見て、そういう名前の人物と認識した。これがただの偶然で片付けられるはずがない。
 妙な緊張感で乾いた唇を、ぺろりと舐めて湿らせる。ここ十年で初めての手がかりだ。もしあのドローンの持ち主が己を知っているとして、なんという巡り合わせだろう。この名前は、数百年前にこの星を救ったとされる英雄から借り受けていて、呼び名がないのは不便だろうと、拾ってくれた仲間によって名付けられたものなのだ。
 心臓が早鐘を打ち始めるのを感じながら、スミスは目的地への到着を待つ。徒歩であれば三時間近くかかるであろう道のりも、飛行モードのTSならばあっという間だ。ものの数分で、示された座標の位置に辿り着く。
 見た限り、何もない場所だった。草地のところどころに、古びたレールのようなものがのぞいている。昔この辺りを、列車が走っていたのかもしれなかった。
……ここで合っているか?」
『間違いありません』
 先ほどのドローンの姿も、人の姿もない。よもやいっぱい食わされたのではあるまいなと訝しみつつ、スミスは慎重に、念のため少し離れた地点に着地する。引き返そうとは思わなかった。任務のことはもちろん、己のことを知っている人物がいる可能性を考えれば、尚更だ。
 念のため懐に銃を一丁忍ばせて、スミスはTSを降りる。
「──スミス?」
 透き通った声だった。背後から聞こえたそれに、スミスは懐に手を入れながら振り向く。気配に全く気づくことができなかったが、数メートル離れたところに一人の少女が立っていた。両腕に、先ほどの紫色のドローンを抱えている。
 銀色の髪が風にふかれて揺らめく。その不思議な色に、スミスはしばし魅入られた。
「本当に、スミスだ。……ねぇ、今までどうしてたの?」
「君は……
 スミスは懐から手を出す。もちろん、その手には何も握っていない。少女から敵意や害意といったものが一切感じられなかったからだ。
 少女はただ、ひどく驚いている様子でこちらを見ている。赤にほんの少しだけ青を落としたような不思議な色の目で、スミスをじっと真っ直ぐに。
「オジサマから聞いて、びっくりした。……ねぇ、ルルのこと、わからない? オジサマのことも?」
「ルル……君は、ルルというのか。俺のことを、知ってる?」
 少女は──ルルは一瞬、目を丸く見開いた。やがてその目は悲しみをたたえ「そっか」と小さく呟いた。
「人違い、だったみたい。名前、一緒だけど。……お仕事の邪魔してごめんなさい。こんなところまで来てもらっちゃって」
「ま、待ってくれ、俺の話を」
 立ち去らんとする少女を、スミスは慌てて呼び止める。聞いていないふりでそのまま歩を進めるでもなく、彼女は振り返ってくれた。
「話? お仕事のこと?」
「もちろん、それもあるんだが」
……わかった、いいよ。でも立ちっぱなし、疲れる。ルルたちの家きて」
「君たちの家?」
「うん。オジサマ、お願い」
『うむ、心得た』
 それまでルルの腕の中でじっとしていたドローンが返事をする。かと思うと、その黄色い目がきらっと光を放った。
 そうすると、彼女のすぐ後ろ、何もない草地と思っていた場所が陽炎のようにゆらめいた。そして、まるで毛糸のセーターでも解くかのように下からするすると、巨大な人工物が姿を現していく。それが──丸いガラスのドームが完全に姿を見せるまでは、まさにあっという間であった。
「これは……
「普段は光学迷彩で隠してるの。すごいでしょ。さ、中にどうぞ」
「あ、ああ……
 促されるまま、そこだけは鉄製らしいドアを開けて中に入るルルに続く。
 あっさり『光学迷彩』と彼女はいうが、おそらく極めて高度な技術だ。ELCOのレーダーにも、こんなものは観測されたことがない。されていたら間違いなく調査の手が入っていたし、ここが無人の地と認定されることはなかっただろう。
 中はほとんど外と同じほどの気温で、風も吹いているようだった。どこから引き込んだのか、小さな川まで流れている。それから、いくつかの小屋や温室らしいものも目に入った。まるで箱庭のようだ。荒れた島の中にあってここだけが整然としていて、人の営みの気配が色濃くある。
「オジサマ、先に帰っててくれる?」
『わかった。何かあったら大声で呼ぶのだぞ』
「何もないよ、大丈夫」
 ルルの腕の中から、『オジサマ』なる名のドローンが浮き上がる。ふわふわ飛んでいった先には、一際大きな小屋、いや、家と呼べる建物が見えた。あそこが、彼女らの住処なのだろう。
「ルル、ちょっと用事ある。着いてきてくれる?」
「わかった。邪魔はしないよう気をつけよう」
 彼女にとって、己は突然現れた異邦人である。目の届くところに置いておきたいという気持ちは理解できるから、スミスは大人しく従うことにした。
 ルルは、丁寧に敷かれた石畳の小道の上を歩く。
「あそこ、温室なの。中でお花とか育てたり、本を読んだりするんだ」
「いいね。花なんて、ここに来て久しぶりに見た気がするよ」
 スミスはふと、胸ポケットに押し込んだ白い花のことを思い出した。指でつまんで取り出すと、当然すっかり萎れてしまっている。
「お花? 小さくてかわいいね。でも、潰れちゃってる」
「ああ。悪いことをしちまったな……
「押し花にするといいよ。飾ったり、本のしおりにしたりするの」
「いいアイディアだ。それならいつでも花を拝めるし」
 何気ない会話を妙に居心地よく感じながら、歩を進める。間も無く、ビニールで覆われた温室に行き着いたのだった。
「はい、どーぞ」
 カーテンのように垂れているビニールの入口を、ルルがめくってくれる。長身のスミスには少々小さいそこを潜るようにして、中に入った。所狭しとラックが軒を連ね、その上に無数のプランターや鉢植えが並べられている。デザインや素材もまちまちといった様子だ。
「用事って、ここに?」
「うん。……こっち」
 奥まったところ、ラックで仕切ってあって入り口からは見えなかったところに、ガラス製のテーブルと、アンティークなデザインのチェアが二脚ある。そしてその横で──一人の青年が目を閉じて、サンラウンジャーに横たわっていた。温かい太陽の光が降り注ぎ、額を覆う長い黒髪がつやつやと輝いている。
 スミスの心臓が激しく跳ねた。その一瞬で強烈に惹かれ、目が離せない。起きてくれ、こっちを見てくれ、と心が渇望するのに、彼の固く閉じられた瞼が開くことはなかった。
……スミス?」
……あ、す、すまない。驚いてしまって。他にも人がいるとは」
 無理やり、彼から視線を引き剥がす。そうしなくては永遠に見つめたまま固まってしまうような気がした。
「びっくりした? ルルの家族だよ」
「お兄さん、かな?」
 ルルは見たところ十四、五歳といったところだ。恋人というには、彼とは歳が離れているように感じた。彼女は少し考えた後「んー、そんなところ」と曖昧に肯定する。
 おそらく血の繋がりはないだろう。髪や肌の色が違いすぎる。だが、こんな世の中だ、赤の他人同士が寄り集まって家族のように暮らすことなど、全く珍しくない。
「よく寝てるみたいだ」
「そうなんだよね、困っちゃう。でね、ルルの用事は家の中に運んであげることなの」
「俺が、運ぼうか」
 気がついたら声に出していた。誤魔化すように「その、君には重いんじゃないかと思って」と続ける。
「ルル、すごく力持ちだから平気だけど……わかった。お願いしてもいい?」
「任せてくれ」
 託されて、スミスは彼のそばに膝をつく。そっと、壊れ物を扱うように両腕を体の下に差し入れて、ぐっと腰に力を込めて抱えあげる。
 横抱きにした彼は、思ったよりもずっと軽かった。そしてやはり、目覚める気配はない。よほど深く眠りこんでいるらしかった。
……どこか、悪いのかな」
「眠ってるだけだよ」
 ルルの表情は、そう言いながらも寂しげだ。
 温室を出て案内されたのは、木を組んで建てられた立派な一軒家だった。先ほど『オジサマ』が飛んでいった先である。
「ここがルルたちのお家……なんだけど、ちょっと待っててくれる? お客さんなんて来たことないから、散らかってるの。五分くらいだけ」
