しか野
2026-02-09 00:32:06
235465文字
Public 同人誌関連
 

★既刊サンプル(スミイサ)

2024.7〜2026.2に発行したスミイサ本のサンプルまとめ


◆残夏のシリウス(2025.10.19)

・男ふたなりを書きたかったものです。
・全年齢向けですが、性行為を匂わせる描写、品のない描写、性にまつわる生々しい描写、男性妊娠描写(割とねちっこい)を含みます。
・ストーリーの都合上、原作にいないキャラクターが登場します。極力目立たせないように努めていますが、どうしても本筋に絡みます。気になる方はご遠慮ください。
・医学的なところはデタラメです。
・誤字脱字とは、どんなに見直しても必ずあるものです……
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 あなたの『それ』は、ほんの少し人と違うだけ。何も心配しなくていい。ごく普通に生きていけばいい。だけど、人に話してはいけないし、見られてもいけない。

 幼いころから、両親にそう言い聞かされていた。イサミはそれを忠実に守って生きてきた。これからも、少しだけ変わった体質の、ただの男として生きていくのだと思っていた。
 己の『運命』に出会うまでは。

 初めて違和感を覚えたのは、オペレーション・アップライジングへと赴く道中、ATFの仲間たちの前で大立ち回りというか、取っ組み合いを披露する羽目になった時のことだった。
 一人で抱え込むな、共に戦おうと力強く言ってくれた彼に心を強く動かされ、胸が高鳴った。生まれて初めての感覚だった。
 その後海に突き落とされたり、間も無く作戦が始まったりで、何となく有耶無耶になってしまったが。

 二度目は、ブレイブナイツ結成の時。
 お前を守る騎士だぜ、と片目を閉じながら悪戯っぽく、だけど真摯な眼差しで誓われて、やはり心臓をぎゅっと掴まれたような感覚に陥った。そして、「この男になら何もかも明かして良いのではないか」「受け入れてくれるのではないか」そんな気持ちを抱いたのだった。
 だが彼は、その後間もなく非業の死を遂げてしまって、そんな気持ちは封印せざるを得なくなった。姿を変えてずっとそばにいてくれたと知ったのは、あの戦いが終わる直前のことだった。
 そして彼は、人の姿を取り戻して帰ってきたのだ。飛行能力も変形能力も、なくたって構わない。そこに彼がいる、その事実だけが全てだった。
 嬉しくて涙がとめどなく溢れ、止まらない。彼は優しく微笑んで、「そんなに泣いたら溶けちまうぞ」と囁きながら拭ってくれたのだった。

 それからは怒涛の日々である。たちまちのうちにクルーズ船に放り込まれ、フィクションでしか見たことのないような煌びやかな空間でお祭り騒ぎみたいな大歓迎を受けて、各国に寄港しながら半年間、文字通り世界を一周した。
 そばには当たり前のようにスミスがいて、ルルがいて、幸福だった。人種は違うし、血は繋がっていないし、いくつもの偶然が重ならなければ決して出会うことのなかった三人である。しかしイサミは、彼らのことを深く繋がった家族と捉えていた。血は水より濃いと言うが、血より濃く三人を繋ぐ水があったって、構わないではないか。
 もしかしたら、船を降りても三人でいられるのかもしれない。手を取り合って、この航海の日々の延長線上に、ずっと留まっていられるのかも──
 だが現実は、そういう甘い理想通りにはいかなかった。スミスにはスミスの、ルルにはルルの、そして自分には自分のやるべきことがある。目を背けてはいけない。夢のような日々から、現実へと立ち返る時が来たのだ、イサミはそう悟った。

 二人から離れ、イサミはおおよそ十ヶ月ぶりとなる我が家──と言っても、官舎の殺風景な一室である──に戻った。馴染み深い匂いの中に、換気を怠った空間特有の埃っぽい匂いも混じっている。それを嗅いだ時、ついに帰ってきたのだ、と実感するに至った。数日ののちに出勤し、再び課業やトレーニングに明け暮れる日々が戻ってくる。
 冷蔵庫を開けると、ミネラルウォーターのボトルがよく冷えていた。それ以外には、ほとんど物が入っていない。遠征する時には出来る限り空にするようにしているから、当然といえば当然だった。何かを食べたいという欲があったわけでもないから、ミネラルウォーターを一口だけ飲み、扉を閉める。
 イサミは、部屋の隅に膝を抱えて座る。他の住人などいようはずもない小さなワンルームは、冷蔵庫のコンプレッサーの音だとか、窓の向こうからの車のエンジン音だとかが時おり響く以外、ひんやりとした静寂に包まれている。
 ぐす、と鼻の啜る音が聞こえてきた時、しばらくの間、それを自分の発したものだと認識することができなかった。目の奥が熱くなってきて、やがて視界が滲む。鼻がむずむずするし、指先が震える。目元に手をやると、冷たいボトルに熱を奪われた指に、ぬるい水が伝った。それは手のひらから手首に流れて袖に吸い込まれてゆき、布地にじんわりと染みを広げる。
 ようやく『いま自分は泣いているのだ』と気がついた。どこも痛くなどないし、苦しくもない。悲しくもない。ただ、寂しい。この上なく独りだ、と強く思う。
 あの優しく慈しむような眼差しが、「イサミ」と呼んでくれるよく通る声が、力強く抱きしめてくれる逞しい腕が、彼の全てが恋しくて仕方ない。
……寂しい……スミス……
 声に出し、そうして理解したのだ。何度も抱いた違和感の正体と、このどうしようもない寂しさと恋しさの根源たるものに。

1. 

