山城まつり
2025-06-02 22:09:16
41939文字
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suicidal/leniency Karte01:聖戦の幕開け

スーリニKarte01、サイト掲載の前にちらりと載せて みます
めちゃくちゃ長いんですけどほぼ書き直してまして、頑張ってるので読んでくださると うれしい すみません、煩悩です
以前より恐らく、手術シーンが大幅に分かりやすくなっていると思います!みんな大好き冠動脈バイパス術、よければ楽しんでいってくださいませ!!!!!!!(狂気)


5節 救済の約束



入院病棟。
ヴェルティ国立中央病院の入院病棟は、メインエントランスと医局、手術室、外来診察室や院内薬局、地域包括ケアセンターのある中央病棟に接する開放病棟の東入院病棟、閉鎖病棟の西入院病棟の二棟だ。東入院病棟は主に外科・内科・産科・小児科に関係する患者が入院し、西入院病棟は認知症や精神疾患を持つ患者が急性期病棟と慢性期病棟に分かれて入院している。近年までは閉鎖病棟は西入院病棟の一から三階までだったが、自殺未遂者の増加に伴って搬送される患者が増え、彼らは精神疾患疑いとして精神科急性期病棟に入院する事になり……それに応じて病床数を増やす事になったのだ。

しかし、それら自殺未遂者を増やしている原因が〈スアサイダル症候群〉によるものだと判明した今────〈スアサイダル症候群〉の腫瘍切除手術が終わった患者は開放病棟に移ってもよいという指示を病院長が下した。……ドロシーもまた、開放病棟に入院している。

ルミエールとクレマリーは東入院病棟に赴き、ドロシーの病室の前に辿り着く。僅かに開けられた廊下の窓からは陽光が降り注ぎ、長方形の光を落とす廊下は暖かい。ルミエールは深呼吸をして春を肺いっぱいに吸い込み、病室に入るべくノックをしようとして────。

「────はい、すみません……はい、そうです……ええ、本当にすみません……

部屋の中からそんな声が聞こえたので、右手を寸前で静止させる。……どうやら、電話中のようだった。ドアを数センチだけ開けてこっそりと中の様子を伺うと、黒髪をウルフカットにしてパーカーを纏った女性────ドロシー・アルベールが頭を何度も下げながら「すみません」と繰り返していた。その表情には恐怖の色がくっきりと映っている。

……仕事の話、でしょうか

そう小声で告げると、クレマリーも「頭を下げっぱなしだと疲労して当然だな……」とまた小声で返す。
ドロシーは何十回目かの謝罪の後にようやく電話を切り、大きな溜息を一つ吐いた。部屋に沈黙が満ちる。その重い空気とのしかかる不安を祓うように顔を上げ────その視線がドアの隙間から覗いていたルミエールと合った。

……先生?」
「あ。……あはは、バレちゃいました?」
「すみません、会社から電話がかかってきてしまいまして……。もう大丈夫ですのでお入りください」
「す、すみません……

その一言を受けて病室に足を踏み入れる。明るい日中の病室の奥、綺麗に布団が畳まれたベッドサイドに首を垂れる白い花が飾られている。スノードロップだ。控えめに存在を示しているそれに目を遣って、ルミエールは再びドロシーに視線を戻す。彼女は眉を下げて微笑み────そこでルミエールの背後に佇むクレマリーの存在に気付いて。その顔を見るや否や、彼女は活けられた待雪草まつゆきそうのようにばっと頭を下げた。

「あ、あなたが私の処置を担当してくれたクレマリー先生ですね!ありがとうございました……私の身勝手な行動で先生方のお手を煩わせてしまい申し訳ないです……
「頭を上げてくれ、謝られるのには慣れていない。……それで、どうして私の事を?」
「看護師さん達から聞いたんです。真っ白な髪の凄腕の女医さんが来た、と

ルミエールが「もうそんな噂が広まっているんですね……」とクレマリーを見遣る。彼女は表情を変えないままに「病院は閉鎖的なコミュニティだからな。噂など光の速さで伝わる」と答えた。凄腕の、というのを否定しないところに彼女を満たす自信が伺える。

