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黒竹
2022-05-30 22:11:18
32290文字
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スタリラ
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黄金の地平 銀の地図
【スタリラ】【晶栞】
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眠れない。レッスン後にメイファンがしてくれたマッサージがあまりにも気持ち良くて中途半端な時間に寝落ちしてしまったせいだ。なんとかベッドの中で粘ってみたが、丑三つ時が近くなってもとうとう入眠できずベッドを這い出る。少し喉が乾いた。部屋を出て、常夜灯の明かりを頼りにキッチンに入る。
ペットボトルの水をコップに移していると、「あれ、栞?」不意に後方から声をかけられて心臓が跳ねた。その拍子に水をいくらかこぼしてしまって「はわわっ」さらに慌てる。
「あ〜、ごめんごめん。驚かせちゃった?」
「や、やちよ先輩でしたか
………
。ちょっと眠れなくて、お水を飲みに来てました」
「そっか。あたしもなんだか寝つきが悪くてね〜」
言いながら、隣に来たやちよが電子レンジで簡易に牛乳を温める。「寝れそう?」「ど、どうでしょう
……
」自信なさそうな栞に肩をすくめ、
「どうせだから眠くなるまでちょっと話そっか? 小声ならリビングでも大丈夫でしょ」
「あ、はい」
逆に目が冴えてしまうかもしれないが、どうせこのままベッドに戻っても眠れそうにない。やちよの提案は願ったり叶ったりだった。
連れ立って薄暗いリビングに入る。全灯はさすがにつけられないので、間接照明用のスタンドライトをひとつだけつけた。ローテーブルにそれぞれのカップを置いて並んで座る。
「どう? 最近」
なんとも曖昧な問いかけに苦笑いを浮かべて、「特になにも
……
風邪も引いていませんし」当たり障りのない返事をする。
「そうだね〜。生徒会の仕事もよくやってくれてるし、レッスンにも熱心だし」
「ありがとうございます」
「栞は今年の『エリュシオン』、どうなると思う?」
なんの気なしに出たという様子の質問だった。けれど少し不思議な質問だ。
年に一度の舞台に対して意気込みを尋ねるでもなく、どうしたいか、と希望を聞くのでもなく、「どうなる」と、予測を聞いてきている。
栞は水で唇を湿らせてから答えた。
「過去にないくらい素晴らしいものになります」
やちよが小さく笑った。揶揄のない、むしろ蒼穹にかかる虹を見たような笑声だった。
「そう答えられる子だから、晶センパイは栞を選んだんでしょうねえ」
「私は
……
私は
﹅﹅
、雪代先輩を裏切るわけにいきませんから」
「あー、そのへんはあたし詳しくないけど」
膝に置いた腕で頬杖をつき、やちよが小さく片眉を上げる。
「どうして?」
「え?」
「どうして、晶センパイを裏切れないの?」
「それは
……
お姉ちゃんが
……
それに
翡翠の君
フラウ・ヤーデ
に選ばれたのだから、当然のことです」
さっきから当たり前のことばかり聞かれる。
いつだって舞台少女は最高の舞台を目指すし。
いつだって
気高き君
エーデル
は
白金の君
フラウ・プラティーン
のために在るし。
そのためにこの学院に来たのだから。
やちよが身体を起こしてカップを取り上げる。ホットミルクをまるでブラックコーヒーみたいな風情で口に運び、一口飲んでテーブルに戻した。栞は本当にカップの中身がコーヒーに変わってしまったような錯覚をして、思わずテーブル上のカップを覗いたが、やはりそこには真っ白な液体しか入っていなかった。
「まあ、それがこの学院のコンセプトでもあるんだけど
……
」
白を黒にする彼女はそう呟いて髪をうなじからかきあげた。
「ねえ栞、あたしのこと好き?」
「え? はい、もちろんです」
「メイファンは?」
「好きです」
「ミチルセンパイは?」
「好きです。
……
あの、やちよ先輩」
嫌な予感しかしない。これ以上聞かれたくなくて手を伸ばしたけれど、彼女はスルリとすり抜けて、静謐な瞳をこちらに向けてきた。
やめてください、と、言えない。言わせてくれない。
せめて、せめていつものあの人を食ったような笑顔でいてくれたら。
やちよの唇が動くのを、妙にスローモーションで認識する。
「じゃあ、晶センパイのことは、好き?」
