山城まつり
2025-06-02 22:09:16
41939文字
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suicidal/leniency Karte01:聖戦の幕開け

スーリニKarte01、サイト掲載の前にちらりと載せて みます
めちゃくちゃ長いんですけどほぼ書き直してまして、頑張ってるので読んでくださると うれしい すみません、煩悩です
以前より恐らく、手術シーンが大幅に分かりやすくなっていると思います!みんな大好き冠動脈バイパス術、よければ楽しんでいってくださいませ!!!!!!!(狂気)


3節 〈スアサイダル症候群〉



「───点滴入りました!」
「血圧上60、下測れません!」
「私が傷口の止血を行う、ルミエールは胃洗浄を!」
「わ、分かりました!」

規則正しい電子音が室内を占めている。看護師が静脈ラインを確保して輸液の大量投与を行い、クレマリーは左手首の方に回って止血を開始した。左手首に引かれた縞模様から、緋色が絶え間なく零れ落ちている。搬送されてなお血液は体外へと流れ出ていて、その傷の深さを雄弁に語る。ルミエールは少し慌てながら、それでも近くにいた看護師から胃管を受け取った。
少し痛いですよ、頑張ってください────そう声を掛け、腕を下にして左側を下にした横向きで寝た状態左側臥位ひだりそくがいの患者の気道を確保しながら胃管を挿入。気管支に迷入せず胃まできちんと入った事を確認すると、胃に残存している薬剤の吸引を開始する。ごっ、と濁流が管に呑み込まれて音を立てていた。

オーバードーズを行った患者にすべき処置は、「体に成分が吸収される前に取り除く」事だ。輸液で体内を洗い流して、薬剤で排出を促して、そして胃の内容物を取り除く。
まだ助かる。まだ助けられる。まだ────。それはルミエールのエゴなのかもしれない。だが彼は芽生える不安をぐっと飲み込んで目の前の命に対峙する。助ける為に。彼女に救済を齎す為に。それは「死による仮初の救済」ではなく、真の意味での救済だ。
次第に、胃管に流れ込む液体は量を減らしていった。ルミエールは忘れかけた呼吸の仕方を思い出して、ひとつ息を吐く。

……よし、吸引は終了……!次は……
「洗浄だ、生理食塩水は温めてあるか?」

圧迫しているガーゼを一度離して傷口の確認をしながら、クレマリーはルミエールに指示を出す。「38度に温めてあります!」と看護師が生理食塩水と洗浄用注射器をルミエールに渡し、彼はそれを流れるように受け取った。
ゆっくり、ゆっくりと注入する。口腔内に流し込まれた水は胃を優しく洗い流してその姿を濁らせて。それを注射器で陰圧吸引を行なって体外に出し────これを、排液が無色透明になるまで繰り返す。
注いで、出して。注いで、出して。注いで……
200から300ミリリットルの注入・排液をおよそ────十回。
注入を繰り返すたびに血圧が微弱に上昇する。それはバイタルの回復を示すサインであったが、同時に体内に塩を注入した影響である高ナトリウム血症の予兆でもあった。ブドウ糖液を流し込みながら様子を見る。モニターは、変わらず緑のランプを灯し続けていた。

注入する生理食塩水の量が2Lに達する頃には、排液は澄んだ己自身の色を思い出していた。ルミエールは小さく「よし」と呟いて────その額に、汗がじわりと滲んでいる。

管を抜いた彼女の体内に、今度は活性炭と緩下剤が投与される。これは危険な薬剤の成分を吸着して、外に排出する為に入れるものだった。
────これで、少し持ち直してくれたらいいのだけれど。
頭の中で処置の流れを思い返して、何も忘れていない事、やり残していない事を確認する。大丈夫。きっと大丈夫。まだ吼え続けている鼓動を抑えながらモニターを見遣った。白いゴシック体の数字、その十の位がひとつ持ち上がっていた。