「そんなに泣いたら、お前のcuteな目が溶けちまうぞ」
「それ、前も同じこと言ってた」
「そうだったかな?」
 そんなふうにスミスがとぼけて見せながら、あの時と同じように、親指の腹で優しく涙を拭い取ってくれる。それでも栓が壊れたかのように止まらないから、「どうしたら泣き止んでくれるのかな、俺の泣き虫ヒーローは」と頬を包んで目元にキスを落としてくれた。余計に止まらなくなるからやめろ、とは言えなかった。
 あれから、どれだけの時間が経ったのだろう? 気がつけば二人きり、どこかの浜辺に倒れていた。ほとんど同時に目覚めて、また分たれてしまったのかと無我夢中で抱きしめあい、離れているところがわずかでもあるのが我慢できなくて深く口づけあった。そうすることに迷いはなかったし、そうすべきだと思った。
 息苦しくなって離れて、乱れた息が混じり合うほど近くで見つめあって、イサミはようやく、胸に秘めた想いを口にすることができた。いや、ほとんど無意識のうちにこぼれ落ちていた。「好きだ」と。
「俺も同じ気持ちだ」
「置いていってごめん」
「もう二度と離れない」
「大好きだ、愛してるんだ、イサミ」
 緑色の宝石のような目を潤ませながら、スミスは一つの言葉にたくさんの言葉を返してくれた。途端、堰を切ったようにイサミの目から大粒の涙がぼろぼろと溢れて止まらなくなったのだった。
 このまま永遠に二人きりで、ここにいられたらいいのに。
 そう考えてしまう自分も確かにいる。だが、それが難しいこともまた、よく理解している。
 どうにか涙が止まってくれた頃、きっと腫れているであろう目元を労るように撫でながら、スミスは口を開いた。
「なぁ、イサミ」
……ん?」
「お前が望むなら、どこにだって連れていくよ。ずっと二人きりでいられる場所にだって」
……
 まるで今、イサミが何を考えていたのかお見通しとばかりに、そんなふうに言ってきた。もしイサミが「そうして欲しい」と本気で願えば、スミスはなんの迷いも恐れもなくそれを実現してみせるだろう。
 彼に抱かれ、何に怯えることも、何に煩わされることもなく、永遠に二人きり──
 それはとても甘美な誘惑だった。頷いてしまいたい自分が、心の片すみにいる。だがイサミは、そんなもう一人の自分の視線を振り払うように、強い意志で首を横に振った。それを見て、スミスは穏やかに微笑む。多分、イサミがどんな答えを返そうとも、彼は同じように優しく受け入れてくれただろう。
「きっと今ごろ、あっちは大騒ぎだろうな。……もう少しだけ二人きりを堪能したら、戻らなきゃ。ルルも心配してる」
「どうだろ。あいつは結構面白がってたけど」
「ええ? いや、まぁあの子ならそうかもなぁ」
 俺に似て逞しくなっちまって、とスミスは腕を組んで感慨深そうにしている。その妙に真面目くさった顔が面白くて、イサミは小さく笑った。
「イサミ、ちょっと待ってくれる? おっと、そんな顔をしないで。すぐに戻るよ」
 一息ついた後、スミスが膝の砂をはらいながらやおら立ち上がる。
「じゃあ、俺も」
「お前にはここにいてほしいんだ。もしかしたら捜索の船が出ているかもしれないから、何かあれば合図をしてほしい」
……わかった。じゃあ、十五分までなら」
 不満たっぷりに、そんなわがままを口にしてしまう。さすがに呆れられるかと思いきや、スミスはむしろ嬉しそうに笑って首肯した。
「ははっ、Okay.お姫様の仰せのままに、ってね。十分……いや、五分で戻るよ」
 スミスは屈んで額にキスを一つ落とし、堂々と全裸のまま島の中へと歩いていった。そういえば何も身につけていないのだった、と今更ながら思い出して、イサミは意味もなく膝を曲げて体を隠す。
 ぼうっと夜空を見上げると、中天にかかる月はちょうど半分欠けていた。ただの光のあたり具合に過ぎないというのに、半身を失い傷ついていた少し前の自分を、なんとなく重ねてしまう。
 まだスミスが姿を消してから一分と経過していないのに、どうしようもなく心細くなる。彼と一つになる充足感、安心感。一度味わってしまえば、知らなかった頃には決して戻れないのだ。
 果たしてスミスは、五分どころか三分ほどで戻ってきた。両手には、木から自然に落下したのであろう大きな葉を何枚も引きずっている。それを、レジャーシートでも敷くかのように並べて見せて、「粗末なベッドですが」と得意げに笑う。
「これを探しに行ってたのか」
「ああ! 君をいつまでも、冷たい砂の上なんかに座らせておけないからな」
 どうぞ、と促されて、イサミは体の砂をはらいつつそっと腰を下ろしてみる。水を吸って柔らかくなっていたのか、なかなか悪くない感触だった。
「お気に召したかな」
「ん」
「それはよかった! さて、じゃあ俺も隣に失礼」
 スミスもまた腰を下ろして、寄り添ってくる。肌がぴたりとくっつくと、まるでそこから酸素が入ってきているかのように呼吸が楽になる気がする。
「眠かったら、横になってもいいよ」
……眠くはないけど、そうしようかな」
「よし。枕はこれでいいかい?」
 スミスは彼が言うところの『粗末なベッド』の半分に仰向けになると、もう半分の方に左腕を伸べた。
「痺れるぞ」
「ぜひ痺れさせてくれ。大歓迎さ。ちょっぴり硬いのは我慢してくれよな」
 ちょっぴりどころじゃないだろと笑いながら、イサミは彼の横に体を倒して、特製の硬い枕に頭を乗せてみる。あいにく、寝心地が抜群とはいえないが、そこには人の体温がもつあたたかさがある。どんな高級品よりもよほど、イサミを快眠へと誘ってくれそうだった。
 控えめに体を寄せると、スミスは嬉しそうに肩を抱き寄せてくれる。ほとんど密着する形になって、
「Wow、すごいな……。見てごらん。プラネタリウムみたいだよ」
「ああ……ガキの頃以来、行ってねぇけど。やっぱり本当の空は違うよな」
「ここはかっこよく星空解説といきたいところだけど、あいにく詳しくなくてね……北極星くらいは、なんとかわかるけど」
「それはさすがに俺もわかる」
「だよなぁ」
 なんてことない、他愛ない会話である。三日も経てば、忘れてしまうような。それでもイサミは幸福に包まれていた。
 同時に、やはり彼に秘密を打ち明けねば、とも考えた。だが「もしかしたら、スミスはすでに知っているのでは?」という疑念も、多少ある。なぜなら彼は、ブレイバーンだからだ。
……なぁ、スミス」
「なんだい?」
 スミスが首を傾け、空を見ていた優しい緑色の目がイサミの方へと向く。
「お前……知ってんだろ、俺のこと」
「君のこと? もちろん知ってるよ、イサミ・アオ三尉。いや、今は二尉だったな」
「そうじゃなくて、俺が……隠してること」
 そこにあるものを意識するように、イサミは太ももを擦り合わせる。普段はほとんど認識の埒外に置いているそれについて、知っているのは今はもう亡い家族を除けば、母国の主治医と、一部の上官、それから検診の過程で知らせることになったニーナ・コワルスキー中尉──改め、大尉くらいのものだった。
「Umm……そりゃ、お前のことはなんだって知っていたいってのが本音だが、言えないことの一つや二つ、誰にだってあるだろ」
 どうやら本当に、スミスには思い当たることがない様子だった。イサミは眉間にきゅっと皺を寄せ、彼の奇行というか、不可解な言動の数々について思い起こす。
……お前のことだから、俺の体の隅々まで調べてるのかと」
「君の体……隅々……? ま、待ってくれ、よくわからないが誤解だ! 確かにバイタルは取っていたが、それだけだよ!」
「そう、なのか?」
「信じてくれ、後ろ暗いことは何もないんだ! いや、多少その、座っている君の感触を楽しんだりは……いやいや! そうじゃなくてだな!」
「なんだよ、一人でぶつぶつと。……感触? なんのことだ?」
「き、気にしないでくれ! ンンッ……しかしその口ぶりだと、俺に何か、話したいことがあるんだな?」
 いかにもわざとらしい咳払いで話の筋を戻されたが、追求しても意味はなさそうだし、彼の言う通り打ち明けねばならないことがある。
「ああ。けど……もしかしたら、俺のこと嫌いに」
「ならないよ」
 ほとんど条件反射のような速度で、スミスはイサミの言葉を遮りながら否定した。
「お前を嫌うなんて……口にすることすら恐ろしい。そんなことは決してない。両親に誓ってもいい」
「そんなこと誓われたら、ご両親も困るだろ」
「いや、多分喜んで引き受けてくれるぜ。好きな相手を悲しませるな、ってね」
 二人はヒーローだったのだ、とスミスは熱く語る。彼の原点がそこにあるような気がして、イサミは彼らに会ってみたかったと心底思った。
「君が安心できるのなら、何度でも言おう。愛してるよ。君は俺の憧れのヒーローで、俺の全てだ。どんな君でも受け入れる」
……じゃあ、例えば俺が犯罪者だったら?」
 つい、意地の悪い、試すような物言いをしてしまった。胸のうちに罪悪感が顔を出す。しかしスミスはものともしない様子で「ふぅん」と愉快そうに首を傾げた。
「それで、君がどんな罪を犯すって?」
「ええと……お前の財布を盗む、とか?」
「そりゃいいな。いくらでも盗んでいってくれ」
「おい」
「おっと、財布と一緒に俺のハートも盗まれちまった! 責任を取ってもらわないと」
「あのな! 俺は真面目な話をしてんだよ!」
「真面目だよ。君に関しては、いつでも」
 おどけていたスミスの声が、嘘偽りのない真摯な響きを帯びる。一心に見つめてくる目は何よりも雄弁だ。友人には「鈍感」だと謗りを受けるし、その自覚があるイサミにも一瞬でわかるくらい、スミスの目も、声も、まごうことなき愛情を湛えている。
 スミスの気持ちを疑っているわけではない。それでもつい試すような言動をとってしまった己を恥じ、「悪い」と呟きながら彼の胸に額を押し付ける。スミスは首を振ると、安心させるかのようにイサミの肩を優しく撫でた。
「君は、何か……君にとって、とても重要で、大切なことを俺に打ち明けようとしてくれている。だったら、怖くなってしまうのも仕方ないよ」
「お前……優しすぎ」
「君だからさ」
 ちゅ、と額に落とされたキスは、彼の愛情のしるしのようだった。じわっと滲んでくる涙をごまかすように、イサミはかたく目を閉じる。彼に出会ってから、自分は泣いてばかりだ。イサミは泣き虫だな、なんて家族に言われていたのは、遠い昔のことなのに。
 目を開き、スミスをまっすぐ見つめ、イサミは強い意思でもって口を開いた。
……今すぐに、じゃないけど、近いうちに絶対話す。その時は……聞いてくれるか」
「もちろん。君のタイミングで、いつでも」
 深い安心感に包まれ、イサミはほっと息を吐く。スミスの目はどこまでも優しい。好きだ、といくら言葉にしても足りないくらい、彼のことが好きで好きでたまらない気持ちになる。
 そうすると下半身が妙な具合に疼いて、イサミは内心焦りを覚える。思えば好きな相手と裸で密着しているわけで、あまり強く意識すると非常にまずい状態になることは想像に難くなかった。
「す、スミス!」
「どうした、そんなに慌てて」
「いや、その……そろそろ、戻ったほうがよくないかな、と思って」
「確かになぁ。……君と二人きりなのは最高だけど、散々ATFのみんなを振り回しちまったし」
 正直なところ、記憶が曖昧なのだ。再びブレイバーンとなった彼に抱かれ、一つになって、幸福感に満たされ──そして気がついたらここにいた。もしかしたら数日とか、あるいは数ヶ月とか、もっと途方もない時間が過ぎているとか、考えられないことではなかった。
 スミスの体温を惜しみながら起き上がると、彼もゆっくりと身を起こす。それから、下敷きになっていた側の肩を二、三回ほどぐるっと回して「さほど痺れていなくて残念だ」なんてとぼけたことを言った。
「ここがどこなのか、いまいちわからないが……上から見れば、多分なんとかなるだろう」
「上って……怒られるぞ」
 スミスの考えていることは、すぐに看破できた。確かに、数百メートルも飛び上がって見下ろしてみれば、ここがどこで、各島がどんな形で、どんな風に点在しているかなどお見通しだろう。文字通り、目に見えるのだから。この男は、生身でそれを可能としている、世界で唯一の存在だろう。
「夜のうちなら多分、なんとかなるさ。あんまり光らないようにするし……とにかく、まずはオアフに戻らないと」
……わかった。じゃあちょっと離れてる」
「いい子だ。……うん、なんとなく感覚はつかめてるから、すぐに済むよ」
 グッボーイ、なんてまるで子供扱いだ。なんとなく不満を持ちながら、イサミは立ち上がって十数歩ほど後ずさった。いつも彼の足元にいて、その大きな足を触ったり、見上げたりしていたから、どのくらい離れれば安全なのかなんとなくつかめている。
 イサミがある程度距離をとったことを確かめたのか、スミスは自身の胸に手を当てた。はじめはじわじわと、蛍火のように淡く発光したかと思うと、それはみるみるうちに膨れ上がっていく。あんまり光らないようにする、なんて、どだい無理な話だったわけである。
 イサミは目を焼かれぬように瞼を下ろしたが、まばゆい緑色の光は薄い皮膚を容易に突き抜ける。未知の発光現象だとか、すわ爆発だとか、地元で大騒ぎになりそうだ。
 やがて光が収まり、ずん、と鈍い音が響くと同時に地面が揺れた。終わったのだと悟って目を開くと、そこには緑のクリスタルも眩しい、赤と白の巨体が鎮座しているのだった。
……よし! さぁイサミ! 早く私の中に!』
「でけぇんだよ声が! ほら、乗るから手を貸せ」
『もちろんだとも!』
 スミスは──ブレイバーンは、コクピットにつながる道、すなわち胸のクリスタルを開く。そして女王に傅く騎士のように片膝をついて、巨大な二本のマニピュレータを恭しく差し出した。イサミは、人で言うところの親指にあたる部分に手をかけ、今さら、という思いもあったが気持ち程度に局部を隠しながら中へと飛び込んだ。もはやお馴染みと言って過言ではない操縦部にそっと腰を下ろすと、ほっと息を吐く。
 モニタが展開し、砂浜と、それから今の今まで二人がシート代わりにしていた葉が映し出される。そのうち、風に飛ばされるか、あるいは波にさらわれるかして、何の名残もなくなってしまうのだろう。
『さて、行こうか。君は休んでいてくれ。もし眠りたいなら』
「起きてるよ。せっかくまた、お前に乗れたんだし」
『イサミィ……! 私も最高の気分だ! 君をこうして抱いていると、こんなにも……
 語りだすと長くなりそうなので、イサミは操縦桿をひょいと動かした。『つれないな! そんな君も素敵だ』とすかさず甘い言葉が飛んでくる。
 独特の浮遊感と共に、ゆっくりと、ひと時を過ごした小さな島が離れていく。愛機がその気になれば、ほんの一秒で数百メートルは上昇できることを、専属パイロットであるイサミはよく知っている。彼のしたいように、とイサミは身を任せた。
 帰ったらおそらくあっという間に拘束──という言い方はよくないが、それに等しい扱いを受けて、きつく譴責されるだろう。キング司令官を始めとしたATF指揮官クラスの面々の心遣いを無下にし、大いに気を揉ませてしまった以上、やむを得ないことだ。受け入れねばなるまい。スミスと引き離されることだけは、恐ろしいが。
……分かったぞイサミ! 見えるか? 右手の方だ』
「ああ、あれは……
 ブレイバーンが指し示す方向に、いくつかの大きな島がある。そのうちひとつが、目指すべきオアフ島だ。特に明かりが煌々と光っているのは、国際空港やホノルルだろう。
『ああ、オアフだ! 思ったより近かったな! これなら、あっという間だ』
……多分お前が変身した時点で、レーダーに引っかかってるよな」
『緊急発進の形跡は見られないし、おそらく信じて待ってくれているのだろう。それに見る限りでは、私たちが思っている以上に時間が経過している、という事態もなさそうだ』
「そりゃよかった」とイサミは胸をなでおろす。どうやら、浦島太郎にはならずに済んだらしい。スミスと一緒なら、ちっとも怖くないのだが。
『楽しいデートだったな、イサミ』
「デート、デートか……そうだな。俺も、楽しかった」
 抱き着けるような生身の体がそばにないから、イサミは操縦席を形作っている、弧を描くパーツのひとつに体を寄せた。
『い、イサミィ……!』
「なんだよ」
『う、嬉しいんだが……! あ、バイタルが結構な数値だぞ!』
 ご丁寧に、心拍数や血圧や体温、心電図の波形等々までモニターに表示してくれる。数値化されると、なかなか恥ずかしいものがあった。
「当たり前だろ。……お前は、下にいた時からずっと落ち着いてるみたいだけど」
……さっきは必死に我慢してたんだ。己を強く制さなくては、尊厳を保てなかっただろう』
「尊厳?」
『わ、分かるだろう……愛する人が、は、裸でくっついてくるんだぞ!? それはもう必死に星を数えていたんだ。あらぬことにならないように』
……つまり、よそ見してたのか」
『違うんだイサミ! くっ、拗ねる君も愛らしい……! 私の負けだな……
「何の勝負だよ」
 あの場において余所に意識を向けていたのは少々気に入らないが、同じように彼もまた鼓動を速めていたというなら、悪くない気分だった。ドキドキしていたのが自分だけではなかったことに、ひそかに胸を撫でおろす。
……そろそろ、いつまで飛んでるつもりだ? ってしびれを切らすころかもな」
『ああ。管制官の胃に穴が空かないうちに戻らなくては』
「頼むぜ、相棒」
『安全運転、いや、安全飛行でエスコートしよう』
 飛び上がった時よりいくらか速度を上げて、ブレイバーンは降下を開始した。

