八上
2026-03-17 17:22:38
16185文字
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鬼の打掛

夜昂と玖寂の話。夜昂の因習実家関連の決着話(予定)


■終わりと始まり

 ――大伯母、天槻・弥貴子が自室で惨殺されているのが発見されてから一週間が経った。
「本当に申し訳ございませんでした」
 正座した天槻・睡蓮が畳に手をつけ、頭を下げる。その先にいるのは、あの日金翠山へ置き去りにされた彼女の異母兄、椿・夜昂だった。死体発見のほとぼりが冷めるまで屋敷の外に出されていたが、昨晩連絡があり再びこの屋敷の敷居を跨いでいた。
「あんたが、そんな風に謝らなくとも」
「親族の不祥事をあなたにお詫びできる者がもう他にいないのです」
 直近の当主だった夜昂と睡蓮の父親は死んだ。そのまた父母も既に亡く、すぐに当主になり得るような近縁のもの――この家の場合は男性に限られる――もいない。
 確かに死にかけたし、もう駄目だと何度も思ったし、凄まじく怖かったけれども、それでも夜昂は、彼女が頭を下げて詫びるようなことではないと思うのだ。
「とりあえず、頭を上げてくれ。……あんたが玖寂さんにあの山に行けって言ってくれたんだろ」
……女には登れないお山でしたので」
 頭を上げて向き直った睡蓮が言う。金翠山は「女が登ってはいけない山」なのだと。祖たる鬼女の住処に女は踏み入ってはいけないのだと。そう伝えられていると。
……それで、かの鬼女は消えた、のですか」
「分からねえ……俺にはそう見えたが……
 結果として、あの打掛だけを残して、彼女は消えた。夜昂が呼んだ名に満足したのか、それとも。
「あの着物……どうしたんだ?」
「応接間に飾るのも蔵に仕舞い込むのも憚られまして、ひとまず私の母の部屋だったところに飾っています」
 ご覧になりますか、と問われて夜昂は頷いた。

 小綺麗に片付けられた部屋の中心に、その打掛は飾られていた。金色と翠色で古典模様が描かれた打掛は、素人目に見ても素晴らしいものであると分かる。
「我が家に置いておいて、本当にいいんですか?」
「まさか俺が着る訳にもいかねえし……売るのも怖いし……それに、」
 家に帰りたそうにしていたから、と言う夜昂に、睡蓮は小さく、分かりました、と言った。
「ではこのままお預かりしておきます。必要になれば、いつでもお返ししますので」
「あんたは着ないのか。そのうち結婚するんだろ」
「恐れ多くて、とても」
 睡蓮は微笑んだ。
……私の母は、私しか産めなかったことを周囲から詰られていました。生前も、死んだ後も」
 静かに話し始めた睡蓮に、夜昂はじっと耳を傾けた。
「こうしてかの鬼の打掛を母の部屋に飾っているだけで、誰もが畏怖を持って母の部屋を見る。それで、周りを見返してやれたような気になっているんです」
 本当はあなたの功績ですけれど、と睡蓮は眼鏡の奥の翠瞳を細めた。
「いいんじゃないか、それでも」
 夜昂は、異母妹の見知らぬ母親に祈った。自分の母にするように。


「話はもういいんですか」
 天槻の屋敷を出ると、門塀に八上・玖寂がもたれかかっていた。
「ああ……
「跡目を継いでくれとは言われなかったんですか?」
「それはなかったっす。あの子……睡蓮には、婿当主の名目を使ってでも結婚したい親戚の兄ちゃんがいるんだと」
 ですので万事ご心配なく、二度とあなたの生活を脅かす者はいなくなります、と良い笑顔で言う異母妹の顔を思い出した。きっと彼女は死んだ父親や大伯母よりもやり手だろう。結婚相手の彼は一生尻に敷かれるかもしれないが。
 それは良かったですね、と言う男に、夜昂は「玖寂さん、」と呼びかけた。山から帰ってきてからずっと抱いていた疑問をぶつけてみたかった。
「なんでずっと傍にいてくれてるんすか」
 彼を雇っていた夜昂の父はもう居らず、何を支払ったかは知らないが、あの日彼を山へ派遣した睡蓮との契約も、あれきりで切れているだろう。それでも玖寂はまだこの一週間、夜昂と一緒にこの大阪と京都の境にある僻地にいる。
 玖寂は低く笑った。
「なんでだと思いますか?」
「えーと……金?」
「あなたの支払える金銭にはまったく期待していません」
 僕の依頼料は結構強気の価格設定なので、と荒事師が言う。
「あのお嬢様と”約束”したんですよ。山へあなたを連れ戻しに行く代わりに、あなたの今後の人生を天槻から貰うと」
「へ?」
「なので、跡目争いの話にならなかったのは僕のお陰かもしれませんね」
「え? え? いや、そんなことより、俺の人生って」
 玖寂の手が夜昂の首に伸びる。手袋越しに喉仏を撫でられた。『人生を貰う』の意図を嫌でも理解させられる。
「しかし『それを決めるのは本人だ』と妹御から言われましたので……
 玖寂が首から手を離す。その口元は弧を描いていた。
「覚悟しておいてくださいね」
 夜昂の金翠の瞳が困惑で揺らいだ。
「え、あ、なんで」
「なんで、とは?」
「俺、でかいし、可愛くもないし、玖寂さん、綺麗だし、大人だし、カッコいいし、なんで、俺なんか」
 ふうん、と玖寂が吐息を零す。そして指先で夜昂の左胸を突いた。
「分からないならそれで結構、この人たらし」
「はぁ!?」
「帰りますよ、ずっと人様の家の前で騒ぐのは迷惑ですからね」
「なに、何なんだよ?! ちゃんと説明しろよ!?」
 また俺だけ分からないやつか!? と夜昂が髪を掻きむしるのを見て、玖寂は笑った。


 ――古の業によって永遠に咲かされていた花は散りきった。金翠の山の、天槻に恩顧を与えていた鬼はもういない。天槻から鬼の子はもう生まれてこないだろう。その変化はもしかしたら未来に不和を齎すかもしれない。それでも、今を生きる子に得るものはあったことだろう。
 小さな不死鳥は今日も夜昂最後の天つ鬼の袖の中でうとうとと微睡んでいた。