「───血圧上83、下51……少しずつ回復しています!」
「よ、かったぁ……

どうやら、処置は正しく機能して、体内を蝕む異物から彼女の命を守る事が出来たらしい。浅かった心拍も、血圧も────緩やかに回復の兆しを見せていた。ほっと胸を撫で下ろす。途端に足から力が抜けて、がくんと膝が啼いた。それを横目で映したクレマリーが「まだ手術は終わっていないぞ」と叱ってくる。すみません、と謝って、ルミエールは彼女の術野に目を遣った。

クレマリーは、止血を終えて深い傷の部分の縫合を始めていた。その手腕に、思わず息を呑む。

────速い。それに、物凄く正確だ……
縫合は手術の基本だ。ルミエールも何度も練習を繰り返しているが、丁寧さを意識すると遅くなり、スピードを意識すると雑になる。しかし、それをクレマリーは────まるで「手元を見なくとも出来る」と言わんばかりのスピードで、それでいてミシンを用いたように綺麗に皮膚を縫い合わせていた。まるで、神業だ。時の流れも忘れて、ルミエールはそれに魅入った。
……不意に、縫合中のクレマリーと目が合った。彼女は一瞬手を止めると、再び視線を落としてハサミで糸を切る。そしてもう一度ルミエールの方を見ると、表情を変えずに淡々と告げた。

……ルミエール、安心するのはまだ早い。手術は終わってないんだからな」
「え……?だ、だって胃洗浄も傷口の止血も終わったんですよね……?他に何が、」
「寧ろここからが本番だ。これを見てみろ」

そう言いながらクレマリーは患者の女性のシャツに手を伸ばすと、するりとそれを脱がせてしまう。な、何をやってるんですか────!そう言いながら裸体を見まいと両手で顔を覆うルミエール。暗闇の視界の中、クレマリーの声が飛んでくる。

「ルミエール、ここだ……心臓部を見てみろ」
「な、何を言って───」
「いいから早く」

……もう!何を言っているんですかあなたは────そう思いながら半ばヤケになって瞳を開き、患者の胸部を視界に映す。漆黒から白銀に移り変わる世界。白い陶器のような肌。そして、そこにある異物を────ルミエールは、見てしまう。

………え?」

ぼこり、と胸骨の中央の皮膚が不自然に腫れ上がっていた。違う、「腫れ上がる」という表現は正しくない。皮膚自体は腫れてなどいない……正確には、皮膚の下にある「何か」によって、胸部の皮膚が強く持ち上げられていたのだ。これは、一体────?
ルミエールは混乱しながらクレマリーに視線を投げかけた。口から漏れる困惑は僅かに震えていて、上ずったメゾソプラノだった。

「な……なんですか、これッ、何らかの感染症ですか!?」
「その見当は遠くない、といったところだな。……ルミエール、ヴェルティで年々自殺者が増えているのは知っているな?」
「知って、ますけど……それがこの患者と何の関係が、」
「最後まで聞け」

クレマリーはそう彼を咎めると、一度瞼の下に瞳を隠す。次にそれを開いた時、彼女の白い睫毛の下で揺れる双眸は、忌まわしき記憶と後悔と、憎悪の色を強く孕んでいた。
厳かに、彼女は告げる。
死神の存在を、ルミエールの本当の〝使命〟を────彼女は告げる。

……この国には、〈病魔〉が蔓延っている。病魔とは人に取り憑くようにして或いは囁きかけるようにして感染し、精神を蝕む新型の病の事だ」
「病魔……
「そして───この国ヴェルティで流行している病魔こそが、人に希死念慮を抱かせ……思考能力を奪って自殺へ導く死神。その名を……〈スアサイダル〉。この患者もそれに感染していたという事だな。〈スアサイダル症候群〉に感染した患者は体のどこかに宝石のような腫瘍が形成される……この胸部の違和感こそが、その証拠だ」
「うそ、でしょう……

初めて聞く病気だった。
まさか、この国ヴェルティを衰退させていたのが、新型の病だったなんて────!