「もちろん。けど、あまり気にしないよ。何を隠そう、俺も整理整頓や掃除はすごく苦手でね」
……うん、そんな感じする」
 ルルはくすっと笑うと、木製の味のあるドアの向こうに消えていった。
……そんな感じって」
 顔に出ているのだろうか、『掃除が嫌いそう』だとか、そういうものが。今度同僚にも聞いてみよう、とスミスは思った。
 数分の間、スミスは腕の中の彼を間違っても落としてしまわないよう時々力を入れ直しつつ、周辺を見渡した。畑と、井戸と、それから鶏小屋が目に入る。簡易な柵の中では、数羽の鶏が悠々自適といった様子で首を揺らしながら歩き回っていた。本当に、このドームの中で生活が完結しそうなくらいに設備が整っている。例えば外の世界が突然滅びを迎えたとして、この中に閉じこもっていればしばらくの間は惨状に気づくことがないのでは、というくらいには。
 今このドームは、迷彩によって再び隠れている状態なのだろうか。中からはガラス越しに外の風景がよく見えるから、不思議な感覚だった。
「お待たせ! 入っていいよ!」
 果たして何分経ったのかわからないが、ルルはすぐに戻ってきた。彼女がドアを押さえてくれているうちに、スミスは中に彼を運び込む。
 外見と違って、中は思ったより現代的だった。だが、温かみのある優しい雰囲気が漂っている。
 まず通されたのはリビングらしい部屋で、暖炉(初めて見た)と、柔らかそうなラグの上には低いテーブルがある。「そこに降ろしてあげて」と示されて、スミスは暖炉の前のソファに腕の中の青年をそっと下ろしてやった。
「これをかけてやってくれ」
「ああ……
 差し出されたニットの膝掛けを受け取り、青年の体を覆うようにしてかけてやる。彼は相変わらず、すやすやと眠り続けている。
「手間をかけさせたな」
「かけさせてないもん。スミスが運びたいって言ったの!」
「ああ、それはその通り……って、うわぁ!?」
「なんだ、無駄にでかい声を出しおって」
 スミスは、三十センチほど飛び上がった。すぐ横に、全く見覚えのない美丈夫がいかめしい顔をして立っていたからである。膝掛けを差し出してくれたのは、この男だったらしい。
「お、お、驚かせないでくれ。もう一人いたんだな」
「もう一人? なんのことだ」
 男が首を傾げる。スミスの上をいく長身に、鍛えられた体躯、それを包むのは白いシャツとエプロンである。こちらもまたルルに負けず劣らず変わった色の髪をしていて、スミスはその特徴的な色合いに見覚えがあった。
「そうか、あのドローンの主だな? すっかり忘れてたよ。塗装を髪色と揃えてるなんて、なかなか洒落てる」
「貴様、一度ならず二度までも、我をドローンなどと愚弄するか!」
「ストップストップ!! オジサマ落ち着いて! ……スミス、こちらオジサマだよ」
「否、スペルビアだ。お主に『オジサマ』などと呼ばれるのは業腹だからな、決して間違わぬように」
「全く話についていけないが……わかった、スペルビア」
 握手……という雰囲気ではなさそうだ。スペルビアは肩を怒らせながらその場を後にする。カウンターをしきりとして、そちらにはキッチンがあるようだった。
「スミス、座って。オジサマがお茶を持ってきてくれるから」
「俺のだけ塩が入ってたりしないか?」
「しない! と、思う。多分」
「不安だな……
 ちら、とキッチンの方を見やりつつ、スミスはラグの上に腰を下ろす。この家ではそういうスタイルらしい。だから、テーブルがこんなにも低い作りなのだ。テーブルとチェアがお決まりの暮らしだから、なかなか新鮮である。ラグは座り心地が良く、床の硬さをほとんど感じさせない。よく見ると、複雑なモチーフをいくつも組み合わせた、凝った逸品のようだった。
「昨日洗って干したばっかりだから、ふわふわでしょ? 綿が入ってるからこんなに柔らかいんだよ」
「うん、すごくあったかい。一枚持って帰って、俺の部屋にも敷きたいよ」
 素直に褒めちぎるとルルは嬉しそうに相好を崩して「作ってくれたんだよ」とちらっと暖炉の方を、いや、ソファで眠る青年の方に視線をやった。
「彼が、これを?」
「そう。時間だけはあるからって、色々ね。お布団のカバーとか、カーテンとか……あ、オジサマのエプロンも!」
「器用なんだな」
 スミスは、彼があのソファに座って手をちまちまと動かしている様を想像する。
「スミスも、器用そうだよ」
「それも顔に出てるって?」
「うん、そう!」
 先ほどの言を引き合いに出すと、ルルは楽しそうに声を上げて笑った。そうして彼女がころころ笑っていると、訳もなく嬉しくなって胸の辺りがむずむずとする。
「うーん、言われてみればTSの整備については、飲み込みが早いって褒められたような記憶が」
「やっぱり!」
 初めて会ったとは思えないくらい、彼女とは話が弾む。元々、人付き合いに関しては不器用ではないという自負はあるし、初対面の相手と無難な会話をするのは得意な方ではあると思う。だが、そういう上辺だけのものではない。彼女と話していると、素直に楽しいと思えるのだ。
 やはりどこかで会ったことがあるのではないか、と思う。『人違い』の一言で終わらせるには、色々なところに違和感があった。
 スペルビアが器用にマグカップを三つ持ち、キッチンから出てくる。スミスに差し出されたのは、ほとんど新品同様といった様子の、ぴかぴかの白いマグカップだ。うっすら黄みかかっていて花のような香りがする。
「オジサマ特製のハーブティ! あの温室で育ててるのをブレンドしたの」
「なるほど。いい香りだな」
「でしょ! オジサマありがと! 座って!」
「うむ」
 ルルが自身の隣をぽんぽんと叩くと、スペルビアは従順な犬のように腰を下ろす。
「それで……スミスは、お仕事で来たんだよね?」
「ああ。君たちは、ELCOは知っているかい」
 ルルの方から口火を切ってくれたので、スミスはまず己が属する組織の話から始めることにする。よくわからない、名前しか知らない、と首を傾げられたら、まずは対象の警戒心を解くために丁寧に組織に関する説明を行うのが決まりだ。
 しかしルルとスペルビアは揃って「知ってる」とすんなり頷いた。
「地球外生命体対策機構、Extraterrestrial Life Countermeasures Organization……通称ELCO、だな」
「今の拠点は、旧ワシントンDCだったよね?」
「話が早くて助かるよ」
 頭の中で用意していたマニュアル通りの説明は一旦破棄し、スミスは早速本題に入ることにした。タブレットに詳細なプレゼン資料を表示し、できる限り優しく噛み砕きながら、最後の地球脱出計画について語って聞かせる。フェアではないから、もちろんデメリットだって詳らかにした。荒廃の進む星で次なる襲撃を座して待つような生活を捨て、新天地を共に目指してみないか、と。
 試験がスムーズに進めば約半年後、遅くとも二年以内の出立を目指して動いている。直近の襲撃は約十年前だから、おそらくあと数十年はこの星が脅かされることはないだろうと推測されているが、あくまで推測……いや、願望に過ぎない。急ぐに越したことはないのだ。かといって、大勢の命を預ける船である。急ピッチで作業を進めるわけにもいかず、慎重に事は進められている。
 ルルは真剣な眼差しをこちらに向け、熱心に耳を傾けてくれているようだった。スペルビアの方は、よくわからない。スミスの顔も、タブレットも見ていない。横目でルルの様子を伺ったり、ハーブティを飲んだり、全くあさっての方向を向いていたりする。どうも、興味がなさそうだ。
 あらかた説明し終えると、ほっと息を吐く。友人たち相手に何度か練習したが、スムーズに話せるかどうか不安に思っていたところがある。
……以上だけど、何か質問はあるかな。答えられる範囲で答えるし、難しい内容だったらすぐ上に判断を仰ぐよ」
「ううん、よくわかった。ね、オジサマ」
「ん? ああ、そうだな。ルルがそう言うならば、そうなのだろう」