うぅ、と、無意識に喉の奥から呻き声が洩れ出た。
絶対に、絶対に絶対にされたくない質問だった。やちよだけではない、誰にも聞かれたくなかった。それは破滅の呪文だった。答えなければそれが答えになり、嘘をついてもそれが答えになり、正直に答えたら、もちろんそれは答えだ。
「どうして、そんなことを聞くんですか?」
「さあ、どうしてでしょう」
煙に巻くような返答。ずるい、と思った。
「ね、どうなの? 栞」
「
…………
」
おしまいだ。
これは裏切りだ。
絶対に裏切ってはいけない人を、裏切ってしまう。
ひとつ、息を吸って、吐く。
「──好きになっては、いけない人です」
ずっと秘めていたものを口に出してしまって、夢大路栞は泣きたくて仕方なかった。
「雪代先輩は素晴らしいかたで、とても尊敬しています。伝統あるシークフェルト音楽学院の
白金の君
フラウ・プラティーン
として、生徒会のお仕事も舞台も素晴らしい功績を上げていらっしゃいますし、先生からの信頼も厚くて、舞台での演技もとても素敵で」
「うん」
その相づちは、これ以上ないくらい絶妙だった。
少しだけ。夢大路栞が守っていた殻が、少しだけ、破れる。
「っ、辛いお菓子を食べてる時は、いつもよりちょっとだけお顔が柔らかくなります。ミチル先輩に怒られるとすごく落ち込んでしまって、なんだか大きなわんこみたいです。前に携帯の使い方を聞かれたことがあって、お答えしたら、助かった、って、頭をなでてくれて」
「うん」
「
……
でも、私は」
必要とされているのは。
「
翡翠の君
フラウ・ヤーデ
なので」
「すべてはエリュシオンのために、ね」
「はい」
だからあの人を好きになってはいけない。
忠実な臣下でさえあればいい。
隣で、やちよのため息が小さく聞こえて、それからぽふぽふと優しく頭を叩かれた。
「困っちゃうね、女の子は」
「すみません」
「伝統って言い換えたら呪縛だよね」
「いいえ、伝統は何も縛りません。選ばれているからこそ、私たちが守るからこその、伝統です」
「
……
やだねー、この子は」
苦笑交じりの声は言葉通りの意味ではなくて、さっきからずっと髪を撫でてくれている手は優しい。
自身も姉も、この学院の伝統を守るために入学した。何も変えず、ただ次代につなぐことだけを目的として紡がれていく歴史。
姉にはできなかった。理由は知らない。
代わりにとは、思っていない。伝統を守ることは自分自身の目標でもある。それを履き違えはしない。
ああ、そうだ。
それを、初めて告げた相手は、あの人だった。
もしかしたら、あの頃から、もう。
そしてあの人はお前が必要だと言った。
「舞台のために必要とされている、それで充分なんです。私には、それ以上なにもいらないんです」
「と、思いたいわけね、栞は」
「どうしてそんなこと言うんですか」
チクチクと、遠くから威力の弱い攻撃を受けているような気分だった。即死もしなければ動けなくなるほどのダメージも受けないが、当たれば痛いし何度も撃たれて鬱陶しい。
狙ってやっているのか、やちよは栞が顔をしかめて見せてもどこ吹く風でホットミルクを飲んでいる。
「空のパズルって知ってる?」
「え?」
いきなり違う話を振られて思わず顔を上げる。やちよは例によって食えない笑みを口元にはりつけていて、底の見えない表情に栞は少しだけ警戒する。
「真っ青な空を写したパズルってのがあってね〜、もちろんどのピースも青一色なわけ。でも、どれもひとつとして同じ形はなくて、隣に嵌るピースはひとつだけ。
全部同じに見えてても、似たようなピースを無理やり嵌めたら一生完成しないのよ」
「
…………
」
願うものはそっくりで、そこに違いはないようで。
誰かのそばにいる理由。
イライラする。
「こっちでいいか、なんて思うのは一番つまんないよ」
「っ、だったら!」
絶対に突かれたくなかった部分を突かれて、こらえ切れず激高する。乱暴にコップをテーブルへ叩きつけると威嚇するように立ち上がった。
「だったらどうしたら良かったんですか! ずっとお姉ちゃんの代わりのままでいれば良かったんですか! そんなことしなくても私は
……
私のままじゃいられないのに
……
!!」
「あー、ごめんごめん。栞、落ち着きなって」
やちよはまるで効いていなさそうな風情でヘラヘラ笑っている。
どうしてそんな顔をしていられるんだ。
こっちはこんなに真剣なのに。
斬り伏せてやりたいくらいに。
「そばにいたかったんです! そばにいられるなら、どんな理由でもかまわなかったんです!