「そんな病が、本当に、」
「実際に今までで数例以上、自殺者の体内から鉱石の腫瘍が出てきている。この病は間違いなく存在する」
「そんな────」

……医学書に載っている病気なら、研修医時代に調べた。有名な病気なら、手術を執刀できる自信はなくとも治療法を頭に入れてある。けれど……知らない病に侵された患者を眼前にして、それなのに自分は病の事を何も知らなくて────。

感染者を、自殺に導く病?そんなものが、そんな邪悪が、存在していていいのか。そんな脅威が、この国に蔓延しているというのか。

日々増え続ける自殺者。国を染める緋色。そしてそれは、死神が下した審判で。

病魔〈スアサイダル〉。自殺の名を冠した、死そのもの。
人智を超えた、幻想の病。

……怖い。どうしよう。何だその病気。治療法はあるのか────?
真っ白になった頭で救いを求めるようにクレマリーを見上げる。それに対し彼女は「安心しろ」と力強い声で告げた。思わず喉が、ごくりと鳴った。

「治療法ならある……〈スアサイダル症候群〉の治療は外科手術による腫瘍の切除だ。腫瘍がある限り、患者は抱く必要のない希死念慮に苛まれる────が、腫瘍を切除してしまえば正常な思考が出来るようになる。〈スアサイダル〉は人の心の弱い部分に付け込んで感染させる病魔と院長から聞いている……故に、オペが終わっても心理治療をしなくてはならないがな」
「腫瘍の切除……そ、それで、患者は助かるんですか……ッ!?」
「あぁ……助かる可能性はぐんと上がるだろうな。この患者の場合は……心臓に腫瘍が形成されているのだろう。自殺行為を決行したくらいだ……腫瘍はかなり成長している。だがこれを取り除けば、オーバードーズを行った頃よりは気持ちが楽になるだろう」
「心臓……

────心臓手術は、高い技術力が求められる。
心臓は生命維持に必要不可欠な臓器だ。その手術の失敗……それは即ち死を意味する。……今の自分には、一人で出来そうもない。この場に居るのは、僕と彼女だけだというのに……
だが、どうやらそう不安に駆られているのはルミエールだけのようだった。クレマリーは「麻酔を入れるぞ」と看護師に指示を出して麻酔を注入すると、直ぐに顔を上げた。人形のような無機質な顔立ちに、救済への希望が宿っている。

「只今より、〈スアサイダル症候群〉のオペレーションを行う────メス。」
「はい」
「く、クレマリーさんッ、僕達二人では無理です……ッ!ベテランの先生を呼びましょう……!」
「無理じゃない、出来る……私を誰だと思っている?リューデン医学界────そして精神医学界の第一人者、Dr.リズベルトの一番弟子だぞ。大丈夫だ……私が、必ず助ける。」
「Dr.リズベルト……?」

聞いた事があった。いや、聞いた事があるなどというものではない。
ルミエールは、彼を知っている。

リズベルト・ゴッドフレイ。
隣国リューデンが医学の中心地と呼ばれるようになるまで医療に貢献した名医。かの国が進む未来を照らした道標みちしるべ。そのオペレーションは最早芸術。至高の領域まで磨き上げられた技術に、医師や医学生達の多くが憧れを寄せている。勿論ルミエールも、一人の外科医として医学生時代から彼に憧れていた。
そのリズベルト先生の一番弟子が、まさかクレマリーさんだなんて……ッ!