2. 

 オアフ島の南部、基地よりやや離れたところに着地して、スミスは九メートルの巨大ロボットから六フィート一インチほどのアメリカ人の姿へと戻る。それから、ルルを筆頭とした迎えの人員や軍用車がわらわらと駆けつけてくるまで、十分とかからなかった。やはりレーダーでブレイバーンの出現を補足し、今か今かと待っていたらしかった。日本でいうところの草木も眠る丑三つどきだというのに、手間をかけさせてしまった。
 ひどく叱られながら祝福されるという未知の体験をしながら、毛布に包まれた二人は基地へと問答無用で連行されていくのだった。

 基地でシャワーを浴び、着替えや簡単な食事を済ませたのち、「尋問や健診は明朝に」と通告され、二人は本来上級士官クラスの人員向けであろう部屋へまとめて放り込まれた。来客を歓待したり、時には会議にも使われるのであろう立派なソファセットに、執務用のデスク、一般兵向けのそれよりも大きく、それなりに寝心地のよさそうなベッド、それからいくつかの本棚。そういったものが、軍用施設らしくきっちりと配置されている。
「俺たちのこと、へたに引き離さない方がいいって判断されたんだろうなぁ」
 スミスは部屋を見回しながら、のんびりした口調で言った。
 髪をセットしていないスミスは新鮮だった。まっすぐに下りた髪は片目を覆っていて、時々鬱陶しそうに払いのけている。
「ん? どうした、そんなに物珍しそうに」
「髪、下りてるなって思って」
「ああ、なんだか落ち着かないよ。お前は……はは、また伸びちまったなぁ」
 前にも、同じことがあった。「医学的には説明できない」「細胞が急激に活性化したから、としか言いようがない」とニーナが困り果てていたのを思い出す。そもそも、人類の劇的な勝利だとか、戦死したはずの人間が戻ってくるという超常的な現象だとかが同時に発生したこともあって、髪が伸びるくらいなら「そういうこともあるかもしれない」で片づけられてしまうような異様な空気感が、当時はあった。
 あの時はルルが嬉々として鋏を持ち出してきたから任せてみたが、気が付いたらさっぱりと刈り取られていて、ちょうどいいからと出家を真剣に考えたのも、今思えば愉快な思い出と言えなくもない。
 スミスが懐かしむように、伸びてしまったイサミの髪を撫でたり、指で梳いたりする。くすぐったいが同時に心地よくて、イサミは目を細めた。
 こうして落ち着いた場所で二人きりになれたら、話そうと思っていた。スミスは「君のタイミングで」と言ってくれたが、今がその時のような気がした。明日からはまとまった時間を取りづらくなるだろうし、お互い原隊復帰したら、物理的に大きな距離が空いてしまうのだ。
……スミス」
 イサミは、頭や頬を愛でてくれる優しい手をそっとつかみ、あたたかな光をたたえる目を正面から見据えた。その眼差しの意味に、スミスはすぐに気が付いたようだった。
……君の秘密を、話してくれるんだな?」
 大きな手のひらで頬を覆われる。幾度も肉刺をつぶしては再生し、そのたび硬くなっていったのであろう指先が、耳たぶをくすぐった。一度は肉体を失っているのに、戻ってきた体にはそういうかつての特徴が残っている。それを愛しく思いながら、イサミはうなずいた。
「話せそう?」
……
 今しかない、という思いは確かにある。だが、二十数年の間、胸のうちに秘めてきたものである。いざとなると、どう切り出したものかイサミはひどく悩む羽目になった。いきなり口にしてみたところで、スミスを非常に混乱させてしまうのは明白だった。
 スミスは、まだ逡巡を見せるイサミの様子に何を思ったのか、
「だったら、俺から先にいいかな」
 そう言って、表情を引き締めたのだった。
「え?」
「俺も、お前に伝えたいことがある。俺が真剣だってことを、両親への誓いが本当だってことを、証明したい」
 スミスは胸に手を当てて大きく深呼吸し、息を整えたかと思うと、その場に腰を下ろした──いや、片膝をついた。「え」と声を上げる間もなく、スミスはイサミの無防備な右手を握る。
 このシチュエーションは、どこかで見たことがある。たぶん、何気なくめくった雑誌だとか、トレーニング中に見かけたポスターだとか、そういう類のものだったはずだ。
「俺と……結婚してくれ」
「けっ……!?」
 イサミは思わず目を剥くが、見上げてくるスミスの瞳は、真剣そのものだった。決して、イサミの緊張を解きほぐすための冗談だとか、ましてや罰ゲームなどではない。
 イサミの中にある「常識」に当てはめると、結婚というものは、まず付き合って、少しずつ仲を深めて、この人と人生を共にしたいと思った時にするものだった。
 だが、そんなものがなんだというのだ。人生を共にしたい、それだけで十分ではないか。
「もちろん、俺とお前では難しい話ではある。少なくとも今は。……だけど、君は俺のパートナーなんだと……そう思ってもいいかい」
 どんなことがあっても受け入れる、というスミスの誓いが、力強い言葉となってイサミの胸をうつ。彼は本気だ、本当に、イサミがこれからどんな秘密を打ち明けようとも、「すぐに指輪を買いに行こうな」なんて笑うのだろう。
 すぐにでも頷いて抱き着きたかった。だが、口が動かない。己の体というのに、言うことを聞かないのだ。
「い、イサミ……!? ごめん、急すぎて驚いたよな。泣かないでくれ……
 すぐさま立ち上がったスミスがおろおろと、イサミの両頬を包んで宥めるようにいくつもキスを落としてくる。
「な、泣いてなんか……
「今にも涙が零れ落ちそうだよ。……くそ、こういうときハンカチのひとつも差し出せないから俺はダメなんだな」
「ダメ、じゃない。……ごめん、俺、すげぇうれしいのに……
「本当に? よかった、今はその言葉だけで十分だよ」
 促されて、イサミはソファに腰を下ろした。スミスも隣に座り、あまり上等ではない革張りのクッションが深く沈む。肩を抱き寄せられて、その右手がまるで赤ん坊を寝かしつけるかのように二の腕を規則正しくゆっくりと叩く。そしてテーブルにあった箱からペーパータオルを何枚か引き抜いて、手渡してくれた。受け取って、目元をごしごし乱暴に拭う。
「こらこら、君のきれいな肌に傷がつくだろ」
「きれいじゃねぇよ、結構焼けてるし」
「そうかな。つるつるしてて柔らかいし、BABYみたいだよ」
 スミスはイサミの手からペーパータオルを引き取ると、「目を閉じて」と囁いてからそっと押し当てて涙を拭い取り、くしゃっと丸めてダストボックスに入れた。
「目が真っ赤だ。あとで冷やす物をもらいに行こう」
……その前に、俺の話も聞いてほしい」
「もちろんだ。……けど、忘れないでくれ。俺は本気だ。君がこれからどんな話をしようと、絶対に撤回しないからな」
……
 イサミは俯き、ひざの上で握りこんだ両手をじっと見つめる。するとスミスの左手が伸べられて、小さく震える拳を包む。彼ならばおそらくこの手のように、どんな告白も受け容れて包み込んでくれるのだろう。その体温を感じているうち、震えは少しずつおさまっていった。
……自分からこの話をするのは、お前が初めてだ」
 腹をくくって、イサミはようやく話を切りだした。

