ちよど
2026-02-19 06:14:14
33967文字
Public 以蔵さんとカルデアの日々
 

自覚する坂本さんと記憶を無くした以蔵さんの話【帝都騎殺】

タイトル通り以蔵さんが記憶喪失になる話。捏造多めです。以蔵さんとカルデアの日々シリーズ3。pixivからの再掲





 カルデアにはいくつかの喫煙室がある。いざという時には逃げ込めるように多少頑丈に作ってあるガラス張りの部屋に以蔵は座り込んでいた。
 以蔵はたまに煙管を吸うが、吸っている最中に話しかけられるのが嫌いなためもっぱら自室で楽しんでいる。なので、この部屋に入ったのは初めてだ。
 懐に手を入れてもやっぱり愛用の煙管はなく以蔵は肩を落とした。
 喫煙室の中はいろんな煙の匂いが入り混じり、吸わないのであれば長居したい雰囲気ではない。
 だが、今はなんとなく四方に壁が欲しかった。しかし自分の部屋は遠く、こんな時間に駆け込める程親しい知り合いもいない。なのでここに逃げ込んだのだ。
 喫煙するサーヴァントが思いのままに持ち込んだのだろう。元は素っ気なかったはずの喫煙室は豪勢な椅子やテーブル、カウチなどで溢れていた。
 奢侈に慣れない以蔵は思わず座ってしまったカウチの布地に恐る恐る手を這わせる。まるで太夫の着物のような光沢と厚みに慌てて飛び降りた。

 これは自分のような人間が触れたらいかんものじゃ。

 カルデアだから罰せられる事はないだろうが、弁償と言われたら堪らない。そっと自分が座った場所を整えて、以蔵はこの危険な場所から逃げ出すことにした。

「以蔵さん、座らないの?」

 だというのに、出口にはひとりの男が立って以蔵を見つめている。
「坂本か、何の用や?」
 そう言うと坂本龍馬は痛みを堪えるように顔を強ばらせた。
「以蔵さんの姿が見えたので探したんだ。こんな時間にどうしたの? 部屋に戻るならつき合うよ」
 やっぱり見つかっていたかと以蔵は内心舌打ちする。
「馬鹿にしとんのか? 帰り道ぐらい分かる」
「本当かなぁ? 以蔵さん、街に来てすぐの頃よく迷っていたでしょ? 送っていくよ」

「いらんちゃ! キアラが寝とるからお前は来るな!」

 キアラは坂本をよく思っていない。そんな坂本を無防備に眠っているキアラの側に連れていけるはずがなかった。
 その坂本は以蔵の言葉にさっと表情を変えた。からかい混じりの余裕は拭い去られ、深みのある黒い瞳には底光りのする何かが見える。
「坂本?」
「以蔵さんの部屋で、殺生院キアラが寝てる? こんな時間に?」
 強い口調で繰り返し、坂本の手が以蔵の肩を掴もうとする。その手を以蔵が払うと坂本はひたりと以蔵を見据えた。
「以蔵さん、殺生院キアラがどんなサーヴァントか知ってるの?」
「やかましい! びぃすとがどうとか、耳がタコになっとるわ!」
 マスターはまだ説明をしただけだったが、その後以蔵がキアラと行動を共にする事か増えるにつれ、以蔵はサーヴァントからもカルデア職員からも忠告混じりにキアラのことをいろいろ聞かされるようになった。
 ご親切にマスターのセラフィックスでの記録の閲覧まで勧めてきた奴までいたが、以蔵は断った。

 以蔵が知る殺生院キアラは童話ごときで涙して、子供のように影踏みで遊び、以蔵なんかに忘れないで欲しいと願う優しい女だ。

 他人は何だって好きなように言える。生前散々言われた以蔵はそれをよく知っている。だから、以蔵は以蔵の見たものが全てだと思うのだ。


 ―――だって、■■は以蔵の噂に踊らされたりしなかった。


 どれだけ頑張っても騙され利用され馬鹿にされる事ばかりの人生だったけど、彼だけは一度も以蔵の事を馬鹿にしなかったのだ。

「なぁ、坂本。なんでおんしはわしのこと『以蔵さん』なんて呼ぶ? わしの方が年下ぜよ」
「それは、わしが以蔵さんのことを尊敬しちゅうきちや。―――だって、以蔵さんは剣の天才やき」
 当たり前のように言う坂本を以蔵は鼻で笑った。
「このカルデアでそれを言うんか? わし程度ごじゃんと居るぜよ」
 ケタケタと声を上げた以蔵の肩は、強い力で掴まれた。坂本の黒い瞳が以蔵を呑み込みそうな深さで見つめる。