「それで────先生方がどうして、私の病室に?回診、ですかね……?」
「ええっと、あなたのお話を聞かせてほしくて……。」
「お話、ですか?」
「はい、え……ドロシーさんのストレス、についてなんですけど……

どう言葉を選んだものか。
ルミエールは視線を泳がせて思案する。……自殺未遂を図った理由を教えてください、というのは単刀直入すぎるだろう。死を選ぶほどに追い詰められていた思いを、今の彼女は隠しているというのに────それを話せと迫られて吐露できるのか。
クレマリーから、ドロシーは責任感が強い女性だと聞いている。他者を思いやる力に秀でた彼女に、どうやってストレスの原因を聞きだすものか。
そう唸っているルミエールに代わり、クレマリーが唇を開く。そこから紡がれる言葉は、彼女が精神科医である事を疑わせるほどに直接的なものだった。

「市販薬のオーバードーズを行ったそうだな。隠す必要はない、否定するつもりはないからな。……その原因が『仕事によるストレス』というところまでは耳にしている。その詳しい話を聞かせて欲しいんだ」
「く、クレマリーさんストレートすぎますって……!」
「否定するつもりは無いと言っているだろう。どんな理由でも受け止めよう……そしてこれからどうすればお前が生きやすくなるかについて考えたい。私達医者は手術をしたら仕事が終了するわけじゃない、患者に向き合い……そしてより幸せに生きられるよう手助けをするのが本分だからな」

クレマリーの言葉を受けたドロシーは、暫し沈黙した。
彼女は俯き、肩をほんの僅かにすぼめる。その姿は、まるで言葉に形を与える勇気を胸の奥で探しているようにも見えた。
頬に垂れた黒髪が陽の光を弾いて、淡く仄かに揺れる。その艶やかな髪の下で、同じ黒を宿した瞳が翳っていた。どれほどの苦悩を、飲み込んできたのだろうか。どれほどの苦痛を、忘れようと努力してきたのだろうか。……それを想像する事しか、今のルミエールには出来なかった。

────彼女は、何でも一人で抱え込む節があるのだろう。
ルミエールは先程医局でクレマリーと交わした会話を思い出しながら、そう思案する。
謝罪を繰り返す姿、誰にも迷惑を掛けまいとするような言葉の数々。それは、誰かの期待に応えようとして、自分を切り崩してきた証に思えた。
もしかすると、「相談する事」そのものが、彼女にとっては〝甘え〟と同義なのかもしれない。他人に助けを求める事が、己の弱さを晒す事のように思えて。他人に縋る資格が無いと、救われるべきでないと、そう悪魔が囁いてくるように思えて。

……けれど、それでも。それでも彼女は、話そうとしている。
ルミエールの目には、ドロシーが唇を小さく噛み締め、胸の奥に仕舞い込んできた何かの鍵を開けようとする姿が映っていた。
クレマリーの言葉が、彼女の心に届いたのだろうか。

────どんな理由でも受け止めよう、否定するつもりは無い。

その真っ直ぐな宣言に、何処かほっとしたような気配が彼女の背から漏れたように感じられた。

「少しずつで、構いませんから」

そう一言添えて、そっと彼女を見守る。
やがてドロシーは、肺の奥からゆっくりと空気を吸い込み────そして、今にも消えてしまいそうな細い声で口を開いた。

……私は昨年の十一月からロザージュ……雑誌の出版会社に勤め始めたばかりの新人です。今が三月だから……まだ四ヶ月といったところですね。でも……

でも、会社があまりにしんどいんです。
その声は、震えていた。
けれど確かに、そこには彼女自身の想いが在った。

「上司のセクハラとかモラハラが酷くて、会社に行くと……いえ、会社の無い日も電話がかかってくるんですけど、その、暴言を吐かれたりとか。伝達ミスや発注ミスとか、そういうのも多いのですが、それらは全て私達平社員の責任にされます。聞いていないお前達が悪い、と……それが上司の言い分です」

震える声で言葉を繋ぐドロシーの手が、パーカーの裾をきつく握り締めている。細い指先が赤を超えて白くなるほど、そこには力が籠っている。クレマリーはそれに対して何も言及せず、ぽつりと落とした。