「もー! 聞いてなかったでしょ! ごめんねスミス。オジサマ、気まぐれなの」
「ま、まぁ、こちらの話も長かったしな」
 猫みたいだな、とは言わないでおいた。また怒鳴りつけられたらたまらない。
「月や火星への移住は、地球に近すぎるから避けたんだったよね?」
「ああ、よく知っているな」
「まぁね。……それでスミスは、ルルたちもその船に乗らないかって誘いに来てくれたんだね」
「そういうことだ。世界中を、くまなく探索することになっている。俺はこの辺りの担当なんだ。もちろん、すぐに答えを出して欲しいとは言わないから、ゆっくり考えて欲しい。大きな決断になるからね」
 ルルは少し考えたあと「そうする」と頷いた。
 こうして彼女たちに出会えたことを考えると、やはり無人とされている地域も作戦区域としたのは正解だった。こんなふうにひっそりと住んでいる人々は、きっと他にも大勢いるに違いない。ここのように高度な光学迷彩によって隠れているケースは、さすがに稀だろうが。
「この辺りって、ハワイ諸島? ……いつまでいるの?」
「とりあえず、一週間だ。一週間で一旦帰投して、不足と思われたらまた来るし、別の地域に回されることもあるだろうな」
「ふぅん……だったら、その間うちに泊まる? TSで寝泊まりするの疲れるでしょ? 野宿するにしても動物だらけだし、寝てる間に齧られたら大変だよ」
 その申し出にスミスは驚いたが、同時に願ったり叶ったりだとも思った。彼女の言う通り、慣れているとはいえTS内で丸くなって眠ると背中や腰がどうしても痛くなるし、かといって多くの野生動物が闊歩する屋外で野宿することに不安を覚えていた。交代で見張りにつくためにも作戦行動はツーマンセル以上が鉄則だが、何せELCOは慢性的な人手不足に悩まされている。哨戒ドローンの一台でも借りてくるべきだったかもしれない。
「それはすごく助かるけど、いいのかい?」
「うん、スミスならいいよ! その代わり、手の空いた時にお手伝いしてくれる? 畑の世話とか、水汲みとか、簡単なことなんだけど」
「そんなのお安い御用だよ。特に、力仕事は任せてくれ」
「でもお部屋がないから、ここに予備のお布団敷くことになるけど……いい?」
 ここ、とルルがラグを叩く。「全く問題ない」とスミスは大きく頷いた。
「屋根の下で眠れるってだけで、こんなにありがたいことはないよ。それにこのラグは最高だし、何も敷かなくていいくらいさ」
「じゃあ決まり!」
……
 嬉しそうに手を叩くルルとは対照的に、スペルビアはむすっとして、何か言いたげな顔をしている。大方、「若い娘のいる家に上がりこむとは!」だとかそういうことを考えているのだろう。彼の心配はもっともだが、ロリータコンプレックスの気は全くないから心外ではある。
 スミスは、ソファでぴくりとも動かず眠り続ける青年を見た。またも心臓が喚き出す。この気持ちはなんなんだろう。まさか、これが世に言う『一目惚れ』というものでは──と考えたところで、二対の視線に気がついた。ルルとスペルビアが、じっとこちらを見つめている。ルルは楽しそうに、スペルビアは相変わらずむっとした様子で。スミスは、慌てて目を逸らして彼女たちに向き直った。
「そ、それじゃあ早速、何か手伝おうか?」
 ごまかすように一つ咳払いしてから、スミスはそう申し出る。しかしルルは首を振り「今日はいいから、休んでたら?」と優しい。彼女はELCOの本部がワシントンDCにあることを知っているから、ここまで長時間かけて移動してきたことも理解しているのだろう。
「じゃあ俺は、探索の続きをやってくるとしよう」
……多分、誰もいないと思うけど。ルルたちずっといるけど、見たことないもん。オアフはもちろんだけど、他の島でも」
「そういう任務だから。それに、こいつにログが残るから、サボるとバレちまうんだ」
 こいつ、と軽く振って見せたのはタブレットである。数年前に打ち上げられた衛星による通信にて、リアルタイムで本部に位置情報が送信されているはずだ。さすがに常時監視されているわけではないが──言わずもがな、本部オペレーターも人手不足だ──、作戦行動終了後に報告書と照らし合わせながらのチェックは入るだろう。
「あは、そうなんだ! 大変だね、お仕事って」
「まぁね。明日からは遠慮なくこき使ってくれ。といっても任務があるから、いつでもってわけにはいかないが」
「わかってる、お仕事優先! 夜ごはん作るから、六時までに帰ってきてね」
「え……もしかして、食べさせてもらえたり……?」
「泊まるんだから、当たり前。といっても、大したものじゃないよ」
「いや、すごくありがたいよ。もちろん宿泊代含めて、きちんとお礼をするから」
……そんなの、いらないよ。大体、お金もらってもここじゃ使い道ないし」
 確かに、彼女の言うとおりだ。ここで生活している彼女たちに、現実世界の通貨が役に立つとは思えなかった。といっても、外の世界だってそう変わりない。こんな世の中では、通貨の信用は低い。表立って商売している店はまだ受け取ってくれるが、ほんの少し裏の世界に潜るだけで、物々交換だけで成り立つ闇市が広がっているのが現状である。
 しかし、この地はそんな現実とは無縁のようだ。
「じゃあ、何か不足しているものがあれば」
 どうにか融通しよう、と続ける前に「お手伝いしてくれたらそれでいいから」と遮られる。なんとしても、何も受け取りたくないという強固な姿勢のようだった。
……参ったな」
「本当に、気にしなくていい。むしろお客様、嬉しい。ルル、『オモテナシ』する!」
「そういうことだ、ルイス・スミス。大人しくルルのもてなしを受け、感涙に咽ぶといい」
 しばらく黙っていたスペルビアが口を開いたと思ったら、これだ。この短時間で、スミスにはわかったことがある。彼が非常に、ルルのことを慕っているということだった。
……わかったよ。お言葉に甘えるとしよう」
「よろしい。じゃあ、行ってらっしゃい。気をつけてね」
「その前に、それを貸せ」
「え」
 目にも止まらぬ速さで、タブレットを奪われる。強い既視感を覚える。つい先ほども、同じことがあった。
……よし。ここに入る時は、それを押せ。ステルスが解除される」
「い、いつの間に。というか、また勝手に」
 画面の右上に、見たこともないマークが浮かんでいる。一体どういう技術か知らないが、またもプロテクトを一瞬で突破された上、機能追加までされてしまった。この光学迷彩といい、何かとんでもない超技術がここに眠っているような気がして落ち着かなかった。
「オジサマ、それくらいはオテノモノ。大丈夫、帰る時には元通りにするから」
「いろいろ、聞きたいことはあるが……やめておこう。多分俺には理解できない」
「賢明だな。難しく考え込まず『そういうものだ』として受け入れた方が楽なこともある」
……こんな世の中だしな」
「そう、こんな世の中だからな」
 はぁ、とスミスは大きくため息を吐く。報告書にどこまで記載すべきか、大いに悩むところだ。
 スミスはタブレットを小脇に挟んで立ち上がる。
「帰ったら、スミスの話を聞かせてね」
「俺の話? さっきほとんど話したつもりだけど」
「違うよ、作戦のことじゃなくて……スミス自身の話」
「俺自身の……
 それはおそらく、難しいだろうと思う。スミスには、己について詳しく話す術がない。語れることといえば精々、ここ十年のELCOでの、変わり映えしない日々についてくらいのものだろう。
 どうしたものか考えあぐねていると、「話せることだけでいいから」とルルが続ける。彼女の大きな目が、まるで何もかも見透かすようにこちらをじっと見つめている。いや、スミスを見ているようで、もっと遠くの何かを見ているような──……
……わかった。つまらない話になると思うけど」
「うん、それでいいよ」
 再度の「行ってらっしゃい」の言葉に見送られ、スミスは最後にちらっと青年を見てから、小さな家を後にした。



