DRRV11037
2026-02-05 13:21:14
18106文字
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DRRV 1章 日常編



side:楸谷徹



眠れない。

全く、眠れない。

幾度目かの寝返りを打った僕は、自室の天井を見上げていた。

身体がくたくたなのに頭が冴えている。それもそのはず。夜こそが、ホストの活動時間なのだから。本来ならば今頃は、勤め先のクラブで一番の売上を叩き出し、勝利の美酒に酔いしれているはずなのに。どうしよう、今度のイベントに出られなかったら店長に怒られる。どうしよう、がせっかく僕のために稼いだ金はどうなるんだ。どうしよう、今月の未収客のツケを回収しきれなかったら、せっかくの稼ぎがマイナスになってしまう。

怖い。

たぶん今、黒幕のもとで激しく鳴り響いているであろうスマホの通知が怖い。

帰ったころにはどうなっているかが怖い。

「コロシアイが」「喋るクマが」なんて説明したところで、姫は聞いてくださらないのだから。むしろ「私をよくも裏切ったな」と背中を刺される心配や、呪いの綴られた遺書と首吊り死体によるお出迎えを想像したほうがいい。

考え出したら止まらない。落ち着かなくなってきて、ベッドからもぞもぞと這い出た僕は午前3時にも関わらず朝の支度を始めた。とにかく身体を動かしていたかったのだ。

わざとのろのろと、時間をかけて顔を洗った。冷たいしずくが頬を流れていくのが心地いい。ふかふかのタオルで肌を拭う。うん、昨夜倉庫で見つけていた化粧水も肌なじみはそう悪くない。なぜか度数の合ったコンタクトレンズまで用意されているのは恐ろしいけれど。

パジャマから仕事着のオーダーメイドスーツに着替えていく。カマーバンドをしっかりと締め、純白のジャケットの袖に腕を通すと、少し気持ちが晴れてきた。

透き通った白い髪を丁寧に丁寧にセットし、目元には鱗粉のように煌めく紫のアイシャドウを優しくのせて、それからピアスをひとつずつ嵌めていく。右耳には魚の骨、左耳には蝶の片羽。どちらも僕に尽くしてくださった哀れな姫たちの末路だ。そして全てを飾るチェーンが耳元できらきらと囁く。

鏡を見つめた。

ゆっくり、涙みたいな頬のほくろをなぞる。

ああ、今日も僕は美しい。

……中身を除いては。

こんなにゆっくり支度をしたのに、まだ4時にもなっていない。やることがない。困ってしまった。人のいない時間帯に出歩いて通り魔に出くわすのもあれなので、僕はソファで目を閉じて、眠るふりをしたりしなかったりしながら日の出を待った。

5時になると、寄宿舎を出た。
驚いた。空を燃やすような朝日が綺麗だ。夜行性の生き物にとっては眩しすぎるくらい。

朝の空気もなんだかひどくすっきりとしていて性に合わないので、僕は倉庫にたばこを探しに出かけた。
普段からそんなに吸うほうではないが、手元に1本も無いとなると落ち着かない。周囲はみんな未成年だけど、自室で煙をくゆらせているだけならご迷惑はかからないだろう。ヤニで部屋の壁が汚れたとしても、もちろん退去時のクリーニング代など一銭も払ってやらない。

そんな思考を巡らせながら、廊下を通りかかったとき───……

「!」

歌が耳を撫でた。
僕は足を止める。

髪を後ろで縛った少年が、食堂手前の壁に背を預け、囁くような優しい声音で歌っていた。女性的な桃色の唇から紡がれるメロディは、彼のイメージとは反対に、異国から海を渡ってとどく湿った夜風のようだった。変に甘やかで絡みつくような旋律が耳に残る。

おはようございます、」

三品博行。
彼は、仄暗い瞳をこちらに向けて微笑んだ。

「おはよう!素晴らしい朝だね。」

どこが?僕は適当に笑って流した。

この、三品博行という存在はいつもミステリアスだった。女なのか男なのかよく分からないし、明るいのか暗いのか分からないし、抜け目ないのか抜けているのか分からないし、改瀬ほどじゃないが妙なくらい目につく。
理由は恐らく二つ。一つは、三品が名門校の生徒会長をやっていることだ。なんでこんな奴が。もう一つは、初対面で僕の将来について心配してきたことだ。親御さんがどうの大学がどうの。聞いていたくない、余計なお世話だ。

「おはよーさん!」

三品の隣で、垢抜けないもさもさしたのが上機嫌に手を振った。
確か、小栄だっけ。こっちは駄目そうだ。真っ黒の髪に黒縁眼鏡なんて重すぎる。せっかくの整った鼻筋も白い肌も全部台無し。こんなに綺麗に素材を殺しきった顔面も珍しいものだ、さっさとコンタクトに換えて髪を切ればいいのに。