クレマリーは看護師からメスを受け取ると、流れるような動作で開胸を行った。胸骨上部から真っ直ぐにメスを入れ、皮膚を切開する。途端に深紅が線を染めて、彼女のメスを迎え入れた。深く侵入した細い指に握られた正義が中央にある胸骨を縦に二分する。湿った音と共に開かれた胸部、そこに開胸器を当てて胸骨を左右に広げ、術野を作り────。。
……熟練の心臓外科医に並ぶほどの腕だった。
その速さと正確さに唖然としていたルミエールを、クレマリーがそこで呼び止める。

……ルミエール、見ろ────これが腫瘍だ」
「え────あッ!」

心臓部を覗き込むと、そこには心膜に張り付くようにして形成された鉱石のような異物が、水晶のようにキラキラと無影灯の光を反射して生えていた。おおよそ人体に形成されるとは信じ難い腫瘍に、ルミエールは思わず息を呑む。光を散乱させるクリスタルは体内に虹色をばら撒いて、ひたすらに自身の存在感を押し付けていた。

これ、が……〈スアサイダル症候群〉の腫瘍
「心膜もぼろぼろだ心臓に刺さっていないのと、胸骨にヒビが入っていないのだけが救いだな」
「えと、クレマリーさん……これ……切除出来るんですか……?」
「当たり前だ。オンビートで行う」

クレマリーはそう言うと視線を術野に戻し、ハサミやセッシを持ち替えながら腫瘍を臓器から剥がしていく。腫瘍を削り、持ち上げ、電気メスで組織から剥離して。じゅう、と煙がひとつたなびく度に腫瘍の欠片が持ち上げられる。その速さと正確さは、まるでドラマのワンシーンを見ているようで────。
「速すぎる」と隣でバイタルチェックをしていた看護師がそう漏らす。一定を保つバイタルの音が1を数える間に、クレマリーの腕は緋色のドレスを纏ってワルツを踊る。手術室の空間が、彼女に支配されていた。

……何分が経過しただろう。ものの数分だったのかもしれないし、何時間か経過したのかもしれない。無言のまま腫瘍に向き合っていたクレマリーは器具を置き……両手で体内からクリスタルの結晶を持ち上げた。からん、と器具が金属のトレーの上で跳ねて、そこでようやくルミエールは此処が現実なのだと思い出す。
彼女の掌《てのひら》に収められた「それ」は拳大ほどの大きさで、しっかりと見るとやはり鉱山で採掘される鉱石のようにしか見えなかった。
クレマリーは「それ」を一同に見せるとトレーの上に置き、ぼろぼろになった心膜を素早く縫合し────。

……これで、一件落着だな」
「えっ、まだ閉胸してないじゃないですか!」
「ふっ、後はお前の仕事だ『執刀医のルミエール』」
「こ、ここまでやって後は僕に任せるんですか⁉」
「見ているだけじゃつまらないだろう?」

何か問題でも?と首を傾げるクレマリー。
この人、最後までやるのが面倒になったのでは────?
先程尊敬していたのが嘘のような思考が脳裏を過ぎる。いや、まさか。きっと僕に経験を積ませようとしてくれているんだ。首を横に振って、駆け抜ける邪念を追い返す。
ルミエールはクレマリーと位置を変わって、ゆっくりと右手で患者の胸部に触れる。胸腔内、心臓が位置する胸の空洞。その上側に位置する胸骨をステンレスワイヤーを用いて閉鎖し、彼は続けて糸を取った。
ゆっくりと皮膚に針を埋めて、持ち上げて。
再び刺して、くるりと円を描いて。
先程クレマリーが起こした奇跡的な処置に比べると、遅くてとても美しくなどない。それでも彼は懸命に命に向き合う。誰も笑いやしなかった。咎めやしなかった。
細い糸が結ばれて、塞がれた胸部は静かに上下している。
横たわる女性の表情は、心なしか少し和らいでいた。

……こうして、ルミエールとクレマリーによる初の手術は成功に終わった。

「手術中」のランプが消える。
青白い室内が、闇に閉ざされる。
時刻は、夕刻を回っていた。
薄暮の空の下、まだ寒さを覚える弥生の月半ばで────一つの尊い命が、救われたのだった。