 しばらくオアフに滞在するなら、他の島の捜索を優先した方がいいだろう。そう判断して、まずは北西に位置するカウアイ島に針路を撮った。主要六島のうち最も北に位置する島で、地形学的には、最も古い島であるという。
 着陸して探索をしていても、貼り紙を貼ってまわっていても、先ほどのように謎のドローンが飛来するということはなかった。
 人の気配は、全くない。往来があれば自然、草や土が踏み固められて道のようなものが形成されるが、そういう様子も見当たらなかった。その代わりにやはり、動物が自由を謳歌している。オアフとの違いといえば、その動物たちがスミスを非常に警戒して逃げていくことだろう。おそらくルルやスペルビアの存在によって、あちらの動物たちは人を見慣れているのだ。そう考えてみると、この島にはやはり人がいないか、あるいはいたとしても注意深く隠れ住んでいるということになる。
 こんな時、TSに人感センサーがついていればな、と思う。一応サーモグラフによって温度の高い位置を割り出すことくらいはできるが、こうも動物がうろうろしているとほとんど役に立たないといっていいだろう。要するに、ものを言うのは地道な捜索である。
 TSを駆っていても、広大な島を見て回るのは一朝一夕で済むものではない。六時までに帰宅を、とルルは言っていた。AIに尋ねると、そろそろ引き返さなくては間に合わない、と通告を受ける。
「やれやれ、やはり一週間では無理がありそうだな」
『再派遣も十分にあり得ます』
「まぁ、それは……うん、全く構わないんだが」
 命じられたら多分、喜んで再訪するだろう。半日の移動時間くらい、どうということはなかった。

 ドーム付近に戻ってきて、定時報告を送信してから、スミスはタブレットに追加された謎のマークを恐る恐るタップした。何もない空間に、ドームとその向こうの箱庭が姿を現す。驚いたことに、本当に解除スイッチが搭載されてしまっている。スペルビアはタブレットを奪って数秒ほど画面を見ていただけのように思うが──いや、考えるのはやめておこう。スミスは首を振った。
 ずいぶん日が傾き、水平線の近くで青とオレンジが混じり合っている。見慣れた空のはずなのに、この島で見るそれはなんと美しいのだろうか。しばらくぼんやり眺めた後、スミスはドームの中に入る。
 石畳の道に沿って、小さなライトが等間隔で点灯している。まるで光の道だ。しゃれているなと感心しながら、しばしの宿となる小屋へと歩く。そうして近づくにつれ、食欲を刺激する香りが鼻をくすぐるのだった。
 ドアをノックすると、すぐにルルが顔を出す。
「おかえり。勝手に入っていいよ、鍵なんてないし」
「それもどうかと……いや、ここなら問題ないのか。わかった、明日からはそうさせてもらうよ」
 無警戒が過ぎるとも思うが、スミスが身分を明らかにしているため安心している、とも取れる。それに、どうやら彼女らの知り合い、それも同じ名前を持つ男は己によく似ているらしい。それが警戒心を解きほぐす一因になっているのかも知れなかった。
「先にお風呂入る? と言っても、シャワーなんてないから、溜めたお湯を使ってもらうだけになるけど」
「十分だよ。こんななりで食卓にお邪魔するのは気が引けるし、遠慮なく借りるとしよう」
 主な移動手段はTSだが、巨体では入り込めない林や森、岩の窪みなどは自分の足で踏み込む必要があるから、汗はかいているしパイロットスーツは砂埃まみれだ。
「着替え出しとくから、ごゆっくりどうぞ! ご飯用意しておくね」
 まさに至れり尽くせりだった。やはり、お礼をしないのでは気が済まない。手伝ってと乞われたらなんだってこなしてみせよう、とスミスは俄然張り切った。
 髪や体の汚れをさっぱりと洗い流し、ついでに汚れたパイロットスーツを濡らしたタオルで拭き上げる。脱衣所に出てみるといつの間にか着替えが用意されていて『スーツはハンガーにかけておいてね』という手書きのメモまで添えられていた。
 替えの下着は、TSに積んであったものを持ってきている。ルルもそれを分かっていたのか、用意されていたのはシャツとパンツだった。着心地が良く、自然な香りがして、まるであつらえたように体に馴染む。スペルビアのものにしては小さい気がして、ではあの青年のものかと考えて一瞬ドキッとした。
 髪の水気をできるだけ切ってリビングに戻ると、ルルとスペルビアがテーブルについて会話に興じていた。食事は手をつけられた様子がなく、どうやらスミスを待っていてくれたらしかった。
「すごくさっぱりしたよ。ありがとう」
 並んで座る二人の正面に、スミスも腰を下ろす。
「それ、ぴったりみたいでよかった」
「ああ、うん。もしかして……これ、彼のかな」
「え? サイズ違うでしょ? スミスの方がおっきいよ」
「言われてみれば……そうだな」
 彼を抱き上げた時の感触を思い浮かべる。確かに、よく鍛えられた体をしていそうだったが、サイズ感としては一回りほど小さかったかも知れない。
……そういえば、彼は?」
「寝てるから、お部屋に運んだよ。さ、早く食べよう! ルルお腹すいた!」
「うむ。では、イタダキマス」
「イタダキマス!!」
「い、いただきます?」
 手のひらを合わせて高らかに宣言するので、スミスは見よう見まねで従ってみる。食事の前の、祈りのようなものかも知れない。
 テーブルに並んでいるのは、パンがいくつかと、野菜のスープ、それから魚のフライだ。大したものじゃないとルルは言っていたが、冷めたウインナーやベイクドビーンズ、味気ないレーションや合成食料ばかり食べているスミスにとっては、まばゆいご馳走と呼んでも過言ではなかった。あれはあれで、慣れてしまえばなかなか悪くないのだが。
 パンをちぎり、スープに浸して口に入れる。コンソメの優しい味が喉を通り、胃を温かく包み込む。
「これは……
「どう?」
「うまい! こんな美味しい食事は久しぶりだよ!」
 掛け値なしに褒めちぎると、ルルは得意げに笑いつつも「スミス、大げさ!」と謙遜してみせる。なんて行儀が悪いのだろうと理性が訴えてくるのに、がつがつと食べる手が止まらなかった。
「本当のことさ! これはルルが?」
「うん。ルル、いっぱい練習した。オジサマ食通だから、試食してもらうの」
「ありがたく食え、ルイス・スミス。そして食った分は働くのだぞ」
「of course!」
 屋根の下で眠れるだけでもありがたいのに、温かくて美味しい食事までついてくるとは!
 これはどれだけ手伝ったところで返しきれない恩ができてしまったかもしれなかった。
 パンのひとかけらも、スープの一滴も残さずに平らげた後、二人にならって「ゴチソウサマ」と声に出す。どうやら食事の前後にする、一対の儀式らしい。やはり意味はわからないのだが、なんとなく、悪くない響きだなと思う。
……スミス、スミスの話を聞かせてよ」
 さすがに後片付けはやらせてもらって、あとは寝るだけとなった時のことだ。そういえば、出かける前にそんなことを言っていた。スミス自身の話を聞きたい、と。
「話せることが、本当にあまりないんだ。毎日大体、訓練と、見回りと、たまの休みには飲みに行く……それくらいしかやることがないし。それに」
 これを言うべきかどうか、悩んだ。大抵の人は「ごめんなさい」「悪いことを聞いたな」と、一歩引いてしまうのだ。
「それに?」
……俺は、十年前を境に……それ以前の記憶がないんだ。すっぽり抜け落ちちまってる」
 ルルの瞳が揺れる。やはり、驚かせてしまったようだった。
 ひどい怪我を負って行き倒れていたところを、昨日見送ってくれたチームリーダーを筆頭としたELCOの兵士たちに発見され、そのまま基地に収容されて治療を受けた。名前は、彼らに仮の名として付けてもらったものである。約五百年前、記録に残っている限りでは最も大規模な異星人の襲撃、その脅威から地球を救ったとされる英雄の名前である。由来を聞いた時には「そんな大層な名前を」と遠慮したが、リーダーによる「なんとなくだが、お前に合ってる気がするぜ」という根拠のない一言により決定してしまったのだった。