「誰が何と言おうと以蔵さんが一番じゃ」
そう上手いこと言うてわしを利用する気やろ」
「わしが以蔵さんを利用したことは一度もない! だってわしは以蔵さんの事が、」

 続けて何を言おうとしたのか坂本は不自然に口を閉ざした。
 坂本が言いかけた内容を以蔵は知っている。先程、廊下で聞いたばかりだ。
 以蔵が思わず逃げ出してしまった言葉だ。
 
「言うてみい」

 以蔵が促すと坂本の瞳孔が一瞬ぎゅっと縮んだ。
「言ってもいいの?」
 彼も分かっている以蔵があの言葉を聞いていたことを。それを改めて言わせる意味を。

 考えても考えても生前誰も彼もが以蔵を笑い馬鹿にして最後には切り捨てた。目の前の男も以蔵を見捨てたらしい。
 以蔵の胸の奥につっかえるように出てこないただひとりを除いては。


―――わしは、以蔵さんのことを愛しちゅう」 


 ぞくり、と以蔵の肌が粟立つ。
 目の前の男の表情はきっと記憶を失う前の以蔵も見た事がないものだ。その色めいた端正な顔が一瞬で近づく。唇が重なったかと思えば、するりと舌が滑り込んでくる。あまりの早業に棒立ちになった以蔵の口の中をまるで知り尽くした場所のように坂本は隅々まで愛撫する。
 思わず後ずさりしようとした以蔵を逆に引き寄せて、坂本は以蔵の口腔内に自身の体液を流し込んだ。
 ごくん、と反射的に飲み込んだ以蔵の動きが止まる。
 唇がゆっくりと離れた。





「以蔵さん」
「おんし―――
 肩を掴んだままの龍馬の手をそのままに、以蔵は確かめるように自分の唇に手を当てる。 

「前もこんなことをせざったか?」

 ああ、以蔵は龍馬の唇の感触と魔力の味を覚えていたのだろうか。
 そうだよ。と答えたら、記憶のない以蔵は龍馬と自分が恋仲だったと思ってくれないだろうか。
 以蔵がすこしでも迷えば、龍馬は言い含める自信がある。
 それは耐え難い誘惑だった。

 以蔵の飴色の瞳がじっと龍馬を見ている。
 その瞳に偽りを述べることなんて出来るはずがない。

「ごめんね、以蔵さん。―――以蔵さんが気を失っている時に僕が勝手に口づけしたんだ」

 正直に謝ると以蔵は呆れたように目元を和らげた。
「おんし、わしに謝ってばかりじゃのう」
「本当にごめん」
 生前見捨てただけではなく、死後に及んでは以蔵に龍馬を殺させようとしたり、気絶している間に口づけたり。もちろんそれを行なった理由はあるけれども、龍馬は以蔵に酷いことばかりしている。
「坂本?」
 黙りこくった龍馬に以蔵が首を傾げる。

龍馬、と呼んで欲しい。以蔵さん」

りょうま?」

 促されるまま以蔵が龍馬を呼ぶ。
 もうずっと聞いていないその呼称に龍馬は笑みを浮かべようとして―――失敗した。

「以蔵さん。以蔵さん。以蔵さん―――っ、」
 
 痛みに耐えきれないかのように身をかがめて、目の前にいる以蔵ではなく、もういない以蔵を呼ぶ龍馬の頬に堅い手のひらが添えられた。
「坂本。ええ年して泣きなさんなや。―――おんしが泣くとなんか胸がざわざわするがよ」
 以蔵は龍馬の顔を覗き込む。
 止まらない涙に少し困ったように眉を寄せて、懐からハンカチを取り出した。

