佐藤
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P4 chapter2:油断大敵

4月頃の話。うっかり事件に巻き込まれる(全11話)


07.送り狼にすらなれない

………ヒルコ、ね」

三琴は頭の中に優しく流れこんできた名前を確かめるように呼んだ。目の前の異形は先程対峙した怪物の面影こそあれど、その表情は酷く穏やかだった。
水色の長い髪はさらりと靡いて、清流を思わせる美しさ。落ち着いた白色の狩衣と黒色の烏帽子がどこか気品を感じさせるが、背後に携えた釣竿が活発さを醸し出している。青白い頬や袖から覗く手足には鱗のような模様が付いていた。

異形――ヒルコは、名前を呼ばれると薄く微笑んで柔らかな光となり、ふわりと溶けるように三琴の身体に重なって消えた。
三琴は自分の身体になにか暖かなものが満ちていくのを感じた。その心地良さに思わず脱力してふらりとよろめくと、足立が慌てて抱きとめた。

「ちょ、ちょっと、大丈夫?」
「なんのこれしき……

あせあせと労いの声をかける足立にそう返すが、うまく立ち上がれない。
それに全身が気だるいし、なんだか頭もぼんやりしてきた。

「あーあー……ったく、どうすんの、なんとかなったのは良いけど出口は――

呆れた様子で言いながら足立が顔を覗き込んできたところで、三琴はふわりと身体が浮くような感覚に襲われた。
さらに、ふかふかとして気持ちいい手触り。思わず微睡んでしまいそうだ。

「うわ!?ちょ、今度は一体何っ………!?!?」

足立の酷く驚愕した声が聞こえたが、三琴はもはや強烈な睡魔に打ち勝つことはできなかった。



今日はもう、さっさと寝よう。

自分の住まいである小さなアパート、その自分の部屋――の隣の部屋のドアを目の前にして、足立はすっかり疲弊しきっていた。身体がだるくて仕方ない。すうすうと穏やかな寝息が耳元に聞こえてちらりとその息を吐いている主の様子を見れば、あどけない寝顔を晒していた。

「人の苦労もしらないで、呑気に寝ちゃって……まぁ……。」

足立はぼそりと悪態をついた。

突然寄ってきたわけのわからない生物達――鉄球につながれたライオンのような奴や厳つい顔をした二足歩行の牛のような奴、それにゆらゆらしているパンダのぬいぐるみやふわふわしているチョウチョの群れやヒゲを蓄えた小さい王様――に否応なく背中へ乗せられ、どこに連れて行かれるかと思えば着いた先はテレビに落ちて初めに居たところ。
なんでここに、と足立が思っているのを尻目に、一行を先導していた王様が持っていた杖で床をトントンと叩くどこからともなくレトロな箱型の赤くて大きめなテレビが現れた。どんな手品だ。思わずそうツッコみたくなったが人間の言葉が通じそうな気がしなくて足立は大人しく黙っていた。

それから二足歩行の牛は足立を降ろすと、道を譲るときのような仕草をした。その先にあるものはテレビだ。

行け、ってことか。
そう解釈して、少し疑念が生じないでもなかったが、三琴と彼女を乗せたライオンの方を見てみると、他三体が彼女の頬に擦り寄っている。別れを惜しんでいるというところだろう。ライオンを見ても目の前の牛男を見ても、不思議と悪意は感じられなかった――というより、その見た目に不相応なくらい丁寧な扱いからは敬愛されている気さえした。

かくして足立はライオンから三琴を降ろして背中に担ぐと、テレビに手を掛け身を乗り出した。

ここまではいいだろう。

しかし、本当に骨が折れたのはむしろテレビから出た後だ。

「引っ張っても揺すっても起きないとか、どんだけ熟睡してんのさ……

はぁ、と足立は深く息を吐き出す。
戻ってきた先は最初三琴を通した取り調べ室で、やはり相変わらず人の気配はないし時間もそれほど経っていないようだったけれども、そこからアパートまで運び出すことの厄介さといったらなかった。三琴はまったく起きないし、気配がないとはいえ人自体はいるものだから人目につかないようにしなければいけないし、こんな時に限って車は遠くの駐車場だし、正直人一人担げば当然重いし。
そうして様々な苦労の末ようやく着いた時は、安アパートが天国にさえ見えた。
階段を登る足は既に重たかったが、あと一息、というところで足立は最後の問題に辿りつく。

そういえば、この子どうしよう。

(いつ起きるかわからないのに、僕の部屋にってわけにもいかないしなぁ)

幸いというべきか、今のアパートの住人は足立と三琴の二人だけのようなので(足立が引っ越してきたときは音も何も気にしなくていいから天国のようだった)ご近所の目を気にする手間はなかったが、起きたときに万一あらぬ誤解を掛けられても困る。
暫く部屋のドアの前でうーんと唸った末、足立は三琴を背負ったままゆっくりと屈んで、落とさないように気をつけながら廊下に降ろした。ぺたりと座り込んだ三琴の顔を覗き込んでもやはり目を覚まさない。足立はほとんど呆れながらも壊れ物に触れるときのようにそっと少女のスカートのポケットへ手を伸ばした。

……ちょっと失礼」

おそるおそる中を探って束の間、指先に硬くて小さな感触を引き当てて、足立はほっと息をついた。ビンゴ、と心のなかで呟いてその感触に指を絡ませポケットから取り出す。何の変哲もない、よくある鍵だ。
以前少女が川に落ちたときのことを思い出しつつ、足立はそれを眼前のドアの鍵穴に挿した。

再び少女を担ぎ上げて入った先の部屋をぐるりと見渡すと、いつかクレーンゲームで取ったものの他にも、色んなぬいぐるみが置いてあった。これらも景品なのだろうか。

どこか大人びたイメージがあったのだけれど、結構年相応に可愛いものが好きなのかな。

そんな風に思いつつ寝床を探すときちんと畳まれた布団を見つけたが、広げるのは流石に面倒だったのでそのままその上に降ろした。支えを失った身体は重みに従ってころりと横になる。
よく起きないなあと半ば感心しながら足立は無意識に布団のすぐ横へ腰を下ろした。
何となくちらりと少女を見下ろせば、柔らかな寝具が気持ちいいのか、幸せそうな顔をして眠っていた。
その寝顔を見つめて、足立は徐に目を細める。

――これからまさに殺されるって極限状態に置かれてるのに、咄嗟に相手のネクタイ掴んで道連れにするような、あんなに強かな女だとは思わなかった。

あんなに頑固で、強がりで、でも弱々しくて、それでいてはっきりと物を言い、こんなに無防備な姿を晒すなんて、思いもしなかった。

この子のこと、思ってたより、よく知らない。

……ま、色々聞くのは、起きてからにしてあげようかな」

ぽそりと呟いて三琴の髪をそっと撫でると、足立はゆっくりと腰を上げ、音を立てないように気をつけながら部屋を後にした。


<了>