 十年前といえば、襲撃のあった年だ。その被害を受けて、命からがら逃げた先で意識を失ってしまったのだろう、と推測されている。家族や知り合いは、今のところ見つかっていない。自身の正体を明らかにする手がかりといえば、一つだけだ。
「それって、どんなこと?」
「ああ……どういうわけか、TSはすんなり操縦できたんだよな。多分乗ったことがあって、体が覚えているんだろうって」
 そのおかげで、と言っていいものかわからないが、ELCOにおいてもらうことができている。無駄飯食らいを抱える余裕はどこにもない世の中だ、できることがなければ放り出されてどこかで野垂れ死ぬか、あるいはどうしようもなく身を持ち崩していたかもしれなかった。
 ルルも、スペルビアも、難しい顔をしている。
「だから……もし君たちが俺を知っているなら、と思ったんだが」
「人違いだよ。顔も、声もそっくりだけど。けど……違う」
 ルルがまた、あの見透かすようなまっすぐな眼差しを向けてくる。「本当に?」と問い返す勇気は出なかった。
「そういうのは、叩くか殴るかすれば治るのではないか?」
「ガピ! ショック療法?」
「ちょっと違う気がするが……お、恐ろしくて試せないな」
「もっと忘れたら、困るもんね」
 十年間積み重ねた記憶までどこかに消えてしまうのを想像して、薄ら寒くなった。そうなったら今度こそおしまいだ。
「ふとした瞬間に戻るかもしれないし、もしくはずっとこのままかも……とまぁ、そういう見解らしい」
「どうとでも解釈できるな。まぁ、医者としてはそう言うしかないのであろう。人間の脳……とりわけ記憶を司る部分は、いまだに謎が多いと聞く」
「けど、どうしても困ったら、オジサマにガツンと殴ってもらうといいよ! すごく強力!」
「それは本当に、勘弁して欲しいな……
 おそらく冗談のつもりで言っているのだろうが、スペルビアの方は至極真面目な顔をしているので恐ろしい。いざとなったら、本当に拳を振り下ろされそうだった。
 ルルもスペルビアも、態度が全く変わらない。知り合ったばかり、というのが大きいのかもしれない。見知ったばかりの人間が昔の記憶を失っていたところで、気にすることではないと、そういうことなのだろう。変に同情されたり、憐れまれたりしなかったことに、スミスは心底ホッとした。
「ところで、少しは考えてくれたかい」
「え? 何を?」
「ELCOの計画について。説明しただろ? もちろん、急いでるわけじゃないけど……何か不安があったり、疑問に思うことがあったらなんでも言ってくれ」
「うーん、そういうのはあんまりないけど……けど、ごめんね。ルルたちはやっぱり、スミスたちと一緒に行けない」
 初めから答えが決まっていたかのように、きっぱりした返事だった。
……理由を聞いても?」
「置いていけないから」
「何を?」と聞かずとも、対象は分かった。今ごろ部屋で眠っているであろう、あの青年のことだ。
「彼も連れていけばいい。宇宙船の中は、一つの街みたいなものだ。病院だってあるから、診てもらえる」
「だって、ちゃんと意思を確認してないでしょ? 勝手に連れていけないよ」
「もちろん、起きてきたら俺から説明するよ。ちゃんと初めから」
「起きないよ」
 声の温度が、一度下がったような気がした。
「具合が悪くて、ずっと眠ってるの。だからルルたちは行けない……ううん、行きたくない」
 ずっと年下の少女のはずなのに、どういうわけかずっと年上の、老成したような雰囲気すらある。その目には強い決意と静かな諦めが、矛盾せずに混ざり合っているようだった。ちょっとやそっとでは揺らぐことのない、強い輝きだ。
 俗世を離れ、人と関わることなくこんなところでひっそりと暮らしている、それだけの事情が、彼女たちにはあるはずだ。親きょうだいはどうしたのだ、と尋ねることは、この世の中ではタブーである。
 これ以上踏み込むことが今のスミスにはできず「気が変わったらいつでも言ってくれ」と力なく告げるのが精一杯だった。

 柔らかいラグの上に敷いてもらったマットレスに、スミスは横たわっている。朝は早かったし、時差もあるし、体は疲れている。だが、どうしてか眠気が襲ってこない。ルルの静かな表情と、眠り続ける青年の顔が浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返し、睡魔を追い払っているようだった。
 きっとどれだけ説得してみたところで、ルルは首を縦には振るまい。そんな気がしてならなかった。彼女はあの青年を、とても大切に思っている。彼は、あの美しい男は、どうして目を覚まさないのだろう。
 寝返りをうつ。ここは静かだ。ELCOの基地は二十四時間稼働し続けていて、機械の音や見回りの足音など、常に何らかの音が耳に入る環境だから、とても新鮮だった。静かすぎてかえって落ち着かないくらいだ。それでも眠らねば、明日の任務に差し支える。無理矢理にでも眠らねばなるまい、とスミスは硬く目を閉じた。



 気がつけば朝だった。どうやら、どうにか数時間の睡眠は確保できたらしかった。部屋の中はまだ薄暗いが、スミスは起き上がってマットレスから降りる。そんなに眠れたわけではないはずなのに、妙に頭がすっきりしている。寝心地のいい寝具を借りられたのが良かったのだろう。
 カーテンを捲る。朝日が昇るにつれ、水色の空に少しずつオレンジ色が混じっていく。窓に切り取られた風景では満足できず、スミスは裸足のまま外に出た。軍用のきついブーツを履く時間すら惜しかった。
『ハワイの朝焼けはすばらしいんだ』と、出発前に誰か──そう、確かハワイがルーツなのだという同僚が、しみじみと言っていた気がする。全くその通りだった。昨日の夕焼けにも目を奪われたが、いま目の前に広がる光景のなんと美しいことか。
 同時に、どこか懐かしいような気がしてくる。やけに、郷愁のようなものを誘うのだ。故郷など記憶に残っていないくせに、なぜだろうか。
「──スミス?」
 突然かけられた声に、スミスは振り返る。そうだ、昨日もこんなふうに、彼女の気配に気づくことができなかったのだった。彼女が意図してそうしているわけではないだろう。どうしてか、己の本能みたいなものが、彼女に対しては警戒を緩めているような感覚だ。
「あ、ああ。おはよう、ルル」
「おはよう。ずいぶん早いね。……何みてたの?」
「空を。なんてきれいなんだろうって思ったら、いてもたってもいられなくなって」
「それで裸足なんだ」
 ルルはおかしそうにくすっと笑うと、スミスの隣に並び立った。
「きれいだよね。何十回、何百回見ても飽きないよ」
「君は……ずっとここに?」
「うん。ここが大好きなの。たくさん、思い出があるから。いい思い出も、悪い思い出もね」
……
 しばらく、どのくらいの時間かはわからないが、二人でじっと空を眺めていた。
 もしかしたら自分は、ここにいたのではないか、と思う。ルルが否定する以上、彼女たちと共に、というわけではない。この辺りのどこかの島に住んでいて、毎日この空を見上げていたのかもしれないと思い始めている。そして、何らかの都合でワシントンに出向いているときに、運悪く襲撃が始まり──そこまで考えて、スミスは軽く首を振った。全部、ただの都合のいい想像だ。
「スミス、ルルはそろそろ朝のお仕事する。早速手伝ってもらってもいい?」
「もちろんだ。しかし、毎日こんな早くからやってるのかい」
「うん! でも、まずは顔を洗って……それから、何か履いた方がいいと思う」
「それは違いない」
「ルル、先に行ってるね。そこの鶏小屋だから、すぐに来て」
「Okay、ボス」
 当然ながらきちんとブーツを履いているルルが、元気に駆けていく。スミスはドーム内を流れる小さな川で足をきれいに洗い、つま先立ちで家に戻ってから身だしなみを整えた。もちろん、濡らしてしまった通路を拭くことも忘れない。
 履きづらいブーツに足を入れ、再び外に出た。鶏小屋は、すぐ右の方にある。