以蔵さん、それ、僕があげたものだよ」
「そうか」

 興味なさそうに以蔵はそのハンカチでごしごしと龍馬の顔をこする。
「痛い。痛いちや」
 むずかる龍馬に以蔵は呆れたようにため息をついた。
―――おんし、まっことなきみそじゃのう」
 それは幼い頃以蔵に言われた言葉と同じで、龍馬の目からまた涙がこぼれ落ちた。





 以蔵さんは優しい人だと坂本龍馬は思う。
 頼りにされると無碍に出来ないのだ。生前それを利用されていいよううに使われているのを何度も見たけれど、結局懲りなかったようだ。
 わざと泣いたわけではないが、もしここに以蔵以外の人がいれば龍馬は泣かなかっただろう。

「以蔵さん」
「なんじゃ? 坂本」

 龍馬と呼ばない以蔵の手が、龍馬の頭を撫でていく。
 豪奢なカウチにぐずぐずと泣く龍馬を寝かせて自分は立ち去ろうとした以蔵を泣き落として。龍馬は今、以蔵の膝に頭を乗せている。
 いわゆる膝枕だ。
 カウチの座り心地が合わないのか身じろぎする以蔵に龍馬は話しかけた。
「以蔵さん、どうしたの?」
おんしは、坂本のところのぼんやから気にしないだろうが。わしにはこれは不釣り合いじゃ」

「以蔵さん、思い出したの!」

 がばりと体を起こした龍馬の勢いに以蔵は気まずそうに視線を逸らせた。
「あげな金持ちの家、誰でも知っちゅう」
―――僕のことは?」
 家のことを覚えているなら、龍馬個人のことも覚えているかも、と尋ねれば以蔵は首を振った。
「そっか。そう簡単に思い出さないよね」
 呟いて、また以蔵の膝に顔を埋めた龍馬に以蔵は首を傾げた。

「おんしとわしはどんな関係やったんじゃ?」

 普通の幼なじみはいい年して泣きついて膝枕してもらったりしないだろう。
 その疑問に龍馬はくるりと向きを変え、以蔵の顔を見上げる。

「以蔵さん。端末出して」
 言われるままに懐から端末を出した以蔵に、龍馬はその先を促す。
「さっき渡した音声データ。以蔵さんの好きなところから再生してみて。―――何から言っていいのか分からないから。以蔵さんに任せるよ」
 好きなところと言われても見当のつかない以蔵は几帳面に付けられたタイトルから適当なものをタップする。

龍馬とは、こればあ小さな頃からの付き合いでよう遊んだもんじゃ。すぐに泣く童で、わしはいつもあいたぁの面倒をみていたぜよ。いつやったか柿が食べたい言いだして、しょうが無いき近所の寺に行ったんや。近くに柿の木はそこしかなかったきな。あ? 買う? そんな金あるわけないろ。ともかく木に登っているとあいつは途中で動けんなって

 大騒ぎになったと音声データが語る内容に龍馬は顔を真っ赤に染めた。
「ひどいよ、以蔵さん
 顔を覆った龍馬に以蔵は首を傾げた。
「あの寺に柿の木なんかあったか?」
 心底不思議そうな以蔵を、龍馬は記憶違いだと笑い飛ばせなかった。

 ―――坂本龍馬と岡田以蔵は『本当は』幼なじみではなく。お前達のそれは人々の思い込みから捏造された記憶ではないのか?

 アンデルセンの言葉が蘇る。
 敵対する人物の護衛を受けた岡田以蔵と依頼した坂本龍馬はよほど親しかったに違いないと、後世の人々が思ったために龍馬と以蔵の霊基が影響を受けていないとは言い切れない。

「以蔵さん、」
「おん?」

 龍馬が呼ぶと穏やかに以蔵が答える。それは数日前には決してなかった。
 記憶が戻れば、また以蔵は龍馬に対する憎しみと好意に振り回されることになるのだろうか。
 それは以蔵にとって幸福なことなのだろうか。

「以蔵さん。もし―――

 龍馬が言いかけたその時、以蔵の端末が着信を告げた。

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