ーーー

 時間としては深夜だが、軍事施設は眠らない。今も哨戒の兵士が眠気を堪えながら基地のあちこちに立っていることだろ
 それでも、この無機質な部屋の中はしんと静まり返っている。そこそこ柔らかいが、大切なイサミを座らせるには少々心もとないソファの上に寄り添って座り、スミスは彼の肩をしっかりと抱き寄せていた。自身より一回りほどは小柄だが、決して細くはない、よく鍛えられた体だ。しなやかで美しく、瞬発力がある。
 その体が、不安そうに小さく震えていることに、スミスは心を痛めていた。そんなにも怖いのなら、いっそ明かさなくていいとすら思う。数刻前にも彼に言ったことだが、誰にだって人に話したくない秘密の一つや二つ持っているものだ。どんなに仲睦まじく、言うなればLovebirdsと称されるようなパートナー同士だって、きっとすべてを詳らかにはしてはいまい。
 だがスミスは、イサミの意思を尊重しなければとも強く思っている。どんな事実が飛び出してきたって、受け入れると決めた、いや、受け入れて当然なのだ。それが、スミスがイサミにささげている愛なのだから。
……スミス」
 じっとうつむいていたイサミが、ふと口を開いた。その声に震えはなく、静かな決意に満ちているようだった。
「イサミ? おっと」
 イサミは突然、見事な瞬発力と体感によって全くぶれることなく真っ直ぐ立ち上がった。スミスは咄嗟に手を離して、まるでホールドアップのようなポーズでイサミの次の行動を待った。
 すると、何を思ったか──彼は振り返ってスミスに向き直ると、突然つなぎのジッパーを一気に一番下まで引き下ろしたのだった。
「い、いいいイサミ!?」
 動揺するスミスをちらりとも見ないまま、イサミは袖から腕を抜く。すると、大柄な米兵向けの予備であったためか少々サイズの大きかったそれは、当然ながら重力に従ってずるずると足元に落ちていった。青い布製のさなぎの中から出てきたイサミは、下着姿である。
 さんざ全裸を見ておいてなんだが目のやり場に困り、スミスは慌てて声を上げた。
「イサミ!? ど、どうしたんだ突然!」
……
 身に着けているのはやはり一回りほどサイズの大きいタンクトップと、ボクサーパンツである。一般兵士向けのただの量産型と分かっていても、他者の下着が彼の体を覆っていると思うと、なんだか癇に障った、が、今はそれどころではない。
 イサミの手が、ボクサーパンツのウエスト部分にかかったからである。
「い、イサミ!! いったい何なんだ!?」
 さすがに手を伸ばして止めようとするが、あっさりとはじき返される。そして「いいから黙って見てろ!」なんて、大胆な言葉まで飛び出す始末だった。
「み、見てもいいの!?」
「なんだよ、見慣れてるだろ」
「そ、そうだけどさぁ!」
 いつもの、言うなれば不可抗力による脱衣と、彼がすすんで行うそれではまったく性質が異なるではないか! スミスにとって、誰よりも愛する想い人が目の前でストリップショーを行っているようなものだった。
 ついに彼の下半身を覆っていた最後の砦までも、くしゃくしゃになったつなぎの上にぱさりと落ちた。ワオ、と思わず声が出たのは、致し方あるまい。
 体質によるものか、まったく処理していないという体毛は薄くほとんど目立たない。無駄な脂肪はまったくなく、筋肉があるべきところについた、美しい足だ。何度見ても惚れ惚れしてしまう。
 裾の長いタンクトップによって、彼のデリケートな部分はどうにか隠れている。だがそれが余計に、スミスの中の劣情を引っ掻いた。その、ほんの一ミリもない薄い布の向こうに、彼の弱い部分があると思うと堪らなかった。
「イサミ……
……俺のここ、ちょっと普通と違うんだ」
 イサミが足元にわだかまっている抜け殻から足を引き抜き、スミスの横に再び腰を下ろす。ドクンと、スミスの心臓が強く跳ねた。
……触って、みるか?」
 誘うように、イサミがスミスの右手をとった。
「い……い、いいんだな? イサミ……後悔しても知らないぞ?」
「するのは……お前の方かもな」
 何を後悔するものかと思いながら、スミスはほとんど衝動に突き動かされるままイサミに口づけた。必死に喰らいつくかのような、恰好のつかない幼いキスだと頭の片隅で冷静に考える自分もいたが、そんなことはどうだってよかった。
「ちが、そこじゃなくて、下……!」
 思わず胸をまさぐってしまったスミスを咎めるように、イサミはいやいやと首を振る。触っていいと許可が出た以上、遠慮することはないのだ。スミスは頭に血をのぼらせながら、イサミの無防備な下半身に手を伸ばした。
 まだ柔らかい陰茎と睾丸を撫でさすると、イサミがびくびく体を震わせる。さらに手を這わせ、中指が会陰にあたる部分に触れる。
 そこで、違和感に気がついた。頭はすっかり沸騰して絶え間なく蒸気を出している状態だったが、それでもその決定的な違和感は、スミスの脳をいくらか冷静にした。本来何も存在しないはずのそこに、何かがあるのだ。
「っ……俺の秘密。生まれつき、こうなってる」
……よく、見せてもらってもいい?」
 思わず唾を飲み込んでからそう尋ねると、イサミは顔を真っ赤にしながら頷いた。ひじ掛けの部分に頭を預けて横たわり、膝を立てる。
 多少の冷静さを取り戻したスミスの脳は、あっという間に興奮状態に戻った。心細そうに、そして恥ずかしそうに目を潤ませているイサミの膝に手をかけ、そっと開かせる。
 男の象徴たる性器に隠れるようにして、そこにはもう一つの性器のようなものが存在していた。ぴったりと閉じてはいるが、それは確かに、本来女性にしか備わっていないものだ。
……気持ち、悪いだろ」
 イサミの声が、震えている。ほとんど泣き出しそうな様子だった。
……
「ごめん……変なもん見せて、悪」
「違う……すごく、きれいだ」
 心から出た本音だった。イサミの、どこまでも男らしい体の中でそこだけが異質だった。アンバランスで危うく、それがあまりにも美しいと思った。完璧だ、とすら。
「これが、君の秘密……?」
 問いかけに、イサミが頷く。確かにこれを明かすことは、勇気のいる選択だっただろう。それでもなお、彼は誠実に打ち明けてくれた。その想いを尊いと思いこそすれ、なぜ気持ち悪いなどと思うだろう?
 とてもきれいだ、と繰り返してから、スミスはなおも不安そうにしているイサミの目を射抜いた。
……もっと、触っていいかい」
……
 ややあって、小さくではあるがイサミは頷いた。後悔しても知らないぞ、などと脅すようなことを言ってしまったが、訂正しなくてはいけない。決して後悔はさせないから、と。
……ここじゃ狭いから、ベッドに」
 スミスはイサミを抱え起こしてそのまま抱き上げ、どうやら二人のために整えられたらしいベッドへと早足で向かった。