 中ではルルがせっせと餌を撒いていた。雄雌合わせて三十羽ほどの鶏が、あちらこちらを動き回っている。
 指示されるままに卵を集めて棚に並べ、外の小さな放牧地を掃除する。小屋とここをほとんど自由に行き来させ、のびのび過ごさせているようだ。昨晩食卓に出てきた野菜スープに卵が浮かんでいたが、この子たちが産んだものらしい。
 すっかり太陽が姿を現した頃に、卵をいくつか家に持ち帰る。それはそのままキッチンにいるスペルビアへと手渡され、朝食へと姿を変えるのだ。
 卵を焼き上げるのは、原始的な調理用ストーブだ。薪をくべて火を焚いて、火加減に注意を払いながら焼き上げる。電気は太陽光で賄っているようだが、ガスはないらしい。
 ほかほかのサニーサイドアップとパンで朝食を済ませた後、ルルは再びスミスを外へと連れ出した。川の水を汲んで濾過器にかけると、洗濯や風呂に使用する生活用水や、飲用水になる。
 それから小麦や野菜を育てる畑に水をまき、ちまちまと雑草をむしり、虫がわいていたら取り除く。育っているものは収穫する。
「こういうことを、毎日?」
「うん、ほとんどね。雨の日は屋根開けて、ちょっとサボったりもするけど」
「大変だな」
「そうでもないよ。三人分だから、たくさんはいらないの。あるもので何とかやりくりしていくの、結構楽しい。こういうの、『足るを知る』って言うんだって。前に教えてもらったんだ」
「君は俺なんかよりよっぽど物知りだし、立派だな」
 スミスは彼女と共に毎日のルーティンをこなしながら、感心しきりだった。スミスが知らないだけで、この星に残り世界中に点在する人々は、こういうふうに自然と接しながら日々を生きているのかもしれない。スミスはこの十年のほどんどをELCOの基地と、その周辺だけで生きてきたようなものだ。何もかもが、鮮烈に映った。
「ふー、こんなところかな!」
「よし、次は?」
「一番大事なお仕事! でね、スミスがとっても喜ぶようなことだよ。まずは帰って手を洗お!」
「俺が喜ぶようなこと?」
 考えてみるが、いまいち思いつかない。服についた砂や泥をはらい、収穫できたいくつかの野菜を手にルルと共に家に戻る。
 手を洗った後に案内されたのは、バスルームの向かいにある一室だ。中は窓が開け放たれていて、薄緑色のカーテンが風にそよいでいる。「ここは特に風通しがいいの」とルルが微笑んだ。
 小さな部屋だった。ベッドと小さなタンスが、それぞれ一つあるきりだ。スミスはそのうち、前者に目を奪われた。もちろん、ベッドにではない。そこで眠る人にだ。
……ここは、彼の部屋なんだな」
「うん。ずっと閉じこもってると体に悪いし、あそこで日向ぼっこさせてあげてる」
「俺が、エスコートさせてもらっても?」
「いいよ。大切に運んでね。ルルの、大事な宝物なの」
 その思いは、愛情に満ちた目から十分に察することができた。
 青年の長い前髪が、風で揺れている。固く閉じられた瞼、それを縁取る、濃く生え揃った睫毛は髪と同じ色だ。そしてすっと通った鼻筋に、小さな唇。頰は象牙色で、少しやつれて見えるが柔らかそうだった。
 スミスは少しの間見とれた後、ルルの宝物をそうっと抱き上げる。よく見ると、身につけているものが昨日と違うし、清潔な香りがする。ルルとスペルビアとが、毎日大切に世話をしている様子が目に浮かぶようだった。
 温室まで丁重に運んだ体を、サンラウンジャーに下ろす。ガラスとビニールを通して程よく柔らかくなった太陽光を体に受け、きっと温かい夢を見られるに違いないと思った。
 そのあとは、ルルとスペルビアによるトレーニング──カラテの組み手で汗を流す様子を横目で見つつ自身も体を動かし、温室で育てている野菜が中心の簡単な昼食を済ませたところで、正午を超える。
 休憩した後、ドーム外に出て島を散策し、魚を釣ったり、使えそうな資材を回収して回るのだという。これについていけば任務も進められるだろうと、スミスは彼女についていった。
「この辺りには、昔パイナップル農園があったの。けどテーマパークみたいな感じで観光地にもなっててね、中を列車が走ってたり、おっきな迷路があったりしたんだよ」
「じゃあこのレールは、その時の名残なんだな」
 そういうふうにルルは、歩きながらこの島のさまざまなことを教えてくれた。ここにはコーヒー農園があって、ここの大きな建物はアメリカ陸軍の基地で──……  伝聞とは思えないくらい、まるで見てきたかのようにルルは情景豊かに語ってくれる。その語り口から、スミスはありし頃の姿を、鮮明に想像することができたのだった。
 最後に魚を何匹か釣って(スミスはあいにくget skunkedだった)、帰宅する。温室で眠る彼を家に引き上げさせて、休憩し、夕食の支度をする。
 ルルたちは概ね、こういうルーチンで日々を過ごしている。忙しくもあり、のびのびもしている。スミスは報告書の内容を考えながら、今日という一日に想いを馳せた。
 食事の支度はこちらの領分だと、ルルもスペルビアもスミスの手伝いを許さない。おそらく、手を貸せと言われたところで何もできやしないだろう。まともな料理なんて記憶にある限りではしたことがないのだ。下手に手を出して失敗し、彼女らにまずいものを食べさせるくらいなら大人しく座っている。定時報告の時間まであと三十分ほどしかない、というのもある。
 といっても、書けることといえば『本日の発見、ゼロ人。先日の発見者三名については意思変わらず。引き続き任務に当たる』の三行くらいだろう。報告書は報告書であり、私観を述べたり日記をしたためたりするものではない。結局お決まりの三行だけ書いて送信した。

「ねぇスミス、昨日の話の続きを聞かせて」
「続き?」
 食事の後の、どこかのんびりとした時間帯。仲間たちはTS内で眠るか、あるいは野営をしているだろうに、自分だけこんなに恵まれていていいものかと、罪悪感を覚えていた頃だ。ルルがそんなふうにねだってきたのは。
「うん。スミスのこと、もっと教えてほしい」
「あれ以上は何もないよ、本当に」
「訓練して、見回りして、ご飯食べて、時々お酒を飲んで、眠るだけ?」
 ここでの暮らしとは違う味気ないルーチンに、スミスは頷く。
 仲間たちには「たまには羽目を外して遊べばいいのに」とからかわれるが、女性に手を出す気にはなれなかった。軽い気持ちで一夜だけの関係を持つことに、強い拒絶感を覚えるのだ。
「楽しい?」
「うーん……どうかな。楽しいとか、楽しくないとか、考える余裕もないよ。何もわからない俺を拾って置いてくれてるみんなに報いなきゃって、それだけで十年やってきたんだ」
「ふぅん……
「俺が教えられるのは本当にそれくらいで……それで、あの……もし可能なら、俺にも教えてほしいことがあるんだけど」
「なぁに?」
「あの、彼の……名前、とか」
 スミスは、今日も暖炉の前ですやすや眠っている青年を見た。日光で温まった彼を家に帰す大役を、さきほど担わせてもらったところだ。
……どうして? 聞いてどうするの?」
「すごく、気になって……その、はっきり言うが、驚かずに聞いてくれるかい」
「約束できない。内容による」「だな」
 ルルとスペルビアは、さながら彼を溺愛する両親のようだ。
「Umm……じゃあ思い切って、言ってしまおう。実は……一目惚れしてしまったみたいで」
 言ってしまった。頰に血が集まり、カッと熱くなるのを感じた。
 ルルは、スペルビアと顔を見合わせる。「聞いた?」「ああ、聞いた」そんな端的な言葉を交わしてから、ほとんど同時にスミスへと視線を戻す。
「本当に?」
「ああ。彼を一目見た瞬間、俺の中で鐘が鳴り響いたんだ。そして心臓が掴まれたみたいにぎゅっと痛くなって……それから、彼のことばかり考えてしまう。これは間違いなく、恋だ」
 そして、初恋である。『かつての』スミスにとっては違うかもしれないが、『今の』スミスにとっては間違いない。彼にもっと近づきたい、話したい、どんなことでも知りたい。これが恋でなければ、なんだというのだろう?