「ロザージュは『全ては最高の雑誌を作るため』と謳っているそうだが……その内部でそんな事が起きているとはな」
「きっとどこの企業も同じですよ……。読者第一なのは確かですが、私達平社員の人権は無いも等しいです。上司があんな調子で最高の雑誌なんて作れる筈もありません。だから……私達は残業に残業を重ねてなんとか雑誌のクオリティを保っている感じで……。まぁ、それもお偉いさんの指示なんですけどね、あはは」
「成る程な……給料や休暇に関しては?ロザージュは『福利厚生がしっかりしている』と言われているが」
「休暇は週休二日です……が、休日も出勤が暗黙の了解になってますね。特に私達新人は休むな、と。私は四ヶ月働いて、そのうち三ヶ月間連続出勤していました」

淡々と語るドロシーの声に、ルミエールの胸が締め付けられる。

「給料もヴェルティの国の水準ギリギリ……いやひょっとすると低いかも、という感じで。残業手当が出ないんですよねそれがかなり痛いです」

彼女はそう言って、自分の手を見つめた。細くて繊細なその手が、いくつもの暴言とプレッシャーに耐えながら仕事をこなしてきたのかと思うと、胸が詰まった。

……なんて、酷い職場だ。
言葉にならない。医療現場もハードだと分かっている。自分達とて例外ではない。けれど、それでも限度というものがある筈だった。
クレマリーは「そうか……辞めようとは思わないのか?」と問う。それに対し目の前の彼女は苦笑いしながら答えた。

「入って直ぐに辞めるなんて非常識だ、と一度上司に怒られてしまって。その時に『応援しているご両親に対して恥ずかしくないのか』とも言われまして……

ドロシーは言いづらそうに唇を引き結ぶ。

「うちの両親は父親が厳しくて。それでもロザージュへの就職は二人とも応援してくれていたんです。だから、辞めるなんて……

────父親に顔向けできない、と。
それが彼女を縛っていた。誰かの期待、家族の目、他者からの評価……それら全てが、彼女の足に纏わりつく枷となり、重たく縛り付けていたのだ。
ルミエールは、掛けるべき言葉を見失っていた。
自身だって、医療の現場が決して楽な場所でない事は痛いほど知っている。残業は当たり前。命を預かる責任の重さに、押し潰されそうになる事もある。
……それでも、この仕事を辞めようと思った事は、一度も無かった。

(どうして、僕は医者になろうと思ったんだっけ……

彼女を眼前にして、その想いが脳裏に浮かぶ。
思考が時間の輪を描くように廻り、気付けば彼の記憶の奥底で、降り注ぐ雨の音と、救急車のサイレンが唸っていた。

『────緊急患者です!腹部損傷、腹腔内出血が疑われます!』
『こちらの男性は肺挫傷と心筋梗塞の疑い!早く手術をしないと命に関わります!』

……ノイズ交じりの記憶の中で、そんな声が聞こえた気がした。





あれは、初夏の雨の日。じっとりとした湿気の中、車の中は空調が効いていて快適だった。寧ろ、少し肌寒いくらいだったか。助手席の少年だった彼は、ほんの少しの眠気を感じ、涼しい世界を享受していた。
サラリーマンをしている父親と一緒に映画を見に行った、そんなよくある温かな記憶。日常のワンシーン。

それは、突如として悲惨な思い出に変わる事になる。

突然、胸を押さえた父の身体がハンドルに沈み込んだ。不幸な事に────アクセルを踏んだまま。制御を失った車は車線を越えて隣車線へと滑り込み、他の車を巻き込んで……そこからの記憶は朧げだ。
ルミエールの視界は、粉々になったフロントガラスと歪んだ金属の景色で塗り潰された。

気付けば、病院だった。
酸素マスクが自身の息で曇る様子を見て、生きている事を思い出す。
頭がずきずきと痛んだ。何か大切な存在を忘れている気がして、それが怖くて目を瞑る事が出来なくて、看護師達が慌ただしく動く病室を、ただただ眺めていた。ぼんやりと聞いていた記憶を、医学生になってからなぞって新たに知ったのは────自分達の身に起きた、全てだった。忘れかけていた存在は、大切な、唯一無二の父であった。

