kaisou
2026-04-14 12:53:12
11711文字
Public 1740年コンクラーヴェ話
 

Habemus Papam.  我らは教皇を得たり

1740年コンクラーヴェ話・別視点7

コンクラーヴェ後の話。新しい教皇を得て、世界が前へ進みはじめる。自分だけは手放さない

※歴史創作なので悪しからず

▼本篇まとめ
Aliquid est quod memoria mea non relinquit.
私の記憶を離れないものがある

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全7章/幕間含む
1740年コンクラーヴェ話の本篇その2
視点違いの2つの話のうちの1つ。

 鐘が鳴っていた。

 祝福の音が街中に響く。それは長く空位だった座が埋まり、教会がふたたび中心を得たことを告げていた。人々は安堵し、広場はざわめき、祝意は波のように膨らんで、宮殿の壁にも回廊の床にも、晴れ渡る日差しのように行き渡っていた。

 ローマは、先へ進んでいた。

 ニコロ・コシアはその中を歩いていた。歩幅も、速度も、視線の置き方も、何も乱れてはいない。枢機卿として戻ってきた男にしては慎重な静けさで、通り過ぎる者の記憶に長く残らない気配を身にまとっていた。

 空位は終わり、新しい教皇を得た。

 広場に集まる群衆の熱と、絶え間なく揺れる声のざわめき。ローマは驚くほど素直だった。名が定まれば、噂と不安でざらついていた空気はたちまち凪いで、最初からそこにあった秩序であるかのように落ち着きはじめる。人は祈り、囁き、そしてすぐに次へ進む。それがこの街の強さでもあり、冷たさでもあることを、コシアは知っていた。
 彼の前を、急ぎ足の聖職者たちが、低く言葉を交わしながら通り過ぎていった。聞き取ろうとは思わなかった。興奮と慎重さ、好奇心。声は抑えられていたが、その下で何かが細かく跳ねていた。

 コシアは足を止めない。

 かつての位置にはいない。誰に説明されるまでもないことだった。ローマという場所は、席次や敬意、視線の置き方によって、人の立つ位置を容赦なく教える。それをわかったうえで歩かなければならない。表情も、衣の裾も乱れない。いまこの場にいる自分がどのように見られているかを知らぬほど愚かではなかったし、それをいちいち表に出すほど若くもなかった。
 視線を感じる。露骨なものばかりではない。厄介なのは、その逆だった。気づかぬふりで通り過ぎる目。見ていないようで、きちんと見ている顔。知っている者の、過不足のない沈黙。この街は、そういうものをよく育てる。

 コシアは、ただ歩いた。

 公の所作を纏い、秩序の中に自分を置く。その正確さだけは、まだ身体のほうが忘れていない。
 遠くでまた鐘が鳴る。音は高く澄んでいた。誰かの声がそれに重なり、また別の声が答える。広場は見えなくても、場の興奮は伝わってくる。
 コシアは回廊の半ばで、ほんのわずかに顎を引いた。祈るためではない。ただ、音の通り道を一度やりすごすような、小さな仕草だった。誰も見ていないところでだけ、彼は短く息を吐いた。それが何の吐息であるか、おそらく本人にもわからなかった。