ーーー

 気分が高揚したまま落ち着かなったためか、スミスの眠りは浅かった。ほとんど夜明けと同時に目を覚まし、大きく欠伸をする。
 本来は話を聞くだけのつもりだったが、とても抗えなかった。とはいえスキンは手元にないし、イサミの体はまだ何かを受け入れられる状態になかった。確かめるまでもなく、彼の体は誰にも踏み荒らされていない新雪だったのだ。
 だから互いに身に着けているものを脱がせ合い、キスをしたり、体を触りあったりして、お互い一回ずつ射精するのみに留まった。それでも、二人の初めての夜である。
 両の性器が備わっていて、内臓も一通りあるが、妊孕性はない──というのが、イサミの言である。だから無理にでも挿れてくれて構わない、などととんでもないことを言われたのだが、スミスはもっと自分の体を大事しろ、とピロートーク代わりに昏々と言い聞かせる羽目になった。正直なところ、かなり心は揺れたのだが──スミスは、己の鋼鉄製の理性に感謝した。大切なイサミを傷つけるわけにはいけないのだ。
 俺がいいって言ってんのに、とぶつぶつ文句をたれていた彼だったが、今はスミスの腕を枕にしてすやすやと、安心しきったように眠っている。ずっと秘めていたことを吐き出せたことですっきりしたのだろう。嫌われるのではないかと震えていた彼がとてもいじらしく、愛おしい。
 スミスの心は当然、まったく揺らいでいない。彼と何がなんでも結婚し、添い遂げるという意思に満ち満ちている。無論、結婚という法的な縛りに捕らわれる必要は必ずしもないのだが、スミスはあらゆる意味でイサミを己のものにしたくてたまらなかった。
……涎たれてる。かわいいな」
 くすっと小さく笑い、スミスはちょっぴり空いた口から垂れるそれを親指で拭ってやった。
 もともと、目覚めのいい彼である。触れられたことが契機になったか、瞼がふるふると震え、やがてぼやっとした愛らしいブラウンの目が顔を出す。
「ごめん、起こしちまったな。おはよう」
……おはよ」
「まだ夜が明けたばっかりだ。さすがに今すぐ来い! とは言われないよ。もう少し寝ておいで」
「ん……や、起きる……
 しかし言葉とは裏腹に、なかなか夢の世界から抜け出せないでいるようだ。珍しい光景だった。そのふわふわ、ぽやぽやとした様子がスミスの目にはあまりに愛らしく映ったため、イサミには申し訳ないがしばらく眺めることにした。
 うとうとと船をこぎ、はっと覚醒する。それを三回ほど繰り返した後、「やっぱだめかも」と観念したようにつぶやいたのだった。スミスは噴き出して、ぎゅっと腕の中に抱き込んでやる。
「だから言っただろ。もう少し寝てなさい」
「うー……わかった。じゃあ、あと十分で、起こして……
「Rogerだ。もうしばらく、君の寝顔を堪能させてもらおう」
 ばーか、という小さな悪態の後、イサミはすっと糸でも切れたかのように寝入った。彼は眠るのも早いのだ。
 預けられた体をしっかりと抱き寄せてやって、スミスは今日のこと、そしてこれからのことをぼんやりと考える。この後はまた体中をくまなく検査されて、尋問を受けて、上役の面々と面談して──最後のデスドライヴズをイサミたちが打ち倒し、スミスが帰還したときと概ね同じ流れだ。しかし今回は複雑化するだろう。秘匿されていたブレイバーンの姿を、思わず晒してしまったためである。おそらく、しばらくはここを離れられまい。
 少なくともその間は、イサミのそばにいられる。それを喜ばしく思ってしまうのは軍人としては不純だが、彼を愛しく思う気持ちに嘘はつけないのだ。

 果たしてイサミは、きっちり十分後に目を覚ました。スミスが起こすまでもなく、自主的に、である。それでもまだ、眠そうではあるのだが。
 しかし、ぼんやりしていたのは束の間だった。がばっと起き上がったかと思うと、イサミはしずしずと足を折りたたむようにして擦った。ジャパニーズ・正座だ。そして肩をがっくりと下ろし、いかにも深く落ち込んでいる様子を見せる。
「ど、どうしたんだいきなり」
……昨日、というか、さっきか? 悪かった、本当に」
「What’s……?」
 身に覚えのない謝罪をされても、受け止めようがない。むしろ、謝るべきはこちらのほうだとすら思う。衝動に任せてあちこちを、それこそ余すところなく撫でまわしたし、舐めたりもした。やだ、とイサミが身をよじって逃げ打っても、愛でることをやめられなかった。
「どうかしてた……見せたほうが手っ取り早い、とか……
「ああ! そのことか。確かに、言葉で伝えられるよりもずっと分かりやす……もしかして、恥ずかしくなっちゃった? 今になって?」
「ん……
 カッと耳まで赤くして、イサミは俯く。その愛らしさにスミスは思わず「神よ」と唱えていた。
 彼の羞恥心がどうにか落ち着いた後、二人は備え付けのシャワールームで汗を流し、身だしなみを整えた。それでもまだ、早朝といっていい時間だった。誰かが呼びに来るまでは、へたに外出せずここで待機しておいた方がいいだろう。
 幸い、部屋の隅に積まれていた箱には水や食料の備蓄品が入っていた。イサミは「勝手に手を付けていいのか」と渋ったが、「置いたままということは、好きにしていいってことだろう」「たくさん汗をかいたし、水分補給しなきゃ体調を崩すぜ」などと説き伏せて、長期保存のできる水と味気ない戦闘糧食で簡単な朝食とした。彼の母国の上等な味のする糧食に比べたら米国のそれは大味だろうが、彼は特に気にするでもなく平らげる。ゴチソウサマ、と手を合わせる彼に、スミスも見様見真似で倣ってみた。
……さて、イサミ」
「なんだ?」
 今日は隣同士ではなく、ガラス製のローテーブルをはさんで向かい合うように座っている。スミスは姿勢を正すようにソファに座りなおし、真剣な面持ちで、ペーパータオルで指をぬぐうイサミを見つめた。
……昨日も言った通り、俺の気持ちは変わらない。改めて、君の意思を確認したい」
 イサミの動きが止まる。そして彼もまた、膝をそろえて姿勢を正した。
……けっ……こん、ってやつ、だよな」
「そうだ」
……本当に、俺でいいのか? こんな体なのに」
 確かめるような口調だった。スミスはほんの一瞬の逡巡もなく、深く頷いた。
「イサミがいいんだ。俺には、君しか考えられない。……君も同じ気持ちでいてくれると。すごく嬉しいよ」
……うん……俺も、スミスがいい」
 彼が恥ずかしそうに微笑みながらそう受け入れてくれた瞬間、スミスは立ち上がってテーブルを飛び越していた。そして彼を思いきり抱きすくめ、この世のすべてに感謝をささげたのだった。

