黒竹
2022-05-30 22:11:18
32290文字
Public スタリラ
 

黄金の地平 銀の地図

【スタリラ】【晶栞】


4

 その日はなんだかもう色々とタイミングが悪かった。
 今朝、雨が降っていたからお気に入りの傘を差して登校していた。道中で突風に見舞われ、やや子供っぽい小ぶりの傘はあえなく根本から骨が折れた。たまたまクラスメイトが通りがかって入れてくれたものの、帰りはどうしようかと悩んでいたら午後には晴れてくれたので安心していた。帰りながら新しい傘を買おうと決めて、その前に生徒会室で仕事をこなす。
 仕事が一段落したところでやちよから衣装のサンプルに使う生地を買ってきてほしいと頼まれた。その時、メイファンはアクショントレーナーに用があって席を外していた。晶とミチルも不在だったし、そもそもそんなお使いをあの二人にさせられるわけもない。栞が呼ばれたのは至極当然だった。
 わかりましたと素直に答えて、指定の手芸店に向かったのが一時間ほど前。
 いくつか布地を購入して帰ろうとしたところで、ポツリポツリと雨だれが落ちてきた。前述の通り傘がないので栞は慌てて帰り道を走ったが、間に合わなかった。
 なんとかお使いものは死守しようと両腕で抱えて、学院までの道を駆けていく。もう髪も肩もびしょ濡れだ。風邪だけはひかないようにしないと、と泣きそうになりながら強く思う。
「!?」
 俯いて走っているのに目についてしまって思わず顔を上げた。走り抜けようとした古書店の軒下に佇む人影。流麗な銀の髪とそれを留めるリボン。一分の隙もなく着こなされた制服と、組んだ腕を叩く苛立たしげな指先。
「っ、雪代先輩!?」
 何も考えず方向を変えて、晶の隣に飛び込む。
 雪代晶はわずかに目を瞠ってこちらを見やり、栞の姿を認識するとほんの少し表情を和らげた。
「栞か。なんだ、買い物か?」
「は、はい、やちよ先輩に頼まれて……。いえ、私のことより、雪代先輩はどうされたんですか?」
 問われて晶は苛立ちを隠そうともせずに深く嘆息した。
「次の舞台で協賛していただく組合のかたと打ち合わせがあったのだ。この先の会議場で打ち合わせをして、帰ろうとしたところで降られた」
「傘は……?」
「持っていたらこんなところに突っ立ってはいない」
「そ、そうですよね……
 とりあえず雨粒からは逃れられたので、栞は買い物袋を濡れないように地面に置いてハンカチで髪の毛の先を拭った。首筋に髪の毛がはりついて不快だが仕方ない。
「栞」
「は、はいっ」
「誰でもいいから生徒会の誰かを呼べ。傘を持ってこさせろ」
「あっ、はい、分かりました」
 急いでスマートフォンを取り出してメッセージを作成する。生徒会メンバーで作られたグループ宛に送信すると、隣から振動音が聞こえた。
「あれ? 雪代先輩、電話持ってます……?」
「ミチルに電話をしたがつながらなかった」
 いえメッセージを送ればよかったのでは。言いかけて口ごもる。そうだ、この先輩、機械全般が苦手だったのだ。ミチルが連絡用にと作ったグループには入っているものの、使い方が分からないのかもしれない。
 手の中でスマートフォンが震える。やちよとメイファンが気づいてくれたようだ。
 『あらら〜、こんな時に頼んでごめんね栞〜』やちよのメッセージの後に、『すぐに傘をお持ちします!』と元気の良い返答がメイファンから届いた。
「メイファン先輩が来てくれるそうです」
「そうか。ご苦労だった」
 学院からここまで、徒歩で十五分ほどだろうか。雨で視界が悪いのでもう少しかかるかもしれない。いや、メイファンのことだ、この雨脚など物ともせず走ってくるかもしれない。
 できればそうしてほしい。
 晶はずっと前を向いたままこちらに一瞥もくれず、栞は栞で、話すべき話題が見つからなくて沈黙している。
 気まずい。
「ミ、ミチル先輩の既読がつきません。お電話にも出られなかったそうですし、手が離せないんでしょうか」
「次の舞台について、事務局と話し合うと言っていたな。そのせいかもしれん」
「ああ、それなら、電話に出るわけにもいきませんよね」
 こめかみを伝う雨が少し鬱陶しい。じりじりする感覚。隣同士で並んでいるだけなのにプレッシャーがすごい。古書店は店構えもずいぶん古く、客が来る気配はない。古い紙独特の匂いが鼻につく。サァサァと雨が降る。通り過ぎていく人たちの色とりどりの傘が揺れる。夢大路栞は濡れてはりついてくるブラウスをなんとかしたいと思っている。気詰まりのまま、毎日会っているのに話題をひとつも見つけられずにいる。
 腕組みをして前方を睨みつけている晶が不意に口を開いた。
「ミチル先輩、と呼ぶんだな」
「え?」
「ミチルのことを、『鳳先輩』ではなく、下の名前で呼ぶだろう」
 突然の言葉に戸惑う。確かにそのとおりだが、ミチルのことはずっとそう呼んでいて、今まで何か言われたことなどなかった。
「あの、そうですね、ミチル先輩は気さくで親しみやすいかたですし、皆さんお名前で呼ばれているのでつい……。副会長に対して馴れ馴れしかったでしょうか」
 しょんぼりと頭を垂れる。やちよやメイファンはともかく、中等部の自分がそんなふうに気安く呼ぶべきではなかったか、と落ち込んだ。
 気高き君 エーデルとしての精神を忘れるなと何度も言われているのに、これもまた、甘えなのかもしれない。
「いや、ミチルが何も言っていないんだ。それは構わないだろう」
……えっと」
 呼び方を叱られたわけではないらしい。会話の主旨がつかめなくて栞は困ったように眉尻を下げる。
 晶は正面を向いたままだ。
「まあ、私は親しみやすくはないだろうからな」
 どこか拗ねたような気配を感じたのは思い込みだったろうか。
「昔から苦手なんだ。ミチルのようによく知らない相手にまで誰彼となく愛想を振りまいたりするのが。必要があるとも思えないしな。そんなことをしなくとも信頼関係を築くことは可能だ。少なくとも、気高き君 エーデルについてはそうだと思っている」
……?」
「つまり」
 もう一度晶が嘆息した。それは先ほどのものとは違って、どこか後ろめたさのようなものを孕んでいた。
 あるいは歯がゆさだろうか。何に対してなのかは分からないけれど。
「もしもお前が、私に信頼されていないと感じているのなら、それは誤解だと言っておく」
 表情はいつもと同じ王者のものなのに、手探りで暗中模索しているような口調だった。そのアンバランスさが違和感を呼んで栞を混乱させる。
 栞は何も答えずに王の言葉を待っていた。
 答える言葉を持たなかったという方が正しい。
「お前がどう思っていようと、私はお前以外の誰かを翡翠の君 フラウ・ヤーデに据えるつもりはない。そして、お前が逃げることも許さん。覚えておけ。
エリュシオンのため、白金の君 わたしには翡翠の君 おまえが必要なのだからな」
 白金の君 フラウ・プラティーンは前を向いたまま宣言する。
 それは夢大路栞の心を捕らえて離さない、絶対の王。
 一人の人間をまるで我が物のように扱う傍若無人。
 それでも、ああ、その言葉が。
 泣きそうなほど嬉しいのだ。
 その喜びは歪んでいると、分かってはいるのだけれど。