父親は心筋梗塞を引き起こしていたうえに肋骨の複雑骨折による肺挫傷はいざしょう
ルミエールは首を強打した事による呼吸障害と、肋骨の下部が骨折した事による腹腔内出血に見舞われた。事故現場を見た第三者の通報により二人は緊急搬送され───そして、かろうじて一命を取り留めた、という一連の事故。

……僕は、助かったの?お父さんは、助かるの?』

不安を隠すように聞けば、看護師は決まって言葉に迷った。子供ながらに気付いていた……父の容態は、最悪に近かったのだと。後から知った事だが、父親は一度心肺停止に陥り、術後も意識が戻らなかったという。

『君のお父さんは今、こっちに戻ってこようとしているんだ』

医師の一人がルミエールにそう言った。それでも信じられなくて、震える声でもう一度、「お父さんは助かるの?」と聞く。……医者は、静かに───だけど決意を込めた声音で告げた。

『ああ、大丈夫────私が助けるよ、絶対に』

医師は迷わず、そう言ったのだ。
今になって思えば、「絶対」など医療現場で使うべき言葉では無かったのかもしれない。医療において「絶対助かる」と確信を持てるケースは無い。どの患者も、多かれ少なかれ急変するリスクを抱えているのだから。
けれど、あの時の彼には、それがどれほど心強かったか。

数日の後に、父と生きて対面した時に感じた、心からの安堵。
そして一言では決して言い切れない、医師達への心からの感謝。
抱き着いた彼の胸には、確かに生命の証が規則正しく拍動していた。その温もりを、鼓動をこの手で確かに感じた記憶。それは今でも、忘れる事は無い。

命を救われるという事がどういう事かを、その時知った。
それが、己の中の────。

……だから、僕はこの仕事を選んだ)

あの医師のように、誰かを救いたい。
絶望の中にいる人の手を取って、希望の場所へと引き上げたい。

────それが、ルミエールが医師を……それも外科医を志すようになった理由だ。
医師になるのは昔からの夢で、今も昔も想いは何一つ変わってはいない。厳しい仕事だと、分かっている。それでもこの仕事を辞めようと思った事は一度も無い。だから……仕事に追い詰められ、辞めたいと嘆くドロシーに、どう声を掛けていいのか分からなくて。
「あの、」と円環を回る思考を振り払ってドロシーに声を掛けようとした────その刹那。

ポケットの通信機が振動した。
それと、ドロシーの携帯電話に電話の着信があったのは同時だった。

『六十三歳男性、心筋梗塞です!緊急オペが必要です、今すぐ来てください!』
「もしもし……母さん?────えッ、父さんが倒れてこの病院に運ばれてくる!?」

通信機越しの指示と、ドロシーの叫び。
クレマリーとルミエールは顔を見合わせる。

……偶然じゃない、ですよねこれ」
「ああ……ドロシー、父親の年齢は?」
「え……?確か、六十三……

クレマリーが表情を引き締め、小さく頷いた。

「決まりだな。お前の父親は心筋梗塞で運ばれて来るらしい。今から私達でオペを行う」
「心筋梗塞ッ!?あのッ、父は、助かるんですかッ!?父さ────父は以前も心筋梗塞が起きて、その……それなのにまた再発するなんて……ッ」
……

悲痛に問うドロシーに、ルミエールの中で何かが呼応した。
……昔の自分と同じだと、そう彼女を重ねた。
かつての自分と同じように、必死に父の命を案じるドロシー。
けれど、今の彼は「助けてください」と祈る立場ではない。
努力を重ねた。知識を培った。そして、経験を得た。
あの頃と違うのは……今は、自分が救う側だという事だ。
だからしっかりとドロシーの両手を握り────答える。

「────大丈夫です。僕達が、助けてみせます……絶対に」
「先生……

その言葉には、確かに力が宿っていた。ルミエールは白衣の裾を翻し、クレマリーに向き直る。

「クレマリーさん、行きましょう。手術室は……
「第三手術室だそうだが、まずは救命救急センターだな。行くぞ」

二人の医師は病室を後にし、真っ直ぐ廊下の向こうへと消えてゆく。
病室には、彼等が巻き起こした風の名残と、窓から差し込む春の光だけが残された。
ドロシーはルミエールの温もりが残る掌を見遣り、もう一度握り締め、深く祈る。

彼等なら、きっと助けてくれる。
────そう、ひたむきに信じていた。