ーーー

「I’m on top of the world..」
「スミス、顔ふにゃふにゃ!」
 朝から山盛りのカレーをむしゃむしゃ胃に収めていくルルが、イサミの笑顔を噛みしめてはじんと感慨にひたるスミスを見てきゃっきゃと笑う。今日はそれぞれ個別に尋問を、という運びになり、現在はイサミが呼び出されているところだった。(なお、イサミを迎えにやってきたのは彼の直接の上官であるサタケだったが、部下があまりに寂しそうな顔をするので「誘拐犯の気分だな」などとぼやいていた)
 その間スミスは、暇を持て余すことになる。糧食しか口にしておらず空腹感を覚えたため、食堂へと足を運んだところ、ライスにカレールーをたっぷりかけているルルを見つけたのだった。現在復興中のため基地には最低限の人員しか配置されておらず、彼女は広い食堂に一人きりであった。
「ふにゃふにゃにもなるさ! イサミが、俺と結婚してくれるって……くぅっ……
「よかった! ルルも嬉しい。あんなに大騒ぎしたんだから、幸せになってくれなきゃ困る!」
「ルル……お前にも心配かけちまったよな」
 たぶん、一番振り回されたのは二人に最も近しいこの少女だろう。あちこち飛び回って、再び二人を結びつける道しるべとなってくれた。感謝してもしきれない。
 ルルはそんな大仕事をした自覚はなさそうな様子で、小首をかしげる。
「んー、ルルはすごく楽しかったよ? アンコー・ボブとすぱいの修業したし、スミスのこといっぱい追いかけたし、イサミを気持ちよくした!」
「ん? 何の話だ?」
「内緒!」
 にまっと笑い、ルルは目の前のカレー(すでに山は半分ほど崩されている)に集中し始めた。
「あ、おはよー」
「おはようございまーす!」
 何とはなしにルルの良い食いっぷりを眺めていると、のんびり顔を出したのはヒビキとミユである。
「朝からカレー? 元気だねぇ」
「うん、ルルは元気! 二人とも、隣座って!」
「はいはい、待っててくださいね」
 この二人に、特にミユによく懐いているルルは嬉しそうに隣の椅子の背をばんばん叩く。「私たちも同じのいっちゃう?」「うーん、半分くらいなら」などと話しながら彼女たちが持ってきたのは、ルルのそれより控えめな量のカレーライスである。
 ルルを挟むようにして座った二人は、手を合わせて「イタダキマス」と唱えた。イサミもよくやっている振る舞いだ。
「イサミは呼び出し中?」
「ああ。彼が戻ってきたら次は俺だな」
 果たしてどのくらいかかるのか。彼がサタケに連れられていって、すでに一時間は経過していた。
……で、昨夜は……お、お楽しみだったんでしょうか!?」
 スプーンを握り締めて身を乗り出すミユの鼻息は荒い。すかさずヒビキから「こらミユ。そういうのはマナー違反!」と厳しい指摘が飛ぶ。
「うっ……すみません、つい……血が滾りまして」
 その滾った血とやらを鎮めるためか、彼女はすーはーと大きく深呼吸した。
 彼との夜について赤裸々に語るつもりはないが、この幸せな気持ちをさらけ出す相手は何人いてもいい。いっそ、全世界の人々に聞いてほしいと思っているくらいだった。
「おかげさまで、とてもいい時間を過ごせたよ。実は、あの子にプロポーズして……OKをもらえてんだ!」
「ぷ、プ、ろ、ポーズ! ですか!?」
「おー、やったじゃん! ま、OK一択だっただろうけど」
 落ち着いたはずのミユが椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がり、ヒビキの方は予定調和と言わんばかりに落ち着き払っている。だが表情は、友人の幸福を心から喜んでいる優しいものだった。
「それでこの喜びを、ルルに聞いてもらってたところさ」
「ルル、聞いてあげた!」
「ぜひ私にも! 聞かせて下さい! ずばり、プロポーズの言葉は!?」
 ミユがまだ使われていないぴかぴかのスプーンを、マイクのように突き出してくる。
「うーん……そんなに特別なものじゃないよ。ただ、結婚してくれ、と」
「キャー!! 素敵です!! イサミさんにはちょっと鈍いところがありますし、そういうストレートなのが一番いいんですよぉ!!」
「確かに。特に英語だとね~。ネイティブじゃないし、持って回った言い回しだったらうまくいかなかったかも」
「ルル知ってる! 『一生ミソスープを作ってくれ』って言うんだよ! 本で読んだ!」
「あはは! それ超古いしベタすぎ」
「でもそういうベタなのが逆にですね」
 三人娘はスミスを置いて、ミソスープがどうの、一緒の墓がどうのと好き放題盛り上がり始める。こうなると割って入れないため、スミスは頬杖をついて楽しそうな三人を眺めた。
「でもさ、実際のとこ、遠距離になるわけじゃん?」
 ひとしきりプロポーズ観について沸いた後、ヒビキがふと、完全に蚊帳の外にいたスミスに水を向けてくる。
「え?」
「ほら、この後はやっぱ原隊復帰でしょ? あんたはアメリカで、私たちはもちろん日本に戻る」
……うん、それは分かってる。……実は元々、アドリムのあとは沖縄基地に配属されるって話になってたんだ」
「そうなの?」
「ああ。だが今回の件……あー、俺が騒ぎを起こしちまった件だが。それを受けて、話が変わってくる可能性はある、と思う……
 二度と離れないと言ってのけたくせ、情けない話だとは自分でも思う。いっそ、除隊の道を選ぶことも考えた。だがイサミなら「自分のためにスミスに負担を負わせてしまった」と嘆くだろうし、スミス自身、まだ海兵隊でありたいと思っていた。傷を負った世界のために、まだできることがあると強く感じているからだ。
「ルルたち、一緒に暮らせないの?」
 かわいい娘が、悲しそうな目でスミスを見ている。
「また三人でいたくて、ルルはスミス追いかけた! スミスも、同じ気持ち?」
「もちろんだ。……すぐには難しいが、いつか必ず」
……分かった。ルル、スミスに着いてく。ルルがいなきゃ、心配!」
 ルルの表情は、くるくるとよく変わる。歯を見せて大きく笑い、彼女が拳を突き出してくる。
「ありがとう、ルル。これからも頼むよ」
 かわいい娘であり、一時はともにTSを駆った頼りになる相棒でもある。そんな彼女の二回りほど小さな拳に、スミスは自分の拳をこつんとぶつけた。帰国次第、まずは彼女を正式に養子とする手続きを踏もうと思った。

3. 

 それから結局、一ヶ月ほどはオアフに留め置かれることとなった。スミスもイサミも、散々好きにやってしまったという後ろめたさがあっため、命令には唯々諾々と従った。元ATF上官たちが二人のために奔走してくれていることは、痛いほどわかっていた、ということもある。
 外出もできる限り控えるよう命じられていて、広々とした基地の中が二人の仮住まいとなった。それぞれに個室を与えられたが、ほとんどの夜をいずれかの部屋で共に過ごす。そしてこれまでの衝動や欲求をすべて発散するかのように、飽くことなくたくさんの言葉を交わし、抱き合った。離れていた時間を少しでも取り戻したかったのだ。
 二人にとって特に仲のいい同僚たちは、すでに帰国の途についている。ルルのことは、しばらくの間日本でミユが面倒を見てくれるようだ。元ATFのメンバーで今もオアフに残っているのは、将官クラスを除けばわずかなもので、二人の健康管理を担ってくれている医官の面々くらいだろう。

 スミスは熱心に、かつ丁寧に根気強くイサミの体を慣らし、その過程で頭の血管が何本か切れたような心地を味わいつつ──彼の体に入り込み、深いところで一つになることができるようになったのだった。彼と融合合身するのも心地いいし、深い充足感に満たされるが、また違った快感だった。彼を生身で抱きしめられるし、包まれているところはぬるぬるとしていて温かく、気が触れそうなほど気持ちがいい。すみす、と舌足らずの甘い声で呼ばれるのもたまらなかった。このかわいい男を一生大切にし、守り抜かねばならないと本能が叫ぶ。
 彼の『女性』の部分に触れる時には、さらに気を遣った。舐めてみたり(これには必死に抵抗され、髪を何本か引っこ抜かれた)、慎重に指を入れたり……大変だったが、そちらの方にも無事挿入できた時には、一つの大きな目標を二人でやり遂げたかのような達成感があった。恋人同士が睦み合う場において非常に場違いなことに、「やったなイサミ!」なんてガッツポーズをしてしまって、彼の足を掴んでいた手をちょっと抓られてしまった。

……で、どうなんだ?」
 事が済んだあとに、全身だるくてシャワーは無理というイサミの世話を嬉々として焼いていた時のことだ。スミスはベッドに座る彼に傅き、その引き締まったふくらはぎを、希少な美術品を磨く学芸員の気分で丁寧に拭っていた。手を止めて顔をあげ、その問いかけの意図を探る。
「どうって?」
……どっちの方が、いいのかなって」
「どっち……? イサミ、質問の意味がよく」
 わからない、と続ける前に、イサミはぽやっとしていた顔を真っ赤にして、自身の腹のあたりに手を当てた。
「だから、前と、後ろ。どっちの方がお前は気持ちいいのか、って……いや、忘れてくれ。俺は一体何を……
……どちらもすごく、気持ちいいよ。いつも受け入れてくれてありがとう」
……おう」
 何もかも初めての経験だから、不安があったのだろう。しかし、スミスにとっても初めてのことだらけだ。格好悪いから彼には言わないが、性行為のHowtoを、医務室でこっそり調べたりもした。スキンもそこから調達したものである。
「実は俺にも、気になってることがあって。……その、君、誰にも話したことがないって言ってだだろ? もちろん、医者とかは除いてね」
「言ったな」
「けど、君の通っていた学校も、自衛隊も、結構な男所帯だろ? ええと、その」
「見られてないかって?」
「そ、そう」
……よほど下から覗きこみでもしない限り、見えないんだよ。隠れるから」
「な、なるほど」
 我ながら、間抜けな応えだった。何が「なるほど」だ。スミスはごほ、と咳払いし、止まっていた手を再び動かし始めた。
 イサミはクッションと壁とに背中を預け、ぼんやりとまどろみ始める。スミスは敏感な彼の入眠を妨げぬよう、足の指の間は触れずにおいた。
「眠かったら無理せず寝てくれ。あとで毛布をかけておいてあげるから」
「ん……悪いな」
「ノープロブレムだ。俺はどうやら、君の世話を焼くのがすごく好きらしい」
「なんだそりゃ」
 イサミは微かに笑い、その後静かになる。どうやら本当にこちらに甘えて、眠ることにしたらしい。先ほどの言葉は嘘ではなかった。スミスは、イサミに尽くすことに喜びを見出している。ゆえに、彼が無防備に体を預けてくれたことに、至上の幸福を感じたのだった。
 何度かウォッシュボウルのお湯を替えながらイサミの体をすっかりきれいに、すやすや眠る彼の体を横たえてやる。長いままの前髪が、汗を拭われてさらっとした額の上を流れた。これもそのうち、また切ってやらねば。そんなふうに考えながら、つやつやの黒糸を撫でた。