演技でも嘘でもまやかしでも、エリュシオンのためでも、なんでも!! でも
……
」
もう涙は自分では止められなかった。肩で息をしながら真っ赤に染まった双眸でやちよを睨みつける。
一気に虚脱感が訪れる。絶望、と言えるかもしれなかった。
「
……
そんな子は、
気高き君
エーデル
に、いらないでしょう
……
?」
裏切るわけにはいかなかった。姉妹揃ってそんなことをしてしまったら、もう取り返しがつかない。姉を不名誉だとは思っていないが、自分まで裏切ってしまったら、姉まで泥をかぶってしまう。それだけは絶対に避けたかった。
だから隠そうと思ったのに。
隠せていたのに。
「栞
……
」
「おい、なにをしている」
突然かかった低く重苦しい声に、栞もやちよも咄嗟に背筋を伸ばす。
それは王の声。
「あああああ晶センパイ、どうしてここに
……
?」
「こんな時間に大声で騒いでいたら嫌でも気づく。何かあったのかと様子を見に来てみれば、なんなんだ、
気高き君
エーデル
が揃って夜中に。二人ともどういうつもりだ」
抑揚のない口調で言われて栞が我に返った。そうだ、もう深夜で、明日も学校で、ここは、寮で。
やちよが立ち上がって栞の前に立ちふさがる。
「えっと、聞こえてました?」
「離れた部屋のドア越しでは何を言っていたかまでは聞こえんが、大声で叫んでいることは分かった」
「なるほどー。それは良かった」
「何が良いんだ」
「あーすみません、こっちの話で。いえいえ、あたしがちょっと後輩イジメしてたら反撃食らってたんですよ」
言葉とは裏腹に、背中に栞をかばうような立ち位置で言うと、晶がくっと眉根を寄せた。
「どういうことだ」
「見てのとおりですって」
スタンドライトだけの薄暗いリビングで、栞は俯いていて、やちよが背中でかばってくれていて。
それでも雪代晶は、こちらの涙に気づいた。
「どうした栞。なぜ泣いている。やちよに何をされた」
「な、なんでもないんです、すみません、こんな時間に
……
」
「謝れと言っているのではない。泣いている理由を聞いているのだ。私には言えないか」
言えない。他の誰よりも、この人にだけは。
想いを知られるくらいなら、失望されたほうがマシだと思った。
答えずにいると、どこか苛立ったような嘆息が晶の口から洩れた。
「栞、あまり私を困らせるな」
本当に失望された。実際にされてみたら予想の何倍もつらかった。全身を切り刻まれるような痛みが襲う。どうしよう、翡翠でいられないなら自分の価値なんてないのに。
ただの石ころになってしまうのに。
「まーまー晶センパイ。反省文でも罰掃除でもなんでもやりますから。ここはひとつあたしの顔に免じて」
両手をこすり合わせるやちよを一瞥し、「
……
ふん」納得はしていないだろうが、ひとまず引くことにしたらしい晶が小さくぼやく。
「両方だ。二人とも反省文二枚と裏庭の掃除を申し付ける。期間は明日から一週間。いいな」
「はーい」
「
……
はい」
もう全部が駄目だ。八方塞がりだ。それでも逃げるわけにはいかない。それは許されていない。
明日からどんな顔をして生徒会室に入ればいいのだろう。
部屋に戻れと言われてノロノロとリビングを出る。晶は入り口のところで腕組みをして仁王立ちになっている。横を通り過ぎる時、なにか言われるかと身構えたが、彼女は沈黙したままだった。
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