「おはようございます。さっきの歌、お上手でしたよ。」

「ありがとう!」

彼は短く、しかし愛想良く返事をした。
小栄が腕を組み、真剣そうな顔で唸る。

「凄いなぁ。俺ではとても思いつかんわ、そんな綺麗な旋律。何かの夜想曲なん?」

「ララバイさ。僕しか知らないこの歌を、二人が気に入ってくれたなら嬉しいよ。」
三品はにこにこしている。

「気に入ったどころやないて、“音楽家”の肩書きはもう譲るわ!」
小栄もにこにこしている。

僕もくすりと笑った。おかしなことだ。朝の5時に部屋の外にいて、心配の一言もないなんて。この程度わざわざ変な明るい笑顔で隠すほどのことでもないだろう。

ところで、眠れなかったんですか?」
僕は素直にそう訊いた。

「あー、実は、疲れとるのに全然寝付かれんくて。」

小栄が僅かに目を逸らしたのを僕は見逃さなかった。

「だって広い部屋に一人ッきりやろ?よう寝れんわ。それで、誰か一緒に居ってくれんかな〜って、レナちゃんとかみはるんの部屋の扉ノックしてみたんやけどずぅーっと無視されて

「貴方なんてことしてるんですか、」

僕はゾッとした。そりゃ、開けるわけないだろう。殺しに来たと思われるに決まってる。

「ふふ、それで僕の扉に辿り着いたそうなんだ。突然のノックには飛び上がるくらい驚いたけれど、小栄くんを信じて開けて正解だったよ。だって、彼とお話ししていたらあっという間に夜が明けてしまったからね!」

「仲睦まじいことで
二人に警戒心はないのだろうか。ハートが純粋培養というか自然界では生き残れなそうな人たちだ。

「あ、せや。徹くんはお料理できるん?」

小栄くんがすぐ話題を逸らした。料理、か。それだけで今後の展開が読めてしまった僕はきっぱりお断りを入れる。

「いえ、全く。」

「奇遇だね、僕も不得手なんだ!これから小栄くんと朝食を作りがてら、料理を教えてもらおうと思っているのさ。君も一緒にどうだい?」

「手伝いたいのは山々ですが、あいにくグラスより重いものは持てませんので

「大丈夫大丈夫、俺らもついとるで!」

「誠に申し訳ございませんが、飲食と簡単な受け答え以外、此方は何も致しかねます。その先は有料サービスです。」

僕は笑顔で遠慮しつづけた。
昨日の天探お嬢もそうだが、ボランティアじみたことを強要されるのは困る。夜な夜なクラブを訪れる姫たちは僕と喋るために数十万も払うのに、「タダで朝食作りを手伝え」だなんて……こんな仕事を承ったら僕の価値が揺らぐし、尽くしてくださる姫にも失礼だ。

「食べ専やっとると太るで~?」
小栄くんがニヤニヤと笑い、僕のお腹をつつこうとするので阻止する。

「ふふ、寝不足も太りやすいそうですよ♡ というか、食堂開いてないんですか?僕らずっと扉の前で立ち話をしていますが、中に入ればよろしいのでは?」

僕はずっと気になっていたことを尋ねた。

「それが、入れないんだ。電子生徒手帳の校則をご覧。夜時間が終わるまで───つまり8時になるまで食堂と体育館は封鎖されているそうだ。」

「んで、俺らはこの辺をぶらぶらっとして8時まで待とうっちゅーわけや」

「はぁ、」

呆れた。つまり、わざわざ8時までここで待機して、みんなのために朝食を作って差し上げましょうというわけか。素晴らしきかな、仲良しこよしでタダ働きのお人好し。僕の大好物だ。ただし僕がそのお人好しになるのは絶対に御免なので、放っといて逃げることにした。

「そうですか。それでは僕は探索に戻りますので、ありがとうございました。」

僕は笑顔を保ったままそう言い切り、くるりと背を向けた。
彼らに付き合ういわれはない。

そのまま一番近くの倉庫の扉を開けて───

「!」

入れ違いに、清忌さんとぶつかりそうになった。

反射的に「すみません」と口が素早い謝罪を述べるのと同時に「デカいな」という感想が脳裏をよぎった。
背丈が僕よりも高いんじゃないか?夜を闊歩する厚底靴の女たちは、この身長が喉から手が出るほど欲しいんじゃないか。

彼女の両手は、ワイヤレスイヤホンの入ったパッケージと、オーディオ端末と、吊り下げ式のロープを抱えて塞がっている。なので僕は扉を大きく開け、彼女が通るまで待った。朝っぱらからヨガの練習でもするのだろうか?流石、超高校級のダンサーはプロ意識が高い。

……。」

清忌さんの、蛇のように切れ長の目が僕を撫で、そのまま何も言わずに通り抜けていく。ロングブーツの踵の音は、だんだんと遠ざかっていった。