 昼間はトレーニングや面談、それからデート──と言っても、基地内をぐるっと散歩するくらいだ──をして、夜はできるだけ共に過ごす。そんなふうに、一ヶ月はあっという間に過ぎていった。
 その日、スミスはずいぶん久方ぶりに、TSに──ライノスに搭乗し、その巨大なアームを動かしていた。
 事の次第は、今朝に遡る。
 どうしても、TSパイロットがもう一人必要なのだと請われた。巨大な瓦礫の撤去作業が予定されているが、任務にあたるはずだったパイロットのうち一人が、体調を崩してしまった、とのことだった。
 謹慎中とはいえ、スミスも海兵隊の一人である。命令とあればつつんしんで受けるべきだ。そう、頭では理解しているのだが。
「すぐに向かわせます」と通達の兵士に告げたのは、イサミの方だった。男はほっとした顔をして「ヒトマルマルマルに集合です」と言い残し、立ち去っていった。
「イサミ……
「平気だから、行ってこいよ。本当は俺も手を貸したいんだが……ライノスの操作は慣れてないしな」
「そういう話じゃなくて……やっぱり医務室に行った方が」
「大袈裟なんだよ、腹が痛ぇくらいで」
 スミスが渋っているのは、イサミもまた、体調が優れないためだった。今朝、正確には昨夜遅くから腹の調子がよくないらしい。転げ回るような激しい痛みではなくジクジクとした鈍い痛みで、動けないほどのものではないと彼は平気そうにしているのだが、スミスは心配で仕方なかった。
「なんかあったらちゃんと自分の足で向かう。ってことで、さっさと行ってこい。スーツに着替える時間も必要だろ?」
「Umm……わかった。いいかい、絶対に無理はしないように」
 念入りに釘を刺すと、イサミは素直に頷いた。
「わかってる。……そっち、たぶん夜までかかるだろ? 戻ってきたら、たまには自分の部屋でゆっくり体を休めろよ」
「そんなぁ……君を抱きしめていないと、うまく眠れる自信がないよ」
「俺は抱き枕かよ」
「まさか! 大事な恋人で、フィアンセさ」
 彼の手を取り、まだ空いたままの薬指の付け根を撫でる。ここに一刻も早く、上等なプラチナの輝きを贈りたいものだった。
「だったらその、大事なふぃ、フィアンセの言うことくらい聞けよな」
「その言い方はずるい」
「ずるくて結構だ」
 ぷい、とイサミはそっぽを向く。自分で言っておきながら照れているのが丸わかりだった。そのかわいさに免じて、スミスは折れることにした。
 イサミは心配してくれているのだ。TSの操縦とは、ただ座って手足を動かしていればいいだけのものではないことを、彼は誰よりもよく知っている。体力も、集中力も大いに要求されるし、神経を張り巡らせる必要がある。それは戦闘でも、今回のような力仕事でも同様だった。
 スミスは己が優秀なパイロットであるという自負はあるが、操縦はずいぶん久しぶりだ。最後に乗ったのは、あの複座機だったはず。ゆえに、きっと体力を消耗するだろうとイサミは懸念してくれている。
 ここで譲歩しなくては、彼の心遣いを無碍にしてしまうだろう。
「はぁ……わかったよ」
「ん。わかればいい」
「その代わり! 君も俺の言うことを聞いて、大人しくしてるんだよ。……もしかしたら俺がいつも無理させているから、疲れが出たのかもしれないしな」
「そんなにヤワじゃねーよ」
 ペちんと二の腕を叩かれる。それよりも見送りのキスをして、と頬を差し出すと、彼はふんと鼻で笑ったのも束の間、不器用に唇を押し付けてくれた。
 そういう経緯があって、スミスは現在せっせと操縦桿を動かしている。
 ハワイ諸島はデスドライヴズの塔が降下したこともあって被害甚大で、特にここオアフはひどいものだった。島民の多くは島外に脱出し、避難生活を強いられている。一刻も早く生活を営める場に戻すのが急務であった。
 スミスにとっては特別な場所ということもあり、任務には力が入っている。なんといっても、イサミと運命の出会いを果たした地だ。
(イサミはどうしているだろう……体調は良くなっただろうか……
 つい、思考が彼の方を向いてしまう。それでも染みついた技術というのは嘘をつかないもので、ライノスは非常に正確な動きで瓦礫を掴んではダンプカーへとスムーズに載せているのだった。

 任務を終えたのは、日の落ちる頃だった。共に任にあたっていた面々に「助かったよ」「おかげで予定よりも作業が進んだ」と感謝され、役に立てたことに充足感を覚えた。地道で気の長い作業ではあるが、続けていけばいつか必ず復興は果たされるはずだ。そう信じたかった。
 ライノスをハンガーに戻して機付長へと引き渡した後、スミスは自室へ戻る前に医務室へと足を運んだ。中ではイサミ共々すこぶる世話になっている軍医・ニーナ・コワルスキー大尉が、コーヒーをを嗜んでいるところだった。
「失礼、邪魔したかな」
「あら、中尉。構わないわよ。何か御用かしら」
 ニーナは優雅な仕草でカップをソーサーに戻し、髪を耳にかける。
「今日、イサミがここに顔を出さなかったかな」
「アオ二尉? いいえ、今日は見かけていないわね」
「そうか……わかった。邪魔をして悪かった」
「彼に何かあった?」
 柔和だったニーナの眼差しが、医師らしい鋭いものになる。スミスは頷き、今朝の彼の様子を思い浮かべた。
……朝、腹の調子が悪いと言っていて」
「お腹が? それは……少し気になるわね。……よかったら今からでも診る、って伝えてきてもらえる?」
「いいのかい、こんな時間に」
 スミスは左手の腕時計に目を落とす。時刻はすでに、十九時を回っていた。
「もちろんよ。あなただって、心配なんでしょう?」
……ああ。正直なところ、すごくね」
 スミスが肯定すると、ニーナは口に手を当てて「でしょうね」ところころ笑った。
「感謝するよ、大尉。まだ調子が悪そうだったら連れてくる。眠っていたらそっとしておくけど」
「それがいいわ。もしすでに良くなっていても、明日顔を出すようにってしっかり伝えておいてちょうだい」
「Roger」
 スミスは頼もしい軍医に敬意を表し、今度上等なコーヒー豆を差し入れることを誓った。
……そういえば)
 医務室を出てから、スミスはふと考える。彼女もまた、イサミの体の秘密を知っているはずだった。検査の過程でどうしても知らせなければならなくなった、と言っていたはずだ。
 だから彼女は余計に、イサミのことが気にかかるのかもしれない──そう考えて、血の気が引いた。彼自身もほとんど触れたことのないという部分を拓き、行為に及んでしまっている。やはり体に、大きな負担をかけてしまっているのではないか。
 スミスの足は、自然と早くなった。

 イサミの部屋のドアをノックすると、カンカン、と硬い金属音が鳴る。返事はなかった。電子ロックの解除キーは共有しているから、さっと四桁入力してドアを開く。
 彼はベッドに横たわり、眠っているようだった。こちらに背を向けているが、体が規則正しくゆっくりと上下していることで、それが分かる。ずいぶんな早寝ではあるが、幸い体調が悪化しているということはなさそうだった。この様子なら、無理に起こしてまで医務室へ連れて行く必要はないだろう。
 スミスは静かに、できる限り足音を立てぬように彼に歩み寄る。そして耳をそばだてると、すぅすぅと静かな寝息が耳に入ってくる。何より心安らぐ音だった。その柔らかそうな頬にキスの一つでもしたいが、起こしてしまってはかわいそうだ。衝動をぐっと堪えて「いい夢を」と絞った声で囁くに留め、スミスは部屋を後にした。
 ニーナに報告したのち、夕食を摂って、久しぶりにビールでも飲んで眠ってしまおうと思った。イサミがそばにいない夜の過ごし方を忘れつつあることに、スミスは気が付いた。

ーーー

 翌朝、久しぶりに一人きりのベッドでスミスは目を覚ました。昨夜は結局、ビールを一本だけ開けた後、暇を持て余してさっさと床に入ってしまったのだ。デスクに置きっぱなしの空のビール瓶を一瞥して、スミスはベッドを下りた。
 シャワーを浴びてさっぱりしたあと、まず向かうべきはもちろんイサミの部屋である。この時間ならばすでに目を覚ましているはずだ。体調は問題ないか確認して、動けそうなら一緒に朝食をとって、それからニーナからの伝言を伝えてやらねばならない。「もう平気だ」と彼ならば言いそうなところだが、今日こそ無理にでも引っ張っていかねば。
 軽い足取りで、スミスは愛しの恋人の部屋にたどりつく。なんとなくヘアスタイルをちょっと気にしてから、ドアを二回ノックした。
「イサミ? 起きてる」
……スミス?」
 今日はちゃんと、返事があった。金属の扉越しのためくぐもってはいるが、間違いなくイサミの声である。
「ああ。開けても」
「駄目だ、入ってくるな!」
 鋭く、鞭のような拒絶の声が飛んできた。スミスはすでにノブにかけていた右手を、反射的に引く。
「ど、どうしたんだイサミ。何があった?」
 かちり、とドアの向こうで音がする。これは、同じ構造の部屋に滞在しているために聞き覚えがあった。鍵をかける音だ。
「イサミ?」
……悪い……コワルスキー大尉を呼んできてくれないか」
「Docを……? 具合が悪いのか? なぁ、イサミ」
「大丈夫だから、頼む。お前にしか頼めないんだ」
……わかった。すぐに戻るよ」
 切実そうな声音に、NOとは言えなかった。スミスはドア一枚隔てた向こうにいるイサミを想いながら踵を返し、一目散に医務室へ向かって駆け出す。隣の棟だから、走れば数十秒ほどだ/
 幸い、医務室ではすでに担当医が──ニーナが勤務を開始していた。おそらく電子カルテが表示されているのであろうタブレットに、じっと目を落としている様子だった。
「Hey、Doc!」
「スミス中尉! どうしたの、血相変えて」
 ニーナはタブレットを置き、大慌てという様子のスミスを見て目を見開いた。きっと、よほど酷い顔をしているのだ。
「イサミが、あなたを呼んでいて……すぐに来てほしいと」
「昨日のことかしら? 分かったわ。少し待ってて、準備するから」
 ニーナは立ち上がり、キャビネットから大きなメディカルバッグを抱え下ろす。「俺が運ぼう」とそれを引き取り、スミスは先行して走り出した。後ろからかつかつとヒールの音が追ってくる。彼女の歩幅を合わせるべきなのに、気が逸って仕方なかった。
 緊急の現場に慣れているのだろう、ニーナはほとんど息を乱すことなくスミスに着いてきて、目的地に到着した後すぐにドアを叩いた。
「アオ二尉? 私よ。鍵を開けてちょうだい」
……すみません、呼びつけて」
「構わないわ。これが私の仕事よ」
……スミス、そこにいるんだろ? 入ってくるなよ、絶対に」
……わかった」
 その気になればドアを破ることくらいできるし、あるいはニーナが入室する際に無理やり体を押し込むことだって可能だ。だが、スミスはそうしなかった。
 錠の開く音がして、ニーナがすばやく中に入る。ほんのわずかの間だが、イサミの黒髪が視界に入った。
 目の前でドアが閉じられる。そのとき、彼女の香水の香りに混じって、かすかに妙な匂いがしたような気がした。