「お主、面白いやつよな。懲りぬというか」
「ど、どういうことだ」
「オジサマ。……えっとね、スミスには悪いけど、教えられない」
……そうだよな。意識のない人の個人的な情報を勝手に漏らすのは、よくないことだ」
 例えば自分が同じ立場だとして、目覚めたら見知らぬ人が自分のさまざまなことを把握していた、なんて気分がよくないだろう。納得はできるが、惜しい気持ちは捨てられない。
「けど、呼び名がないと不便だよね。うーん……じゃあ、『アオ』って呼んで」
「アオ?」
 口に馴染まない発音だ。だが、すんなりと音にできる。
「うん。JAPANは知ってる? そこの言葉で、青色って意味」
「Wow、素敵だ」
「それから、ハワイの言葉で……光とか、夜明けを意味するんだって」
……
 なんて美しい由来なのだろう。胸を打たれ、息苦しさすら感じる。スミスは、朝早くに見た美しい朝焼けを思い出さずにはいられなかった。仮の名前にしては、あまりにぴったりではないか。
「アオ、アオか……うん、美しいな。それじゃあ、今はそう呼ばせてもらおう」
 眠る青年を──アオを、スミスは見つめる。彼は深い眠りの中で、今どんな夢を見ているのだろう。その瞼の裏に潜む瞳は、どんな色をしているのだろう。どんな色形でも美しいに違いなかった。
……勝手に連れて行かないでね?」
 よほど熱烈な眼差しを向けてしまっていたのか、ルルが低い声で釘を刺してくる。
「そ、そんなことしないよ!  誘拐じゃないか!」
「そのような狼藉を働けば、我が黙っていない」
「しないって言ってるのに」
 まだ出会って二日だ。いいから問答無用で信用しろといっても、まだ難しいだろう。
「それで……彼の具合は、どうなんだい? 障りのない範囲で聞かせてほしい」
 ずっと眠り続けるなんて、普通じゃない。そういう病も聞いたことはあるが、きっと厳重な健康管理が必要なはずだ。昨日今日と見る限りでは、この家に医療設備らしいものは見当たらない。ごく普通の、一軒家である。
「うまく説明できないけど……命に関わるようなものじゃないから平気だよ」
 はぐらかされてしまったようだ。まだそこまで踏み込むな、という線引きのようなものを感じた。反省し、スミスはそれ以上の追求を避けた。つい気が逸り、彼のことをなんでも知りたいという想いが先行してしまう。自分に意思に反して、口が勝手に動き、声帯が勝手に言葉を発しているかのようだった。
「明日からは、仕事の方に時間を割くよ。けどできるだけ手伝うし、朝彼を運ぶ役目は……ぜひ、やらせてほしい」
「むー……シタゴコロ?」
「ち、違う……と言い切れないのが悲しいところだ。だが決して妙な真似はしない。君たちに誓おう」
「お触り、ダメだからね」
「抱っこはセーフ範囲なのかい?」
「それだけは、許す。『医療行為』の範疇。抱っこじゃなくて、搬送」
 ずいぶん色気のない響きだ、と思った。



 鶏や畑の世話、水汲み、それからアオを温室に運ぶという仕事を終えた後、スミスは本職に取り掛かる。今日は、先日捜索が中途半端なところで終わっているカウアイ島だ。貼っておいた貼り紙を見るが、特に何かが書き足されているということはない。
 さして役に立たないサーモグラフをサブモニターに表示しつつ、スミスは島中を見て回った。
 出発前に「持って行くが良い」とスペルビアに手渡された包みの中は、サンドイッチだった。トマトや卵、魚のフライなんかが豪快に挟まれている。お礼と手土産を兼ねてウサギや羊でも狩って帰ろうかと考え、すぐに撤回した。狩りなんて、当然そんな経験はない。逃げられて徒労に終わるのが目に見えていた。せめて、釣りくらい上手くなりたいものだと思った。
(今日も成果なし、かな……
 元々、『誰もいないだろうが念のため』というレベルの話だ。この結果について、リーダーも驚かないだろう。おそらく「だろうなぁ」の一言で終わる話である。オアフで三名が、ルルたちが見つかっただけでも奇跡と言っていい。
 開けた場所を中心に張り紙も貼り終え、スミスは拠点としているオアフへと飛び立つ。

 戻った時はちょうど、ルルがアオを温室から運び出しているところだった。彼女は自分のことを「力持ち」と自称していたが、それが真実であることを目の当たりにする。その細腕で見事、アオを抱き上げているではないか。
 スミスが驚いて駆け寄ると「あ、おかえり!」と平気そうな顔で迎えてくれた。
「すごいな。君のその体のどこに、そんなパワーがあるっていうんだ?」
「ルル、いつもオジサマと一緒に鍛えてる!」ふん、とルルは得意げに鼻を鳴らす。
「カラテって、すごいんだな……
「スミスも、ルルと手合わせする?」
「うーん、せっかくだがやめておこう。多分、いや間違いなく地面に転がされて、空を見ることになる。俺にはわかるんだ」
「ガピー! つまんなーい!! もういいもん。オジサマに遊んでもらう」
 つんと拗ねてしまったルルは、アオを抱えてさくさく歩く。その足取りは実にスムーズなもので、よろけたり、立ち止まったりということも一切ない。朝の水汲みでバケツを二つ持って歩くが、その時と同じくらいに軽々という様子だった。
「オジサマ、ただいまー!」
『おかえり。我は風呂掃除をしてくる』
「ありがと!」
 働きものの男がリビングを後にした後、ルルはアオを暖炉の前のソファに下ろす。眠っていても、夜の時間はそうして共に同じ空間で過ごすのが決まりのようだった。
 柔らかなソファに体を預けたアオは相変わらず目を覚ます気配がないが、顔色は悪くなく、寝顔は実に安らかだ。なんとなく、本当に息をしているのか確かめたくなって手を伸ばす。
……お触り、ダメ」ペチンと、厳しい『保護者』の手が飛んできて、はたき落とされてしまった。
「ご、誤解だ。触ろうとしたわけじゃないよ」
「本当に?」
「本当だ。……気を悪くしないで欲しいんだが、あまりに静かだから」
……息してるか心配になった?」
「ああ……悪い」
「別に、悪くない。ルルも時々、同じことしちゃう」
 ルルは彼の前に膝をつくと、その腰にぎゅっとしがみついて胸に顔を埋め、左耳を右寄りの位置──ちょうど、心臓の上にぴたっとあてた。彼の心臓が鼓動し、絶えることなく身体中に血液を送り出す音が、彼女の鼓膜を打っているはずだ。
 ルルは、しばらくの間そうしていた。明るく賑やかな彼女が口を閉じていると、この部屋は驚くほど静かだった。
 スミスは、リビングの丸いテーブルを見て、ルルと、スペルビアと、それから目を覚ましたアオと、彼女たちの待つ『スミス』が揃ってそれを囲んで座り、談笑している様子を思い浮かべようとした。自分にそっくりだという『スミス』と、目を覚ましているアオを並ばせるのは、想像の中であってもなかなか苦労した。アオがどんな色の目をしていて、どんな声で話し、どんな顔で笑うのかすら、スミスは知らない。
 だけど、かつては当たり前のようにあった光景だったはず。なぜならあのテーブルは、四人くらいはゆうに座れる大きさだからだ。
 数分の間押し黙っていたルルは安心したように息を吐くと、彼から体を離して立ち上がった。
……ご飯の支度する! スミスは玄関のお掃除してくれる?」
「あ、ああ。もちろん」
「今日はお芋のパンケーキ!」
 先ほどの静謐で、どこか厳かでさえあった雰囲気が嘘のように、ルルは明るく笑って宣言した。
 不思議な少女だ、と思う。こんなところに隠れ住んでいるのはもちろんのこと、見た目はせいぜい十四、五歳程度の天真爛漫な子供なのに、時々全てを見透かしたような、達観した表情を浮かべることがある。そんな時は不思議と、己よりいくつも年嵩のように感じられるのだった。




 一週間はあっという間だった。スミスは諸島を可能な限り隅々まで見て回ったが、ルルの言った通り、結局人っ子ひとり見当たらなかった。
 最終報告も、初日と変わらず、だ。
 ルルは最後まで、首を縦に振ることはなかった。ここを離れるつもりはない、ときっぱり断言される。一応、スペルビアの方にも視線を向けてみたものの、彼は腕を組み「ルルの意志は我の意思である」とだけ述べた。ルルが行くと言えば行くし、行かないと言えば行かない、そういうことだろう。さながら、彼女に幼い頃から仕えている忠実なバトラーのようだった。
 アオが目覚めていたらどうだっただろうか、と考え、すぐに詮無いことだと首を振る。彼がどんな人間かなど、ほんのひとかけらだって分からないのだ。
……ルル、ひとつお願いが」
「なぁに? ……あ、連れてっちゃだめだよ?」
「だから、誘拐はしないって! ……そうじゃなくてだな、その……少しだけ、手を握ってもいいかな。本当に、それだけだから。しかも一瞬」
「スミス、必死! けど、いいよ。ほんとはルルが許可するのも変な話なんだけどね」
「いいや、家族なら当然さ。……では、失礼して」
 スミスは膝をつき、ベッドで静かに眠るアオの手を、壊れものを扱うようにそうっと握る。眠っているからだろうか、それとも彼本来の性質だろうか、指先まであたたかい。クリーム色の肌は滑らかで柔らかく、ルルが愛情込めて手入れしている様が浮かんだ。
