09.ほつれた結び目
(
………まずい)
三琴は危機に瀕していた。
「あら、平和島さん、どうしたの?」
掛けられた声にびくりと肩を揺らす。ややぎこちない面持ちで振り返ると、そこには家庭科担当の女性教師が立っていた。
いま、実習室には彼女と
三琴の二人きりだ。
静まり返った空間の中、
三琴は重たい口をなんとか開いた。
「いやー
……ちょっと、針と糸忘れちゃって
………」
「あらやだ、そうだったの
…気づかなくってごめんね。でも、今度からはもっと早く言うのよ?」
頬を掻きながら困ったように言うと、教師はぱたぱたと小走りで隣の部屋
――準備室へ駆けていった。それから間もなくして小さなソーイングセット片手に戻ってくる。人のよさそうな笑顔を浮かべて教師はそれを
三琴に差し出した。
「はい、これを貸してあげるから。先生ちょっと用事があるから行くけど、できたら教卓の上に置いておいてね」
そう言うと教師はまた小走りで出て行く。
誰もいなくなった実習室で一人、
三琴は盛大に溜息を吐いた。
(できたら教卓の上に、ってことは、持ち帰らずに今やれってことだよなあ
……)
手で顔を覆い、指の隙間から目の前の机上に置かれたエプロンとスクール水着、それにネームワッペンを見下ろして、
三琴はひたすら憂鬱な気分になる。
なぜなら、彼女は裁縫が滅法苦手だったのだ。
「玉止めってどうやったらできるんだよ
………」
ぼそりとぼやいてもそれに応えてくれる人はいない。教師もすぐに帰ってくる気配はない。
暫くして誰か教えてくれそうな友人を探しに行くかと仕方なく諦めの念を抱きつつ
三琴が席を立とうとしたとき、ガラリと実習室の扉が開く音に教師が帰ってきたのかと思って
三琴は振り向いた。
しかし、そこにいたのは教師ではなく、学ランを羽織ったヤンキー風の男だった。
「あ、あァ
……!?」
(あれ、完二くん、今はまだ学校に来てるのか)
素っ頓狂な声を上げた男の強面をじっと見つめ、怯むこともなく
三琴はそんなことを考える。
たしかゲーム上では入学してからほとんど学校に来てないって話だったような、と
三琴がぼんやり思い出していると、男
――巽完二はどこか上ずった調子の声ながらもぎらりと眼光を鋭くした。
「んだテメェ、こ、ここここんなトコで、何やってんだよ」
「ん、あー
……えーと、その、課題が終わらなくて?」
「課題だぁ
………?」
「ネームワッペン、エプロンと水着に付けろってやつ。恥ずかしながら私、玉止めができないんだよねえ
………」
間延びした口調でそう言いながら
三琴ははぁっとため息を吐く。
こうしているうちにも作業は一向に進んでいなくて、きっと教師が帰ってくるまでには終わらないだろう。なんてことだ。
三琴がそう悲観して机に突っ伏していると、チッと小さな舌打ちが静かな部屋に響いた。
「
……オラ、ちょっと貸してみろ」
*
「おぉ
……!裁縫得意なんだね、ありがとう。また頼んじゃおうかな」
「ふん、玉止め程度で得意なんつったら世話ねぇっての。まぁ、どうしてもっつーなら教えてやってもいいけど、」
丁寧に縫いつけられたネームワッペンを見て
三琴は感嘆の息を吐いた。
それに釣られてか完二もどこか嬉しそうな声をしている。
するとそこへ。
「あれ、平和島さん
……に、巽
………?」
「あァ
……?」
僅かに頬を赤らめ顔をそらしている完二の横で
三琴がネームワッペンのついたエプロンと水着を交互に見たり裏返してみたりしていると、がらり、と実習室の扉が開いて女子生徒の顔が覗いた。
女子生徒は焦ったような顔で、完二と
三琴を代わる代わる見比べている。
三琴がようやくエプロンと水着から女子生徒の方へ視線を移すとちょうどばちりと噛みあって、女子生徒はおろおろとした声を出した。
「何してたの?まさか、カツアゲ
………」
「え、いや違くて、巽くんが裁縫教えてくれてたんだよ」
「
………え
…………?」
「
……ンだよ、なんか文句あんなら言えよ」
驚き、疑いの眼差しに、威圧の目。
ひ、と女子生徒の小さい悲鳴が上がる。
「っべ、別に、なんでもない
……です。平和島さん、終わったなら早く行こうよ。昼休み終わっちゃうよ」
「え
……うん
………?」
急かすような女子生徒の声に難色を示しつつ、
三琴は広げてあった裁縫セットなどを整えて教卓に置くと実習室の扉へと足を早める。去り際に「ありがとね」と彼女が零した言葉は、ぱたぱたという足音に紛れて完二に届いたかはわからない。
「
……………チッ」
一人残された部屋で完二は小さく舌打ちをし顔を歪めた。
<了>
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