 スミスは部屋の外で大人しく、壁に体を預けるように立ってひたすら待っていた。話し声はかすかに聞こえるが、声を潜めているようで、内容はほとんど分からない。ただ、切迫した様子でないのだけは幸いだった。
 途中、一度だけ人の出入りがあった。ニーナが連絡を入れたらしく、いつもそばで補佐を務めている医官の一人が荷物をもって訪れたのである。彼女は用事を済ませて部屋を出てきた後、スミスを見て「まるで番犬ですね」と感心したのだった。
 まさに、気持ちとしては番犬そのものだ。というより、番の狼の片割れだろうか、弱っている伴侶を何者からも守る、そういう気概に満ち溢れていた。しかし誰かが通路を通りかかるたびについギロっと鋭い目を向けてしまうため、スミスの想いとは裏腹に「スミス中尉がアオ二尉と喧嘩して追い出されている」という不名誉な噂が立ったのだが、スミスがそれを知るのはずいぶん後になってからのことだった。
 小一時間ほどで、再びドアが開いた。出てきたのはニーナである。途中の届け物を含めて、来た時よりも手荷物が増えていた。
「大尉、イサミは?」
「大丈夫、心配ないと思うわ。でもきちんと検査したいから、落ち着いたら来てほしいって伝えて。私からも言ってあるけど、あなたも気を付けてあげてちょうだいね」
「わ、わかった。朝からありがとう、大尉」
「言ったでしょ、これが仕事よ。またいつでも呼んでね。……それに、アオ二尉にはもちろんだけど、あなたにも大きな借りがあるから。できる限り力になるわよ」
「借り、かい? 何も貸した覚えはないが」
「ふふ、そうでしょうね」
 ミステリアスな言葉を残し、ニーナは両腕に荷物を抱えて軽やかに去って行った。スミスはもちろん「医務室まで運ぼうか」と申し出たのだが、「大切な恋人のそばにいなくていいの?」という一言によって押しとどめられたのである。
 鍵をかける音はしなかった。つまり今、このドアは解放されている。だがスミスは、丁重に伺いを立てることにした。
……イサミ? もう入ってもいいかい」
……うん」
「ありがとう。寝ているなら、そのままでいいから」
 ドアをそっと引くと、先ほど感じた不思議な匂いはもうしなかった。代わりに、清潔感のあるソープのような香りがする。おそらく、正体は消臭スプレーか何かだろう。
 イサミはベッドに座っていた。顔色は、お世辞にも良いとは言えない。
「イサミ……大丈夫……じゃ、ないよな。何か俺にしてあげられることはない?」
……なんか、あったかいもの飲みたい」
「OK.具合が悪いなら甘いミルクがいいかな。すぐに持ってくるよ。他には?」
……そこにいてくれればいい」
「お安い御用さ。今日はずっとお前のそばにいるつもりだよ」
 スミスはイサミの頭を撫で、こめかみにキスを落とす。悄然とした様子のイサミは、まるで怪我を負って巣にこもる小動物のようで痛々しかった。ニーナは「心配ない」と言っていたが、スミスの目にはとてもそう見えず、不安が募る。
 しかし今はとにかく、彼の希望を叶えるのが先決だ。スミスは大慌てで食堂に走り、冷蔵庫からミルクを拝借し、備え付けのレンジに入れる。本当は火にかけてじっくり温めたいところだが、そうも言っていられない。十分に温まったそれに砂糖を落としてかきまぜ、比較的食べやすそうなゼリー状の糧食をいくつかポケットに突っ込み、ミルクが零れない程度の急ぎ足で取って返す。
 イサミはちびちびと温かいミルクを半分ほどのみ、糧食を一袋だけ開けて横になった。スミスはベッドサイドに膝をついて、彼の足元でくしゃくしゃになっている毛布を肩のあたりまで引き上げてやった。体調が悪いときは大抵、冷やすよりも温めたほうがいいのだ。
「悪いな、心配かけて」
「いいんだ。俺のことは気にせず、ゆっくり休んで」
 毛布に包まれた肩を撫でてやりながら、スミスは優しく囁いた。
……スミス、怒らずに聞いてほしいんだが」
 彼がこういう風に切り出すときは大抵、怒らずにはいられない内容が飛び出してくるのだとスミスは経験上知っていた。だから正直に「保証はできない」と答えた。
 イサミは困り顔をして口をつぐんだが、やがてばつの悪そうな顔で話し始める。
……実は三日くらい前から、たまに腹に違和感あって」
「うーん……なるほど。怒りたいところだが、堪えよう」
「痛いってほどじゃなかったから、あんま気にしてなかったんだよ」
「どんな小さな変化でも報告しろって、コワルスキー大尉に言われてるだろ? 俺たちの身にはいろいろと、イレギュラーなことが起きすぎてるんだから」
……分かってる。大尉にもそうやって注意された」
「分かってるなら、よし。……さ、お喋りはこのくらいにして休むといい。俺はここにいるから、何かしてほしいことがあればいつでも言ってくれ」
「ん。ありがとう、スミス」
 素直な謝意に、スミスは片目を閉じて「ドウイタシマシテ」と拙い日本語で返してやった。
……暇だったら、そこにある本読んでいいから。つっても、図書室で借りてるやつだけど」
「そうさせてもらおうかな。……おやすみ、イサミ」
 スミスはイサミの、少し汗ばんだ額にキスを落とす。彼の口角が少しだけ上がった。
 間近でじっと見られていては、気配が気になって眠ろうにも眠れないだろう。スミスは立ち上がって、イサミが書き物や読書をする際に使っている備え付けの椅子に腰かけた。デスクには彼が言った通り、裏表紙に管理用のシールが貼られた本が数冊積んである。筋力トレーニングの本、古典文学、ハワイの自然や動物を扱った写真集、魚の図鑑など、彼が興味を惹かれるままにジャンル問わず借りた様子が思い浮かぶラインナップだった。小さく微笑んで、スミスはまず図鑑を手に取った。幼いころの自分は、こういったものよりもヒーローのフィギュアで遊んでばかりの子供だった、そんなことを考えながらぱらぱらとページをめくる。
 イサミは昼ごろまでぐっすり眠っていて、スミスが空腹感を覚えたころにのっそりと起き出した。起き抜けの一言は「腹減った」である。
「食欲があるのはいいことだな」とスミスは笑い、三分の一ほど読んだ本をデスクに置いた。
「昼食を持ってこようか。何がいい?」
「いや、食堂まで行く」
 イサミはぺろ、と毛布をめくって中を覗いた後、それをさっと畳んでベッドを降りた。
「メシくらい持ってくるよ。別に、部屋での飲食は禁止されてないし」
「知ってる。けど大尉に鎮痛剤もらったし、寝てばっかりだと退屈だし。いいだろ?」
 確かに、汗こそかいているが表面的には調子がよさそうに見えて、鎮痛剤とやらがよく効いているようだった。
「お前が大丈夫なら、構わないぜ」
「じゃ、シャワー浴びてくる。お前は先に」
「置いて行くと思った? 待ってるよ。ゆっくりしておいで」
 スミスは椅子に座り直し、着替えを持ってシャワールームに入っていく背中を見送る。
 彼はものの十分ほどで、さっぱりした様子で出てきた。どうやら体の汗を流しただけらしく、髪はわずかに湿り気を帯びている程度だった。すぐにでも出られそうだ。
「抱っこして連れて行ってあげようか」
「そうしてもらおうかな。……冗談だよ。なんだよその顔」
……いや、驚き三割、嬉しい七割で」
 してやられた、という気持ちでスミスは目を逸らす。「何言ってんだよ馬鹿」と叱られると思いきや、イサミの方が一枚上手だったようだ。
「鼻の穴膨らんでたぞ」
「ぐっ……俺のかわいい君を堂々と見せつけながら歩くのは、なかなか悪くないなって想像しちゃって」
「見せつけるってほど人いないだろ、ここ。昼間はほとんど出払ってるし」
「そういう話じゃない。気分の問題なんだ」
 熱弁するも、イサミにはいまひとつ響かないらしく不思議そうな顔をしている。そういうぼやっとしたところも、かわいいのだが。
 じゃあせめて手でも繋がせてもらおうかなと握ってみたところ、彼はいやそうな顔ひとつせず、「こんな感じでいいのか」とこわごわ握り返してくれる。体温と、シャワーの名残が相まって程よくあたたかい。彼が恥ずかしがると思って日々のデート(という名の基地内散策)では控えていたのだが、そんな遠慮は無用だったらしい。
「誰かと手を繋ぐなんて、ガキの頃以来かも」
「大人になってからは初めて? 光栄だな」
……あ、いや、訓練の時にけっこう繋いでたな。登攀の時とか」
「それはノーカウントで頼むよ、darling」
 握った手を持ち上げ、小傷のある甲にちゅっと口づけた。