 一瞬と言ったのに、スミスはその手をなかなか離すことができない。息苦しくなるほどに胸がどきどきして、何度も釘を刺されているにもかかわらず、このまま手を引いて連れ去ってしまいたくなる。どうしてこんなにも愛しくて仕方ないのだろう。
……スミス、大丈夫?」
「え……あ、ああ」
 どれだけそうしていたのか分からないが、ルルの気遣わしげな声ではっと我に返る。何か、頭の奥から響いてくるものがあった。どう形容したものかわからないが、どうにか例えるならば、失ったはずの記憶が強く刺激されるような──
……俺には、愛する人がいたのかもしれない」
「どうして、そう思うの?」
「わからない、わからないが……すまない、一瞬と言ったのにな」
 スミスは惜しむ気持ちを抑えながら、彼の手を離す。残った温もりを逃すまいとして、手を握り込んだ。
「ううん。……あのね、記憶ってね、なくなったりしないんだよ」
「え?」
 スミスは少女を見上げる。またあの顔だ、ひどく大人びていて、何もかも悟っているような。彼女は懐かしそうに目を細めながら「昔、友達に聞いたことがあるんだ」と、きっととても大切にしているのであろう思い出を述懐する。
「すっごく頭が良くて、ルルのお勉強も見てくれたんだよ。……その子が言ってたの。記憶はなくならない。思い出せなくなってるだけなんだって」
「思い出せないだけ、か……
「うん。……スミスは、昔のこと思い出したいって思う?」
「難しい質問だな。かつての俺がどんな人間だったのか、わからないわけだし。もしかしたらとんでもない極悪人で……大怪我だって、実は悪い奴同士で争った結果かもしれないぞ? それなら多分、思い出さないほうが賢明だろうな」
「あは、それ面白い! けどスミスは、前と変わりないと思うよ」
……どうして、そう思うんだい?」
「んー、なんとなく!!」
 根拠もないのに、妙に心強い言葉だ。そうであって欲しいなと思いつつ、『今』の自分とはどんな人間なのかと考える。悪い人間ではない……と、自分で言うのもなんだが、そう思う。かといって掛け値なしに善人であるとも思えなかった。
「あんまり難しく考えなくても大丈夫。きっと、なるようになるから」
「含蓄のある言葉だ」
「そう? 『主はいつも適当だな』ってオジサマには呆れられるけど」
 スミスは苦笑しながら立ち上がり、最後にもう一度アオの顔を見た。そこには何も変わらない寝顔がある。カーテンの開け放たれた窓から光が差し込んでいて、それが彼の頬の産毛を輝かせ、縁取っている。とても綺麗だ。触れたら多分、とてもやわらかくて温かいのだろう。

 ドームの外まで見送りに出てきてくれたルルの腕の中には、初日以来目にしなかった、あの紫色のドローン(と呼ぶと彼は怒るが)がある。
「今までどこにいたんだ?」
『目の前にいたであろう。移動するならこちらの方が楽だ』
「飛べるもんね。それに、とってもキュート!」
 ルルは腕の中のぬいぐるみ──にしか見えないものを抱きしめて、ご満悦だ。どうやら見た目から想像するよりも柔らかい素材でできているらしかった。
「よくわからないが……こいつも、スペルビアなのかい?」
『こいつとはなんだ。我は一人しかおらん』
「スミス、オジサマはオジサマだよ」
……つまりその、実は変形してる?」
「変形? 変身? そんなところかなぁ。オジサマ、どう思う?」
『どちらでも構わん。我は我だ』
「ええ? 質量保存はどうなってるんだ……? それともホログラム? いや、実体はあったよな……飯、作ってたし。いや、そもそも食ってたよな!?」
「ガピ! スミス、面白い顔!」
 きゃはは、とこちらを指さして楽しそうに笑うルルを見ていると、もう深いところまで感がなくてもていいか、という気分になってくる。ほとんど投げやりだ。おそらく技術的なところを専門用語を以て詳細に説明されたところで、TSの整備ができる程度の知識しかない自分には十パーセントほども理解できないに違いなかった。
「はぁ……この光学迷彩もそうだが、ELCOの外にこんな超技術があるなんて聞いてないぞ」
「報告する?」
……いや、やめておこう。エンジニアたちを下手に混乱させたり、刺激したりしたくないからな。建設も大詰めだし」
「それがいいよ。ルルたち、別にこれを悪用する気ない。ただここにいたいだけ」
……もし、もしもだけど、気が変わることがあったらいつでも連絡してくれ。連絡先は」
『いらん。すでに把握している。何かあればそれに連絡してやろう』
……はぁ」
 それ、とは当然、ELCO支給のタブレットだ。非常に堅牢なセキュリティで守られているはずの。その画面に全く覚えのない色形のポップアップが浮かぶ様子を想像して、げんなりした。
 そもそもこの島には通信局らしいものは当然見当たらず、海底ケーブルはとうの昔に破壊されて再建もされていないと聞く。だからスミスは、ELCOが打ち上げている衛星の回線を利用しているのだ。スペルビアが連絡を入れるとしたらどうするつもりなのか、考えるのはやめておいた。何かとても恐ろしい回答が返ってくる気がした。
「あのさ……ルル」
「ん?」
「時々、顔を出してもいいかな。仕事とは関係なく」
 これを口にしていいものか、昨日から悩んでいた。ルルたちからしてみれば、こちらはただ任務で訪れただけの見知らぬ男だ。厚意に甘えて一宿一飯どころかそれ以上に世話をかけ、少しの間生活を共にしたとしても、やはり遠い存在だった。
 それでも、この出会いをこれきりにしたくない。彼女たちの意思が変わらない以上近い将来別離が待っているが、それでもこれっきりになるのはごめんだった。もっと彼女たちのことを、そしてアオのことを知りたいと思う。ここ十年で、初めての強い欲求かもしれなかった。
「そんな時間あるの? 忙しいんでしょ?」
 ルルの言葉には拒絶ではなく、純粋な気遣いが滲んでいた。
「休暇はあるよ、一応」
「来るだけでも大変なのに。……けど、いいよ。いつでも」
「本当かい! ありがとう。俺もここを、すっかり気に入ってしまったんだ」
「気に入ったのは本当にここ? それとも、アオ?」
 意地の悪いからかいだ。スミスはわざとらしく咳払いをしてから「どちらもだ」と答えた。
「もちろん君たちのこともね」
「ガピ。……じゃあルルたち、お友達だね?」
「ああ」
 ルルは片腕にスペルビアを抱えて、右手を差し出してきた。スミスはその白く小さな手を握り返す。成人男性を軽々抱えるパワーが秘められているとは到底思えないくらいほっそりしていて、強く握るのはためらわれた。
「またね、スミス。いろいろ手伝ってくれてありがとう」
「こちらこそ。また、近いうちに」
 控えめな微笑みに見送られ、スミスは後ろ髪を引かれる思いでTSに乗り込む。起動して前面モニターを映すと、ルルは少し離れたところでまだ立っていてくれた。飛び去るまで見送ってくれるらしかった。スミスはマニピュレータを器用に操って軽く手を振る動作を見せると、目的地をシステムに入力する。目指すは旧ワシントンDC・ELCO本部だ。また、半日ほどかけた長い旅に出ることになる。
 次に訪れるときには、目を覚ましている彼に会えるだろうか。それとも、まだ深い眠りの中にあるだろうか。
 ふと思い出し、スミスはパイロットスーツの胸ポケットに手を入れた。水分を失い、すっかり萎びてくしゃくしゃになってしまった白い花──であったものを摘み上げる。ルルの言っていたように、早めに押し花にでもしてやるべきだった。興味本位に摘み取らなければ今のあの地に咲いていたのに、と心の中で謝罪して、スミスはそれをしまい直す。
 もし、本当にもしもの話だが、彼女たちを無理やりここから連れ出したとして、この地に根付く花のような彼女らも、哀れに萎れてしまうのだろうか。



 灰色のTSはあっという間に飛んでいって、小さな粒のようになり、すぐに見えなくなった。飛行形態はあっという間だ。あの頃と違って、今のTSは少ない燃料であんなにも自在に飛行できる。あの形式が主流になったのはいつ頃だったか、もうはっきりとは覚えていない。
『本当に、行かせてよかったのか?』
 腕の中のスペルビアが、ささやくように問いかけてくる。ルルは首を振ると「仕方ないよ」と諦念に満ちた声を出す。
「スミスだけど、スミスじゃないもん。それに、また近いうちに来るんだって」
 ルルはパイナップル農園の中を走っていた観光列車の名残の上にひょいとたち、その細いレールの上を器用に歩く。スペルビアはその腕から離れ、ふわっと浮き、目を合わせるかのようにルルの前に静止した。
「けど、生きててよかった。……ルルね、泣きそうだったのに、頑張って我慢したんだよ」
『偉かったな』
「へへ」
 スペルビアが短い腕を伸ばして、ルルの頭を撫でる。ぬいぐるみみたいな見た目通り、その手は綿がつまっているかのように柔らかい。彼の持つ三つの姿のうち、ルルはこの小さな形を一等気に入っていた。もちろん、どの姿であってもルルの大事な、かっこよくて頼りになって、時々かわいいオジサマだ。 
「けど、これでわかった。あの時の、イサミの言葉の意味」
『ああ。……難儀なものだな』
 ルルは空を見上げる。雲ひとつない、どこまでも澄み渡る青色だ。あの日も、こんな天気だったような気がする。